58 / 88
肆/戸惑う視線と歪な構成
4-11
しおりを挟む
◇
は? と柄にもなく戸惑う声が口から出てしまう。人に対してはなるべく失礼な態度をとらないように気を付けているつもりだけれど、この瞬間だけはそれを忘れて素っ頓狂な声をあげてしまった。
隣にいる皐に関しても同じようなもので、戸惑いの目で愛莉を見つめている。目を大きく見開いて、ぱちくりと開閉を繰り返している。そんな様子から相応の動揺を感じていることが理解できる。
そんな俺たちをよそに、愛莉は言葉を続ける。その言葉を一つ一つ要約すると、こういうことだ。
愛莉は父親と喧嘩になってしまったらしい。喧嘩、と言っても一方的な怒りをぶつけられた、と。その喧嘩の勢いのままに外に飛び出したはいいものの、そのせいで携帯を持つことを忘れてしまったこと。ほかの友人に頼ることも考えたが、携帯がなければ連絡はとれないし、それ以上に深刻な悩みを頼れる間柄が彼女には存在しないこと。それならば家出をすることを諦めようとも思ったが、それでも出てしまった以上、戻ることが悔しくて、道を右往左往としていたこと。呆然と歩くことを繰り返した時に、一つ思い出したことがあったとのこと。
それが、俺と皐が二人で一緒に暮らしている、という事実だった。
だが、やはり連絡するための携帯は持ち合わせていない。俺たちの住んでいる家に行こうにも場所についてはわからない。だが、以前の会話で通っている高校については把握していたからがんばって隣町から歩いてきた、とのこと。だが、校門の前で待ち伏せをすると周囲の目が気まずかったらしく、逃げるように住宅街に行ったこと。その中で会えることに期待して待っていたら俺たちがようやく現れた、ということらしかった。
彼女はそれをあくまで軽い口調で語る。表情には相応の疲れがにじんでいるような気がするけれど、事態の深刻さを悟られないようにするために、あえて軽い雰囲気で話しているようにも感じた。
「……ちなみに喧嘩の原因は?」
「……聞いちゃいます?」
彼女は少し気まずそうなふるまいをした。俺は一応聞いておかなければならない、と思って、首を縦に振った。それを見て愛莉は諦めた様子で言葉を吐き出す。
「……実は、というほどでもないんだけどさ。最近、不登校気味なんだよね。母さんも父さんもそれを知らなくてさ、ほら、うちの両親共働きじゃない? だから、バレずに不登校を謳歌していたというか、なんというか……」
「……もしかして、タイミング悪くバッタリ会っちゃった、とか?」
皐が愛莉の言葉を予測して言葉を吐く、愛莉はそれに対してうなずいた。
「私が悪いことはわかってるんだけどさ、なんか、どうしようもなくなっちゃってさ。意固地なのはわかってるけど、しばらくは距離を置きたいっていうか、せめて一日だけでも……」
愛莉は先ほどの軽口から深刻な口調で言葉を紡ぐ。その表情の一部は、なんとなく本物だと思った。……でも、俺にしかわからない嘘が含まれていることに俺は気づく。
だが、それを口に出すのは野暮だ。だから、言葉に吐き出すことはなく、彼女のお願いについてを考える。
彼女がしてほしいこと。それは家出の協力をしてほしいということ。家族との距離を少しだけ空けるために、一旦家出をしたいということ。
言いたいことはわかる。言いたいことはわかるのだが、彼女のお願いに対して拒否を示したくなる自分がいる。
俺は家族の関係が不和だったからこそ、愛莉の言葉や家庭を見て思うのは、まだ立て直せるということ。不登校だどうだ、ということは別に些細な問題でしかない。根が深い問題ではなく、きっと時間がたてばふさがるような穴でしかない。人の問題ごとに対して大きさを比べるのはどうかと思うけれど、それでも彼女の問題は小さな問題だと思う。
それが、家出をしたことをきっかけに大きな穴になったらどうするのだろう。俺はそれに対して責任を取ることができるのだろうか。
俺は、人の幸せを願っていたいからこそ、そう考える。ここでの選択が誰かの影響につながるというのならば、慎重にすべてを選ばなければいけない。これは小さいからこそ緻密な問題でもある。
──本当に、それだけか?
