【完】我が町、ゴダン 〜黒猫ほのぼの短編集〜

丹斗大巴

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【きれいなあとがき】

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 ある日の古本屋でのこと。昼下がり、ミサコさんがいつも番台で少しうとうととする時間帯に、眼鏡をかけた寄れたTシャツの男性客がやってきた。初めての客だったので、ゴダンは興味津々に男を観察した。彼の名前はセイタ。近くの大学の文学部に通う苦学生だった。

 ゴダンに気づくとセイタは、はっとしたが、声をかけることもなく店内を回った。底の摺れたサンダル、汚れのついたたワークパンツ。無精ひげに、伸びっぱなしの髪。いかにもお金がなさそうな風体だが、彼の目当ては何だろう。古本と一概に言っても、いわゆるプレミアのついた本というものはちょっと値の張るものも多いのだ。

 セイタが本を手に取って、小さく息を飲んだ。昔に出版された太宰治の『人間失格』だった。いかにもなチョイスに驚きもなく、ゴダンはすこしばかり退屈して体を伏せた。このまま昼寝でもしようかと思っていたら、突然面白いものが目に入った。

 セイタは辺りを気にしながらポケットからちびた鉛筆を取り出すと、本を開いてなにかを書き記したのだ。おやおや、とゴダンは注意深く観察を続けた。セイタはちらっと番台で居眠りしているミサコさんを見ると、本を元あった場所に戻した。そして、ゴダンの視線に気づくと少しばかり罪悪感に目を濁して、そのまま足早に店を去っていった。

 ふんふん、とゴダンは早速立ち上がって、セイタの戻した本のところへ向かった。うん、間違いなくこの本だ。ミサコさんが起きたら知らせてあげよう。
 そう思っていたのだが、頭の巡りのいいゴダンはそのことをすっかり忘れていて、数日後またセイタが店に現れたときになって、ようやくそのことを思い出した。セイタは店にやってくると、真っ直ぐあの本のところへ向かい、いたずら書きをした本だけを手に取ると、ミサコさんのいる番台へやってきた。

「これ欲しいんですけど」
「二千五百円です」
「あの、これ、あとがきのところになんかいたずら書きがあるんですけど」
「え、どれどれ……」

 ミサコさんが本を受け取って中を改めた。そこにはミミズのような落書きが数カ所鉛筆で書かれていた。

「あら……?」
「このままでいいんで、少し値引きしてもらえませんかね」
「まあ……」

 ゴダンはピンッとしっぽを張って、すかさずセイタのそばにやってきた。じとっと見つめると、セイタが眼鏡の奥でにわかにたじろいだのがわかった。

「にゃあ」
「は、早くしてもらって、いいですか……。い、急いでるんで」
「ええ、ちょっと待ってね」

 ミサコさんは番台の引き出しを開けると、消しゴムを取り出した。そして、いたずら書きにそっと当てると、ひとつずつ丁寧に消していった。

「……っ……」
「さあ、きれいになった」
「……あ、あの、それで、値段は……」

 ゴダンはプレッシャーをかけようと番台の上に飛び乗り、じろっとセイタを睨んでやった。ところがミサコさんは本を丁寧に閉じると、そのままセイタに差し出した。

「あなたが最後まで大事にしてくれるのなら、あなたに譲るわ」
「え……」
「これ、主人が最後まで大切にしていたものなの」
「そ……」

 セイタの顔が明らかに動揺で揺れる。ミサコさんは穏やかな表情を浮かべて愛おしそうに本をなでた。

「この本は主人の人生のあとがきの一部なの。……あなたも」
「……」
「あなたの人生のあとがきを、きれいに残してちょうだい」

 一瞬で、セイタの顔が耳から首まで真っ赤に染まった。セイタはミサコさんとゴダンの双眸を交互にみると、何も言わずに背を向けて、店をかけ出て行った。
 ゴダンはミサコさんを見て、「にゃあ」と鳴いた。さすがはミサコさんだ。

 その後日、セイタがまたやってきた。
 相変わらず貧相な様子だが、シャツもバンツも洗濯済みで、髭はなく、髪も七三になでつけられていた。

「あ、あの、こ、この前は、すみませんでした……」
「あら……」
「あの、こ、ここれで、あの本を、譲ってもらえないでしょうか……っ」

 セイタの手にはバイト代の入った封筒がある。ミサコさんが中を改めると、二万五千円が入っていた。ミサコさんはにっこりと優しく笑っていた。ゴダンはすぐにわかった。ミサコさんはきっと、こうなることがわかっていたのだ。
 さすがはミサコさんだ。
 嬉しくて、誇らしくて、ゴダンはぱたぱたとしっぽを振った。


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