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#7 奪還と作戦

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 翌朝、青山一家は日が出てないうちから早くも動き出していた。
 昨晩話し合った計画を遂行するため、丈一郎は格納庫にいた。
 ボートの出し方、あらゆる道具の収納場所、また今後必要になるであろう釣り具や機材などの保管場所にいたるまですっかり把握していた。
 このような形で役立つとは思いもよらなかったが、以前ボートをしまうために格納庫を確認していたことに救われた思いがする。

 佐江の役割は食料と水の調達だ。
 どれだけ海を漂流するかわからないが、とりわけ水は多いに越したことはない。
 しかしボートの重量的な制限と時間的な制約があるなかで、安心と言える量の確保には至らなかった。
 それでも女の細腕が運んだにしてはかなりのポリ容器や食料がボートに積み込まれた。

 昭太の役割は、地図とコンパスの入手だった。
 幸いマイナードはルーナの部屋につきっきりで、マイナードの部屋は空いていた。
 以前にマイナードが地下部屋へ行くのを目にしていた昭太はそこから調べることに決めていた。
 幸運にも昭太は真っ暗闇のおぞまし気な部屋の中、ろうそくの火だけで近海の地図とやけに古めかしいが使えそうなコンパスを探し出すことができた。
 昭太は丈一郎から、ざっと探してみつからなかったらすぐに戻って来いと言われていたが、青山一家はこの件に関してまったく運がいいとしか言いようがない。

 三人は手際よくそれぞれの仕事を終え、決めていた時間ピッタリに食堂に集まった。
 この一家の連携ぶりときたら、軍隊並みに優秀と言っても過言ではない。
 これがこの家族の強みとでも言うべきだろう。
 それから三人はそれぞれがそれぞれの場所で探してきた身を守るための武器を手にしていた。
 丈一郎は格納庫に保管されていたアウトドアナイフを、佐江はキッチンから拝借したフルーツナイフを、そして昭太は古いペーパーナイフだ。
 こうなるといよいよ本格的に命のやり取りを想像せずにはいられなくなる。
 もう後戻りできないところまで来てしまったのだ。

「昭太、そのペーパーナイフ、象牙じゃないか」
「うん。銀のがあればよかったんだけど、さすがになかったからこれを持ってきたんだ」
「象牙で吸血鬼に対抗できるかどうかあやしいものだね」
「でも、ないよりはましだよ」

 そう言って昭太がベルトに差し込もうとしたとき、劣化していたのかナイフはポキリと二つに折れてしまった。

「あーあ……」

 昭太の落胆ぶりに丈一郎はナイフを昭太に差し出した。

「無駄かもしれないけど十字架でもつくっておくか?」
「うん……」

 なにも持たないと言うのも心細い。
 昭太は折れたペーパーナイフを捨てると、丈一郎からナイフを受け取った。
 昭太は浜へ出て手近な流木の枝を拾って戻ってくると、互い違いに交差する部分を削ってひもで縛り簡単な十字架を作った。
 そして、それぞれに武器を思い思いの場所に隠し持って、三人は息をついた。

「さて、ここからが正念場だ」

 丈一郎は強い意志でもって家族の顔を見回した。
 佐江と昭太もにわかにうなずいた。
 なにを隠そう青山一家はこれから、ルーナの救出を試みようとしているのだった。

 三人は足音をたてぬよう、そっと階段を上った。
 そろそろ日が昇ろうと言う頃だ。
 丈一郎がルーナの部屋をそっと開けると、遮光カーテンのからわずかに朝日が部屋のトーンをあげていた。
 ベッドにはマイナードがルーナを抱くようにして眠っていた。
 ルーナもまた微動だにせず熟睡しているようだ。
 三人を代表して丈一郎がそのベッドへ近づいていく。
 丈一郎の心臓はしだいに早鐘のように鳴り出した。

(伯爵は本当に眠っているのか? 彼が僕の心臓の音を聞いていないと言う保証があるか? まさかなにもかも見透かしていて、眠っているふりをしているだけなんじゃないだろうか……)

 丈一郎に疑念と恐怖が交錯する。
 あまりの恐怖にルーナを救い出すと決めた決心が揺らぐ。

(第一、吸血鬼は眠る必要があるのだろうか。不老不死で疲れ知らずで、しかも驚異の身体能力と再生能力を持ち合わせている彼が、そうやすやすと僕ら人間にこんなすきを見せるだろうか)

 しかし、考え出したらきりがない。
 相手は人知を超えた怪物、吸血鬼なのだ。
 人間の常識など通用しない。
 わからないものほど人間はその空白を恐怖や不安で埋め、それを増長させてしまうものだ。
 丈一郎は知らず知らずに震えていた。
 自分が今とんでもなく危険な状況にいるに違いないことをじわじわと感じていた。

(ルーナに触れた瞬間、のどもとをガブリとやられておしまいか? そう思うと俺の人生も短かったな。いや、俺だけじゃない。佐江も昭太もやられてしまう。三人全員が終わりなのだ)

 丈一郎はとっさに想像した最悪の場面を消し去るように、ぎゅっと目をつぶった。
 このとき丈一郎は初めて、やめたいと強く思った。
 このまま後ろへ下がってドアを閉める。
 そして即座にボートを出す。
 それが最善策と言うものだ。
 丈一郎は自分の家族の命とルーナの命をはかりにかけていた。

(そうだ、やめよう。この子は見捨てよう)

 一瞬そんな思いがもたげた。
 後ろからドア越しに見つめる佐江と昭太には丈一郎の心情が手に取るようにわかった。
 やめよう、と誰かが言えば全員がとっさに、そうしようと言いかねない心境だった。
 しかしそこは信念の男、丈一郎である。

(いいや、一度はやってみよう。もし伯爵が目をさましても様子を見に来たと言ってごまかせる。一度はやってみよう。……)

 丈一郎はじりじりとベッドに近づくと、ゆっくりと手をかけてルーナを抱きあげた。
 そっと、そっと。……
 その慎重な動きたるや彼の本業である神経と神経に癒着した腫瘍を切り離すような丁寧さだ。
 丈一郎は息を止めて、じっくりとマイナードの腕からルーナを引き離した。
 いつのまにか丈一郎の額には汗がにじんでいた。
 丈一郎は気を緩めることなく、その腕の中にルーナをしっかりと抱えたまま、来た時と同じようにじりじりと後ろへ下がった。
 たった数メートルの距離が果てしない荒野にも砂漠にも思える。
 一歩一歩がまさに死の淵から遠ざかるための命がけだ。
 丈一郎は無我夢中だった。
 ここまできたらもう覚悟を決めるしかないのだ。
 全神経を集中して少しでも早くドアまでたどり着く。
 それ以外のことは考えなかった。
 佐江は今にも叫び出したい気持ちだった。
 許されるのなら、早く、早く、と大声をあげたい。
 さもなくは早く夫に戻ってきてほしかった。
 でなければ気が変になってしまいそうだ。
 昭太は父の背中に強い誇りと信念を感じていた。
 恐怖に立ち向かう勇気、自分に負けない勇気を今まさに目の前に突きつけられている気分だった。
 人を救うと言う行いはそれほど強い自力を必要とする行為なのだ。
 そしてついに丈一郎がドアの手前までやってきた。
 佐江は少し後ろへ下がり場所を開けた。
 その瞬間、佐江と昭太にとって息を飲むとはまさにこのことだ。
 丈一郎はルーナを抱え、ぐっと腰を落とした体勢のまま、速やかに部屋を出た。

(はあ……、やったぞ……! )

 ついに、青山一家はルーナを連れ出すことに成功したのだった。
 丈一郎を見ると張り詰めていたものが一気に解き放たれたような表情をしている。
 佐江は夫のこんな顔を一度も見たことがなかった。
 それもそうだろう。
 彼にとってどんな重大なオペでも命をかけるのは常に患者であり自分ではなかった。
 しかしこの一瞬はまぎれもなく自分を含めた家族三人の命がかかっていたのだから。
 三人に達成感に浸る暇はなかった。
 いつマイナードが目を覚ますかわからないのだ。
 三人はお互いに視線を交わすと誰ともなく慎重に階段を降り出した。
 そして玄関までやってくると、三者一様に高鳴る鼓動と共に屋敷を抜け出した。
 三人ともようやく息を吸えたような心地がした。

「急ごう」
「ええ」
「うん」

 三人は浜辺へ駆け出した。
 誰も後ろを振り返らなかった。
 あとは一刻も早くボートを出すしかない。
 本当に、もう後戻りはできないのだ。


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