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陸/傾き始める過程の線上
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◇
暗がりの道を歩いていく。街灯の明かりは乏しい存在でしかなく、足元をちらつく程度にしか照らさない光だけを俺たちに浴びせ続ける。それを、俺は不思議と鬱陶しく思った。
風が頬を撫でる。五月寸前の風は温さを孕んでいるように見えて、どこか冷たい。太陽という存在を失った夜の世界の風は、どこまでも孤独に風を吹かせている。その心地に身震いしながら、俺は皐と一緒に歩いていた。
コンビニから出た後、二人っきりになった皐と会話をした。久しぶりの二人で過ごす時間、いや、それだけ目まぐるしいだけの出来事があっただけで、それは二日とないだけなのだけれど、それでもこの時間を心地いいと思う自分がいる。
だが、そこでの会話は特に広がりを見せることはなく、無難な話題だけを繰り広げることしかできない。彼女には日中、午後にあったことを話すべきなのだろうけれど、俺はそこから視線をそらして、適当な話題を選択した。選択してしまった。
皐は微笑んでいるのだろうか。わからない。笑っているような声を出してはいたものの、暗いだけの世界では彼女の表情を読み取ることができなかったから。
ゆったり、急ぐこともなく歩いていく帰路の道中。だんだんとぼんやりと自宅が視界に入ってくる。遠くから見えた家の玄関には、うっすらと光がともっている。もう二度目だというのに釈然としないような戸惑いが心の中に広がったけれど、そうなっているのは当然のことでしかない。今は家に愛莉がいるのだから。
忘れていたわけではない。だが、いつも通りと異なる光景を見てしまえば、相応の戸惑いが広がるのは仕方のないことだと思う。
「愛莉、家にいるんだよな」
確認のように言葉を出す。確認しなくとも、そこに見える光が彼女の存在を証明している。だから、聞くまでもないはずのこと。でも、皐の言葉が俺は欲しかった。
「そうだね」と彼女は返した。特に何か感情を抱くようなことはなく、当たり前のことであるかのように。
そうだ、当たり前なのだ。皐がそれを肯定した、受容した。俺も今では受容できている。できていると思いたい。昨日の夜の思索を、心に感じた皐のぬくもりを、偽物だとは思いたくなかった。
◇
玄関に入れば、おかえりー、という愛莉の声とともにあたたかい匂いがした。
あたたかい匂いという表現が正しいのかはわからない。あまりにも抽象的すぎるような気もする。でも、そういった表現を選びたくなったのは、昔を思わせる夕ご飯の香りがそこには広がっていたからだった。
「……作ったの?」
皐は愛莉にそう聞くと、彼女は元気よく「うん!」と笑顔で返す。その笑顔の勢いだけで、俺たちがコンビニで食事を済ませようとしていたことは口に出せそうもない。
「ほら、わたしって居候じゃん? だから何かしら貢献したいなぁ、頑張りたいなぁ、と思ってね。だから勝手に冷蔵庫の中身を穿り出して、あるだけの材料で肉じゃがとか作ってみました」
愛莉は台所にある大きな鍋を指す。独り暮らしで何となく買っては見たものの、買って以来使ってはいなかった鍋。皐と一緒に暮らし始めても、手直にある雪平鍋くらいしか使っていなかったので、どこか新鮮だ。
つまりは、あたたかい匂いの正体は肉じゃがだったらしい。どうりで懐かしいという雰囲気を感じたわけだと思う。
──途端に、嫌な記憶がよみがえる。
小学生の頃、母が月に二回ほどは肉じゃがを作ってくれていたこと。だいたい週末前の金曜日、翌日の朝にも食べられるように大量の肉じゃがを作っていた記憶。
それをあたたかいと思っていたこと。それを懐かしいと思ってしまったこと。
だからこそ、嫌な記憶がよみがえってしまう。
「……嫌、だった?」
愛莉は俺の顔を覗きながら、しょんぼりとした表情を浮かべて聞いてくる。俺はそれに取り繕って、なんとか言葉を返すことを意識する。
「ええと、あれだ。……さっき、コンビニでパン買ってきたから、なんか作ってもらって悪いなって」
無難な言い訳をした後、愛莉は明るい表情に切り替わり「なーんだ、それならパンは明日の朝とか昼とかにすればいいだけじゃんね」といたずらっぽい笑みで言葉を返す。
そうだな、と適当な相槌を打った後、皐の表情を覗いてみる。
俺と同じように、昔を懐かしむような、神妙な顔。もしくは違うことを思い浮かべているのかもしれないけれど、そのときの感情は同一であってほしいと、俺は願ってしまった。
暗がりの道を歩いていく。街灯の明かりは乏しい存在でしかなく、足元をちらつく程度にしか照らさない光だけを俺たちに浴びせ続ける。それを、俺は不思議と鬱陶しく思った。
風が頬を撫でる。五月寸前の風は温さを孕んでいるように見えて、どこか冷たい。太陽という存在を失った夜の世界の風は、どこまでも孤独に風を吹かせている。その心地に身震いしながら、俺は皐と一緒に歩いていた。
コンビニから出た後、二人っきりになった皐と会話をした。久しぶりの二人で過ごす時間、いや、それだけ目まぐるしいだけの出来事があっただけで、それは二日とないだけなのだけれど、それでもこの時間を心地いいと思う自分がいる。
だが、そこでの会話は特に広がりを見せることはなく、無難な話題だけを繰り広げることしかできない。彼女には日中、午後にあったことを話すべきなのだろうけれど、俺はそこから視線をそらして、適当な話題を選択した。選択してしまった。
皐は微笑んでいるのだろうか。わからない。笑っているような声を出してはいたものの、暗いだけの世界では彼女の表情を読み取ることができなかったから。
ゆったり、急ぐこともなく歩いていく帰路の道中。だんだんとぼんやりと自宅が視界に入ってくる。遠くから見えた家の玄関には、うっすらと光がともっている。もう二度目だというのに釈然としないような戸惑いが心の中に広がったけれど、そうなっているのは当然のことでしかない。今は家に愛莉がいるのだから。
忘れていたわけではない。だが、いつも通りと異なる光景を見てしまえば、相応の戸惑いが広がるのは仕方のないことだと思う。
「愛莉、家にいるんだよな」
確認のように言葉を出す。確認しなくとも、そこに見える光が彼女の存在を証明している。だから、聞くまでもないはずのこと。でも、皐の言葉が俺は欲しかった。
「そうだね」と彼女は返した。特に何か感情を抱くようなことはなく、当たり前のことであるかのように。
そうだ、当たり前なのだ。皐がそれを肯定した、受容した。俺も今では受容できている。できていると思いたい。昨日の夜の思索を、心に感じた皐のぬくもりを、偽物だとは思いたくなかった。
◇
玄関に入れば、おかえりー、という愛莉の声とともにあたたかい匂いがした。
あたたかい匂いという表現が正しいのかはわからない。あまりにも抽象的すぎるような気もする。でも、そういった表現を選びたくなったのは、昔を思わせる夕ご飯の香りがそこには広がっていたからだった。
「……作ったの?」
皐は愛莉にそう聞くと、彼女は元気よく「うん!」と笑顔で返す。その笑顔の勢いだけで、俺たちがコンビニで食事を済ませようとしていたことは口に出せそうもない。
「ほら、わたしって居候じゃん? だから何かしら貢献したいなぁ、頑張りたいなぁ、と思ってね。だから勝手に冷蔵庫の中身を穿り出して、あるだけの材料で肉じゃがとか作ってみました」
愛莉は台所にある大きな鍋を指す。独り暮らしで何となく買っては見たものの、買って以来使ってはいなかった鍋。皐と一緒に暮らし始めても、手直にある雪平鍋くらいしか使っていなかったので、どこか新鮮だ。
つまりは、あたたかい匂いの正体は肉じゃがだったらしい。どうりで懐かしいという雰囲気を感じたわけだと思う。
──途端に、嫌な記憶がよみがえる。
小学生の頃、母が月に二回ほどは肉じゃがを作ってくれていたこと。だいたい週末前の金曜日、翌日の朝にも食べられるように大量の肉じゃがを作っていた記憶。
それをあたたかいと思っていたこと。それを懐かしいと思ってしまったこと。
だからこそ、嫌な記憶がよみがえってしまう。
「……嫌、だった?」
愛莉は俺の顔を覗きながら、しょんぼりとした表情を浮かべて聞いてくる。俺はそれに取り繕って、なんとか言葉を返すことを意識する。
「ええと、あれだ。……さっき、コンビニでパン買ってきたから、なんか作ってもらって悪いなって」
無難な言い訳をした後、愛莉は明るい表情に切り替わり「なーんだ、それならパンは明日の朝とか昼とかにすればいいだけじゃんね」といたずらっぽい笑みで言葉を返す。
そうだな、と適当な相槌を打った後、皐の表情を覗いてみる。
俺と同じように、昔を懐かしむような、神妙な顔。もしくは違うことを思い浮かべているのかもしれないけれど、そのときの感情は同一であってほしいと、俺は願ってしまった。
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