裏の意識の声がする。振り払いたい感情はあるけれど、それは静かな空間だからこそ、妙に頭に響いて仕方がなくなる。
◆
別に、他人の家庭の問題とかどうでもいいだろう。いや、お前はどうでもいいとは考えていないかもしれない。だが、彼女と一緒に過ごすことになる未来を歩みたくないのだ。
俺は、俺たちは解け落ちた氷だ。解け落ちた氷だからこそ、その氷塊たる部分に位置する愛莉との温度差が怖くて仕方がない。解け落ちた氷の行く先として形成した水溜まりの中を、その安寧を破壊されることが怖くて仕方がない。愛莉にとがめられるかもしれないことが怖くて仕方がない。
どこまでも自分勝手だ、自分勝手でしょうがない。お前は人のことなんてこれっぽっちも考えることはできていない。自分の保身ばかりだ、それでしか動いていない。あの時の母親のふるまいのようだ。自分の行動をすべて忘れるように、憤りだけで誤魔化したあの女のようだ。
お前は、あの女と同じ行動を繰り返している。振る舞いに差異があったとしても、その本質は変わらない。
どこまでも、どこまでも醜く変わらない。
結局、お前は解け落ちた氷でしかないのだ。
◇
後ろめたさが反芻する。心の声が反復する。頭から消えない雑音のようなもの、嫌悪感を抱いて仕方がない。振り払うこともできずに、自己否定する感情だけが重なって気持ちが悪くなる。
「頼れるのはもう翔也とさっちゃんしかいないの」
愛莉はこちらを、俺と皐の目を交互に見た。その瞳は完全にこちらを射貫いていた。俺はそれに対して申し訳なさを抱えてしまう。
俺は彼女の言葉に応えることはできない。
裏の意識でなぞりつづける言葉はどうしようもなく正しいものだ。
俺は嫌いな母親の振る舞いを真似しようとしている。
その嫌悪感はあるものの、愛莉をここに留める選択肢は俺の中にはない。
悪いけど、と言葉をつぶやこうとした。つぶやいて、丁重に断ろうとした。
だが、俺の言葉よりも先に、皐が口を開いた。開いてしまった。
「──いいよ」
皐は言葉を吐く。
「だって私たち、親友だもんね」
彼女はそう言葉を吐いた。
は? と柄にもなく戸惑う声が口から出てしまう。人に対してはなるべく失礼な態度をとらないように気を付けているつもりだけれど、この瞬間だけはそれを忘れて素っ頓狂な声をあげてしまった。
隣にいる皐に関しても同じようなもので、戸惑いの目で愛莉を見つめている。目を大きく見開いて、ぱちくりと開閉を繰り返している。そんな様子から相応の動揺を感じていることが理解できる。
そんな俺たちをよそに、愛莉は言葉を続ける。その言葉を一つ一つ要約すると、こういうことだ。
愛莉は父親と喧嘩になってしまったらしい。喧嘩、と言っても一方的な怒りをぶつけられた、と。その喧嘩の勢いのままに外に飛び出したはいいものの、そのせいで携帯を持つことを忘れてしまったこと。ほかの友人に頼ることも考えたが、携帯がなければ連絡はとれないし、それ以上に深刻な悩みを頼れる間柄が彼女には存在しないこと。それならば家出をすることを諦めようとも思ったが、それでも出てしまった以上、戻ることが悔しくて、道を右往左往としていたこと。呆然と歩くことを繰り返した時に、一つ思い出したことがあったとのこと。
それが、俺と皐が二人で一緒に暮らしている、という事実だった。
だが、やはり連絡するための携帯は持ち合わせていない。俺たちの住んでいる家に行こうにも場所についてはわからない。だが、以前の会話で通っている高校については把握していたからがんばって隣町から歩いてきた、とのこと。だが、校門の前で待ち伏せをすると周囲の目が気まずかったらしく、逃げるように住宅街に行ったこと。その中で会えることに期待して待っていたら俺たちがようやく現れた、ということらしかった。
彼女はそれをあくまで軽い口調で語る。表情には相応の疲れがにじんでいるような気がするけれど、事態の深刻さを悟られないようにするために、あえて軽い雰囲気で話しているようにも感じた。
「……ちなみに喧嘩の原因は?」
「……聞いちゃいます?」
彼女は少し気まずそうなふるまいをした。俺は一応聞いておかなければならない、と思って、首を縦に振った。それを見て愛莉は諦めた様子で言葉を吐き出す。
「……実は、というほどでもないんだけどさ。最近、不登校気味なんだよね。母さんも父さんもそれを知らなくてさ、ほら、うちの両親共働きじゃない? だから、バレずに不登校を謳歌していたというか、なんというか……」
「……もしかして、タイミング悪くバッタリ会っちゃった、とか?」
皐が愛莉の言葉を予測して言葉を吐く、愛莉はそれに対してうなずいた。
「私が悪いことはわかってるんだけどさ、なんか、どうしようもなくなっちゃってさ。意固地なのはわかってるけど、しばらくは距離を置きたいっていうか、せめて一日だけでも……」
愛莉は先ほどの軽口から深刻な口調で言葉を紡ぐ。その表情の一部は、なんとなく本物だと思った。……でも、俺にしかわからない嘘が含まれていることに俺は気づく。
だが、それを口に出すのは野暮だ。だから、言葉に吐き出すことはなく、彼女のお願いについてを考える。
彼女がしてほしいこと。それは家出の協力をしてほしいということ。家族との距離を少しだけ空けるために、一旦家出をしたいということ。
言いたいことはわかる。言いたいことはわかるのだが、彼女のお願いに対して拒否を示したくなる自分がいる。
俺は家族の関係が不和だったからこそ、愛莉の言葉や家庭を見て思うのは、まだ立て直せるということ。不登校だどうだ、ということは別に些細な問題でしかない。根が深い問題ではなく、きっと時間がたてばふさがるような穴でしかない。人の問題ごとに対して大きさを比べるのはどうかと思うけれど、それでも彼女の問題は小さな問題だと思う。
それが、家出をしたことをきっかけに大きな穴になったらどうするのだろう。俺はそれに対して責任を取ることができるのだろうか。
俺は、人の幸せを願っていたいからこそ、そう考える。ここでの選択が誰かの影響につながるというのならば、慎重にすべてを選ばなければいけない。これは小さいからこそ緻密な問題でもある。
──本当に、それだけか?
裏の意識の声がする。振り払いたい感情はあるけれど、それは静かな空間だからこそ、妙に頭に響いて仕方がなくなる。
◆
別に、他人の家庭の問題とかどうでもいいだろう。いや、お前はどうでもいいとは考えていないかもしれない。だが、彼女と一緒に過ごすことになる未来を歩みたくないのだ。
俺は、俺たちは解け落ちた氷だ。解け落ちた氷だからこそ、その氷塊たる部分に位置する愛莉との温度差が怖くて仕方がない。解け落ちた氷の行く先として形成した水溜まりの中を、その安寧を破壊されることが怖くて仕方がない。愛莉にとがめられるかもしれないことが怖くて仕方がない。
どこまでも自分勝手だ、自分勝手でしょうがない。お前は人のことなんてこれっぽっちも考えることはできていない。自分の保身ばかりだ、それでしか動いていない。あの時の母親のふるまいのようだ。自分の行動をすべて忘れるように、憤りだけで誤魔化したあの女のようだ。
お前は、あの女と同じ行動を繰り返している。振る舞いに差異があったとしても、その本質は変わらない。
どこまでも、どこまでも醜く変わらない。
結局、お前は解け落ちた氷でしかないのだ。
◇
後ろめたさが反芻する。心の声が反復する。頭から消えない雑音のようなもの、嫌悪感を抱いて仕方がない。振り払うこともできずに、自己否定する感情だけが重なって気持ちが悪くなる。
「頼れるのはもう翔也とさっちゃんしかいないの」
愛莉はこちらを、俺と皐の目を交互に見た。その瞳は完全にこちらを射貫いていた。俺はそれに対して申し訳なさを抱えてしまう。
俺は彼女の言葉に応えることはできない。
裏の意識でなぞりつづける言葉はどうしようもなく正しいものだ。
俺は嫌いな母親の振る舞いを真似しようとしている。
その嫌悪感はあるものの、愛莉をここに留める選択肢は俺の中にはない。
悪いけど、と言葉をつぶやこうとした。つぶやいて、丁重に断ろうとした。
だが、俺の言葉よりも先に、皐が口を開いた。開いてしまった。
「──いいよ」
皐は言葉を吐く。
「だって私たち、親友だもんね」
彼女はそう言葉を吐いた。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。


体育座りでスカートを汚してしまったあの日々
yoshieeesan
現代文学
学生時代にやたらとさせられた体育座りですが、女性からすると服が汚れた嫌な思い出が多いです。そういった短編小説を書いていきます。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる