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【不幸なおじさん】
しおりを挟む黒猫のゴダンはある日、塀の上からある男性を観察していた。落とした財布を探しながら、側溝に脚を取られて転んでいるところだ。名前はマサオ。最近、何をしてもうまくいかず、どんよりとした日々を送っていたところの、このありさまだった。
「たぁ~っ……、厄年でもないのに……」
マサオは側溝の中で呻き声を上げながら立ち上がった。ゴダンは小さく笑うように「にゃあ」と鳴いた。
いらだちを浮かべたマサオから少し離れて降り立つと、そっと側溝のすき間に近づいて、もう一度「にゃあ」と鳴いた。そう、塀の上から見ていたゴダンには、落ちた財布がどこにあるのかがわかったのだ。
「なんだ、猫か」
そうつぶやいて再び地面に目を落としたマサオだったが、ふとなにか思いついたようにゴダンの方を見た。
「まさか」
そのまさか。ゴダンのいる場所をよく見ると、落とした財布が側溝のすき間の陰にはまり込んでいた。
「おお、あった!」
マサオは笑いながら財布を拾い上げ、ゴダンの頭を撫でた。
「ありがとう、お前、助かったよ」
その時、マサオの靴紐が解けているのに気づかず、顔から、べしゃと転んでしまった。
「む、おぉ~……」
唸りながら痛みにもがく姿がまるでコメディ映画の一場面のよう。ゴダンはその様子を見て、心の中で大笑いした。
「まったく、なんて日だ!」
マサオは顔を真っ赤にしながら立ち上がった。ゴダンはもう一度「にゃあ」と鳴いた。ゴダンの落ち着いた鳴き声は、いら立つマサオの神経に少しずつ冷静さを呼び起こす。次第に、マサオは興奮していた息を静めて、表情にはどこか自嘲とも呆れとも言えないおかしみを持った笑みが浮かんだ。
「仕事もうまくいかないし、妻ともギクシャクしてるし、健康診断の結果は悪いし、財布は落とすし、転んで猫に笑われるし……」
ゴダンはどきっとした。人間にまさか、自分の心が読まれるとは。猫にとって大抵の人間は鈍くて猫の気持ちなどわからない。だから偶然にせよ、マサオがそういったのでゴダンは少しばかり、彼を見直した。
「お前さん、黒猫は不幸を運ぶっていうから、行ってくれ。頼むから、これ以上はごめんだ」
「にゃあ」
失礼な、とゴダンは髭をピンと張った。黒猫が不幸を呼ぶなんて、人間が勝手に作った迷信だ。こうなったら、この人間に自分が良い猫であることを教えてやる必要がある。ゴダンはマサオのそばにとことこ歩いていった。
「おっ、なっ、俺にかまうなよ」
ゴダンはマサオの周りをぐるぐる回ると、人懐こそうに足にすり寄った。逃げようか追い払おうか、マサオが足を上げ下げしながらおろおろしていると、背後から明るい声が響いてきた。
「わ~、可愛い~っ、おじさんの猫ですか?」
「きゃ~、人懐こい子ですね」
「うわあ、美人な黒猫~」
マサオが振り向くと、近くのキャンパスに通う女子大生の三人組だった。
「い、いや、これは……」
「あっ、この子、古本屋のゴダンちゃんじゃないですか?」
「へっ……?」
「おじさん、ゴダンとさっきダンスしてましたよね」
「いっ、いやぁ……」
「うふふ、遠くから見たら、一緒に踊ってるみたいに見えましたよ~」
「は、ははは……」
突如現れた若い女性たちに話しかけられ、マサオはでれんと鼻の下を伸ばした。女子大生たちがひとしきりゴダンを可愛がっている間、マサオの気分はみるみる上がって元気になっていた。女子大生が去っていった後、マサオはゴダンを見下ろした。ゴダンの顔は、どうだ、と言わんばかり。
「ゴダン、お前、なかなかやるじゃないか」
マサオが頭をなでると、ゴダンは再び「にゃあ」と鳴いた。
靴の紐をしっかりと結び、財布をしっかりとポケットに納めて、マサオは歩き出した。その背中がすっかり元気そうなのを確認して、ゴダンもまた悠々と散歩の続きをすることにした。
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