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第2部 成り代わりなんてありえなくない!? 泣く泣く送り出した親友じゃなくて真正のご令嬢は、私のほうでした
ふたつの秘密
しおりを挟む伯爵邸に戻ったジューンは早速、右足の小指の付け根に三つのホクロを化粧墨で書き始める。
初めはうまく書けず、大きさも形も歪んでしまうし、乾かすのに手間取って靴下を何枚か墨で汚してしまったりした。
それでも数を重ねるたび、次第にエミルのホクロとそっくりに書けるようになった。
(これでいつ見られることになっても大丈夫だわ……。アーロン様と結婚したら、一番にこれを見てもらいましょう)
計画は誰に知られることもなく、ひっそりと静かに進行し、ジューンの成り代わりは完璧なものなるかと思われた。
ところが……。
しばらく経って伯爵家の屋敷に噂が流れ始めた。
「足のホクロですって、ええ、確かにあったと思うわ」
「えっ、私が見たときにはなかったわよ」
「おかしいわね、あなたが見たの左じゃないの?」
「え、あら、どうだったかしら……」
屋敷の中でもごく一部の人間しか知らなかったはずのホクロの話が、にわか話題に登り始めていた。
「今度お風呂の時に確かめてみればいいわね」
「確かめなくたってついていらっしゃるわ。だって私たちがお仕えしているのはリーズン家のお嬢様なんだもの」
「そうよ、ホクロがお湯で落ちるわけもないしね」
メイドたちの噂話を耳にして、ジューンは顔色を変えた。
化粧墨で書いたホクロは、お湯に入れば落ちてしまう。
それをメイドたちに見られたら、自分が偽者だとばれてしまうに違いなかった。
(どうしよう、こんな噂が立つなんて。でも、今はまだ疑われていない。なにか方法は……?)
こんなピンチの時にもジューンの頭は冴えわたっていた。
(そうよ、ホクロを消してしまえばいいんだわ!)
その夜、ジューンはお気に入りのメイドのアリーサを呼びつけた。
「アリーサ、巷では足の爪も指の爪のように磨いて色を付けるおしゃれがあるそうね」
「ペディキュアのことでございますね」
「ねえ、指よりも目立たないでしょうし、一度試してみたいわ。いいでしょう?」
「あらまあ、足の爪のことにまで気にかけるようになるなんて、お嬢様もすっかりレディでございますね」
蝋燭灯りの下で、ジューンはアリーサに両方の足を差し出した。
「可愛らしい爪でございますわ。不自由ですが、液が渇くまでは動いてはいけませんよ」
「わかったわ」
「ああ、やっぱりですわ~! お嬢様の右足の小指の付け根には、リーズン家の生まれを示す三つのホクロがおありです。
大きいのは月の形、中くらいのは星の形。ジューンお嬢様に似て、可愛らしくございます」
「なんだか恥ずかしいわ……」
アリーサが足の爪にペディキュアの液を丁寧に塗り終えた。
「どれくらいで乾くのかしら?」
「そうですね、二十分くらいでしょうか」
「その間にお茶を飲みたいわ。カモマイルティーを淹れてくれる?」
「承知いたしました」
アリーサが部屋を出ていくのを見届けて、ジューンは素早く蝋燭の灯った燭台を取りに行った。
蝋燭に用意しておいた銀製のペーパーナイフを火に当てる。
――ごくっ。
ジューンの喉が鳴った。
(このナイフでホクロの位置を焼くのよ……!)
ナイフが十分熱くなっているのを確かめて、ジューンは息を止め、歯を食いしばった。
えいっとばかりにナイフを右足の小指の付け根に押し付けると、じゅうっという音と肉の焼ける匂いがして、ジューンは叫び出しそうになるのを必死に堪えた。
涙を浮かべながら、震える手で必死にナイフを押し付け続けた。
(こ、これで、いい……。うまい具合に焼けたわ……)
痛みをこらえながらジューンはアリーサが戻ってくるのを待った。
廊下からアリーサの足音が聞こえてくるのを確かめると、ジューンは燭台を自分の足元にわざと倒した。
蝋燭の火が絨毯に燃え移り、ジューンは枕をそこに投げるように打ち付けた。
そう、まるで、火事を止めようとしたかのように。
そこまでやったところでジューンはようやく叫び声を上げた。
「きゃああああっ!」
「――えっ、ジュ、ジューンお嬢様っ!?」
悲鳴に驚いて駆けつけてきたアリーサが見たものは、炎に巻かれそうになっているジューンの姿だった。
アリーサは急いでカモマイルティーを炎に注ぎ、ベッドカバーを押し当ててなんとか火を消した。
「おっ、おっ、お嬢様っ!! ご無事ですか!?」
「ああ~っ、ごめんなさい、アリーサ! わたし、少しでも早く乾かそうと、蝋燭を……!
