妹とゆるゆる二人で同棲生活しています 〜解け落ちた氷のその行方〜

若椿 柳阿(わかつばき りゅうあ)

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肆/戸惑う視線と歪な構成

4-12

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 本当にありがとう、と愛莉は俺たちに声をかけた。その言葉に俺はどう反応すればいいのかわからなくなった。

 皐は愛莉の言葉に、ぜんぜん、と微笑みながら言った。愛莉を肯定する彼女の姿を、俺は信じることができなかった。

 愛莉のお願いについて、俺は否定するつもりだった。拒否を選択するつもりだった。そうする理由は心の中にたくさんあった。愛莉に対してその言葉を吐くことは難しいかもしれない。だが、取り繕った理由なら並べることはできたはずだ。そして、心の中に置き去りにされた理由は皐と共有できると思っていた。それが俺の中にある倫理の上で信条でしかなかった。

 言い訳ならたくさん思いつくことができる。俺はそれを選択したかった。だが、よりにもよって皐によって、それはふさがれてしまった。だから、どうすればいいのかわからなかった。

 愛莉が繰り返しかけてくる、ありがとう、という言葉に見送られながら、俺と皐は玄関から出る。愛莉の言葉に何か声を返すべきだと思った。大人しくしておけよ、気にすんなよ、大丈夫だから、ありきたりな言葉を返すべきだと思った。だが、そうすることはできなかった。思ってもいない言葉を吐くことに対する抵抗が、いまさらになって強く出てしまったから。

 意識は働いている。混濁はしていない。困惑はあるかもしれない、だが、混乱はしていない。すべてが景色の中にある。俯瞰ですべてを見つめることができる。だから、正常に意識は働いているはずだ。いや、そうではない。正常に意識を働かせなければ、愛莉とはかかわることができないのだ。

 禁忌は今も犯し続けている。そんな気が狂ったことを繰り返している。それを正当と思えない自分がいる。そんな気が狂った意識のままでは愛莉に向き合えない。だから、健常なふりをして、正常なふりをして、さも真人間であるかのようにふるまわなければいけない。

 だが、正しい振る舞いとはなんだ。何かを行うべきなのだろうか。行うべきだとして、どれを行動すればいいのだろうか。俺は何を選択するべきなのだろうか。健常な意識で何を選択することを選べるというのだろうか。

 

 俺は、すれ違っているのだろうか。



 ああ、すれ違っているんだろうな。そうとしか思えないな。

 皐なら、俺の気持ちを理解してくれると思っていた。そう期待していた。

 家族だから。

 兄妹だから。

 恋人だから。

 皐なら、と心の中で期待を繰り返していた。皐ならば俺の気持ちを、意思を、肯定してくれると思った。もしくは同一なものを抱いてくれるのではないかと、愛莉に対しての印象を合同にすることができるのだろう、と。

 だが、わかっていたことだ。わかっていたことでしかない。わかっていたんだ。

 愛に形はないのだ。愛情に形はないのだ。愛着に形はなく、恋愛に形は存在しないのだ。だから、愛に形を見出そうと、体を重ねるという最たる禁忌で肯定しようとした。

 だが、それは一方的なものだったのかもしれない。わからない。どちらから始めたことだっただろうか。それを思い出すことは億劫になる。

 どこまでも本当はわからない。本物はなく、偽物もない。

 代償的な行為で埋めたとして、結局それはがらんどうなのだ。

 小劇場の人形が、夢の中で俺に語りかけていたじゃないか。俺はそれをずっと考えていたじゃないか。俺の中にある根底は、本質はずっとそのままじゃないか。

 彼女と本物を探したかった。この世界で見つからないものを、彼女となら探せると思っていた。だが、こうしたすれ違いでどこまでも気持ちは薄れていく。彼女とは近くにいるようで、どこか遠くにいるようでしかない。

 本物なんて存在しないのだ。それはずっと前から分かっていたはずなのだ。俺は身近で何を見てきたというのだろう。たくさんに知っているはずだろうに。共有すればするほどにすれ違う愛があることを。両親がそうであったことを。解釈は人によって異なってしまうこと。どれだけ同じ気持ちを共有したところで、その同一は誰かの中には存在しないこと。同じことを考えているようで、それは相似でもなく、合同でもなく、ただ似た属性の、あやふやとしたものが浮ついているだけということ。

 どこまでも世界は孤独を演出するのだ。演出ではないのかもしれない。人はどうしたって孤独なのだから、それ以上に絶対の事実は存在しないのかもしれない。

 他人はどこまでいっても他人だ。同一性を探すのならば、自分自身にしか存在しない。本物といえるものは自分自身にしかない。

 皐だって、極端なことを言ってしまえば他人だ。血を分けた兄妹というだけだ。あの母親だって、父親だってそうだ。どこまでも血をつなげただけの他人でしかない。

 俺は、最初から独りでしか生きていないのだ。

 だから、それを隠すために人間関係を紡いだ。それが社会だ。社会からはぐれているからこそ、解け落ちた氷だからこそ、落ちた先で人間関係を演出した。だが、それらは結局演出でしかない。本物じゃない。人間関係はそれを隠すための暗幕でしかないのだ。わかっていた。わかっていたのだ。

 世の中の人間は、世のすべての人間は、自分という存在のためにしか生きていないこと。

 それを批判することはできない。批判をすることはない。つもりもない。俺自身がその証明だ。愛莉に対して振舞おうとした言動が、そのすべてだ。

 結局、すべてが解け落ちた氷なのだ。

 その類に漏れることはなく、俺はこうして自己中心的な考えを広げることしかできないのだから。





「怒ってる?」

 完全な黒色に染まった世界、ところどころ継ぎはぎのように存在する月を隠す灰色の雲、そんな景色の下で、皐はそうつぶやいた。

「なにが」

「あいちゃんのこと」

「なんで?」

 怒っているわけではない。何も抱いていない。虚無感に近い。だから、何も思っていない。

「勝手に決めちゃったから」

「別に、いいんじゃないか」

 どうでも、いい。どうでもいいから、別にいい。

 どうせ、しばらく辛抱すればいいだけだ。それだけの話だ。切り替えればいい。それだけの話なんだ。わかっていることだ。

「ごめんね」と皐は空を見上げながらつぶやいた。その視線が俺をとらえていないことはわかっていた。でも、彼女は確かに俺に対して言葉を吐いていた。



「私は、この道の先にあるものを知りたいから」



 俺は、彼女が何を言っているのか、わからなかった。

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