39 / 89
第3部 変人令嬢のお陰で辺境編成は大激変! 周辺に生息しているメルヘンなもふもふたちよりも可愛いがすぎる新妻に、辺境伯の偏愛が大変です!
動物と違うけどな(1)
しおりを挟むい、言ってしもうた……。
クリスチャン様、固まってはる……。
ど、どないしよ……。やっぱし言わへん方が良かったやろか……。
「す、すまない、今、なんと……?」
「……そ、その……う、うち……」
「うち、というのは……?」
「うちは……、うちのことなんどすけど……」
「え、え……? 内……家……打ち……?」
「す、すんまへん……!なんでもあらへん。忘れとぉくれやす」
慌ててクリスチャン様の指を離そう思うたら、いきなってぎゅっと強う握られた。
「マーガレット、落ち着いてくれ。もう一度ゆっくり話してみてくれないか?」
真剣な目してはる……。
今までなんべんもこの喋り方して笑われてきた……。
そやけど、もう一ぺんだけ、信じてみてもええやろか……。
「うち、お貴族はんの言葉、よぉできしまへん……。
そやさかい、人前で上手いこと喋られへんのどす。
どんだけ練習したかて、子どもん頃から治りまへんのや……。
そやさかい、笑わへんどぉくれやす……」
「……そうか。うちは、自分のことを言っているんだね……。少しわかってきた……。
大丈夫、笑わないよ」
「ほんまどすか……?」
「ああ、君がたくさん話してくれるのが私は嬉しい。マーガレットは、その言葉なら流暢に喋れるんだね、言葉はどこで覚えたんだい?」
ク、クリスチャン様……!
ああ……! 話してみてよかった……!
バネット様もノルタはんもここの人はみんな優しゅうしてくれるさかい、もしかしたら思てん。
それに、クリスチャン様はうちのこと可哀そう、言うて気遣こうてくれはった。
ヴィリーバの家ではみんなうちのこと笑い者にしはるのに……。
そおっと、クリスチャン様の指を握ると、優しゅう握り返してくれはる。
優しゅうて、温ったかいなあ。
見つめてくれる眼差しも……温ったかいわぁ。
「うち……小さい頃からどんくさい子ぉで……。森で迷子になってもうたんどす。
その十日後、うちはうちで屋敷に戻ったんやけど、子爵家ではうちが神隠しにおうたって大騒ぎになっとって……。
そんときから、うち、人の言葉が前とちゃうように聞こえるようになってしもうて、上手う喋れへんようなってもうたんどす。
この言葉で話すと、みんなけったいな顔をするさかい、お前は喋るなてお父様にきつう言われて……」
「それで、扇子にメモを書いて読み上げているんだね?」
「文字は普通に書けるさかい、それをゆっくり読んだらなんとかそれらしゅう聞こえるさかい……」
そっと見上げると、クリスチャン様が労わるように微笑みかけてくれはった。
受け入れて……くれてはる……。
なんか、肩の力抜けて、目ぇ熱なるなぁ……。
あかん、泣いてまいそうや。
「マーガレット、辛かったね……」
クリスチャン様が優しゅう撫でてくれはった。
うちは慌てて涙を手の甲で拭うた。
そうや、うち、辛かったんや……。
今まで黙っとったけど、辛かったんや。
「こないなうちでも、お嫁はんにもろてくれるやろか……?」
「返せと言われても返さない。マーガレット、ここが君の家だ」
「ほんまに……? 嬉しいわぁ」
ぎゅっと指を握ったら、また握り返してくれはった。
「……そうすると、もしかして……。その神隠しがテイム能力となにか関係があるのか?」
「うち、前から動物や虫や植物のこと好きやったんや……。
テイム言うんは、ノルタはんにも聞かれましたけど、ようわかりまへん……」
「ノビキツネやデェマルヘラジカにはどうやって命令を?」
「うち、命令なんてしたことあらへん。お話しするだけや。
一緒に遊ぼやら、楽しおすなぁやら。手伝どぅてもらえへんかやら、うち助けられることはあらへんかて。
そない言うたら、向こうさんが応えてくれるんどす」
クリスチャン様がじいっと黙ってなにか考えてはる……。
や、やっぱり、うちのことけったいや思うてるんやろか……。
「やっぱり、うちは変人やろか……」
「いや……。君はそのままでいいんだよ。私は君を妻に迎えられてうれしい。私も子どもの頃動物や魔物が好きだったんだ」
「ほんま?」
