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肆/戸惑う視線と歪な構成
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◇
夕焼けの色が目に刺さる。……いや、これは夕焼けではない。俺の視界に刺してくるのは、コントラストのように映えさせてくる一筋の光。暗くなろうとしている世界に対して、演出をするように刺してくる街灯の明かりが、俺の視界を攻撃している。
その光の下にいるのは、一人の見知った女の子。
そんな光景を目にして、意識が戸惑いを生じさせる。呼吸がおぼつかない感覚がする。吸い込む空気に酸素が含まれていないような、そんな息苦しさを覚えてしまう。正しい呼吸の仕方はどうであったか、それを忘れてしまっている自分がいる。それでも自然に呼吸は行われ、俺は確かに息をすることはできているが、呆然としている感覚を元に戻すことはできない。
どこまでも繰り返す真空のように張り詰めた世界。背中が地面に引かれるような重力、どこまでもままならない体の細部に対する操作。
俺は自分で発言した台詞について反復する。頭の中で把握しているからこそ、無意識的に吐いてしまった言葉、この現状。それを認識したくない気持ちで心は溢れていく。だが、確かな事実にしかならない世界。
吐き出した言葉は、彼女の名前。
目を逸らそうとするからこそ、逸らす対象について意識せずにはいられない。
俺の昔馴染み。最初とも言える異性の友人。友人という関係性で当てはめることを自分でできない関係性。それならば、やはり幼馴染という関係性が彼女に対してはふさわしい。
俺にとっての最初の他者、他者故に俺という存在を形成させた人物。真に他者といえるからこそ、俺の人格には世界との区別が行われた。
価値観、倫理観、物事の捉えよう、俺の世界観に対するすべての事柄。
俺にとって、解け落ちた氷の最たる部分。俺にとって基本としていた世界。その氷塊たる場所。解け落ちる前にいたと言える場所。
そんな存在が、彼女が、愛莉が目の前にいる。禁忌を犯している、犯し続けているからこそ、会いたくないと感じている人物がそこにいる。
彼女に会いたくない理由を反復するのは容易だ。だが、それをしてしまえば、俺は俺という存在を許容することができなくなってしまう。彼女が氷塊だというのならば、俺はそこから解けて落ちてしまった氷だ。温度差によってはぐれてしまった存在だ。
彼女にはそういう要素がある。俺の価値観を作り上げた人物だからこそ、彼女とかかわることはあまりしたくない。愛莉に対して失礼だという気持ちはあるけれど、心の安定が崩される恐怖はどこまでも背中に這いよってくる。それが重力として背中が地面に引きずる感覚を覚えさせる。俺の首を絞め続ける存在となりえる彼女は、どこまでも俺に対して苦しみを与え続ける。だから、かかわることは避けたかった。
知らないふりをすればよかった。知らないふりをすることができれば、それだけで俺は報われたのかもしれない。皐も、きっとそうだ。
でも、俺は声に出してしまった。暗がりの中で、小劇場のステージの中であるように演出をする彼女に対して、俺は声を出してしまった。
観客でいるならば声を出してはいけない。
声を出してしまったのなら、俺はもう演者でしかない。
声を出したことによって、俺は失敗したのだ。俯瞰で見ていた世界は、どこまでも自分のものになってしまう。
俺の声に反応するのは、俺以外の二人。皐は現状を認識しているから声を出そうとはしなかった。伊万里は事態を飲み込めないことを示すような呆然とした表情をしている。もう一人である愛莉は、静かに俺のほうへと視線を合わせた。
彼女は、口を開いた。
でも、少しだけ距離が遠くて、どうしてもその言葉は俺の耳には届かない。
だが、音は聞こえなくとも、どう口を動かしたかは視界に映る。
『ようやく会えた』
彼女は、きっとそうつぶやいている。彼女の口はそう動いているように見えた。
◇
伊万里には先に学校に行ってもらった。遅刻、もしくは欠席するという可能性を伝えた。彼女をここに留まらせることに後ろめたさがあった。……単純に伊万里には話を聞かれなくなっただけかもしれない。とにかく、その場に彼女を拘束させることは俺の選択肢にはなかった。
俺と皐、愛莉が空間に取り残される。愛莉が俺に対して何か言葉を吐いていたような気がするけれど、呆然としていた意識がその言葉をとらえることはできなかった。
愛莉に対しては言葉があれ以上出なかった。彼女の名前を呼ぶだけでそれ以上の行動を起こすことはできなかった。そんな俺を皐が背中を押してくれる。どうするべきなのか、質問形式で俺に対して聞いてくれた。俺はそれに小さくうなずいて、彼女に押されるままに流れを作り出した。
とりあえず、家に帰ることにした。道の中で話すのは嫌だった。だから、道中に会話を生むことはなかった。愛莉も特に言葉を挟むことはなかった。
世界は夜に包まれる。闇だけが視界を支配して、そんな足取りの悪い道を街灯だけが照らしている。街灯の光は淡いはずなのに、先ほどの愛莉の姿を思い出して眩しく感じる。
一秒一秒が長く感じる。頭の中に刻まれる秒針はやがて歪んだノイズとなって、嫌悪感を催させる。
でも、仕方がない。
俺はその嫌悪感を飲み込んで、そうして家路までの沈黙を耳に響かせた。
夕焼けの色が目に刺さる。……いや、これは夕焼けではない。俺の視界に刺してくるのは、コントラストのように映えさせてくる一筋の光。暗くなろうとしている世界に対して、演出をするように刺してくる街灯の明かりが、俺の視界を攻撃している。
その光の下にいるのは、一人の見知った女の子。
そんな光景を目にして、意識が戸惑いを生じさせる。呼吸がおぼつかない感覚がする。吸い込む空気に酸素が含まれていないような、そんな息苦しさを覚えてしまう。正しい呼吸の仕方はどうであったか、それを忘れてしまっている自分がいる。それでも自然に呼吸は行われ、俺は確かに息をすることはできているが、呆然としている感覚を元に戻すことはできない。
どこまでも繰り返す真空のように張り詰めた世界。背中が地面に引かれるような重力、どこまでもままならない体の細部に対する操作。
俺は自分で発言した台詞について反復する。頭の中で把握しているからこそ、無意識的に吐いてしまった言葉、この現状。それを認識したくない気持ちで心は溢れていく。だが、確かな事実にしかならない世界。
吐き出した言葉は、彼女の名前。
目を逸らそうとするからこそ、逸らす対象について意識せずにはいられない。
俺の昔馴染み。最初とも言える異性の友人。友人という関係性で当てはめることを自分でできない関係性。それならば、やはり幼馴染という関係性が彼女に対してはふさわしい。
俺にとっての最初の他者、他者故に俺という存在を形成させた人物。真に他者といえるからこそ、俺の人格には世界との区別が行われた。
価値観、倫理観、物事の捉えよう、俺の世界観に対するすべての事柄。
俺にとって、解け落ちた氷の最たる部分。俺にとって基本としていた世界。その氷塊たる場所。解け落ちる前にいたと言える場所。
そんな存在が、彼女が、愛莉が目の前にいる。禁忌を犯している、犯し続けているからこそ、会いたくないと感じている人物がそこにいる。
彼女に会いたくない理由を反復するのは容易だ。だが、それをしてしまえば、俺は俺という存在を許容することができなくなってしまう。彼女が氷塊だというのならば、俺はそこから解けて落ちてしまった氷だ。温度差によってはぐれてしまった存在だ。
彼女にはそういう要素がある。俺の価値観を作り上げた人物だからこそ、彼女とかかわることはあまりしたくない。愛莉に対して失礼だという気持ちはあるけれど、心の安定が崩される恐怖はどこまでも背中に這いよってくる。それが重力として背中が地面に引きずる感覚を覚えさせる。俺の首を絞め続ける存在となりえる彼女は、どこまでも俺に対して苦しみを与え続ける。だから、かかわることは避けたかった。
知らないふりをすればよかった。知らないふりをすることができれば、それだけで俺は報われたのかもしれない。皐も、きっとそうだ。
でも、俺は声に出してしまった。暗がりの中で、小劇場のステージの中であるように演出をする彼女に対して、俺は声を出してしまった。
観客でいるならば声を出してはいけない。
声を出してしまったのなら、俺はもう演者でしかない。
声を出したことによって、俺は失敗したのだ。俯瞰で見ていた世界は、どこまでも自分のものになってしまう。
俺の声に反応するのは、俺以外の二人。皐は現状を認識しているから声を出そうとはしなかった。伊万里は事態を飲み込めないことを示すような呆然とした表情をしている。もう一人である愛莉は、静かに俺のほうへと視線を合わせた。
彼女は、口を開いた。
でも、少しだけ距離が遠くて、どうしてもその言葉は俺の耳には届かない。
だが、音は聞こえなくとも、どう口を動かしたかは視界に映る。
『ようやく会えた』
彼女は、きっとそうつぶやいている。彼女の口はそう動いているように見えた。
◇
伊万里には先に学校に行ってもらった。遅刻、もしくは欠席するという可能性を伝えた。彼女をここに留まらせることに後ろめたさがあった。……単純に伊万里には話を聞かれなくなっただけかもしれない。とにかく、その場に彼女を拘束させることは俺の選択肢にはなかった。
俺と皐、愛莉が空間に取り残される。愛莉が俺に対して何か言葉を吐いていたような気がするけれど、呆然としていた意識がその言葉をとらえることはできなかった。
愛莉に対しては言葉があれ以上出なかった。彼女の名前を呼ぶだけでそれ以上の行動を起こすことはできなかった。そんな俺を皐が背中を押してくれる。どうするべきなのか、質問形式で俺に対して聞いてくれた。俺はそれに小さくうなずいて、彼女に押されるままに流れを作り出した。
とりあえず、家に帰ることにした。道の中で話すのは嫌だった。だから、道中に会話を生むことはなかった。愛莉も特に言葉を挟むことはなかった。
世界は夜に包まれる。闇だけが視界を支配して、そんな足取りの悪い道を街灯だけが照らしている。街灯の光は淡いはずなのに、先ほどの愛莉の姿を思い出して眩しく感じる。
一秒一秒が長く感じる。頭の中に刻まれる秒針はやがて歪んだノイズとなって、嫌悪感を催させる。
でも、仕方がない。
俺はその嫌悪感を飲み込んで、そうして家路までの沈黙を耳に響かせた。
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