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第2部 成り代わりなんてありえなくない!? 泣く泣く送り出した親友じゃなくて真正のご令嬢は、私のほうでした
みっつのホクロ
しおりを挟むジューンとの面会が終わった後、ジューンを迎えに行った使者のクレッグが揚々と話し出した。
「無事お目通りが叶ってようございました。ジューンお嬢様はなにごとにも真摯に取り組み物覚えもよく、あのように慎ましい性格です。
数年も経てば伯爵夫人として見劣りしなくなると思われましょう」
「クレッグ、本国には連絡したのか?」
「孤児院から戻ってすぐ、私からご母堂様へ手紙を送らせていただきました」
「わかった……」
「……おや? アーロン様、ジューンお嬢様のことがお気に召しませんでしたか?」
「いや……別に……」
ジューンの知らぬ間にそのようなやり取りがされた数日後、セントライト王国のウィズダム伯爵邸に本国からの手紙が届いた。
「母上からの手紙にこうある。生まれた赤子には目印となるホクロがあったらしいと」
「ホクロですと? 一体、それはいったいどこに?」
「足のどこかにあるらしい。大きさの違う三つのホクロが並んでいると」
「左様でしたか。お嬢様に確認してみましょう」
早々にアーロンの待つ部屋に呼ばれたジューンは驚いた。
(足のホクロですって……!? わたしの足にはホクロなんかない。でも、エミルには……)
物心ついたときから互いに並んで育ったエミルとジューン。
親友同士、お互いのことなら何でも知っていた。
エミルにホクロがあったことをジューンははっきりと覚えていた。
右足の小指の付け根に、それも、大小形の違ったものが三つ。
(リーズン家の娘は、わたしじゃなく、エミルのほうだった……!)
元来大人しく表情に乏しいジューンは、衝撃を受けてもさほど表には現れず、アーロンもクレッグもジューンの動揺にはひとつも気づかなかった。
「ジューンお嬢様。そのホクロを確認させていただいてもよろしいですかな?」
(……っ! どうしよう、わたしが本物の令嬢でないとわかったら、追い返されてしまう。アーロン様との結婚が……!)
こんなとき、とっさの嘘がつけるほどにジューンは頭の回る娘だった。
「確かにございます……。足に大小大きさの違うホクロが」
「ほう、やはり! では、それを見せてくださいますかな」
「そ、それは出来かねますわ……」
「ええ、どうして……」
「いくらアーロン様やクレッグ殿とはいえ、殿方の前に足をさらすなど……。それに、ここには下男もおりますし……」
貴族の娘が脚を見せないこと、貴族が一番重んじるのは名誉と体裁であることを、ジューンはこの短い期間ですっかり学び取っていた。
「え……? あ、いやそれは……。う、ううむ……、だがしかし……。いやでも、それもそうですな……。
アーロン様、ジューンお嬢様がこう申しておられますし、まず間違いはございませんでしょう」
「……まあいいだろう」
(よかった、切り抜けたわ……! あとは一度孤児院に戻って、エミルのホクロをもう一度確認しなくては!
確か上から見て小大中……、いえ、中大小だったかしら……。三日月形のは大きい方だったかしら、中くらいの方だったかしら……。
ともかくホクロの正しい並びさえわかれば、あとはお化粧の墨でなんとかなるはずだわ……!)
賢いジューンは伯爵家で学んだ知識を使えば、自分がエミルに成り代わることが容易にできることをすでに理解していた。
目の前にいる素晴らしく立派な伯爵との幸せな結婚を手放すつもりなど毛頭もない。
本当の令嬢で親友であるエミルに真実を告げようなどとは、これっぽっちも思わなかったのだ。
***
一年が経った夏のある日。ジューンはようやく孤児院への訪問が許された。
リーズン家のご令嬢がたくさんのお土産を持ってやってきたとあって、子どもたちもエミルも大騒ぎ。
「ジューンお嬢様、本当にこれ俺の帽子にしていいんだね!?」
「僕はこれをもらうよ! 赤いチョッキなんて村中探したって僕しか持ってないぞ!」
「このキャンディ、とってもあまいの~」
「ふぉごうもごぉふもう」
「あんた口に入れすぎよ!」
「お嬢様、すっごくきれいね。お姫様みたい!」
「すっかり別人みたいで、て、照れくさいや……」
「ジューン、今夜は泊って行けるの? お屋敷のことや伯爵様のことすっかり話してくれるまで帰さないんだから!」
「これエミル、言葉遣いを改めなさい。お嬢様を呼び捨てにしてはいけません」
「あっ、そうだったわ! ごめんなさい、ジューンお嬢様。わたしったらすっかり舞い上がってるの!」
「いいのよ、エミル。あなたはわたしの親友だもの……。ねえ、あとで二人きりでお話ししない?」
「ええ、もちろんよ!」
ジューンがエミルを小川に誘うと、子どもたちもわいわいとついて来た。
「もう、あなたたちったら、ちょっとくらいわたしとジューンを二人きりにしてよ!」
「いいのよ、エミル。それより、昔みたいに小川に足をつけて涼んでおしゃべりしない?
