妹とゆるゆる二人で同棲生活しています 〜解け落ちた氷のその行方〜

若椿 柳阿(わかつばき りゅうあ)

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肆/戸惑う視線と歪な構成

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 家にたどり着くまでの間、俺たちの間に会話は生まれなかった。

 真空のような沈黙が耳に浸ってどうしようもなくなる。息苦しさが心臓を貫いて来そうな気配を感じる。完全な無音であれば、きっとこんな感覚に陥ることはなかったのかもしれない。だが、耳に届くのは地面に弾ける靴音と、静かに行われる呼吸ばかり。靴音が響くということは、少しずつ家に近づいているということであり、その先にある未来に近づいているということにもなる。

 予測できる未来は頭にない。この先にある結末を予測することはできやしない。

 頭の中によぎるのは、家にたどり着いてからどうするべきなのか、そんなことばかり。家の掃除をするべきかどうか、皐と話をしておくべきかどうか。そんなことを考えてもどうしようもないというのに、そればかりを考えてしまう。

 夕陽は地平線の影に潜んで、一瞬だけ空を藍色にする。そのまま藍色はグラデーションに踊らされながら、視界の大半は黒色になる。

 時間は経過している。伊万里に告げた通り、この調子では遅刻かもしれない。いや、休むことにもなりえるかもしれない。

 そんなどうしようもない憂いを抱きながらたどり着くのは、いつもの見覚えのある社宅のアパート。そして、その二階。

「……少し、家、掃除する」

 玄関の前までたどり着いて、俺は片言のような言葉を吐いた。もっと適切に、自然に言葉をつぶやくことができればよかったけれど、そうする余裕は心になかった。

 皐に一瞬目配せをした。その目配せで意思が伝わるかどうかはわからない。願う気持ちで彼女を見た。どうか、一緒に来てくれないか、会話を一度でもしておきたいから、と。

 だが、視線が交わることはない。皐の視線は地面ばかりをとらえている。その表情は、どこか悩みを抱えていることを示すような暗い表情で、彼女なりに戸惑いに直面していることを俺は悟った。

 俺はため息をつきたい気持ちになったが、それを彼女らの目の前ですることは憚った。特に会話は生まれないまま、俺は部屋の中に入る。軋む蝶番の音が耳に障った。





 特に散らかってもいなかった部屋、掃除する、なんて名目を掲げたはいいものの、片付いている部屋に対してするべきことはない。どうにかこの時間の中で皐と意思疎通をしたい気持ちはあったけれど、彼女は上の空だったようだから仕方がない。

 とりあえず、目につくものだけを押し入れの中に押し込んで、数度ほど深く呼吸を繰り返す。嫌な予感、というものはそれでも消えないものだが、少しは落ち着いている気分を心の中で演出することができそうだった。

 ふう、とあからさまなため息を吐いたところで、玄関先で待っている愛莉と皐を中に入れる。

 思ったよりも片付いてるね、と愛莉は言葉を吐いた。俺は反応することができなかった。





「……久しぶりだね?」

 居間にちゃぶ台のようなミニテーブルを用意して、俺たちはそれを囲むように座った。

 何を会話すればいいのか、よくわからないままの空気に対して、愛莉はそう言葉をつぶやいた。

 皐はというと、台所のほうにある小さな冷蔵庫から麦茶を取り出して、お盆の上に二つの湯呑を並べる。この家には俺と皐のものしかないから、二つしかないのはしようがない。

 湯呑に麦茶を注いで、俺と愛莉にそれを差し出す。俺は特に手を付けなかったものの、愛莉は皐に感謝を告げると、ぐいっとそれを口に含んだ。

「……一週間前に会ったと思うんだけどな」

 それを合図にしたように、俺は言葉を吐く。あきれるような表情を浮かべながら、愛莉の言葉に反応した。実際、彼女と会うのはそれくらいの期間しか空いていない。

 俺の言葉に、彼女はへへ、と軽い口調でにへらと笑う。それに対して俺は苦笑を浮かべることしかできない。

 本題に移るべきか否か、そればかりが頭の中によぎる。このタイミングで話題に入るべきか、それとも違うタイミングを選択するべきか、ずっとそんなことを考えてしまう。

 でも、こうしていても時間は無為に過ぎてしまう。学校には行かなければならないし、皐と一緒に遅刻や休みを繰り返すという印象を教師に抱かせたくはない。だから、単刀直入に話題をふるべきなのだ。

 ……話題をふるべきなのだ、それは、わかっているけれど、それでも言葉に出すことをためらってしまう自分がいる。

 皐に差し出された麦茶を俺は飲み込む。喉に染み込む液体の感触で、喉が渇いていたということにようやく気付く。するするとそれを飲み込んだ後、俺は意を決して、ようやく話題を振ることにした。

「それで、どうしてあそこに?」

 つまるところ、肝心な話題はこれしかない。

 なぜ、彼女があそこにいたのか。なぜ、俺たちを待つように街灯の下で佇んでいたのか。俺はそれが聞きたかった。

 でも、その質問に対しての答えは、どうしても嫌な予感がよぎってしまう。本能的な恐怖ともいえるかもしれない。

 俺は訝しげに愛莉を見つめる。それに対して彼女は、一言、こう告げた。

「──家出、してきちゃった」


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