「ああ、話ができたらどんなに楽しいだろうかと夢想していたよ」
「ほな、明日森に行ったら、うちが通訳したる」
「それがいい。では今夜はもう眠らないと。帰ろうか、マーガレット」
「へえ」
クリスチャン様の温ったかい手を繋いだまま、お屋敷に戻った。
こないなうれしい気持ちはほんま初めてやわ。
今夜はよう眠れそうな気ぃする……。
***
翌日、朝食の後早速私はマーガレットを誘って森へ遠乗りに出かる。
母上は二人だけでずるいと嘆いていたが、今回は遠慮してもらった。
警備兵団はホルスに任せ、回復した者から適時自宅への帰還を申し渡した。
「クリスチャン様あ、風が気持ちよおすなぁ」
「ああ、そうだな」
ふっ……、昨日は耳慣れなかった言葉も、こうして聞いているとおっとりと優しく響いてきて、マーガレットの雰囲気ともよく合っているような気がする。
愛馬のロトともマーガレットはすぐに仲良くなった。おかげですこぶるロトの機嫌がいい。
「ロトはんが、わしのお陰やろ言うてはる」
「ぶっ……! そ、そうか……っ……、いや、その通りだな。俺が感謝していると伝えてくれるか?」
「ロトはん、クリスチャン様がおおきに言うてますで。……。はあ、そうどすなあ……」
「ロトがなにか言っているのか?」
「知ってるけどな、ゆうてはります」
「ぶはっ!」
マーガレットの通訳は思いもよらずおかしなことばかりで、どこまで本当なのかその真偽はさておき、すこぶる面白い。
「マーガレット、あのカケスたちはなにを話してるんだい?」
「水浴び行く? いつ行く? 今行く? 行く行く、言うてる」
「この大きなケヤキも話をしているのか?」
「やかましいさかい、あっちでやりなはれ言われてもうた……」
「そうか……、動植物だからといって、格別変わったこと考えているわけではないんだな……」
「……」
「どうした?」
「そないなところがやかましい言われてます」
「くふ……っ! 確かにその通りだな! これ以上邪魔しないうちに行こうか、マーガレット」
「へえ」
森の中を散策しながらのマーガレットの通訳は、本当に新しくも楽しい世界が開けたような気がする。
マーガレットは生き生きとして、昨日扇子を前にしてたどたどしい挨拶をしていた人物と同じだとは思えない。
花の間をあちらからこちらへと舞う蜂のようであり、風に揺れる花のようにくるくると表情を変える。
「うち、こない楽しいんは初めてや……!」
これまでよほど窮屈な思いをしてきたのだろう。
森の中を軽やかに飛び回るマーガレットは、まるで妖精のようだ……。
もふもふの妖精。可愛すぎるじゃないか……。
マーガレットの耳がリンカーエルフのように尖っていたとしても少しも驚く気がしない。
可愛いが過ぎて、ついうっとりと見とれてしまう。いつの間にか足が止まっていた。
少し先を行くマーガレットに追いつき、そっと呼び止めた。
「マーガレット、帰ったら、君のままで話をしてみないか?」
「え、うち……」
「母上や屋敷の者たちが今の君を見たらきっと喜ぶと思う」
「そやけど……、けったいや思われへんやろか……」
「母上もみなも君ともっと話したいと望んでいるよ」
「ほ、ほな、うち、話してみよかな……」
マーガレットがにわかに頬を染め、期待を込めたような瞳を向けてきた。
うぐっ。一瞬息が止まったぞ……。
ここまで無自覚に可愛いというのもなかなか困るものだな……。
秘密を打ち明けてくれたとはいえ、マーガレットとの関係性はまだまだだ。
落ち着いてゆっくりと父と娘……いや、兄と妹のように信頼関係を築いて行こう。
「そろそろ休憩にしようか。ノルタが飲み物とお菓子を持たせてくれた」
「へえ、うちスグリの水割り好きなんや」
「そうか……!」
好きな人の好きな物がひとつわかった。
それだけで心がうきうきと……。
ふっ……。恋とはこんなに楽しいものだっただろうか。
――サク、サク。
スグリジュースを飲んだ後、マーガレットはクッキーをひとつかじり始めた。
……ちょ、ちょっと待て……。これは、あれか、そうか、あれだな……。
小動物のもぐもぐタイムというやつだな。
小さい口でもぐもぐと、しかもクッキーが大きすぎたのか両手で持っている。
これは、双眼鏡で自然観察の時に見る小動物と同じ可愛さだ……!
