81 / 88
陸/傾き始める過程の線上
6-11
しおりを挟む
◇
暗がりの道を歩いていく。街灯の明かりは乏しい存在でしかなく、足元をちらつく程度にしか照らさない光だけを俺たちに浴びせ続ける。それを、俺は不思議と鬱陶しく思った。
風が頬を撫でる。五月寸前の風は温さを孕んでいるように見えて、どこか冷たい。太陽という存在を失った夜の世界の風は、どこまでも孤独に風を吹かせている。その心地に身震いしながら、俺は皐と一緒に歩いていた。
コンビニから出た後、二人っきりになった皐と会話をした。久しぶりの二人で過ごす時間、いや、それだけ目まぐるしいだけの出来事があっただけで、それは二日とないだけなのだけれど、それでもこの時間を心地いいと思う自分がいる。
だが、そこでの会話は特に広がりを見せることはなく、無難な話題だけを繰り広げることしかできない。彼女には日中、午後にあったことを話すべきなのだろうけれど、俺はそこから視線をそらして、適当な話題を選択した。選択してしまった。
皐は微笑んでいるのだろうか。わからない。笑っているような声を出してはいたものの、暗いだけの世界では彼女の表情を読み取ることができなかったから。
ゆったり、急ぐこともなく歩いていく帰路の道中。だんだんとぼんやりと自宅が視界に入ってくる。遠くから見えた家の玄関には、うっすらと光がともっている。もう二度目だというのに釈然としないような戸惑いが心の中に広がったけれど、そうなっているのは当然のことでしかない。今は家に愛莉がいるのだから。
忘れていたわけではない。だが、いつも通りと異なる光景を見てしまえば、相応の戸惑いが広がるのは仕方のないことだと思う。
「愛莉、家にいるんだよな」
確認のように言葉を出す。確認しなくとも、そこに見える光が彼女の存在を証明している。だから、聞くまでもないはずのこと。でも、皐の言葉が俺は欲しかった。
「そうだね」と彼女は返した。特に何か感情を抱くようなことはなく、当たり前のことであるかのように。
そうだ、当たり前なのだ。皐がそれを肯定した、受容した。俺も今では受容できている。できていると思いたい。昨日の夜の思索を、心に感じた皐のぬくもりを、偽物だとは思いたくなかった。
◇
玄関に入れば、おかえりー、という愛莉の声とともにあたたかい匂いがした。
あたたかい匂いという表現が正しいのかはわからない。あまりにも抽象的すぎるような気もする。でも、そういった表現を選びたくなったのは、昔を思わせる夕ご飯の香りがそこには広がっていたからだった。
「……作ったの?」
皐は愛莉にそう聞くと、彼女は元気よく「うん!」と笑顔で返す。その笑顔の勢いだけで、俺たちがコンビニで食事を済ませようとしていたことは口に出せそうもない。
「ほら、わたしって居候じゃん? だから何かしら貢献したいなぁ、頑張りたいなぁ、と思ってね。だから勝手に冷蔵庫の中身を穿り出して、あるだけの材料で肉じゃがとか作ってみました」
愛莉は台所にある大きな鍋を指す。独り暮らしで何となく買っては見たものの、買って以来使ってはいなかった鍋。皐と一緒に暮らし始めても、手直にある雪平鍋くらいしか使っていなかったので、どこか新鮮だ。
つまりは、あたたかい匂いの正体は肉じゃがだったらしい。どうりで懐かしいという雰囲気を感じたわけだと思う。
──途端に、嫌な記憶がよみがえる。
小学生の頃、母が月に二回ほどは肉じゃがを作ってくれていたこと。だいたい週末前の金曜日、翌日の朝にも食べられるように大量の肉じゃがを作っていた記憶。
それをあたたかいと思っていたこと。それを懐かしいと思ってしまったこと。
だからこそ、嫌な記憶がよみがえってしまう。
「……嫌、だった?」
愛莉は俺の顔を覗きながら、しょんぼりとした表情を浮かべて聞いてくる。俺はそれに取り繕って、なんとか言葉を返すことを意識する。
「ええと、あれだ。……さっき、コンビニでパン買ってきたから、なんか作ってもらって悪いなって」
無難な言い訳をした後、愛莉は明るい表情に切り替わり「なーんだ、それならパンは明日の朝とか昼とかにすればいいだけじゃんね」といたずらっぽい笑みで言葉を返す。
そうだな、と適当な相槌を打った後、皐の表情を覗いてみる。
俺と同じように、昔を懐かしむような、神妙な顔。もしくは違うことを思い浮かべているのかもしれないけれど、そのときの感情は同一であってほしいと、俺は願ってしまった。
暗がりの道を歩いていく。街灯の明かりは乏しい存在でしかなく、足元をちらつく程度にしか照らさない光だけを俺たちに浴びせ続ける。それを、俺は不思議と鬱陶しく思った。
風が頬を撫でる。五月寸前の風は温さを孕んでいるように見えて、どこか冷たい。太陽という存在を失った夜の世界の風は、どこまでも孤独に風を吹かせている。その心地に身震いしながら、俺は皐と一緒に歩いていた。
コンビニから出た後、二人っきりになった皐と会話をした。久しぶりの二人で過ごす時間、いや、それだけ目まぐるしいだけの出来事があっただけで、それは二日とないだけなのだけれど、それでもこの時間を心地いいと思う自分がいる。
だが、そこでの会話は特に広がりを見せることはなく、無難な話題だけを繰り広げることしかできない。彼女には日中、午後にあったことを話すべきなのだろうけれど、俺はそこから視線をそらして、適当な話題を選択した。選択してしまった。
皐は微笑んでいるのだろうか。わからない。笑っているような声を出してはいたものの、暗いだけの世界では彼女の表情を読み取ることができなかったから。
ゆったり、急ぐこともなく歩いていく帰路の道中。だんだんとぼんやりと自宅が視界に入ってくる。遠くから見えた家の玄関には、うっすらと光がともっている。もう二度目だというのに釈然としないような戸惑いが心の中に広がったけれど、そうなっているのは当然のことでしかない。今は家に愛莉がいるのだから。
忘れていたわけではない。だが、いつも通りと異なる光景を見てしまえば、相応の戸惑いが広がるのは仕方のないことだと思う。
「愛莉、家にいるんだよな」
確認のように言葉を出す。確認しなくとも、そこに見える光が彼女の存在を証明している。だから、聞くまでもないはずのこと。でも、皐の言葉が俺は欲しかった。
「そうだね」と彼女は返した。特に何か感情を抱くようなことはなく、当たり前のことであるかのように。
そうだ、当たり前なのだ。皐がそれを肯定した、受容した。俺も今では受容できている。できていると思いたい。昨日の夜の思索を、心に感じた皐のぬくもりを、偽物だとは思いたくなかった。
◇
玄関に入れば、おかえりー、という愛莉の声とともにあたたかい匂いがした。
あたたかい匂いという表現が正しいのかはわからない。あまりにも抽象的すぎるような気もする。でも、そういった表現を選びたくなったのは、昔を思わせる夕ご飯の香りがそこには広がっていたからだった。
「……作ったの?」
皐は愛莉にそう聞くと、彼女は元気よく「うん!」と笑顔で返す。その笑顔の勢いだけで、俺たちがコンビニで食事を済ませようとしていたことは口に出せそうもない。
「ほら、わたしって居候じゃん? だから何かしら貢献したいなぁ、頑張りたいなぁ、と思ってね。だから勝手に冷蔵庫の中身を穿り出して、あるだけの材料で肉じゃがとか作ってみました」
愛莉は台所にある大きな鍋を指す。独り暮らしで何となく買っては見たものの、買って以来使ってはいなかった鍋。皐と一緒に暮らし始めても、手直にある雪平鍋くらいしか使っていなかったので、どこか新鮮だ。
つまりは、あたたかい匂いの正体は肉じゃがだったらしい。どうりで懐かしいという雰囲気を感じたわけだと思う。
──途端に、嫌な記憶がよみがえる。
小学生の頃、母が月に二回ほどは肉じゃがを作ってくれていたこと。だいたい週末前の金曜日、翌日の朝にも食べられるように大量の肉じゃがを作っていた記憶。
それをあたたかいと思っていたこと。それを懐かしいと思ってしまったこと。
だからこそ、嫌な記憶がよみがえってしまう。
「……嫌、だった?」
愛莉は俺の顔を覗きながら、しょんぼりとした表情を浮かべて聞いてくる。俺はそれに取り繕って、なんとか言葉を返すことを意識する。
「ええと、あれだ。……さっき、コンビニでパン買ってきたから、なんか作ってもらって悪いなって」
無難な言い訳をした後、愛莉は明るい表情に切り替わり「なーんだ、それならパンは明日の朝とか昼とかにすればいいだけじゃんね」といたずらっぽい笑みで言葉を返す。
そうだな、と適当な相槌を打った後、皐の表情を覗いてみる。
俺と同じように、昔を懐かしむような、神妙な顔。もしくは違うことを思い浮かべているのかもしれないけれど、そのときの感情は同一であってほしいと、俺は願ってしまった。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説

ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち
ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。
クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。
それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。
そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決!
その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。
涙が幸せの泉にかわるまで
寿佳穏 kotobuki kanon
現代文学
この世に鏤められた愛と生命の尊さ。不思議な「えにし」で再び出会えた二人はたどり着けなかった幸せを追い続けていた。切なく険しい道のりの果てたどり着いたその場所は。出会いは必然でそのひとつひとつに意味があった。多種多様の人生・愛だからこそそれは何にも代えがたい宝。悲しみと切なさに暮れた涙はいつしか大きな幸せの泉に変わる。さかのぼる時代を生きた人たちを回顧し思いをはせつつ真剣にいまを生きる人たちに齎された奇跡とも言える出会いと愛の人間模様。
【完結】大量焼死体遺棄事件まとめサイト/裏サイド
まみ夜
ホラー
ここは、2008年2月09日朝に報道された、全国十ケ所総数六十体以上の「大量焼死体遺棄事件」のまとめサイトです。
事件の上澄みでしかない、ニュース報道とネット情報が序章であり終章。
一年以上も前に、偶然「写本」のネット検索から、オカルトな事件に巻き込まれた女性のブログ。
その家族が、彼女を探すことで、日常を踏み越える恐怖を、誰かに相談したかったブログまでが第一章。
そして、事件の、悪意の裏側が第二章です。
ホラーもミステリーと同じで、ラストがないと評価しづらいため、短編集でない長編はweb掲載には向かないジャンルです。
そのため、第一章にて、表向きのラストを用意しました。
第二章では、その裏側が明らかになり、予想を裏切れれば、とも思いますので、お付き合いください。
表紙イラストは、lllust ACより、乾大和様の「お嬢さん」を使用させていただいております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる