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第1話 血溜まりの中から見上げた月
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「永遠を生きる覚悟はあるか」
と、その人は言った。
月のような人だった。
闇に溶けるような黒い髪に、真っ黒な着流しを着ていた。夜を切り取ったような出で立ちとは反対に、肌は陽を浴びていないかのように青白く、顔立ちは精悍ではないけれど端正で、路地の無機質な電灯の光が、佇むその細身を月のない夜にぼんやりと浮かび上がらせている。
そんな美しい人を、優奈は血溜まりの中から見上げていた。
そんな優奈を、二つの赤い瞳が見下ろしていた。
(永遠、って)
なんだろう。
漠然と、そんなことを考えた。けれど思考はそれ以上続いてくれなくて、疑問は声になることなく霧散する。大きく切られた首筋からは今も、真っ赤な液体が湧き水のようにこんこんと溢れ続けていた。
五月だというのに、酷く寒かった。
視界が霞んで、抗えない眠気が押し寄せてくる。遠くを行き交う車の音だけが、不思議と鮮明に聞こえている。
けれど、ゆっくりと――ゆっくりと、震えながら。半ば無意識だったと思う。それでも確かに、優奈はその美しい人に向かって、手を伸ばした。
彼が優奈の傍らに膝を突く。着物が血を吸って、黒よりも暗く澱んでいく。
血溜まりの中に、沈んで。
触れる。
べたりと、震える指先が陶器のように白い頬を撫でて、まだ温かい血が、彼の美しい顔を汚した。
彼は、笑った。
「――いいだろう」
にやりと口の端を吊り上げて。半ば乱暴に優奈の手を掴むと、あんぐりと開けた口て、その手首に躊躇うことなくかぶりつく。
牙が皮膚を割いて、その下の血管も突き破り、血が外側へ溢れ出る。けれどそれが地に向かって落ちるよりも早く、彼の口腔へと吸い込まれていく。
ジュ、ジュ、と。暗い路地に、血を啜る音だけが生々しく響く。
命の流れ出ていく感覚が加速した。
「あー……まっず。栄養不足にもほどがあるだろ」
やがて彼はおもむろに唇を離し、綺麗な顔を歪めてぼやく。唇の周りには、まるで口紅のように真っ赤な血が付いていた。それを赤い舌でペロリと舐め取る。
本当に、人の血を飲んでおいてその感想はなんだ、とか。
いつもの優奈なら、文句の一つでも言っていたかもしれない。
けれど今の優奈には、それを言うだけの力も、考え続けるだけの意識も残っていなかった。
身体中から急に力が抜けて、かろうじて持ち上げていた右手が滑り落ちる。
けれどその手を、彼はしっかりと掴んだ。
「大丈夫。お前は生きる」
男が長く鋭利に伸ばした爪で、空いているもう片方の手――その手首をスッと掻き切る。
優奈のものとは違う赤い液体が、ぼたぼたと滴り落ちた。
「大丈夫」
もう一度そう言って、男が命の水が溢れる左手を、優奈の頭上に翳す。
「万が一の時は、俺が責任を持って殺してやる」
言葉の意味は、よく分からなかった。
ただ、その人が酷く優しく微笑んでいたのを、優奈は霞む視界の中でしっかりと見ていた。
「だから今は――眠っとけ」
赤子をあやすようなその声を最後に、優奈の意識は暗闇に飲まれる。
そうして美咲優奈は、死んだ。
と、その人は言った。
月のような人だった。
闇に溶けるような黒い髪に、真っ黒な着流しを着ていた。夜を切り取ったような出で立ちとは反対に、肌は陽を浴びていないかのように青白く、顔立ちは精悍ではないけれど端正で、路地の無機質な電灯の光が、佇むその細身を月のない夜にぼんやりと浮かび上がらせている。
そんな美しい人を、優奈は血溜まりの中から見上げていた。
そんな優奈を、二つの赤い瞳が見下ろしていた。
(永遠、って)
なんだろう。
漠然と、そんなことを考えた。けれど思考はそれ以上続いてくれなくて、疑問は声になることなく霧散する。大きく切られた首筋からは今も、真っ赤な液体が湧き水のようにこんこんと溢れ続けていた。
五月だというのに、酷く寒かった。
視界が霞んで、抗えない眠気が押し寄せてくる。遠くを行き交う車の音だけが、不思議と鮮明に聞こえている。
けれど、ゆっくりと――ゆっくりと、震えながら。半ば無意識だったと思う。それでも確かに、優奈はその美しい人に向かって、手を伸ばした。
彼が優奈の傍らに膝を突く。着物が血を吸って、黒よりも暗く澱んでいく。
血溜まりの中に、沈んで。
触れる。
べたりと、震える指先が陶器のように白い頬を撫でて、まだ温かい血が、彼の美しい顔を汚した。
彼は、笑った。
「――いいだろう」
にやりと口の端を吊り上げて。半ば乱暴に優奈の手を掴むと、あんぐりと開けた口て、その手首に躊躇うことなくかぶりつく。
牙が皮膚を割いて、その下の血管も突き破り、血が外側へ溢れ出る。けれどそれが地に向かって落ちるよりも早く、彼の口腔へと吸い込まれていく。
ジュ、ジュ、と。暗い路地に、血を啜る音だけが生々しく響く。
命の流れ出ていく感覚が加速した。
「あー……まっず。栄養不足にもほどがあるだろ」
やがて彼はおもむろに唇を離し、綺麗な顔を歪めてぼやく。唇の周りには、まるで口紅のように真っ赤な血が付いていた。それを赤い舌でペロリと舐め取る。
本当に、人の血を飲んでおいてその感想はなんだ、とか。
いつもの優奈なら、文句の一つでも言っていたかもしれない。
けれど今の優奈には、それを言うだけの力も、考え続けるだけの意識も残っていなかった。
身体中から急に力が抜けて、かろうじて持ち上げていた右手が滑り落ちる。
けれどその手を、彼はしっかりと掴んだ。
「大丈夫。お前は生きる」
男が長く鋭利に伸ばした爪で、空いているもう片方の手――その手首をスッと掻き切る。
優奈のものとは違う赤い液体が、ぼたぼたと滴り落ちた。
「大丈夫」
もう一度そう言って、男が命の水が溢れる左手を、優奈の頭上に翳す。
「万が一の時は、俺が責任を持って殺してやる」
言葉の意味は、よく分からなかった。
ただ、その人が酷く優しく微笑んでいたのを、優奈は霞む視界の中でしっかりと見ていた。
「だから今は――眠っとけ」
赤子をあやすようなその声を最後に、優奈の意識は暗闇に飲まれる。
そうして美咲優奈は、死んだ。
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