いやそれを上回る愛らしさだ!
こんな可愛い生き物がいようとは。それも私の妻になろうとは……。
改めて信じられんが、今は……。今はその祝福を眺めて眼福としよう。
***
屋敷に戻った後、さっそく母上と家の者たちを集めたが、マーガレットはひどく緊張していた。
「どうして扇子をまた?」
扇子をぎゅと握りしめ、わたしを見上げ、足りない身長で耳打ちするように小さな声で囁いた。
「う、上手う言えへんかもしれへん……」
「大丈夫だよ、自信をもって」
そう励まして母上たちの待つ部屋へ促すと、マーガレットは、さっと私の手を掴み、昨日のように人差し指を細い指で掴んだ。
――キュン。
自然と胸が鳴ったが、この音は一体どこから鳴っているのだ。
私の心臓はどこかおかしいのか。
「お話があると聞いたけれど、クリスチャン、マーガレットどうしたの?」
視線で促すと、マーガレットが右手に扇子、左手に私の指を握り、母上を見つめた。
子どもの頃から今日までの間あるがままでいることを否定されてきたマーガレットにとって、この壁を乗り越えるのは簡単なことではないらしい。
逡巡したように、私を見上げるマーガレット。
ああ、不安で目がうるうるしている……。
「大丈夫だよ」
「……っ」
マーガレットが再び母上を見つめて、その小さな唇をわずかに開く。
だが、なかなか言葉が出て来ない。
母上もノルタと顔を合わせて不思議そうにマーガレットを見つめている。
マーガレットが再び私の指を強く握り、見上げてきた。
くっ……、求められるということがこんなにも心くすぐられるものだとは。
私はできる限りの微笑みを送って見せた。
同じやりとりを何度か繰り返した後、マーガレットの瞳は今にも泣き出しそうなほどに潤んでいた。
いよいよ母上たちも心配そうな顔になってきた。
私の人差し指はすでにマーガレットの汗で濡れている。
再び私を見上げたマーガレットが、泣きそうなか細い声で囁く。
「嫌われたら、どないしよ……。うち、嫌われとうない……」
「大丈夫だよ、私がついている」
きゅっと手を握ってやると、いよいよ心を決めたらしかった。
「……う、うち……、いつも奥様と屋敷の皆はんには、ほんま感謝してます。優しゅうしてくれてほんまにうれしおす。
ほんまはうちも奥様といっぱいお話ししとおす。屋敷の皆はんともお話ししとおす。
そやけど、うちの言葉はこないやさかい、けったいや思われても仕方あらしまへんけど、どうかこれからも仲ようしとぉくれやす」
「……えっ、マ、マーガレット……、あなた、喋れるじゃないの……? でも、その言葉は……?」
母上とノルタたちに動揺が走る。マーガレットが不安そうにそれを見つめているのがわかった。
「母上、マーガレットは貴族の言葉が苦手なのです。少し風変わりな言葉ですが、この言葉ならばマーガレットは自由に意思表示ができるのです」
「まあ……、そうだったの……? ごめんなさいね、私は大して学がないから初めて聞く言葉だわ。でも……。
マーガレットの気持ちは伝わって来たわ。打ち明けてくれてありがとう。これからはあなたの自由に、思う通りに話してちょうだい。
私はあなたの考えや気持ちがもっともっと知りたいわ、マーガレット」
「お、奥様……」
「あらあら、そうよね、まだ奥様だけれど、早くあなたのその声でお義母様と呼ばれたいわねぇ……!」
母上が朗らかに笑うと、使用人たちも続いて暖かな表情を浮かべた。
マーガレットが目にいっぱいの涙を浮かべている。
「うちのこと、嫌いにならしまへんか……?」
「嫌いになどなれないわ! だって一目見たときから私、あなたのこと大好きになってしまったのよ!」
「奥様ぁ……、うち……、い、今まで、黙ってて、ほんまかんにんしとぉくれやす……」
「あらあら、泣かないのよ……! ノルタ、ハンカチを!」
「はい、奥様!」
ついに泣き出してしまったマーガレットに母上とノルタ、そして使用人たちがあれよあれよと詰めかけた。
そうなのだ、マーガレットはもうこの屋敷のみんなに、こんなにも愛されている。
「ノルタはんも、すんまへん……」
「いいんですよ、マーガレット様……!」
「ルネはんも、ほんますんまへん……」
「そんな、謝らないでください!」
「リントはんも、すんまへんな……」
「全然気にしてないですよ!」
「みんな、ほんまに、すんまへん……。これからも仲ようしとぉくれやす……」
「本当に変った言葉ですねぇ」
「でも、言ってることは何となくわかりますから、全然大丈夫ですよ!」
「そうですよ、マーガレット様はそのままでいいと思います!」
「いっぱい話してくださって嬉しいです~っ!」
「うんうん、これからいっぱいお話しましょうね!」
「みんな、ほんまにおおきに……おおきに……!」
涙をぬぐいながら感謝の言葉をひたすら続けるマーガレット。
こんなに純粋に人とのつながりを求めている彼女を愛せずにおけるだろうか。
みながひとつになって、笑顔の輪ができている……。
こんなに我が家に相応しい女性がいるだろうか。女性と言うにはマーガレットは、まだ幼い。
だが、きっと皆に慕われる素晴らしい女主人になる、そういう姿が想像できるようだ。
私はふと気が付いた。
マーガレットの足元に、扇子が落ちていた。
そう、扇子はもういらないのだ。
***
――そして。ついに今日は結婚式だ。
屋敷では数か月前からの準備の集大成を今発揮しようと、使用人たちが一丸となって働いている。
今日は天気まで祝福してくれるらしく、デェマル山脈がはるか向こうまでくっきりと見渡せる。
すばらしい日になりそうだ……!
「母上、このような盛大な式を準備いただいてありがとうございます」
「ひとり息子の結婚式なのよ、当然じゃないの。もちろんヴィリーバ子爵への体裁もあるからですけれど、マーガレットにも喜んでもらいたくてやりくりしたのよ」
「……しかし、我が家の財産を考えるとこれほどの余裕は……。マーガレットの持参金もそれほど多くはなかったと聞いていますが」
「ええ、でも、そのことであなたに報告しておくことがあるの……」
***
そう、あれは、私が初めて結婚式の準備の相談を持ち掛けたときのこと。
「……ど、どうしたのマーガレット……? どうしてそんな暗い顔をするの?」
「……心配なんどす……。お式んとき、上手うやれるかどうか……。
うち、人集まるとこは苦手やし、ヴィリーバ家はみんなうちのこと好いとらへんし……」
まあ……、ヴィリーバ子爵家で不自由を強いられてきたことがやっぱり尾を引いているのね……。
ノルタに目配せすると、やはりノルタも同じことを考えているようだった。
そう――!
ヴィリーバ子爵には、マーガレットがデェマル山脈で一番の花嫁に、我がデコラム家で幸せになるというところを、とくと見せつけてやるのよ!
マーガレットをメイドたちが励ましているのをよそに、私とノルタはその野望に燃えていた。
そのとき、マーガレットが持参した箱を取り出した。
――あら、これは、嫁入りの時に持ってきた宝石箱じゃないの……。
さ、さすがヴィリーバ家……、う、うちでは手も足も出せないような豪華な外装ね……。
「これ……」
「お式の時の宝飾品かしら? ヴィリーバ子爵が持たせてくださったの?」
「うち使わへんさかい、奥様に収めて頂きたいんどす。うちには似合わへんし……」
「ちょっと拝見……、っ……、ま、まあっ……! す、すごいきらびやかな……。……そ、そうよね、ヴィリーバ子爵家の娘ですもの、これくらいは当然という事ですわよね……。
……えっ? でも、収めてって、どういうこと?」
「うちの持参金、相場よりもえらい少ないて聞いとります。これを持参金の代わりに当てて欲しいんどす。
それと、持たされたドレスもいらへんのばっかりやし、売ったらなんぼか補填できる思いますのや」
「マ、マーガレット……、そんな……! あなたがそんなこと気を使わなくていいのよ!
