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肆/戸惑う視線と歪な構成
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影が降り注ぐ夏の景色の中、私は少しばかりの焦燥感に駆られていた。その焦燥感の正体は、一方的に生じている翔也との距離感や、中学三年生という期間の短さについてだった。
その日の進路相談によって名医核になってしまった受験までの日付。そうでなくとも、ただでさえ陸上部というもので彼との時間は過ごせないでいる。もし、この夏休みの間に行動をすることができなければ、それは彼との疎遠につながるのではないか。そんなことが頭によぎって仕方がなかった。
きっと、中学三年生の時点で大事になるのはそんなことではない。自分の将来を決めることになりかねない進路のほうが大事に決まっている。でも、それ以上に頭の中でこびりついて離れないのは、翔也と疎遠になってしまう可能性。
秋になればより本格的に皆が勉強に対して集中をするのだろう。冬という期間になればなおさらかかわる時間は少なくなる。登校日数だって少なくなるし、このままでは彼との距離は開いてしまう一方だ。だから、この夏休みに行動をしなければいけない。そんな焦燥感が私を突き動かしそうとしていた。
行動。行動をしなければいけない。ここで何か行動をしなければ、この先の人生で後悔が生まれてしまうかもしれない。そんな予感をひしひしと心の中で続けてしまう。その心に答えるように、夏休みという長くも短いかもしれない時間の中で、何かしら関係や距離を近づける事柄を生むことができればいい。私はそんなことをずっと考えていた。
夏といえばいろいろなものがある。風物詩、と言われるものを私は思い浮かべた。それにかこつけて彼と遊ぶことができれば最良だと思った。
夏の代名詞ともいえる祭り、花火大会の存在。暑さを忘れるために存在するようなプールや海。夏という時期に限らずとも出かけることができる場所はたくさんある。遊園地、水族館。……遊園地については猛暑の中で行くのもどうかと思うけれど、それでも彼と行けば楽しさは普段の数倍になって帰ってくるだろう。苦痛とかもあわせて、私に対しては幸せが帰ってくる。
でも、私が楽しかったとしても、彼は楽しいと感じてくれるだろうか。私が一方的に感じてしまうこの幸福を、彼に共有することはできるだろうか。そして、その幸福を彼は教授をすることができるだろうか。私はそれが不安で仕方がなかった。
夕焼けとは言えない日射の中での帰り道、会話は特にないままで、静かに私たちは歩みを進めている。そんな時、ふと気になって彼の表情を見ると、どこか憂いを帯びたような表情をしている。それが気がかりになって、私は翔也に声をかけた。
「元気ないね?」
私がそう声をかけると、翔也は苦笑しながらため息を吐く。
「元気もなくなるよ。試験の結果、悪かったらしいから」
彼はそう言いながらうなだれる。どこか諦観を孕んでいるようなまなざしだと思った。
私と彼は中学二年生の時から約束をしていた。私から一方的に彼を巻き込んだ約束でしかないけれど、私と一緒の高校に行く、とそんな約束を交わしていた。だから、彼がそんな視線をするのが、私の心に痛く響いた。
私の成績は良好だ。別に勉強というものが得意なわけでもないし、家で勉強をしているわけでもないけれど、基本的に試験で悪い点数を取ることはない。一部の教科以外は平均点以上をとるのが日常で、正直、受験についても楽なものだとそう感じていた。
だからこそ、私が翔也に押し付けるように交わした約束が彼の負担になっているのではないか。それが彼を縛る原因になっているのではないか。そんなことを考えて仕方がない。
別に、私は彼と同じ高校に行くことができるのならどこだっていい。流石に治安が悪いような高校は少し嫌だけれど、そんなことは私にとっては些細なものでしかない。だから、彼が私の志望校に対して諦観を抱いているのならば、上から目線で申し訳ないけれど、彼が本当に望む高校に行くことだって考えることができた。
後ろめたさが反芻する。彼に対して言葉を何か吐かなければいけない。そう感じて「無理し過ぎなんだよ、翔也は」と恋人のように振舞う言葉を投げかけた。ちょっと意識をさせるように、彼の背中に触れてみたりしながら。
そうしても、彼はなおさら苦しそうな顔をする。その苦しそうな表情をする要因には、なんとなく幼馴染だからこそわかるものがある。おそらく彼は、私が何をしてでも翔也に合わせて高校に行くことを選択できることを知っているのだ。
だからこそ、彼なりに私に対して後ろめたい気持ちを持っていることも、なんとなく気づくことができる。
「あ、また苦しそうな顔をした」
私がそういうと、彼は苦笑を振り払うように口角をあげて「してない」と答える。
そんな彼には似合わない無理なそぶりをする翔也の姿が面白くて、私は静かにくすくすと笑ってしまった。
きっと、リフレッシュのようなものが必要なんだと思った。私にも彼にも、そういった音柄のようなものが必要なんだと、そう思ってしまった。
私にとっては単純ないい機会。彼にとっては受験というものから少しだけ逃避できるかもしれない機会。互いに必要とするものが合致しているように感じた。
「今日、翔也の部屋に行ってもいい?」
そんなことを思い立って、さっそく行動に移ろうと言葉を彼に出してみる。
いつものこと。普段通りのこと。小学生の時であれば下校のさなかに行われていた簡単な約束。中学になってからは週末に限定していたけれど、それでも普段と変わることはない約束。
いつも私がそう言葉を紡げば、彼は何も考えないまま笑って、いいよ、と答えてくれる。そんな言葉をかけてくれる私が好きで、その時も彼の言葉を数秒待っていた。
……そうして、起こるのは沈黙。
いつもとは違う空気。普段とは異なってしまう空気。違和感といえるような代物。心臓に針を刺すような感覚、ちくりと刺してくるから、一瞬呼吸をすることをためらってしまう。そんな真空のような沈黙。
え、と私は唖然としたまま声を吐いた。声を吐いて、静かに彼の顔を見た。
彼の表情は、いつになく暗い表情をしている。
──これは、よくない。
本能的な部分で彼に対して危機感を覚えた。何か私にとって大事なものが揺らいでいたことに気づいた。そうしたときにはすべて手遅れだったけれど。
「ごめん、今日は難しい、かな」
彼は暗く澱んだ表情のままで、淡々とそう言葉を吐いた。
焦り、吐き気、戸惑い。
普段とは違う彼との雰囲気。
安心感という空気で詰まっていた風船が割れてしまったような、そんな終わってしまった雰囲気。
これはいけない。
ここでつなぎとめることができなければ、私はどうにかなってしまうかもしれない。翔也もどうにかなってしまうのかもしれない。
行動をしなければいけない。行動を選択しなければいけない。行動をしなければ、私たちは報われない。
だから、私は行動を選択することにした。
行動を選択しない、という後悔だけは抱かないために。
影が降り注ぐ夏の景色の中、私は少しばかりの焦燥感に駆られていた。その焦燥感の正体は、一方的に生じている翔也との距離感や、中学三年生という期間の短さについてだった。
その日の進路相談によって名医核になってしまった受験までの日付。そうでなくとも、ただでさえ陸上部というもので彼との時間は過ごせないでいる。もし、この夏休みの間に行動をすることができなければ、それは彼との疎遠につながるのではないか。そんなことが頭によぎって仕方がなかった。
きっと、中学三年生の時点で大事になるのはそんなことではない。自分の将来を決めることになりかねない進路のほうが大事に決まっている。でも、それ以上に頭の中でこびりついて離れないのは、翔也と疎遠になってしまう可能性。
秋になればより本格的に皆が勉強に対して集中をするのだろう。冬という期間になればなおさらかかわる時間は少なくなる。登校日数だって少なくなるし、このままでは彼との距離は開いてしまう一方だ。だから、この夏休みに行動をしなければいけない。そんな焦燥感が私を突き動かしそうとしていた。
行動。行動をしなければいけない。ここで何か行動をしなければ、この先の人生で後悔が生まれてしまうかもしれない。そんな予感をひしひしと心の中で続けてしまう。その心に答えるように、夏休みという長くも短いかもしれない時間の中で、何かしら関係や距離を近づける事柄を生むことができればいい。私はそんなことをずっと考えていた。
夏といえばいろいろなものがある。風物詩、と言われるものを私は思い浮かべた。それにかこつけて彼と遊ぶことができれば最良だと思った。
夏の代名詞ともいえる祭り、花火大会の存在。暑さを忘れるために存在するようなプールや海。夏という時期に限らずとも出かけることができる場所はたくさんある。遊園地、水族館。……遊園地については猛暑の中で行くのもどうかと思うけれど、それでも彼と行けば楽しさは普段の数倍になって帰ってくるだろう。苦痛とかもあわせて、私に対しては幸せが帰ってくる。
でも、私が楽しかったとしても、彼は楽しいと感じてくれるだろうか。私が一方的に感じてしまうこの幸福を、彼に共有することはできるだろうか。そして、その幸福を彼は教授をすることができるだろうか。私はそれが不安で仕方がなかった。
夕焼けとは言えない日射の中での帰り道、会話は特にないままで、静かに私たちは歩みを進めている。そんな時、ふと気になって彼の表情を見ると、どこか憂いを帯びたような表情をしている。それが気がかりになって、私は翔也に声をかけた。
「元気ないね?」
私がそう声をかけると、翔也は苦笑しながらため息を吐く。
「元気もなくなるよ。試験の結果、悪かったらしいから」
彼はそう言いながらうなだれる。どこか諦観を孕んでいるようなまなざしだと思った。
私と彼は中学二年生の時から約束をしていた。私から一方的に彼を巻き込んだ約束でしかないけれど、私と一緒の高校に行く、とそんな約束を交わしていた。だから、彼がそんな視線をするのが、私の心に痛く響いた。
私の成績は良好だ。別に勉強というものが得意なわけでもないし、家で勉強をしているわけでもないけれど、基本的に試験で悪い点数を取ることはない。一部の教科以外は平均点以上をとるのが日常で、正直、受験についても楽なものだとそう感じていた。
だからこそ、私が翔也に押し付けるように交わした約束が彼の負担になっているのではないか。それが彼を縛る原因になっているのではないか。そんなことを考えて仕方がない。
別に、私は彼と同じ高校に行くことができるのならどこだっていい。流石に治安が悪いような高校は少し嫌だけれど、そんなことは私にとっては些細なものでしかない。だから、彼が私の志望校に対して諦観を抱いているのならば、上から目線で申し訳ないけれど、彼が本当に望む高校に行くことだって考えることができた。
後ろめたさが反芻する。彼に対して言葉を何か吐かなければいけない。そう感じて「無理し過ぎなんだよ、翔也は」と恋人のように振舞う言葉を投げかけた。ちょっと意識をさせるように、彼の背中に触れてみたりしながら。
そうしても、彼はなおさら苦しそうな顔をする。その苦しそうな表情をする要因には、なんとなく幼馴染だからこそわかるものがある。おそらく彼は、私が何をしてでも翔也に合わせて高校に行くことを選択できることを知っているのだ。
だからこそ、彼なりに私に対して後ろめたい気持ちを持っていることも、なんとなく気づくことができる。
「あ、また苦しそうな顔をした」
私がそういうと、彼は苦笑を振り払うように口角をあげて「してない」と答える。
そんな彼には似合わない無理なそぶりをする翔也の姿が面白くて、私は静かにくすくすと笑ってしまった。
きっと、リフレッシュのようなものが必要なんだと思った。私にも彼にも、そういった音柄のようなものが必要なんだと、そう思ってしまった。
私にとっては単純ないい機会。彼にとっては受験というものから少しだけ逃避できるかもしれない機会。互いに必要とするものが合致しているように感じた。
「今日、翔也の部屋に行ってもいい?」
そんなことを思い立って、さっそく行動に移ろうと言葉を彼に出してみる。
いつものこと。普段通りのこと。小学生の時であれば下校のさなかに行われていた簡単な約束。中学になってからは週末に限定していたけれど、それでも普段と変わることはない約束。
いつも私がそう言葉を紡げば、彼は何も考えないまま笑って、いいよ、と答えてくれる。そんな言葉をかけてくれる私が好きで、その時も彼の言葉を数秒待っていた。
……そうして、起こるのは沈黙。
いつもとは違う空気。普段とは異なってしまう空気。違和感といえるような代物。心臓に針を刺すような感覚、ちくりと刺してくるから、一瞬呼吸をすることをためらってしまう。そんな真空のような沈黙。
え、と私は唖然としたまま声を吐いた。声を吐いて、静かに彼の顔を見た。
彼の表情は、いつになく暗い表情をしている。
──これは、よくない。
本能的な部分で彼に対して危機感を覚えた。何か私にとって大事なものが揺らいでいたことに気づいた。そうしたときにはすべて手遅れだったけれど。
「ごめん、今日は難しい、かな」
彼は暗く澱んだ表情のままで、淡々とそう言葉を吐いた。
焦り、吐き気、戸惑い。
普段とは違う彼との雰囲気。
安心感という空気で詰まっていた風船が割れてしまったような、そんな終わってしまった雰囲気。
これはいけない。
ここでつなぎとめることができなければ、私はどうにかなってしまうかもしれない。翔也もどうにかなってしまうのかもしれない。
行動をしなければいけない。行動を選択しなければいけない。行動をしなければ、私たちは報われない。
だから、私は行動を選択することにした。
行動を選択しない、という後悔だけは抱かないために。
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