妹とゆるゆる二人で同棲生活しています 〜解け落ちた氷のその行方〜

若椿 柳阿(わかつばき りゅうあ)

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肆/戸惑う視線と歪な構成

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 は? と柄にもなく戸惑う声が口から出てしまう。人に対してはなるべく失礼な態度をとらないように気を付けているつもりだけれど、この瞬間だけはそれを忘れて素っ頓狂な声をあげてしまった。

 隣にいる皐に関しても同じようなもので、戸惑いの目で愛莉を見つめている。目を大きく見開いて、ぱちくりと開閉を繰り返している。そんな様子から相応の動揺を感じていることが理解できる。

 そんな俺たちをよそに、愛莉は言葉を続ける。その言葉を一つ一つ要約すると、こういうことだ。

 愛莉は父親と喧嘩になってしまったらしい。喧嘩、と言っても一方的な怒りをぶつけられた、と。その喧嘩の勢いのままに外に飛び出したはいいものの、そのせいで携帯を持つことを忘れてしまったこと。ほかの友人に頼ることも考えたが、携帯がなければ連絡はとれないし、それ以上に深刻な悩みを頼れる間柄が彼女には存在しないこと。それならば家出をすることを諦めようとも思ったが、それでも出てしまった以上、戻ることが悔しくて、道を右往左往としていたこと。呆然と歩くことを繰り返した時に、一つ思い出したことがあったとのこと。

 それが、俺と皐が二人で一緒に暮らしている、という事実だった。

 だが、やはり連絡するための携帯は持ち合わせていない。俺たちの住んでいる家に行こうにも場所についてはわからない。だが、以前の会話で通っている高校については把握していたからがんばって隣町から歩いてきた、とのこと。だが、校門の前で待ち伏せをすると周囲の目が気まずかったらしく、逃げるように住宅街に行ったこと。その中で会えることに期待して待っていたら俺たちがようやく現れた、ということらしかった。

 彼女はそれをあくまで軽い口調で語る。表情には相応の疲れがにじんでいるような気がするけれど、事態の深刻さを悟られないようにするために、あえて軽い雰囲気で話しているようにも感じた。

「……ちなみに喧嘩の原因は?」

「……聞いちゃいます?」

 彼女は少し気まずそうなふるまいをした。俺は一応聞いておかなければならない、と思って、首を縦に振った。それを見て愛莉は諦めた様子で言葉を吐き出す。

「……実は、というほどでもないんだけどさ。最近、不登校気味なんだよね。母さんも父さんもそれを知らなくてさ、ほら、うちの両親共働きじゃない? だから、バレずに不登校を謳歌していたというか、なんというか……」

「……もしかして、タイミング悪くバッタリ会っちゃった、とか?」

 皐が愛莉の言葉を予測して言葉を吐く、愛莉はそれに対してうなずいた。

「私が悪いことはわかってるんだけどさ、なんか、どうしようもなくなっちゃってさ。意固地なのはわかってるけど、しばらくは距離を置きたいっていうか、せめて一日だけでも……」

 愛莉は先ほどの軽口から深刻な口調で言葉を紡ぐ。その表情の一部は、なんとなく本物だと思った。……でも、俺にしかわからない嘘が含まれていることに俺は気づく。
 
 だが、それを口に出すのは野暮だ。だから、言葉に吐き出すことはなく、彼女のお願いについてを考える。

 彼女がしてほしいこと。それは家出の協力をしてほしいということ。家族との距離を少しだけ空けるために、一旦家出をしたいということ。

 言いたいことはわかる。言いたいことはわかるのだが、彼女のお願いに対して拒否を示したくなる自分がいる。

 俺は家族の関係が不和だったからこそ、愛莉の言葉や家庭を見て思うのは、まだ立て直せるということ。不登校だどうだ、ということは別に些細な問題でしかない。根が深い問題ではなく、きっと時間がたてばふさがるような穴でしかない。人の問題ごとに対して大きさを比べるのはどうかと思うけれど、それでも彼女の問題は小さな問題だと思う。

 それが、家出をしたことをきっかけに大きな穴になったらどうするのだろう。俺はそれに対して責任を取ることができるのだろうか。

 俺は、人の幸せを願っていたいからこそ、そう考える。ここでの選択が誰かの影響につながるというのならば、慎重にすべてを選ばなければいけない。これは小さいからこそ緻密な問題でもある。

 ──本当に、それだけか?

 裏の意識の声がする。振り払いたい感情はあるけれど、それは静かな空間だからこそ、妙に頭に響いて仕方がなくなる。





 別に、他人の家庭の問題とかどうでもいいだろう。いや、お前はどうでもいいとは考えていないかもしれない。だが、彼女と一緒に過ごすことになる未来を歩みたくないのだ。

 俺は、俺たちは解け落ちた氷だ。解け落ちた氷だからこそ、その氷塊たる部分に位置する愛莉との温度差が怖くて仕方がない。解け落ちた氷の行く先として形成した水溜まりの中を、その安寧を破壊されることが怖くて仕方がない。愛莉にとがめられるかもしれないことが怖くて仕方がない。

 どこまでも自分勝手だ、自分勝手でしょうがない。お前は人のことなんてこれっぽっちも考えることはできていない。自分の保身ばかりだ、それでしか動いていない。あの時の母親のふるまいのようだ。自分の行動をすべて忘れるように、憤りだけで誤魔化したあの女のようだ。

 お前は、あの女と同じ行動を繰り返している。振る舞いに差異があったとしても、その本質は変わらない。

 どこまでも、どこまでも醜く変わらない。

 結局、お前は解け落ちた氷でしかないのだ。





 後ろめたさが反芻する。心の声が反復する。頭から消えない雑音のようなもの、嫌悪感を抱いて仕方がない。振り払うこともできずに、自己否定する感情だけが重なって気持ちが悪くなる。

「頼れるのはもう翔也とさっちゃんしかいないの」

 愛莉はこちらを、俺と皐の目を交互に見た。その瞳は完全にこちらを射貫いていた。俺はそれに対して申し訳なさを抱えてしまう。

 俺は彼女の言葉に応えることはできない。

 裏の意識でなぞりつづける言葉はどうしようもなく正しいものだ。

 俺は嫌いな母親の振る舞いを真似しようとしている。

 その嫌悪感はあるものの、愛莉をここに留める選択肢は俺の中にはない。

 悪いけど、と言葉をつぶやこうとした。つぶやいて、丁重に断ろうとした。

 だが、俺の言葉よりも先に、皐が口を開いた。開いてしまった。

「──いいよ」

 皐は言葉を吐く。

「だって私たち、親友だもんね」

 彼女はそう言葉を吐いた。
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