少ないと言っても、デコラム家の家計にとっては大きな額なのよ。なんとかやりようがあるわ。
それに、娘に持たせたはずの宝石やドレスをお式の時に身に着けていないなんて、そんなのヴィリーバ子爵が面白くないでしょうし、当てつけかとお怒りになるかもしれないわ」
「そうなんどすけど……。お父様が権威や財産を誇示したいために作らしたもんばっかりで、どのドレスも宝石もうちの好みと違ぉとるんどす。
それにそんなんがのうても、うちはここにいられるだけで幸せなんどす。
そやさかいほんまは、これらを着けてお式に出たないんどす……。似合わへんし、そんなんしんどいばっかりや……」
「マーガレット……」
「ほんまに、ほんまのことを言うたら……」
「なにかしら、話してみて?」
「ほんまは……、うち、うちらしゅういたいんどす。
ヴィリーバ家のみんなには、うちはここで、うちのままで、今とっても幸せどすって言いたい。そないなドレス着たいんどす」
マーガレット……! 驚いたわ……、この子意外と気骨があるじゃないの……!
そう、これが私とノルタの心に火が付いた瞬間だったわ……!
***
「マーガレットがそのようなことを……」
「ええ、見た目は幼いけれど、あの子はちゃんといろいろ考えているの。
だから見ていなさい、クリスチャン。
マーガレットと一緒に作ったドレスで、ヴィリーバ子爵一家の度肝を抜いて見せるわ」
「は、母上、そのような喧嘩腰は……」
「あら、そうね。つい熱くなってしまったわ。でも期待していて、クリスチャン。
マーガレットは間違いなく、誰よりも特別で素敵な花嫁よ」
「どのようなドレスを着ていようと、私にとってマーガレットはいつも特別で毎日幸せを与えてくれます。
唯一無二のすばらしい存在です」
「そうよ、その気持ちがあれば、夫婦はきっとうまくいくの。お式も大成功間違いなしよ!」
母上……。元より血気盛んなお人柄ではあったが……。
貴族の端席に入ったときから自重はされていらしたが、持ち前の負けん気がこうも現れてくると少し心配なのだが……。
もしもヴィリーバ子爵に不興を買い、貴族界で我が一族が鼻つまみ者になろうとも、それは構わない。
辺境伯という冠を貰ったとて、デコラム家はもとよりこの大地を開拓してきた山の民。
上級貴族のような財も身分も格式もないが、我が家には我が家の歴史と誇りがある。
しかし、マーガレットにだけは肩身の狭い思いをさせたくない。
これまで辛い目にあってきたというならなおさら……。
「母上、マ―ガレットの様子を見たいのですが、今はどこに?」
「なにもそう焦ることはないわ。花嫁姿を花婿が見るのは花嫁入場と相場が決まっているものよ」
「今会いたいのです」
「ま、情熱的ね……。いいわ、ノルタ案内してあげなさいな」
「はい。お坊ちゃま、こちらですわ」
「ノルタ……そのお坊ちゃまなんだが……」
「わかっていますとも、ええ、ええ! 結婚式が済んだら若旦那様、若奥様とお呼びいたしますよ!」
案内された部屋にノックをすると、すぐに返事が返ってきた。
「私だ、入ってもいいか?」
「へえ、どうぞ」
―-はっ……。扉を開けて、……息を飲んだ……。
使用人たちにかしづかれて振り向いたマーガレットは、まるで、白い花の化身のようだ……!
ふんわりと編み上げられた髪からは小さくて可愛い耳が覗き、白い野バラの冠が幼顔を縁取っている。
冠から精霊の羽根のように舞うベール。
軽やかなシルクを重ねたフリルが襟元を縁取り、下に行くにしたがってふんわりと膨らんだ袖が、マーガレットのきゃしゃな体をより強調させていた。
花嫁衣裳だというのに、スカートの丈は床にはついておらず、まるで少女そのもの。
このまま野山を駆けだしていけそうなほど軽やかな、だが清楚で幻想的なドレスだった。
思わずうめきが漏れそうな口を慌てて隠した。
――こ、こんな美しい花嫁が、この世にいるだろうか……。
天使か……?
私は今日天使を娶るのだろうか……。
「だんさん、うち、変ちゃいますやろか……?」
天使がこちらへやってくる……。
う、このままでは、私は召される……!
慌てて全神経の自制に命じた。
気を確かに持て、死ぬにはまだ早い。
今日はまだ始まったばかりだぞ!
「……とても素敵だ、マーガレット……。天使が舞い降りて来たのかと思ったよ」
「そない言わはりましたら恥ずかしおす。そやけど、嬉しいわぁ。
……きっと、お父様とお母様がこれを見はったら大激怒する思います。お姉様とベアトリスはきっと大笑いや……。
そやけど、このドレス一番うちらしゅういられるんや。
だんさん……、気に入ってくれはります?」
「だんさん、というのは、私のことかな?」
「あっ、そ、そうやった……! うち、今日から旦那様の妻になるさかい、呼び方を考えとったんどす。
旦那様やと、ちょい呼びにくうて……。それで、だんさんはどうやろう思たんどすけど……」
「マーガレットのだんさんか。いいね、気に入ったよ」
「はあっ……、よかったわぁ、うち嬉しい」
マーガレットが笑っている……。
ふふふ……、可愛が過ぎる……。
魔物がみぞおちに頭突きしてきたとき、あれは食らったと思ったが、あれ以上に可愛さで食らうとは、これはどういう理屈だ……。
何もしていないのに、腹がずくんずくんと……。
と、とにかく、少しばかり不安だったが、確かにこれを見た今はこれ以上のドレスが他にあるとは思えない。
「マーガレット、よく似合っているよ。こんなに素敵な花嫁を迎えられるとは、私は世界で一番の幸せ者だ」
「だ、だんさん……」
ぽっ、とマーガレットの頬が染まった。
使用人たちが奇声を上げて慄いていたが、もはやマーガレットしか目に入らん。
なんとでもいえ、どうとでも思ってくれ。
私はこの妻が可愛くてしょうがないのだ。
***
「はー、本当に何もない所ですわねぇ……」
「こんなど田舎まで来て、休む間もなく午後からお式なのぉ? これだから田舎貴族は嫌ですわ~」
「エリス、ベアトリス、今日一日だけは我慢ですわよ。領地と辺境伯邸を引き継いだとはいえ、住んでいるのは粗暴な平民上がりですもの。
まともなもてなしなど期待できませんわ。式だけ終えたらさっさとお暇しましょう」
「ああよかったですわ~」
「そうだな、こんな辺境にいたとてなんの得にもならん。相手はした手に出てくるだろうが、適当にあしらうのが一番だ。
まあ、マーガレットには我が家の格に相応しいだけの花嫁衣裳を持たせてある。
デコラム家の結婚式がみすぼらしかろうが、なんとか体裁は繕えるだろう」
「ねぇ、エリスお姉様。マーガレットお姉様の旦那様ってどんな方かしらね。きっと熊みたいな髭もじゃの、猪みたいな鼻をした不細工に決まってると思いませんこと?」
「くすっ、いやねぇ、ベアトリスったら。……でも、野犬みたいな牙があって、山猿みたいに吠えながら、山の中を駆け巡ってるんじゃない?」
「あっはっはっ、そうかもしれんな! しかし、それでは人の言葉が通じるかどうかも怪しいものだ!」
「ホホホ、もう旦那様までそんなご冗談を……!」
「でも、それならなおのこと、マーガレットお姉様にはピッタリじゃないの~!
言葉が通じない者同士、きっと仲良くやってますわよ~! キャハハ!」
――え……。
デコラム辺境伯は、熊みたいな猪みたいな野犬みたいな山猿みたいな醜男だなんて……。
そんな嘘言ったの、だれ――っ!!
「ようこそ、お待ち申し上げておりました。ヴィリーバ子爵、子爵夫人。クリスチャン・デコラム辺境伯です」
金髪を短く整えた精悍な顔立ち。涼やかなブルーの瞳。……うっ、麗しいじゃないの……!
けれど、行く度もの死線をくぐってきたという、ぴりっとした野性味があって、社交界の殿方たちとは比べ物にならないほど、圧倒的な存在感が、凄みが、ありますわ……っ。
それに、着ているドレスコートだって最高の生地を使ってるじゃないの……!?
物腰も柔らかくて、平民出身とは思えないほど礼儀正しいし……。
立派な骨格と胸板に最新デザインが映えていて、くっく……悔しいけれど、ものすごく洗練されているわ……っ!
こ、この方がお姉様の夫ですって~~っ!?
そんなの、そんなの、聞いてないっ!!
豚に真珠、猫に金貨、馬の耳に説教、兎に天使祝詞じゃないのよ~~~~っ!
「そちらがマーガレットの姉君のエリス様、そして妹君のベアトリス嬢ですね。お会いできて光栄です。
本日はゆっくりとお過ごしください」
ふ、ふわあぁ……。
す、すてきな、ほほえみぃ~……。
「ちょっと、ベアトリスッ……!」
「なに、お姉様……」
「あなた、口が開きっぱなしよ……! ……気持ちはわかるけど」
――えっ、や、やだっ、私ったら見とれていましたわ……!?
いくらなんでも相手は二十六、年恰好からしたらありえないのに!
……でも、悔しいけど、デコラム辺境伯様って素敵だわ……っ!
なによ、お姉様だって、殿方を、しかも人の夫をそんなに見つめたら不躾ですことよ~っ!
0
お気に入りに追加
107
あなたにおすすめの小説


【完結】悪役令嬢の反撃の日々
くも
恋愛
「ロゼリア、お茶会の準備はできていますか?」侍女のクラリスが部屋に入ってくる。
「ええ、ありがとう。今日も大勢の方々がいらっしゃるわね。」ロゼリアは微笑みながら答える。その微笑みは氷のように冷たく見えたが、心の中では別の計画を巡らせていた。
お茶会の席で、ロゼリアはいつものように優雅に振る舞い、貴族たちの陰口に耳を傾けた。その時、一人の男性が現れた。彼は王国の第一王子であり、ロゼリアの婚約者でもあるレオンハルトだった。
「ロゼリア、君の美しさは今日も輝いているね。」レオンハルトは優雅に頭を下げる。

ある辺境伯の後悔
だましだまし
恋愛
妻セディナを愛する辺境伯ルブラン・レイナーラ。
父親似だが目元が妻によく似た長女と
目元は自分譲りだが母親似の長男。
愛する妻と妻の容姿を受け継いだ可愛い子供たちに囲まれ彼は誰よりも幸せだと思っていた。
愛しい妻が次女を産んで亡くなるまでは…。

気絶した婚約者を置き去りにする男の踏み台になんてならない!
ひづき
恋愛
ヒロインにタックルされて気絶した。しかも婚約者は気絶した私を放置してヒロインと共に去りやがった。
え、コイツらを幸せにする為に私が悪役令嬢!?やってられるか!!
それより気絶した私を運んでくれた恩人は誰だろう?

【完結】貴方の後悔など、聞きたくありません。
なか
恋愛
学園に特待生として入学したリディアであったが、平民である彼女は貴族家の者には目障りだった。
追い出すようなイジメを受けていた彼女を救ってくれたのはグレアルフという伯爵家の青年。
優しく、明るいグレアルフは屈託のない笑顔でリディアと接する。
誰にも明かさずに会う内に恋仲となった二人であったが、
リディアは知ってしまう、グレアルフの本性を……。
全てを知り、死を考えた彼女であったが、
とある出会いにより自分の価値を知った時、再び立ち上がる事を選択する。
後悔の言葉など全て無視する決意と共に、生きていく。

婚約者に毒を飲まされた私から【毒を分解しました】と聞こえてきました。え?
こん
恋愛
成人パーティーに参加した私は言われのない罪で婚約者に問い詰められ、遂には毒殺をしようとしたと疑われる。
「あくまでシラを切るつもりだな。だが、これもお前がこれを飲めばわかる話だ。これを飲め!」
そう言って婚約者は毒の入ったグラスを渡す。渡された私は躊躇なくグラスを一気に煽る。味は普通だ。しかし、飲んでから30秒経ったあたりで苦しくなり初め、もう無理かも知れないと思った時だった。
【毒を検知しました】
「え?」
私から感情のない声がし、しまいには毒を分解してしまった。私が驚いている所に友達の魔法使いが駆けつける。
※なろう様で掲載した作品を少し変えたものです

勝手にしなさいよ
棗
恋愛
どうせ将来、婚約破棄されると分かりきってる相手と婚約するなんて真っ平ごめんです!でも、相手は王族なので公爵家から破棄は出来ないのです。なら、徹底的に避けるのみ。と思っていた悪役令嬢予定のヴァイオレットだが……

【短編】お姉さまは愚弟を赦さない
宇水涼麻
恋愛
この国の第1王子であるザリアートが学園のダンスパーティーの席で、婚約者であるエレノアを声高に呼びつけた。
そして、テンプレのように婚約破棄を言い渡した。
すぐに了承し会場を出ようとするエレノアをザリアートが引き止める。
そこへ颯爽と3人の淑女が現れた。美しく気高く凛々しい彼女たちは何者なのか?
短編にしては長めになってしまいました。
西洋ヨーロッパ風学園ラブストーリーです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる