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弐/偶然にも最悪な邂逅
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◇
彼女は、竹下愛莉は本当に変わっていないということができるだろうか。
記憶の中に反芻する彼女と、先ほどまで対面していた彼女との比較が止まらない。最終的に俺は彼女のことを変わっていないと納得したけれど、それは本当に納得していい事柄だったのだろうか。
彼女は、本当に彼女らしく、昔のままであったということができるだろうか。
出会い頭、どうしてもちらついてしまう彼女の冷たい顔。まるで氷のような静けさを孕んだ、どこまでも俯瞰に世界を見るような表情。
どこまでも、昔とは温度感を覚えずにはいられない顔。
最初は、俺たちのことを警戒しているのだと、俺たちの関係について警戒をしているのかと思ったけれど、それは違うということは先ほどの会話からなんとなく理解することができた。
後半の彼女の対応は昔のような雰囲気はあったけれど、それは雰囲気だけだ。彼女がそう演出しているだけに過ぎない。
だから、あの愛莉については、俺の知っている愛莉ではない。
……でも、俺がそんなことを言う資格は何も存在しない。
俺は彼女についての記憶が存在しない。思い出すことができない。忘れてしまっている。どこまでも、彼女とのことを思い出すことができない。
幼い頃の記憶なら残っている。砂場で城を作った記憶、俺の家で、彼女の家で遊んだ記憶。そんな記憶くらいしか存在しない。
中学のころの記憶を思い出すことはできない。いや、思い出すことはしない。思い出したくない。思い出したくないから、記憶を掘り起こすことはしたくない。嫌な記憶しか煮詰まっていない。
……そうだろうか、そういうわけではないかもしれない。皐との始まりを思えば、それで片づけるのは違う気がする。
……わからない。それ以上に覆い隠したい記憶があまりにも多すぎる。あの時期についてはほとんどが闇みたいなものだったのだ。それを思い出せないことを責める人間は、きっといないだろう。
はあ、と息を吐いた。心の中がごちゃごちゃとする感覚。愛莉と出会う前に片づけた思考の整理は、どこかへと消えてしまった。乱雑に重なったおもちゃのように、箱に片づけることはできず、鬱陶しい苛立たしさが蟠る。
「……帰ろうか」と俺は皐に言葉を吐いた。結局、どこかで空腹を紛らわせるということはなく、思考を働かせた結果、俺たちはデパートから逃げるように消えていく。
煙草を吸いたい、そんな欲望が湧いていた。
◆
「解け落ちた氷のその行方はどこだろう」
いつか見た夢の内容が、思い出すようにそこに描かれている。
こもった空気の中にいる。観客席に俺は座っている。ピエロをかたどった色白の人形が目の前にある。それはやはり観劇である。だが、その演者は、人形自身でさえも俺自身であった。
色白に赤を着せた奇抜でもなさそう服装をしているピエロの人形は、俺自身でしかない。俺自身でしかないのに、それに対しての嫌悪感を覚えるのは、自己肯定感が得られていないということだろうか。そもそも俺に自己肯定感というものは何一つないのに、そんなことを考えるのは愚かで、傲慢ではないだろうか。
不信としか思えない自身のメタ的感情に逆らうことができない。もしくは不審だろうか。どうでもいい、俺はどうでもいい思考を続けている。
言葉の意味を考えなければいけない。人形の吐いた言葉を、俺自身が吐いている言葉についてを考えなければいけない。言葉についてを考えて、俺の思考にケリをつけなければいけない。この思考にケリがつくのかはわからない。それでも、考えなければいけない。考えなければいけない空間でしかない。この小劇場は、そういう場所なのだ。
『解け落ちた氷のその行方はどこだろう』
人形は、俺自身はそう問うてきた。その言葉の意味をとらえることで、それを考えなければ、俺はこの小劇場から出ることはできない。
……出たいのだろうか。俺は。この小劇場から。
人は演技を繰り返すものだ。ここであっても、世界であっても、どこでも演技を繰り返している。
俺は演者だ。観客なんてものはどこにも存在しない。観客の演技を繰り返す演者だ。オーディエンスはいない。
解け落ちた氷のその行方、俺はその行方についてを考えなければいけない。その行方について考えなければ、現実と向き合うことはどこまでも変わらない。
俺と皐は、どこに行けばいいのだろう。もしくは伊万里は、あの高校の連中は、解け落ちた氷と言える俺たちは、どこに行けばいいのだろう。
それを解け落ちた氷の集団の中に属していると考えていいのだろうか。それは違うような気がする。温度感が異なっているとしても、その溶けた雫の透明度は、濁った澱の度合いは、色合いは、どこまでも異なるはずだ。
氷にはそれぞれ色どりがある。遠目から澄んでいるように見える氷塊は、近づけば近づくほどに色があり、その色の中で集団を形成して、そうして彩を保とうとする。
俺と皐は、同じ色をしているだろうか。
色の差異が気になる。温度の差異が気になる。俺たちが“そう”だという確信はない。どこまでも同じ物は存在せず、本物も偽物も存在しない。
その行方を辿ることは、誰にだってできやしない。考えても結末にたどり着ける気がしない。
「考えなければいけない」
人形は、俺の声でそう呟く。
「結末がついても、つかなくても、結論ができても、できなくとも。お前は、俺は、彼女は、永遠に、延延に」
──幕は上がった。
彼女は、竹下愛莉は本当に変わっていないということができるだろうか。
記憶の中に反芻する彼女と、先ほどまで対面していた彼女との比較が止まらない。最終的に俺は彼女のことを変わっていないと納得したけれど、それは本当に納得していい事柄だったのだろうか。
彼女は、本当に彼女らしく、昔のままであったということができるだろうか。
出会い頭、どうしてもちらついてしまう彼女の冷たい顔。まるで氷のような静けさを孕んだ、どこまでも俯瞰に世界を見るような表情。
どこまでも、昔とは温度感を覚えずにはいられない顔。
最初は、俺たちのことを警戒しているのだと、俺たちの関係について警戒をしているのかと思ったけれど、それは違うということは先ほどの会話からなんとなく理解することができた。
後半の彼女の対応は昔のような雰囲気はあったけれど、それは雰囲気だけだ。彼女がそう演出しているだけに過ぎない。
だから、あの愛莉については、俺の知っている愛莉ではない。
……でも、俺がそんなことを言う資格は何も存在しない。
俺は彼女についての記憶が存在しない。思い出すことができない。忘れてしまっている。どこまでも、彼女とのことを思い出すことができない。
幼い頃の記憶なら残っている。砂場で城を作った記憶、俺の家で、彼女の家で遊んだ記憶。そんな記憶くらいしか存在しない。
中学のころの記憶を思い出すことはできない。いや、思い出すことはしない。思い出したくない。思い出したくないから、記憶を掘り起こすことはしたくない。嫌な記憶しか煮詰まっていない。
……そうだろうか、そういうわけではないかもしれない。皐との始まりを思えば、それで片づけるのは違う気がする。
……わからない。それ以上に覆い隠したい記憶があまりにも多すぎる。あの時期についてはほとんどが闇みたいなものだったのだ。それを思い出せないことを責める人間は、きっといないだろう。
はあ、と息を吐いた。心の中がごちゃごちゃとする感覚。愛莉と出会う前に片づけた思考の整理は、どこかへと消えてしまった。乱雑に重なったおもちゃのように、箱に片づけることはできず、鬱陶しい苛立たしさが蟠る。
「……帰ろうか」と俺は皐に言葉を吐いた。結局、どこかで空腹を紛らわせるということはなく、思考を働かせた結果、俺たちはデパートから逃げるように消えていく。
煙草を吸いたい、そんな欲望が湧いていた。
◆
「解け落ちた氷のその行方はどこだろう」
いつか見た夢の内容が、思い出すようにそこに描かれている。
こもった空気の中にいる。観客席に俺は座っている。ピエロをかたどった色白の人形が目の前にある。それはやはり観劇である。だが、その演者は、人形自身でさえも俺自身であった。
色白に赤を着せた奇抜でもなさそう服装をしているピエロの人形は、俺自身でしかない。俺自身でしかないのに、それに対しての嫌悪感を覚えるのは、自己肯定感が得られていないということだろうか。そもそも俺に自己肯定感というものは何一つないのに、そんなことを考えるのは愚かで、傲慢ではないだろうか。
不信としか思えない自身のメタ的感情に逆らうことができない。もしくは不審だろうか。どうでもいい、俺はどうでもいい思考を続けている。
言葉の意味を考えなければいけない。人形の吐いた言葉を、俺自身が吐いている言葉についてを考えなければいけない。言葉についてを考えて、俺の思考にケリをつけなければいけない。この思考にケリがつくのかはわからない。それでも、考えなければいけない。考えなければいけない空間でしかない。この小劇場は、そういう場所なのだ。
『解け落ちた氷のその行方はどこだろう』
人形は、俺自身はそう問うてきた。その言葉の意味をとらえることで、それを考えなければ、俺はこの小劇場から出ることはできない。
……出たいのだろうか。俺は。この小劇場から。
人は演技を繰り返すものだ。ここであっても、世界であっても、どこでも演技を繰り返している。
俺は演者だ。観客なんてものはどこにも存在しない。観客の演技を繰り返す演者だ。オーディエンスはいない。
解け落ちた氷のその行方、俺はその行方についてを考えなければいけない。その行方について考えなければ、現実と向き合うことはどこまでも変わらない。
俺と皐は、どこに行けばいいのだろう。もしくは伊万里は、あの高校の連中は、解け落ちた氷と言える俺たちは、どこに行けばいいのだろう。
それを解け落ちた氷の集団の中に属していると考えていいのだろうか。それは違うような気がする。温度感が異なっているとしても、その溶けた雫の透明度は、濁った澱の度合いは、色合いは、どこまでも異なるはずだ。
氷にはそれぞれ色どりがある。遠目から澄んでいるように見える氷塊は、近づけば近づくほどに色があり、その色の中で集団を形成して、そうして彩を保とうとする。
俺と皐は、同じ色をしているだろうか。
色の差異が気になる。温度の差異が気になる。俺たちが“そう”だという確信はない。どこまでも同じ物は存在せず、本物も偽物も存在しない。
その行方を辿ることは、誰にだってできやしない。考えても結末にたどり着ける気がしない。
「考えなければいけない」
人形は、俺の声でそう呟く。
「結末がついても、つかなくても、結論ができても、できなくとも。お前は、俺は、彼女は、永遠に、延延に」
──幕は上がった。
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