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【我が町、ゴダン】
しおりを挟むある朝、ミサコさんは餌を手にして、名前を呼んだ。
「ゴダン、コダン?」
朝早くからどこかへ出かけるのは初めてではなかったので、ミサコさんはいつもの場所に餌の入ったお皿を置いて古本屋の開店準備を始めた。その日は珍しく午前中から、宅配便と数名のお客さんとが出入りして、ミサコさんは忙しかった。いつもならゴダンとゆっくり話したり、お茶を飲んだり、触れ合ったりするのを忘れていた。お昼過ぎになって、ゴダンの餌が全く手つかずなのを見つけた。
「ゴダン……どこへ行っているのかしら……」
心配して近所を見て回ったけれど、その日に限ってお客さんが途絶えず、ミサコさんはまた店に戻った。そして、せわしなく客の相手をしているうちに夕方になった。いつもならこの時刻には必ず戻って来るのに、ゴダンは戻らない。夜になって、いつゴダンが戻ってきてもいいように窓のすき間を空けておいた。けれども、ゴダンはこの日、一度もミサコさんの前に姿を現さなかった。こんなことは、ゴダンがこの家に来てから初めてのことだった。
次の日、ミサコさんは急きょ休みと書いた紙を店の戸に張り付けて、ゴダンを探しに出かけた。ゴダンがいつもの出ていく方向、路地の裏、塀の上、ベンチの影。思い当たるところはすべて回った。それでもゴダンは見つからない。いやな予感がしてきた……。そのとき、近所に住む同級生のハルコが通りかかった。
「あら、ミサコさん、今日はお店お休み?」
「ああ……、ハルコさん。ねぇ、ゴダンを見かけなかったかしら?」
「いいえ、帰ってないの?」
「昨日から姿が見えなくて……」
「それは心配ね。一緒に探しましょう。そうだわ、ユリに連絡をしてみるわね。今はスマホでこういうのパパッと調べられるそうなの」
「ぜひお願い」
ハルコの孫娘ユリがSNSでゴダンの情報を集めてくれた。それでも見つからず、ユリはネット上で呼びかけて、ゴダンの居場所を知っている人がいたら教えて欲しいと発信もしてくれた。しばらくすると、ユリのスマホに次々とメッセージが届いた。
「えっ、ゴダン行方不明なの? 近所だから探してみる」
「ゴダンちゃん、どこいった~」
「古本屋の看板猫、美人の黒猫か」
「あの人懐こい猫ちゃんのことだよね」
「あっ、大学で見たことある。キャンパス探してみるね」
「見つけたらまたDMします」
じわじわとゴダン捜索の話題がユリの元に集まり、数日前どこどこで見た、昨日はあそこにいた、という目撃情報も次々に集まってきた。しばらくして、ユリが古本屋で待つミサコさんとハルコの元へやってきた。
「おばあちゃん、ミサコさん、今写真付きのメッセージが来たんだけど……」
ユリの案内で、送られてきた写真の場所へ三人で向かった。古本屋から二区画も離れた桟橋の下。そこにひっそりと隠れるようにして、コダンの冷たくなった体が横たわっていた。ミサコさんが、あっと悲鳴を上げてゴダンに駆け寄った。
「ああ……、ああ……。あの人がゴダンを天国へ連れて行ってしまったわ……」
ゴダンを抱きしめて、ミサコさんはぽたぽたと涙をこぼした。ハルコとユリも穏やかなゴダンの顔を見た途端、悲しみが押し寄せて、涙を堪えきれずにはいられなかった。
一晩泣いて明けた朝、ミサコさんはゴダンとささやかなお別れの儀式をした。何度も何度も声をかけ、やさしくやさしく撫でたあと、そっとゴダンの好きな毛布に丁寧にくるみ、その中にゴダンの好きなおやつとおもちゃと、そして写真を一枚入れた。
「あなた、ゴダンのことを頼みましたよ……」