伯爵家ではこんなふうにのびのび過ごせないの」
「ええ、もちろんよ。でもお嬢様って案外大変そうね」
「レッスンがとても厳しいの。でも一生懸命努力しているわ」
「素敵な伯爵様のためにでしょ!? あなたのお手紙を読むたびに、こっちまでドキドキしちゃうわ!」
エミルとジューンが靴を脱ぎ、小川の冷たい水に足をつける。
それを真似して子どもたちも川辺に次々と腰を掛けた。
ジューンは素早くエミルの足の小指の付け根にあるホクロを観察した。
そして、その大きさや形と配置をすっかり目の奥に焼き付けたのだった。
(ホクロはすっかり覚えたわ……! これでもうここには用はないわ。適当に切り上げて早くお屋敷に戻りましょう)
「ねえ、それであなたの伯爵様ってどんな方? やさしいの? それとも面白い?」
「ああ、エミル、ごめんなさい……。なんだか暑すぎるみたい。頭もぼうっとするし、少し休まなくちゃ……」
「それは大変だわっ! 早く孤児院に戻りましょ! ええと、そこの、あなた! ジューンお嬢様を運ぶのを手伝ってちょうだい!」
「エミル、それは下男のジョンよ。メイドのアリーサを連れて来てちょうだい」
「わかったわ!」
慌てたエミルと子どもの幾人かはわき目もふらずに孤児院に走り出す。
残った子どもたちはてんでにジューンのおでこに手を当てて心配をしたり、せっせと足を拭いて靴下を履かせたりした。
メイドのアリーサと共に連れて帰ると、ジューンを日陰の部屋でゆっくりと休ませることになった。
これには、がっかりの子どもたち。
「あーあ、せっかくジューンお嬢様が来てくれたのに……」
「しょうがないよ、久々に外に出たからきっと暑さにびっくりしたんだよ」
「もっと遊びたかったなぁ~」
そんな子どもたちが川辺にぼんやり立っていた下男を見つけたのは、なんの不幸だったろうか……。
孤児院に残った面々がジューンの様子を見守っていると、院長がエミルに言った。
「こちらは私が見ているから、あなたは子どもたちを気にかけてやって。きっとがっくりとしょげているわ」
「はい、院長様。ジューンお嬢様、無理をしないでね」
「ありがとう、エミル」
子どもたちを探しに川辺へ戻ると、大騒ぎしている子どもたちがすぐに目をついた。
なあんだ、元気じゃないのとそばに寄ってみて、エミルの口はあんぐり。
――なんと! 川に落ちた下男を子どもたちが、もみくちゃにして遊んでいるではないか。
「こらあぁぁ――っ!! あんたたち、なんてことするの!!」
「うわぁ、エミルだぁっ!」
「ジョンとみずあしょびしてたんらよ~」
「なに言ってるの、あんたたち、そこへ並びなさいっ!」
エミルの剣幕に、子どもたちがおずおずと一列に並んだ。
川の底に尻もちを着いている下男の若者、ジョンが驚いたように目を見張る。
ジョンの手を引いて立ち上がらせると、エミルは急いで頭を下げた。
「本当にごめんなさいっ。子どもたちから目を話したばっかりに。悪いのはわたしよ。
その眼鏡は無事? 割れてない? ああ、よかった!
弁償なんてことなんてことになったら、しばらく全員朝ごはん抜きになるところだったわ!
さあこのままじゃいけないわ、服を乾すから、脱いでくれない?」
「えっ、ここで……?」
「びしょぬれのままジューンお嬢様のお付きをする気なの?
