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陸/傾き始める過程の線上
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◇
夜の街に紛れることは嫌いじゃなかった。今までの過去を思い返してみても、特に夜の街を散歩したことはないはずだった。それでも強いて思い出すのならば、両親が離婚をして母と同居することが決まって数週間後、帰ってこなくなった母に呆れてしまって、どうしようもない吐き気を抱えて夜の街に消えたことくらいだろう。
当時は夜の街を散歩することに感慨は持てなかった。そういった精神的な余裕がなかったというのもあるし、そんな感受性を持つこともできていなかったからかもしれない。人との関わりを見出すことができなかったあの時期に、そういった感受性を抱くことは難しいはずだ。だから、今の俺は正常に近い意識の中で夜の街の風景を眺めることができている。
世界はどこまでも静かで、何かの喧騒が聞こえてくることはない。当然のことではあるものの、日中を生きてしかいない身にとっては新鮮なものでしかなく、昼間に経験する工事の音も、街中を抜けていく車の音も、もしくは自らが乗っている原付きの排気音さえも聞こえないというのは、やはり自分には静か過ぎた。
数度ほど呼吸を確かめるように、肺に取り込んだ空気の味を確かめる。春末が近づいている日中には相応の暑さが身に宿るけれど、この時間の世界の冷たさは人肌を求めてしまう要素がある。それは俺が今一人で行動しているからなのかはわからない。ただアスファルトをサンダルで踏みしめるだけで、どことなく感じる孤独を認識せずにはいられない。
先程までは火照ったように、体の内側に皐の熱を感じて、その鬱陶しさから逃げたというのに、今はその熱を思い出して浸りたいという気持ちが加速する。でも、一度外に出たのならばそれを不意にするのはもったいないという気持ちと、いつまでもまとわりついてくる焦燥感が、皐との適切な距離を演出しろ、と話しかけてくる。今更倫理がどうとか、そういうことを考えているわけではないはずなのに、世界に取り残されているような気がしてしまうために、そんな感傷を抱いてしまっている。
どこまでも気持ち悪くて、醜い自分。解け落ちた氷であるという自覚は今更でしかないのに、解けてしまった原因となる温度差を考えずにはいられない。
こんな事を考えながら歩いていてもしょうがないという気持ち。
せめて、何かしらの目的意識を持って散歩をすることにしよう。
俺はそんなことを考えながら、一応の目的地を頭の中で設定した。
◇
夜の街だからと言って、どこか遠くまで歩くことは考えたくはなかった。昨日も睡眠をおろそかにしてしまったし、今日もまともな睡眠を取ることができないとなると、愛莉が動画を見る直前に言っていたように、仕事に支障をきたす可能性がある。
寝不足については慣れてはいるし、それで運動のパフォーマンスが下がるとも思わないが、連日眠れない経験をしたことはそんなになかったはずだ。一日眠れない日があったとしても、その翌日の夜には倍以上の眠気がやって来て、それに従えば適切な睡眠を取ることが今まではできていた。今まではそれで睡眠時間を補うことができていたものの、今の自分はどうだろうか。今日も十分な睡眠を取ることができなぇれば、体は動いても、背中に倦怠感を引きずってしまうのではないか。
そんなことを考えて向かったのは、近所にある公園。以前皐と散歩道で通った場所であり、伊万里との待ち合わせに使った場所。程よい距離がありつつも、帰ろうと思えば帰れる場所。俺はそんな場所を目的地に設定した。
サンダルは一年以上使い古しているせいか、どうにも靴のそこが薄れてきているように感じる。歩みを進めていくたびに熱を持つ靴底に不安を抱く。片方の靴底はもうすぐできっと穴が空いてしまうかもしれない。
今はどうしようもないサンダル、今度出かけるタイミングがあったら皐と買いに行くのも悪くはないだが、そんなことに付き合わせるのは悪いような気がするし、こんなことでいちいち皐に甘えるようなことを考える自分が憎くなる。
人間関係の営みを止めることはできない。できないからと言って、そこに依存心を抱くのは間違っているのではないか。いくら彼女はそれを許容してくれたとしても、俺はその許容医を心の底から受け取ることができるのだろうか。そうすることを自分自身で許すことができるだろうか。
……きっと、俺にはできない。たった一ヶ月も経っていない間に、何度同じ思考を繰り返したことだろう。何度同じ苦悩を反芻したことだろう。それを止めることができれば楽なんだろう。考えないようにすれば、もっと明るく世界を見渡すことができるのだろう。
だが、これは性のようなものだ。性質と言えるようなものだ。しょうとも言えるかもしれない。俺はこの思考に囚われており、そこから逃げ出すことはできない。