お仏壇にそういって手を添えると、ミサコさんは大切そうにゴダンを抱えて店の外に出た。そして、顔を上げたとき、ミサコさんは声も出せないくらいに驚いた。店の前には近所の人たちが何人も集まっていたからだ。その人たちの手には花があったり、飲み物やおやつを入れた袋があったり、あるいは折り紙や手紙を握りしめている子どももいた。
「ゴダンにお別れ言いに来たんです……」
「私たちもゴダンにさよならが言いたくて……」
「ねーねにおてまみかいたのぉ」
「ゴダンちゃん……」
「ゴダン、早すぎるよ……」
「もっと一緒に遊びたかった……」
「ゴダン……」
涙はもう出尽くしたと思っていたミサコさんの目にまた涙が溢れた。ゴダンのために集まった人たちは、口々にミサコさんにゴダンとの思い出を語った。ゴダンがさりげなく振りまいてきた優しさや癒しに心を救われてきた人たちが、皆口をそろえてゴダンが好きだった、ゴダンがいてよかった、ゴダンに感謝していると話してくれた。
「ゴダンは我が町のゴダンだった」
誰かがそういった。みんな、その言葉を聞いて各々がうなづいた。
「ほんとうにそうだった」
「この町は、ゴダンがいてくれたから良い町だったよね」
「うん、ゴダンはみんなのゴダンだった……」
みんなそれぞれに泣いて、ゴダンをなでて、声をかけて、見送ってくれた。ミサコさんは幸せに気持ちでいっぱいだった。こんなに愛されていたゴダンが誇らしくて、本当に可愛くて可愛くて、思い返せば、最初から最後まで本当にこれ以上素晴らしい猫はいないとそう思った。
そして数日がたった、ある日の古本屋。
ミサコさんはようやく店を開ける気力を取り戻し、本の埃をぱたぱたと払って開店準備を始めた。そのとき、番台の上の電話が鳴った。
「はいもしもし、ああ、ヨシタカ。どうしたの、珍しいわね」
ヨシタカと言うのは、離れて暮らすミサコさんの一人息子だった。今は都外で妻と息子の三人で暮らしている。
「……えっ、今日? もう途中まで来ているの?」
驚いたことに、急な休みが取れたらしく三人で帰省しにきたそうだ。ゴダンを失って以来心にぽっかり穴が開いたように寂しかったミサコさんはもちろんすぐ喜んで迎えると返事をした。しばらくして、ヨシタカと妻のアキ、そして小学二年生になる孫のエイタがやってきた。エイタは段ボール箱を抱えていた。
「おばあちゃん、来たよ!」
「いらっしゃい、エイタ。……その箱は?」
「母さん、急にごめん。エイタが仔猫を拾っちゃったんだけど、うちのマンションじゃ飼えなくて……。ここならゴダンもいるし、もしかしたらって思ったんだけど……、あれ、ゴダンは?」
エイタが小さな手でしっかりと抱えている段ボールの中を見て、ミサコさんはほほ笑んだ。
「まあ……、ゴダンが小さいころにそっくり……!」
ぽてぽてと白いタオルの上を歩き回る小さな小さな黒い猫。「みゃあ」という鳴き声まで昔のゴダンにそっくり。目と目が合うと、一瞬でお互いが大事な存在になるという確信が走った。ミサコさんはもうその一瞬で、仔猫のことが大好きになってしまっていた。
「ええ、もちろんいいわよ。この子はもう、うちの子です」
「やったあ、おばあちゃん、ありがとう!」
それから間もなく、古本屋の新しい看板猫の噂が町に広がった。ゴダンと言う名を受け継いだ二代目の子猫は、やはり真っ黒で人懐こい性格だと評判だ。この町のあちこちを散歩するようになったら、きっとまた人々に笑顔と癒しを届けてくれる町の顔になってくれる。そんな気がしてならないミサコさんだった。そんなミサコさんの優しい笑顔を見て、二代目ゴダンは答えるように鳴いた。
「にゃあ」
ご愛読ありがとうございました!このあとは、あとがきです。
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