ほら、あんたたちも遊びは終わりよ! 自分たちの服を絞ったら、孤児院から物干し紐と乾いた布を取ってきなさいっ!」
どうやらまずい事態らしいと気づいた子どもから、次々にエミルの言葉に従った。
年上の少年少女の手によって、あっという間に木々の間に紐が渡され、子どもたちの濡れた服が次々に吊るされた。
その集団行動の素早さを見るに、エミルが子どもたちのリーダーであることがジョンにはすっかりわかった。
エミルはジョンの服をきつく絞ると、一番日の当たるところへ吊るした。
続けて子どもたちの世話を終えるや、乾いた布を持ってジョンの元へ駆けて来た。
「子どもたちが本当に悪いことをしたわ。風邪をひくことはないと思うけれど、これで体を拭いて?」
「あ、ありがとう……。君は……?」
「エミルよ。ほら、みんなジョンに謝って!」
「ご、ごめん……」
「ごめんなさい、川に引っ張っちゃって……」
「悪かったな……。でも楽しかったぜ!」
「こらっ、ハーベイ!」
「へへへっ」
「きゃーっ」
「わあーっ」
どうにも緊張感が続かない子どもがひとり駆けだすと、後に続けとばかりに下着や裸のまま、一斉に林のほうに駆け出していった。
エミルは困ったように子どもたちの後ろ姿を見送った後、申し訳なさそうに眉を下げてジョンの隣に腰かけた。
「あの、悪気はないのよ。あの子たち、お客さんが来て興奮しているの、だから……」
「気にしないでいいよ。僕も楽しかった」
「そ、そう……。あなたっていい人ね。ついでといってはなんだけど……」
「なにかな」
「このこと伯爵様には黙っていてくれる?」
「どうして?」
「だって、ジューンお嬢様の付き人を川に落とすような乱暴な子どもたちがいるところへは、二度とやるなって言うかもしれないでしょ?」
「ああ……」
「それにジューンに気まずい思いをさせたくないわ。伯爵様のためにすごく一生懸命頑張っているのに」
「そうか。……君は友達思いなんだね」
「ジューンお嬢様には幸せになってもらいたいの。
伯爵様の使者のおじ様がここへやって来た時、そりゃあわたし驚いたのよ。
だって、わたしを迎えに来たんだと思っていたのに、ジューンを連れていくって言うんだもの。
わたしはずっと小さいころから誰かがわたしをここから連れ出してくれるって信じていたの。
でも、本物のお嬢様はジューンだった。
わたしと違って一度もそんなことを考えもしなかったジューンがお嬢様だったのよ。
運命ってわからないわ。そんな奇跡がそう何度も起こるわけないってことはわかってる。
今も少しくらいは希望を持っているの。もしかしたら、ひょっとしたら、いつかはってね……。
でもそれは叶わないかもしれないし、叶わないことを願うよりも、ジューンにはわたしや子どもたちの分も、誰よりも幸せになって欲しいわ!
だって、ジューンが幸せそうに笑っているとわたしも幸せな気分になれるのよ!」
「わかった。君に免じて今回のことは黙っているよ」
「ありがとう! これで一安心したわ!」
安堵の笑みを浮かべたエミルは、ぱっと立ち上がってあたりを見渡した。
「いけない、慌てていて自分の靴をどこかに置き忘れてしまったわ!」
「これじゃない?」
「あら」
「子ども達に蹴とばされて流されそうになっていたのを拾ったんだ」
「助かったわ! 靴をなくしたら大変よ。今年の冬を裸足で過ごさなきゃいけなくなるところだったわ。ありがとう、ジョン!」
受け取った粗末な木靴に足を通すエミル。
その様子を傍らでジョンが黙って見つめている。
元気で素直なエミルの明るい笑顔は、とても魅力的に映った。
孤児院暮らしのせいで細身ではあったけれど、健やかですらっとした脚の先にあるのは、こじんまりとした可愛らしい足。
その右足の小指の付け根。
三つの大きさの違うホクロが並んでいた。
上から小さなホクロ、真ん中に大きな三日月形のホクロ、一番下は中くらいの星のようにも見えるひし形のホクロ。
靴の中に隠れて見えなくなったその印を、ジョンは静かに心の奥に留めておくことにした。
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