怖かった、アリーサ……うわあぁ~っ!」
「ジューンお嬢様、ああ、なんてこと、あ、足に火傷を……!?」
こうしてジューンのホクロを確かめることはできなくなり、同時に、最期にホクロを見たアリーサの証言こそが、ジューンの正当性を確かなものとする揺るがない証拠となった。
脚に火傷を負いはしたけれど、ホクロの位置以外はほとんど軽傷で済み、万事はすっかりジューンの思惑通りに事が進んだのだった。
「ねえ、アリーサ。火傷を負ってしまったけれど、アーロン様はわたしをお嫌いにならないかしら?」
「医者の話では傷はほとんど残らないそうですよ。ただ、小指の付け根にあったホクロが消えてしまったことだけが残念ですね……。
これから爪のお手入れをするときは二度とお側を離れませんわ」
「アリーサはわたしの命の恩人よ……」
ベッドの中でぬくぬくと療養しながら、ジューンは満足げに微笑むのだった。
***
そんな、なんてこと! ジューンが火傷ですって!?
「院長様、お願い! わたしをお見舞いに行かせて!」
「お見舞いは私が行くから、あなたは留守番をしてちょうだい」
「だめよ、絶対にだめ! わたしじゃなくちゃだめなの!
お手紙には火傷はそれほど大きくないって書いてあるけれど、もしも傷跡が残るようだったら大変なことよ!
ジューンはきっと気落ちしているに決まっているわ」
「……そうね。確かに親友のあなたの励ましがジューンお嬢様の心を癒すかもしれないわ」
――ああ、よかった!
こういうとき院長様は話がわかるから大好きよ!
急いで仕度を調えて、わたしはウィズダム伯爵邸のある街へ向かった。
初めて街へ出るからと、野菜を売りに行く村のおじさんにくっついていくことになったんだけど。
はあ……、人生でこんなに長い距離を歩いたのは初めてよ……!
街にはものすごくたくさんの人が住んでいて、珍しいものがたっくさん。
あちこち目移りしてしまうけれど、それよりも心にかかるのはジューンお嬢様のこと。
ウィズダム伯爵家のお屋敷は街の中でもひときわ大きくて立派……。
足がすくんでしまうわ……。
いいえ、でもこんなところで弱気になっていられないわ。
ジューンお嬢様はもっと気弱になっているに違いないんだから。
「こ、こんにちは……。あの、わたし、ジューンお嬢様のお見舞いに、孤児院から来ました……!」
「お嬢様の見舞いだと?」
門番の兵士がじろっとわたしを見降ろす。
疑わしそうに見ながらも、ひとりの兵士が奥へ伝言に行ってくれた。
しばらくして戻って来ると、すぐに首を左右に振った。
「お嬢様は気分が優れないらしくお会いできんそうだ。出直せ」
「そ、そんな……。そんなに気分が悪いなら、ますます会わなきゃ帰れないわ」
「出直せと言っているだろう」
「ジューンお嬢様と何年一緒に暮らしてきたと思っているの?
具合が悪いときや沈んでいるとき、一番の慰め方を知っているのはわたしなのよ。
院長様より上手なくらいだわ!」
「とにかく今日は会えん」
「そんなのってないわ、お願い、一目でいいから会わせて!」
「しつこいな!」
門の外で何度も何度も頼み込んだけれどだめ……!
なんて融通のきかない門番かしら……! 思いやりの欠片も持ち合わせてないのっ!?
「とにかく帰れ! 明日になったらお嬢様の気分が良くなっているかもしれん」
「いーっだ! あなたみたいな意地悪見たことないわ!」
「いいかげんにしろ、蹴とばすぞ!」
「ひゃあっ!」
なっ、なんて乱暴なの……!
でも、今日はこれ以上粘ってもだめみたい。
どうしたらいいの?
おじさんと村に帰る約束の時間まであまり時間がない。
宿に泊るお金なんてあるはずもない。
こうなったら一旦帰って、明日もまた街に来るしか……。
「エミル、エミルだろ?」
「えっ、あら! ジョンじゃないの!」
「門の側で声が聞こえたから、慌てて様子を見に来たんだ」
「いいところに来てくれたわ、ジョン!
お見舞いに来たんだけど、ジューンお嬢様の気分が良くないからって、中に入れてもらえないの。なんとか取り次いでてもらえない?」
「そうだったのか……。でもそれは難しいよ。ジューンお嬢様が会いたがっていないのに屋敷の使用人たちが君を入れるはずがない」
「そんな……。ジューンお嬢様は、そんなに具合が悪いの?」
「医者の話では火傷は大したことなかったそうだよ。足の小指の付け根に酷い火傷を負ったけど、それ以外は」
「それは傷が残るの……?」
「うん、そうらしい」
……ああ、なんてことなの……。
ジューンお嬢様は伯爵様と結婚するというのに、その体に傷跡ができてしまうなんて……。
ジューン……、あなた、どれだけショックで傷ついているかしら……。
きっといつもみたいに物陰に隠れるようにして泣いているわ……。
あの子ったら、気持ちを外に出して笑ったり泣いたりするのが苦手なのよ……。
ああ、考えるだけで涙が出そう……。
わたしは鼻をすすり上げて、ポケットをまさぐった。
その中から取り出したものを、ジョンの手に握らせた。
「ジョン、どうかこれでジューンお嬢様にお薬を買ってあげて!」
「えっ……、エ、エミル、これって金じゃないか……。どうしてこんなものを君が……」
ジョンが手の中できらめく金の鎖とわたしの顔を交互に見た。
驚くのも無理はないわ。
だって、これは正真正銘の、金だもの。
「そう、本物の金よ。だからきっとジューンの火傷に効くお薬を買えると思うの。
ええと、確か火傷に効く油や薬草があるって聞いたことがあるわ。
フラン……キンなんとか……、ああ、わたしったらもっとちゃんとお医者が言ったことを覚えておくべきだったわ。
以前孤児院で、ヘンリーが火傷を負ってしまったとき、村のお医者様がそういっていたのよ。
そのなんとかっていう薬があれば、傷跡も目立たなくなるが、とても高くて大きな街でしか手に入らないって。
お願い、それを買ってどうかジューンお嬢様の火傷の跡が残らないように手当てしてあげて」
「それはいいけど……。でも、この金の出どころがはっきりしないんじゃ、僕が盗んだんじゃないかと疑われてしまうよ」
「それはまずいわね。でもこれは人様に言えないような手段で手に入れたものじゃないわ。
だけど、もうお亡くなりになられた前の院長様が、黙っていなさいとわたしに約束させたのよ。
この金の鎖は、わたしが孤児院に託されたときに、わたしのお包みの中に入っていたものなの。
あるとき前の院長様がこれを返してくださって、そう話してくださったのよ。
こんな貴重なものをお包み中へ入れて預けるくらいだから、きっとお前のもとにはいつか誰かが迎えに来るだろうって。
だから、わたしいつかきっとそれが本当になるって信じていたの。
でも、金はとても貴重で高価だから、わたしが持っていることを知った人の心に悪い考えを宿らせてしまうかもしれない。
だから、けっして誰にも言ってはいけないとそう言われていたのよ」
「そうだったのか、それは驚きだよ……」
「初めはこの倍の長さくらいあったの。だけど、子どもたちが病気になったり怪我をするたびに、少しずつ鎖を切って、村のお医者様にお薬代として払ったわ。
このことを知っているのは、お医者様とわたしだけ」
「せっかくの金の鎖を……、君のものなのに……」
「ええ、でも、苦しんでいる子どもたちを見ていると、なにをしてでも助けてあげたいと思わずにはいられないのよ。
お医者様がお薬を下さったといえば、金の鎖のことは話さずに済むし、もし先代の院長様が生きていたら、きっとふたりで相談して、やっぱりそうしていたと思うの。
神様は私たちのどんな行いも見ているそうよ。
だから神様も、金の鎖をお包みの中に入れてくださった人も、きっと正しい使い方をしたと思ってくれるはずだわ」
「君ってすごいんだな」
「そんなことより、わたしそろそろ村へ帰る時間なの。ジョン、あなたにジューンお嬢様のことをお願いするわ」
「ちょっと待って! 僕のことをそんな簡単に信用していいのかい?」
「だって、あなたはジューンお嬢様に仕えているんでしょう?」
「そうだよ……。だけど僕が前の院長のいうように悪い考えを働こうとしているかもしれないよ」
突然の言葉に、ジョンの顔をまじまじと見つめた。
そのときになって、ようやく前の院長様の言葉が改めて頭の中に響いた。
わたし、すっかり信用しきって、すっかり全部話してしまったわ。
それに、金の鎖も渡してしまった……。
「そんな……、あなたはわたしの友達でしょ? そんなことするはずない。……違うの?」
心配になってジョンの顔を覗き込むように見つめた。
突然、ジョンが笑い出した。
「あっはっはっ! 君って、誰とでもすぐ友達になれるんだね……!
わかった、これから一緒に薬屋に行って薬を買おうじゃないか。
そうしたら、君は目的を果たせるし、僕は君の信頼を得ることができるんじゃない?」
「それってすごくいい案ね! ジョンって頭がいいわ!」
「それほどでも」
にかっと笑ったジョンの笑顔の頼もしいこと!
ジョンに導かれて街で一番大きな薬屋さんに駆け込んだ。
店主にはジョンが上手に話をしてくれて、目当てのお薬が手に入ったわ!
「ありがとう、ジョン。このお薬をジューンお嬢様に届けてね。孤児院のみんなが全員あなたのことを心から思っているって伝えて欲しいわ。
あっ、いけない、もう行かなきゃ!」
「えっ、もう行くのかい?」
「太陽があの角度になるまでに、西門に来るように言われているの。村まで帰る道はもうだいたい覚えたけれど、お置いてけぼりにされて途中で迷うのは困るわ」
「もう少し君と一緒にいたかったのに……」
「わたしもよ、ジョン。あなたほど友達がいのある人はそういないわ」
「ぼ、僕は……、また君に会いたいな……」
「あら……。でもあなたはジューンお嬢様の下男の仕事があるし、わたしは子どもたちの世話を見なきゃならないから、お互いそれは難しいわね」
「うん……」
「ねえ、それならお手紙書いてくれる?」
「え……」
「ジューンお嬢様の様子も知りたいし、あなたがお手紙を書いてくれたら、お手紙の中でいろいろお話しできるでしょ?」
「そ、そうか、それはいいね!」
「じゃあお手紙を待ってるわね。でも優しい文章で書いてね。わたしでも読める……えと、つまり、あの……」
「え?」
「その……、子どもでも読めるような優しい文章よ。実を言うと、その、わたしあんまり字が得意じゃないの」
「ああ……」
「わ、わたしが字が得意じゃないのは、院長様のせいじゃないのよ! 院長様はとってもお忙しいの。
子どもの世話や暮らしのあれこれのことを全部やってくださっているんだもの。
だからいつもわたしもお手伝いしているんだけれど、それでもいつも足りないの。特にお金のない時や収穫が少なかった冬は本当に大変よ……。
ジューンお嬢様みたいに自分で聖典が読めるくらい頭が良ければいいけれど、わたしが子どもたちに聖典を読むときは、院長様が読んで下さったところを丸覚えして聞かせているだけなの。
院長様が話してくださる神様のことや聖典の物語はちゃんと覚えているの。だけど、わたしも子どもたちも字を覚える機会があんまりないのよ。
だから、わたしや子どもたちでも読めるくらい、うんと優しく書いてくれるとうれしいわ……」
「うん、わかった」
「――ああ、よかった! あなたはわたしが字が得意じゃないって打ち明けても、きっとばかにしないで聞いてくれるって、そう信じていたのよ!」
「ばかになんてしないよ。だって君は字が読めても読めなくてもすてきだ」
「あらうれしいわ! あなたもとってもいい人よ! 出会ったときからわかっていたの!」
「ほ、ほんとに!? ……それはうれしいな!」
「ええ! それじゃあまたね、ジョン!」
「あ、ああ、またね、エミル……!」
わたしは大きく手を振ってジョンと別れると、大急ぎで西門で待っていたおじさんと合流した。
ジューンお嬢様に会えなかったことは残念だったけれど、お薬も手に入ってジョンが持っていってくれるし、ジューンお嬢様の火傷の経過もきっとお手紙で知らせてくれる。
ああ、ジョンが早くお手紙くれないかしら?
お手紙を待つってとっても楽しいことだけれど、今すぐにでもジョンのお手紙が読みたいわ!
村に着いたらお手紙が着いてないかしら……!
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