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【ゴーギャン】
しおりを挟む黒猫のゴダンは、いつものように塀づたいに町を散歩していた。ある家の窓辺に若く美しい女性が、悲し気にうつむいているのが見えた。彼女の名前はユリ。結婚目前で恋人と別れてしまい、深く傷ついていた。
ユリのそばには祖母のハルコが寄り添って、優しく肩を抱いていた。ゴダンがしばらくこのふたりを眺めていると、ハルコはゴダンを見つけて柔らかに呼びかけた。
「おや、かわいい猫が来たわね」
よばれてしまってはしかたない、出番がきたかとばかりにゴダンはそっと窓辺に寄っていった。
「あら古本屋のゴダンじゃない」
「え……」
ユリが顔を上げたので、ハルコは窓を開けてゴダンを招き入れた。開いた窓からゴダンと一緒に、さわやかな風が吹いてきて、ユリの頬の涙を優しく乾かしていった。
「古本屋って、あの角の古びたお店のこと?」
「そう。ミサコさんは私の古い友達なのよ」
優しい風と共にやってきたゴダンは、いつもの調子でユリとハルコにたっぷりと愛嬌を振りまき、柔らかな毛と気ままで自由なふるまいで、ふたりを和ませた。いつの間にか、ユリの顔に小さく笑みが浮かんでいた。
「おばあちゃん、この猫、とてもかわいいわね。でもゴダンって変な名前」
「そうねぇ……」
ハルコは微笑んで、そっとおかしそうに口をゆるめた。
「ミサコさんの旦那さん、もう亡くなってかなり経つけれど、若いころは画家を目指していた時期があったんだって」
「へえ」
「その旦那さんがゴーギャンが好きで、よく模写もしていたのよ。それが相当上手だったらしくて、結婚前のミサコさんがたまたまそれを見かけて、旦那さんに声をかけたらしいんだけど」
「うん」
「ミサコさんが、上手ですねって言ったら、旦那さんはゴーギャンですって答えたのね。けれど、ミサコさんは絵に全然興味がなくて、ゴーギャンのことを知らなかったのよ。旦那さんもミサコさんみたいな美人に、若いころはこの辺で一番の小町と言われていた彼女に、突然声をかけられたものだから」
「それで?」
「緊張したのね、ゴーギャンって言ったつもりが、ミサコさんの耳にはゴーダンって聞こえたらしいの。ミサコさんはそれで、彼の名前がゴーダンだと思い込んだの」
「ふうん」
「しばらくして二人は偶然再会するんだけど、ミサコさんはずっとゴーダンさんって呼んでいたの。それがいつまで続いたと思う?」
「え……、まさか」
「そのまさか。結婚をするその時まで、ずっとよ」
ユリが、あははっと、明るい笑い声をあげた。
ハルコは久しぶりに孫の笑った顔が見れて、嬉しくなった。
「それじゃあ、このゴダンって」
「そう、旦那さんが亡くなってから捨てられていた仔猫を拾って、ミサコさんがつけたのよ」
「そうかぁ、君はミサコさんの大事な人から名前をもらったのね」
ユリがやさしく顎を撫でると、ゴダンは気持ちよさそうにゴロゴロと喉を鳴らした。
「素敵な話ね」
「ユリ、あなたにも、これからきっとそんな人が現れるわ」
「……うん、ありがとう。なんか、すこし元気出て来たかも。ゴダンも、今日は来てくれてありがとう」
ユリの膝の上で居心地よさそうに丸くなって、ゴダンは「にゃあ」と返事をした。
ゴダンはユリとハルコにたっぷり可愛がってもらってから、その家を離れた。
塀づたいに向かったその先には、ミサコさんの待つ古本屋のある十字路がある。
「にゃあ」
店先で鳴くとミサコさんが優しい顔で振り向いた。
視線を交わすだけでわかる。ゴダンにとっても、ミサコさんにとっても、お互いがとても大切な存在だと。
「お帰り、ゴダン」
「にゃあ」
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