夜の街に紛れることは嫌いじゃなかった。今までの過去を思い返してみても、特に夜の街を散歩したことはないはずだった。それでも強いて思い出すのならば、両親が離婚をして母と同居することが決まって数週間後、帰ってこなくなった母に呆れてしまって、どうしようもない吐き気を抱えて夜の街に消えたことくらいだろう。
当時は夜の街を散歩することに感慨は持てなかった。そういった精神的な余裕がなかったというのもあるし、そんな感受性を持つこともできていなかったからかもしれない。人との関わりを見出すことができなかったあの時期に、そういった感受性を抱くことは難しいはずだ。だから、今の俺は正常に近い意識の中で夜の街の風景を眺めることができている。
世界はどこまでも静かで、何かの喧騒が聞こえてくることはない。当然のことではあるものの、日中を生きてしかいない身にとっては新鮮なものでしかなく、昼間に経験する工事の音も、街中を抜けていく車の音も、もしくは自らが乗っている原付きの排気音さえも聞こえないというのは、やはり自分には静か過ぎた。
数度ほど呼吸を確かめるように、肺に取り込んだ空気の味を確かめる。春末が近づいている日中には相応の暑さが身に宿るけれど、この時間の世界の冷たさは人肌を求めてしまう要素がある。それは俺が今一人で行動しているからなのかはわからない。ただアスファルトをサンダルで踏みしめるだけで、どことなく感じる孤独を認識せずにはいられない。
先程までは火照ったように、体の内側に皐の熱を感じて、その鬱陶しさから逃げたというのに、今はその熱を思い出して浸りたいという気持ちが加速する。でも、一度外に出たのならばそれを不意にするのはもったいないという気持ちと、いつまでもまとわりついてくる焦燥感が、皐との適切な距離を演出しろ、と話しかけてくる。今更倫理がどうとか、そういうことを考えているわけではないはずなのに、世界に取り残されているような気がしてしまうために、そんな感傷を抱いてしまっている。
どこまでも気持ち悪くて、醜い自分。解け落ちた氷であるという自覚は今更でしかないのに、解けてしまった原因となる温度差を考えずにはいられない。
こんな事を考えながら歩いていてもしょうがないという気持ち。
せめて、何かしらの目的意識を持って散歩をすることにしよう。
俺はそんなことを考えながら、一応の目的地を頭の中で設定した。
◇
夜の街だからと言って、どこか遠くまで歩くことは考えたくはなかった。昨日も睡眠をおろそかにしてしまったし、今日もまともな睡眠を取ることができないとなると、愛莉が動画を見る直前に言っていたように、仕事に支障をきたす可能性がある。
寝不足については慣れてはいるし、それで運動のパフォーマンスが下がるとも思わないが、連日眠れない経験をしたことはそんなになかったはずだ。一日眠れない日があったとしても、その翌日の夜には倍以上の眠気がやって来て、それに従えば適切な睡眠を取ることが今まではできていた。今まではそれで睡眠時間を補うことができていたものの、今の自分はどうだろうか。今日も十分な睡眠を取ることができなぇれば、体は動いても、背中に倦怠感を引きずってしまうのではないか。
そんなことを考えて向かったのは、近所にある公園。以前皐と散歩道で通った場所であり、伊万里との待ち合わせに使った場所。程よい距離がありつつも、帰ろうと思えば帰れる場所。俺はそんな場所を目的地に設定した。
サンダルは一年以上使い古しているせいか、どうにも靴のそこが薄れてきているように感じる。歩みを進めていくたびに熱を持つ靴底に不安を抱く。片方の靴底はもうすぐできっと穴が空いてしまうかもしれない。
今はどうしようもないサンダル、今度出かけるタイミングがあったら皐と買いに行くのも悪くはないだが、そんなことに付き合わせるのは悪いような気がするし、こんなことでいちいち皐に甘えるようなことを考える自分が憎くなる。
人間関係の営みを止めることはできない。できないからと言って、そこに依存心を抱くのは間違っているのではないか。いくら彼女はそれを許容してくれたとしても、俺はその許容医を心の底から受け取ることができるのだろうか。そうすることを自分自身で許すことができるだろうか。
……きっと、俺にはできない。たった一ヶ月も経っていない間に、何度同じ思考を繰り返したことだろう。何度同じ苦悩を反芻したことだろう。それを止めることができれば楽なんだろう。考えないようにすれば、もっと明るく世界を見渡すことができるのだろう。
だが、これは性のようなものだ。性質と言えるようなものだ。しょうとも言えるかもしれない。俺はこの思考に囚われており、そこから逃げ出すことはできない。
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