15 / 33
第15話 依頼料と差し入れケーキ
しおりを挟む
「えっ!? 依頼料取らなかったんですか!?」
須崎夫妻が帰った後。
いつものように台所の流し台で洗い物をしながら、優奈は素っ頓狂な声を上げた。
「取るわけにいかねーだろ。離婚依頼だったのに離婚がなくなったんだから」
「えー前金ぐらい取れば良かったのに。私だって会社への調査とか色々働いたんですよ?」
「だったら最初に請求しとけ。金の話もしないで、勢い勇んで勝手に安請け合いしたのはお前だからな」
優奈はウッと黙る。それを言われてしまうと、事実だから言い返せなかった。
「それに――」
と言いかけ、何故だか新が口籠もる。
「それに? なんです?」
先を促すとバツの悪そうな顔をした新は珍しく迷った素振りを見せながら言った。
「これから何かと入り用なんだから、そっちに金使わせた方がいいだろ」
その台詞に、ぱりくりと瞬き一つ。それから耐えきれず、クスリと笑みを零した。
「新さんって、なんだかんだ優しいところありますよね」
「あぁ?」
冷蔵庫を漁る新が、不機嫌そうな目を優奈に向ける。なんだかその態度すら、どこか可愛らしく思えた。
「だって最初から気付いてたんですよね。莉奈さんのお腹に赤ちゃんがいることも、離婚も本意じゃないってことも」
「鬼の血は匂うからな。あとはまぁ……妊娠した女ってのは情緒不安定になりやすいって聞いたことあるから、大体そんなとこだろって思っただけだ」
素直じゃないなぁと思う。
「私の給料はちゃんと払って下さいね。電気ポットは我慢しておくんで。今のところ」
「電気ポット……?」
何の話だと言わんばかりに新が首を捻る。
とその時、ピンポーンと玄関チャイムが鳴った。
「はーい! 新さん、手が離せないんで出て下さい」
「めんどくせぇ」
「新さん!」
「出ないとは言ってないだろ出ないとは」
背中からめんどくささを漂わせながら、新が玄関に向かう。手早く洗い物を済ませたユウながら遅れて玄関に赴くと、そこには帆理の姿があった。玄関たたきに立ったまま、框の上の新を見上げて何やら話し込んでいる。
「そうか、進展はないか」
「残念ながらね。一応捜査員を付けさせてはいるけど、どうにも決定的な証拠が……あっ、優奈ちゃん」
帆理が優奈に気付いて手を上げる。もう片方の手には、洋菓子の白い箱が提げられていた。
新が緩慢な動作で、半身を振り返る。
「こんばんは、帆理さん。すみません、お話しを中断させてしまったみたいで」
「こんばんは。いいのいいの、どうせ大した話じゃないから。あ、これお土産ね」
「わあ! これ人気店のケーキじゃないですか! 開けていいです?」
「どうぞどうぞ」
箱に貼られた人気店のロゴシールに、優奈は思わず目を輝かせてしまう。いそいそと開けると、箱の中には色とりどりの四つのケーキが綺麗に収められていた。まるで宝石箱のようだった。
「結構並んだんじゃないですか?」
「そうでもないよ。三十分ぐらい」
なんてことないように帆理は答える。
三十分――ケーキ屋の店先の行列に、女子に交じって並ぶスーツ姿の帆理が思い浮かぶ。周りの女子たちが放っておかなさそうだと思った。
「お前も暇人だなぁ……」
「暇じゃないっての。相変わらずしき事件の足取りを追うので忙しいよ。だから来たんじゃないか」
チラリと、新が優奈を見る。
「ま、それもそうか」
「???」
その視線と言葉の意味が分からず、優奈は首を傾げた。
「おいユウ、お前そろそろ電車の時間じゃないのか?」
「あっ、でもケーキ……」
「持って帰ればいいだろ持って帰れば。さすがに茶ぁしばいてるだけの奴に払う残業代はないからな」
「……大して高い時給でもないくせに」
「あぁ?」
「なんでもないでーす。ケーキ半分置いてきまーす」
パタパタと小走りに優奈は台所に駆けていく。その背を見送って――
「素直に『家でゆっくり食べろって』言えばいいのに」
「何をどうしたらそう聞こえるんだ。……あと別に俺、ケーキが好物ってわけじゃねーんだけどな」
「たまには血とコーヒー以外も食べなよ。霞を食べて生きてる仙人じゃないんだから」
ぼそりぼそり。互いにぼやきのようなものを零していると、帰り支度をした優奈が戻ってくる。
すかさず帆理が声を掛けた。
「駅まで送るよ」
「わぁいいんですか? 新さんと話があるんじゃ……」
「構わないよ。本当に顔を見に来ただけだから」
「ありがとうございます。やっぱり出来る紳士は違いますね」
「喧嘩売ってんのか」
「え、誰も新さんの話なんかしてませんよ?」
その返しに、新が苦虫を噛み潰したような顔になる。対照的に、優奈はにんまりと満面の笑みを浮かべた。
――どうだ、一本取ってやったぞ。
上機嫌でパンプスを履き、半ばスキップするように玄関を出る。鼻歌でも歌い出しそうな勢いだった。
そんな優奈に新は、柱にもたれかかりながら半眼を向ける。
「じゃ、お疲れ様でした」
「……おう、気ぃ付けて帰れよ」
今日は週末、金曜日。だから『また明日』はない。
玄関扉が閉まり、ほどなくして優奈と帆理――二人が乗った車が遠ざかっていく。その音が完全に聞こえなくなってから――
「なんだかなぁ……」
新は頭を掻いて、盛大な溜息を零した。
須崎夫妻が帰った後。
いつものように台所の流し台で洗い物をしながら、優奈は素っ頓狂な声を上げた。
「取るわけにいかねーだろ。離婚依頼だったのに離婚がなくなったんだから」
「えー前金ぐらい取れば良かったのに。私だって会社への調査とか色々働いたんですよ?」
「だったら最初に請求しとけ。金の話もしないで、勢い勇んで勝手に安請け合いしたのはお前だからな」
優奈はウッと黙る。それを言われてしまうと、事実だから言い返せなかった。
「それに――」
と言いかけ、何故だか新が口籠もる。
「それに? なんです?」
先を促すとバツの悪そうな顔をした新は珍しく迷った素振りを見せながら言った。
「これから何かと入り用なんだから、そっちに金使わせた方がいいだろ」
その台詞に、ぱりくりと瞬き一つ。それから耐えきれず、クスリと笑みを零した。
「新さんって、なんだかんだ優しいところありますよね」
「あぁ?」
冷蔵庫を漁る新が、不機嫌そうな目を優奈に向ける。なんだかその態度すら、どこか可愛らしく思えた。
「だって最初から気付いてたんですよね。莉奈さんのお腹に赤ちゃんがいることも、離婚も本意じゃないってことも」
「鬼の血は匂うからな。あとはまぁ……妊娠した女ってのは情緒不安定になりやすいって聞いたことあるから、大体そんなとこだろって思っただけだ」
素直じゃないなぁと思う。
「私の給料はちゃんと払って下さいね。電気ポットは我慢しておくんで。今のところ」
「電気ポット……?」
何の話だと言わんばかりに新が首を捻る。
とその時、ピンポーンと玄関チャイムが鳴った。
「はーい! 新さん、手が離せないんで出て下さい」
「めんどくせぇ」
「新さん!」
「出ないとは言ってないだろ出ないとは」
背中からめんどくささを漂わせながら、新が玄関に向かう。手早く洗い物を済ませたユウながら遅れて玄関に赴くと、そこには帆理の姿があった。玄関たたきに立ったまま、框の上の新を見上げて何やら話し込んでいる。
「そうか、進展はないか」
「残念ながらね。一応捜査員を付けさせてはいるけど、どうにも決定的な証拠が……あっ、優奈ちゃん」
帆理が優奈に気付いて手を上げる。もう片方の手には、洋菓子の白い箱が提げられていた。
新が緩慢な動作で、半身を振り返る。
「こんばんは、帆理さん。すみません、お話しを中断させてしまったみたいで」
「こんばんは。いいのいいの、どうせ大した話じゃないから。あ、これお土産ね」
「わあ! これ人気店のケーキじゃないですか! 開けていいです?」
「どうぞどうぞ」
箱に貼られた人気店のロゴシールに、優奈は思わず目を輝かせてしまう。いそいそと開けると、箱の中には色とりどりの四つのケーキが綺麗に収められていた。まるで宝石箱のようだった。
「結構並んだんじゃないですか?」
「そうでもないよ。三十分ぐらい」
なんてことないように帆理は答える。
三十分――ケーキ屋の店先の行列に、女子に交じって並ぶスーツ姿の帆理が思い浮かぶ。周りの女子たちが放っておかなさそうだと思った。
「お前も暇人だなぁ……」
「暇じゃないっての。相変わらずしき事件の足取りを追うので忙しいよ。だから来たんじゃないか」
チラリと、新が優奈を見る。
「ま、それもそうか」
「???」
その視線と言葉の意味が分からず、優奈は首を傾げた。
「おいユウ、お前そろそろ電車の時間じゃないのか?」
「あっ、でもケーキ……」
「持って帰ればいいだろ持って帰れば。さすがに茶ぁしばいてるだけの奴に払う残業代はないからな」
「……大して高い時給でもないくせに」
「あぁ?」
「なんでもないでーす。ケーキ半分置いてきまーす」
パタパタと小走りに優奈は台所に駆けていく。その背を見送って――
「素直に『家でゆっくり食べろって』言えばいいのに」
「何をどうしたらそう聞こえるんだ。……あと別に俺、ケーキが好物ってわけじゃねーんだけどな」
「たまには血とコーヒー以外も食べなよ。霞を食べて生きてる仙人じゃないんだから」
ぼそりぼそり。互いにぼやきのようなものを零していると、帰り支度をした優奈が戻ってくる。
すかさず帆理が声を掛けた。
「駅まで送るよ」
「わぁいいんですか? 新さんと話があるんじゃ……」
「構わないよ。本当に顔を見に来ただけだから」
「ありがとうございます。やっぱり出来る紳士は違いますね」
「喧嘩売ってんのか」
「え、誰も新さんの話なんかしてませんよ?」
その返しに、新が苦虫を噛み潰したような顔になる。対照的に、優奈はにんまりと満面の笑みを浮かべた。
――どうだ、一本取ってやったぞ。
上機嫌でパンプスを履き、半ばスキップするように玄関を出る。鼻歌でも歌い出しそうな勢いだった。
そんな優奈に新は、柱にもたれかかりながら半眼を向ける。
「じゃ、お疲れ様でした」
「……おう、気ぃ付けて帰れよ」
今日は週末、金曜日。だから『また明日』はない。
玄関扉が閉まり、ほどなくして優奈と帆理――二人が乗った車が遠ざかっていく。その音が完全に聞こえなくなってから――
「なんだかなぁ……」
新は頭を掻いて、盛大な溜息を零した。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
隣の家に住むイクメンの正体は龍神様でした~社無しの神とちびっ子神使候補たち
鳴澤うた
キャラ文芸
失恋にストーカー。
心身ともにボロボロになった姉崎菜緒は、とうとう道端で倒れるように寝てしまって……。
悪夢にうなされる菜緒を夢の中で救ってくれたのはなんとお隣のイクメン、藤村辰巳だった。
辰巳と辰巳が世話する子供たちとなんだかんだと交流を深めていくけれど、子供たちはどこか不可思議だ。
それもそのはず、人の姿をとっているけれど辰巳も子供たちも人じゃない。
社を持たない龍神様とこれから神使となるため勉強中の動物たちだったのだ!
食に対し、こだわりの強い辰巳に神使候補の子供たちや見守っている神様たちはご不満で、今の現状を打破しようと菜緒を仲間に入れようと画策していて……
神様と作る二十四節気ごはんを召し上がれ!
おっ☆パラ
うらたきよひこ
キャラ文芸
こんなハーレム展開あり? これがおっさんパラダイスか!?
新米サラリーマンの佐藤一真がなぜかおじさんたちにモテまくる。大学教授やガテン系現場監督、エリートコンサル、老舗料理長、はたまた流浪のバーテンダーまで、個性派ぞろい。どこがそんなに“おじさん心”をくすぐるのか? その天賦の“モテ力”をご覧あれ!
百合系サキュバス達に一目惚れされた
釧路太郎
キャラ文芸
名門零楼館高校はもともと女子高であったのだが、様々な要因で共学になって数年が経つ。
文武両道を掲げる零楼館高校はスポーツ分野だけではなく進学実績も全国レベルで見ても上位に食い込んでいるのであった。
そんな零楼館高校の歴史において今まで誰一人として選ばれたことのない“特別指名推薦”に選ばれたのが工藤珠希なのである。
工藤珠希は身長こそ平均を超えていたが、運動や学力はいたって平均クラスであり性格の良さはあるものの特筆すべき才能も無いように見られていた。
むしろ、彼女の幼馴染である工藤太郎は様々な部活の助っ人として活躍し、中学生でありながら様々な競技のプロ団体からスカウトが来るほどであった。更に、学力面においても優秀であり国内のみならず海外への進学も不可能ではないと言われるほどであった。
“特別指名推薦”の話が学校に来た時は誰もが相手を間違えているのではないかと疑ったほどであったが、零楼館高校関係者は工藤珠希で間違いないという。
工藤珠希と工藤太郎は血縁関係はなく、複雑な家庭環境であった工藤太郎が幼いころに両親を亡くしたこともあって彼は工藤家の養子として迎えられていた。
兄妹同然に育った二人ではあったが、お互いが相手の事を守ろうとする良き関係であり、恋人ではないがそれ以上に信頼しあっている。二人の関係性は苗字が同じという事もあって夫婦と揶揄されることも多々あったのだ。
工藤太郎は県外にあるスポーツ名門校からの推薦も来ていてほぼ内定していたのだが、工藤珠希が零楼館高校に入学することを決めたことを受けて彼も零楼館高校を受験することとなった。
スポーツ分野でも名をはせている零楼館高校に工藤太郎が入学すること自体は何の違和感もないのだが、本来入学する予定であった高校関係者は落胆の声をあげていたのだ。だが、彼の出自も相まって彼の意志を否定する者は誰もいなかったのである。
二人が入学する零楼館高校には外に出ていない秘密があるのだ。
零楼館高校に通う生徒のみならず、教員職員運営者の多くがサキュバスでありそのサキュバスも一般的に知られているサキュバスと違い女性を対象とした変異種なのである。
かつては“秘密の花園”と呼ばれた零楼館女子高等学校もそういった意味を持っていたのだった。
ちなみに、工藤珠希は工藤太郎の事を好きなのだが、それは誰にも言えない秘密なのである。
この作品は「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルアッププラス」「ノベルバ」「ノベルピア」にも掲載しております。
椿の国の後宮のはなし
犬噛 クロ
キャラ文芸
※毎日18時更新予定です。
架空の国の後宮物語。
若き皇帝と、彼に囚われた娘の話です。
有力政治家の娘・羽村 雪樹(はねむら せつじゅ)は「男子」だと性別を間違われたまま、自国の皇帝・蓮と固い絆で結ばれていた。
しかしとうとう少女であることを気づかれてしまった雪樹は、蓮に乱暴された挙句、後宮に幽閉されてしまう。
幼なじみとして慕っていた青年からの裏切りに、雪樹は混乱し、蓮に憎しみを抱き、そして……?
あまり暗くなり過ぎない後宮物語。
雪樹と蓮、ふたりの関係がどう変化していくのか見守っていただければ嬉しいです。
※2017年完結作品をタイトルとカテゴリを変更+全面改稿しております。
デリバリー・デイジー
SoftCareer
キャラ文芸
ワケ有りデリヘル嬢デイジーさんの奮闘記。
これを読むと君もデリヘルに行きたくなるかも。いや、行くんじゃなくて呼ぶんだったわ……あっ、本作品はR-15ですが、デリヘル嬢は18歳にならないと呼んじゃだめだからね。
※もちろん、内容は百%フィクションですよ!
MIDNIGHT
邦幸恵紀
キャラ文芸
【現代ファンタジー/外面のいい会社員×ツンデレ一見美少年/友人以上恋人未満】
「真夜中にはあまり出歩かないほうがいい」。
三月のある深夜、会社員・鬼頭和臣は、黒ずくめの美少年・霧河雅美にそう忠告される。
未成年に説教される筋合いはないと鬼頭は反発するが、その出会いが、その後の彼の人生を大きく変えてしまうのだった。
◆「第6回キャラ文芸大賞」で奨励賞をいただきました。ありがとうございました。

会社の上司の妻との禁断の関係に溺れた男の物語
六角
恋愛
日本の大都市で働くサラリーマンが、偶然出会った上司の妻に一目惚れしてしまう。彼女に強く引き寄せられるように、彼女との禁断の関係に溺れていく。しかし、会社に知られてしまい、別れを余儀なくされる。彼女との別れに苦しみ、彼女を忘れることができずにいる。彼女との関係は、運命的なものであり、彼女との愛は一生忘れることができない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる