妹とゆるゆる二人で同棲生活しています 〜解け落ちた氷のその行方〜

若椿 柳阿(わかつばき りゅうあ)

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陸/傾き始める過程の線上

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 喫茶店での会話は終わりを告げた。伊万里の言葉の後に、特に会話は続かなかった。その場における言葉は、慎重さを計られているような気がした。状況を支配していたはずの紗良でさえも安易に言葉を吐くような真似はしなかった。

 伊万里も言葉を吐くことはしなかった。そのあとの俺たちの沈黙を理解して、ただ三人で静かな空気を過ごすしかなかった。その間に震えた携帯を覗いて、時間を確かめることが大半だった。

 沈黙のまま数分が過ぎ、俺がそろそろ解散するように促す言葉を吐いた。互いに時間がもったいないこと、俺と伊万里は学校に行かなければいけないことを強調して言葉を吐いた。紗良はそれに頷いたので、ようやくと言っていいのか、それで解散の運びにこぎつけることができた。

 喫茶店の会計は俺が持った。割り勘という流れになりそうだったが、そこは社会人の側面を持つ俺が払わせてくれ、という懇願に似た台詞を吐いて、俺の矜持を保つことができた。

 ……矜持? 俺は何を保とうとしていたのだろう。そんなことが頭に過る。

 伊万里の言葉を聞いてから、心の調子がおかしいような気がする。どこかうぬぼれていた自分がいることを自覚させられたからかもしれない。

 俺は彼女の言葉を呆然と聞いていた、聞くことしかできなかった。あの場では正解であり、そしてあの場ではそれが彼女の成長につながったことなのかもしれない。

 淡々と、饒舌に、冷静に。そうして吐かれる言葉には芯があった。伊万里が吃る以外に伊万里という人格が含まれているような気がした。

 あの場面の前、俺はどうするべきだったのだろう。あの結末が正解だという理解をしていても、振り返ることをやめることができない。

 俺は、伊万里をどうしたいのだろう。

 支えてあげたい、学友として、部活仲間として、友人として。それ以外に気持ちはない。

 それならば、どうして釈然としない気持ちが心にわだかまるのだろう。焦りに似たような気持があるのだ。どこか、落ち着かない。悪い意味でのそわそわとした気持ちがあるのだ。

 俺は、素直に彼女の成長を喜べていないのだろうか。

 彼女が吐き出した言葉には、きっと本当がある。その本当の言葉に、俺は頷くことができないのだろうか。焦りを感じているのだろうか。

 どうして俺は焦りを感じているのだろう。置いていかれているとでも感じているのだろうか。……いや、そういうわけではない。正体がわからない焦燥感を覚えてたじろいでしまう。

 会計が終わった後、解散する直前に俺たちは連絡先を交換した。そして、俺と皐、伊万里が入っている自然科学部のグループに彼女を招待した。紗良のアイコンは小さい犬の笑顔で、なんとなく彼女らしさを感じた。数時間も会話していないのに、彼女らしさを感じるというのも変な話だと思ってしまう。

「また今度、集まろうね」と紗良は言った。俺と伊万里もその言葉にうなずいた。うなずくしかできなかった。

 時間帯は七時を回ろうとしていた。高校と距離の離れている喫茶店からでは、おそらく行っても最後の授業に間に合うかわからないほどだ。俺なら行くことをためらってしまうが、それでも伊万里は行くことを覚悟したようで、俺の目を見て「い、行きましょう」と声を震わせた。先ほどの彼女の本質のような影はそこにはなく、いつも通りと感じる彼女がそこにいる。

 いや、そうではない。きっと、目の前にいる彼女は、いつも通りではない。普段ではない。素のものではない。

 素の彼女というのは、おそらく先ほど紗良の前に現れた彼女こそが、本当の伊万里なのだろう。

 人と会話をすることに、衒うことなく、彼女の本質で、彼女の本当の言葉を紡げる姿こそが、彼女でしかないのだ。

 今の彼女は、解け落ちた氷だ。その氷のもとの部分、氷塊だった時の彼女。本質ともいえる姿。俺はそれに戸惑いを、焦燥感を覚えているのだろう。

 それだけだろうか。いいや、そうではない。

 夜の歩き道、にぎやかになっている街を抜けて、二人でアスファルトに靴音を鳴らす。会話は特に生まれることはなく、少し急ぎ目になったリズムだけが空間に響くだけ。街灯の淡い光を頼りに、静かに、静かに道を進んでいくだけ。

 そんな道の中で、思考が働く。働いてしまう。

 俺が彼女に対して覚えている焦燥感、それを整理せずにはいられない。

 感じてはいけない気持ち、素直に喜べばいいこと、彼女の本来の姿を、成長とも言える振る舞いを、俺は喜ぶべきなのだ。

 初対面の紗良にはわからなかったであろう、俺にしかわからない伊万里の姿。俺だからこそわかってしまうこと。皐がいれば、きっと似たような感情を理解してくれるだろう。

 それを、俺は素直に喜べずにいる。戸惑うことを続けている。

「──ああ」

 ──俺は、伊万里をもう助けることはできないということに、焦燥感を覚えているのだ。

 まだ早いかもしれない、それはわかっていても、もう彼女には自立の兆しが見え始めている。そんな人間に支援も、介助も必要はないこと、それに焦燥感を覚えてしまっているのだ。

 俺は、納得がいったように言葉を吐いた。

 その声は静かな世界に大きく響いたはずだったが、伊万里はこちらを一瞥した後、気にしないように前に進む。

 ほら、やっぱり、もう大丈夫じゃないか。

 そんなことが、頭に過って仕方がなかった。
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