妹とゆるゆる二人で同棲生活しています 〜解け落ちた氷のその行方〜

若椿 柳阿(わかつばき りゅうあ)

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伍/見えない道先の概算

5-8

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「いつから吸ってるの?」

 ひょこひょこといった様子で玄関から出てくる愛莉は、俺の手元にあるそれを見て聞いてくる。俺はそれに対してどう返すべきかを考えて、去年の五月くらい、と応える。確か、そんな時期だったはずだ。

 型枠に対して打設されたばかりのコンクリートの熱の中、五月というのに気候は狂い、太陽は人を殺すように生きていた。その熱の中、俺は労働に従って、そうして世界を憎んだ。

 自分で選択した故の現在、自業自得かもしれないのに、どうして俺がこんなことをしなければいけないのか。違う道もあったのではないか。母親さえいなければ、そんなことが頭に過っていた。

 そんな憎悪が表情に出ていたのかもしれない。息をつくのに必死であった休憩時間の時、初めて俺は恭平に話しかけられた。話しかけられたといっても、事務的な連絡をするくらいで、大した親交はなかった。誰かがかかわろうとしても、すべてを遠ざけるようにしていたから、本当にその時、まともに人と会話をしたと思う。

 そんな俺に対して、恭平はおもむろに煙草を差し出してきた。

『おら、吸えよ。大人になれねえぞ』

 その発言はいまだに覚えている。ぶっきらぼうに、視線を少しだけかすめて、煙草の一本とライターを俺に渡した、渡そうとした。

『……俺、未成年なんですけど』

『知ってるよ。でも、ここでは吸うんだ。それがここのルールだからな』

 恭平は確かにそういった。そう言ってから、周囲を見渡してみろ、という示唆を含んだように、周りを一瞥する。その視線を追いかけるように見てみれば、明らかに同い年の人間でさえも煙草を吸っている。喫煙所というわけでもないのに、彼らは当たり前のように吸っている。

 きっと、気が動転していたんだと思う。気が動転していた、というか意識が混濁していたのかもしれない。熱にほだされていたせいだ。そのせいで、俺はひとつの罪を犯すことになった。喫煙、っていう自分に対する罪を抱えることになった。

 初めて吸ったとき、むせてしょうがなかった。それを恭平は笑って『そうじゃねえよ』と話す。俺は恭平に従うようにして、熱い煙を口にとどめてから、それを肺に取り込んだ。

 そんな、記憶。どうでもいい、とりとめのない記憶。

「わたしも吸ってみたい」

 愛莉は俺が思索にふけっていると、そう言ってくる。

 ここで俺は断るべきなんだろう。

 煙草は悪いことだ、悪影響しかない、吸うことに得はない。それでも、彼女の願い通りに行動してやりたくなった。

 どうしてか、そういう気分だった。いつもの通りならば、と考えるけれど、毎日、毎分、毎時更新される現在に、いつも通りなんて意味はない。

 彼女に、本当にいいのか、と聞くと、うん、と返ってくる。俺は諦めた笑いを浮かべながら、彼女に煙草を一つ分け与えた。





 夏の頃を思い出す。皐がこの家に逃げてきたときのことを、頭の中に思い浮かべてしまう。

 彼女は事情を話すことはなく、そうして家で過ごすことになった。その時には習慣となっていた喫煙という悪癖は、彼女にはバレたくなかった。身内の悪ばかりを見ている彼女に対して、その悪を見せつけることには抵抗があった。

 だから、今日みたいな夜中に、玄関から抜け出して、煙草を吸っていた。毎回、皐が寝息を立てたころを見計らって、煙を求めて外に出た。

 それがしばらくの繰り返しだったけれど、数日もしないうちに、彼女に喫煙は見つかってしまった。

 そんな時、彼女はなんて言ったんだっけ。

 ……ああ、そうだった。こう言ったんだ。

「私も吸ってあげる」

 皐は俺の罪を共有するように、そう言葉を紡いだんだった。





「……おえー」

 彼女は煙草に火をつけることに難儀しながらも、吸いながら着火することを伝えると、なんとか煙をあげることができた。そのうえでの感想は不味いことを伝える言葉だった。

「まあ、わかるよ」

 煙草なんて美味しくない。最初から美味しいと思えるような人間は少ない。コーヒーと同じようなものだと思う。慣れ親しんでいくうちに、次第に舌は肥えていく。そうやって、ようやく味というものを楽しめるようになるのだ。

「無理すんなよ、最初は絶対に不味い」

「……翔也も不味く感じたの? 今は?」

「俺も最初は、こんなもんを吸うやつはおかしいって思ってたよ。今は微妙に美味いと感じるくらい」

 俺の言葉に愛莉は、大人だー、と返す。俺はそれに苦笑した。



 ──それはそれとして、頭に過ることがある。



「なあ」と俺は言葉を吐いた。

 玄関の先。まだ闇に閉ざされている空の下、俺は彼女が煙をぷかぷかと浮かべている様子を視界に入れながら、言葉を吐く。

 俺の言葉に、彼女は、ん? と首をかしげながら視線を返す。

「──なんで、あの時に噓をついたんだ?」

 ──幼馴染だからこそ、わかってしまう嘘。

 彼女と長年かかわっていたからこそ、理解してしまった嘘。

 その仕草、目線、きっと他の人にはわからないようなもの。俺にしか理解できないような、そんな振る舞い。

 どんな言葉に嘘が含まれているのかはわからない。勘としか言いようがないもの。

 それでも、彼女はひとつの嘘をついたはずだ。

 俺は、それを知らなければいけないと思った。

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