上 下
48 / 88
肆/戸惑う視線と歪な構成

4-1

しおりを挟む


 終わってしまったのなら始めてしまえばいいものだと思う。

 どんな物語だってそうだ、終わったならそのまま終わりにするのもいいし、もう一度始めたいのなら始めてしまえばいい。

 私は何度も繰り返して本を読む人間だ。好きな物語を読み返すことなんかほとんどだし、逆に言えば新しい物が私の中に生まれることはない。

 過去に私に生まれた安心感、それだけが私の手元にある。それを何度も繰り返して、心に積もらせるだけで平穏は保たれる。何度も繰り返すことで新しい発見だってある。新しい解釈だって生まれる。

 そんなところから毎日を私は始めている。

 真の意味で終わるものなんて私の中にはない。どんなものでも、どんな形であれ、新しく始めることが出来るのだから。

 私には思い出がある。私は思い出に生かされている。きっと、過去に縋るようなこんな生き方は肯定されるものではないのかもしれない。

 でも、他人にとやかく言われたっていい。私は私の主観でしか生きられないし、生きたくないのだから。

 子供の頃の感覚を覚えている。その感触を、あの言葉を、その時の気持ちを。

 大人になるにつれて忘れてしまうであろう記憶の残骸。色々な友人に話す度に鼻で笑われるような事柄。その度に見せてしまった小さな憤り。

 他の人は過去には縋らない。何かを得る度に失っては、失っては何かを得るのだろう。感情とはそういうものだ。経験とは、情緒とは、そういうものだ。

 そういった意味なら、きっと私は一度大きく喪失している。何とか行動したけれど、それでも喪失した経験がある。そんな経験が私に残るからこそ、私は行動に移せる。

 失うものは何もない。きっとないはずだ。なにか失うものがあったとしても、それは行動しない理由にはなり得ない。

 私はどこまでも自分勝手に、身勝手に生きていく。そうすることが出来るのが自分のズルいところだ。

 それで今というものに置いていかれたとしても関係ない。

 だって、私は過去にしか生きていないのだから。
しおりを挟む

処理中です...