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弐/偶然にも最悪な邂逅
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◇
仕事に慣れることは未だにできていない。それほどまでに年月を費やしているというわけではないから、それについて仕方がないというのは自分自身でよくわかっている。実働時間を数えてみれば、まだ一年を超えたくらいでしかない。なんなら、肉体労働で毎日疲労は嵩んでいく。いつかは慣れるかもしれないという期待については、去年の夏ごろか消えてしまっていた。
それでも、どこかに慣れは生じているらしく、重たいものを持った時の身体の重心の使い方だったり、ある程度のスタミナの許容量が増えていることは自覚することができている。もしかしたら、この仕事に馴染むことはできているかもしれない。そんな淡い期待を抱きながら仕事をする。それが期待だけでなければいい。
毎日を何度も繰り返して過ごしているはずなのに、未だに日中の温度には嫌悪感を覚えてしまう。夏の時期であれば暑いという感覚、冬であればパイプの冷たさを皮膚に感じる。
今日に関して言えば、皮肉なくらいにいい天気である。夏はまだ来ないはずなのに、それでも日が高く昇るたびに夏の匂いを感じずにはいられない。春の終わりでさえ、俺はまだ感じることができていないのに。
「おーい、止まってんぞ。バテてんのかぁ?」
考え事をしていたせいか、いつの間にか足を止めてしまっていた。そんな様を恭平は嘲るように笑った。
俺はその言葉に首を振って、まだやれます、という言葉だけを返した。その言葉を彼は咀嚼すると、満足そうな顔をしてまた作業に取り組む。俺も、彼と同じように作業へ取り組まなければいけない。
ここでは、弱音を吐くことは許されない。上下関係というものもあるが、そもそもこの仕事を選んだのは自分自身である。各々がそうなのだから、弱音を吐くことは絶対に許されない。吐くつもりもないけれど。
辞めたくなる時はいつだってある。毎日、目覚めるたびに仕事を諦めてしまいたくなる事が大半だ。でも、それに従えるほどに俺の環境は充実していない。
俺には皐がいる。皐がいるから、頑張れる。
ひどく背徳的であることが頭に過るけれど、そんなことを考えている場合ではない。
弱音は吐けない。せめて吐くのならば、皐の前だけで十分だ。
◇
「調子はどうだ?」と恭平はいつも通りに煙草を差し出しながら聞いてきた。俺はそれを受け取ると、ぼちぼちです、と答えることしかできない。その質問が仕事についてなのか、学校のことについてなのか、いまいち考えがつかないまま適当に返事をした。適当なままに、俺は煙草に火をつけて、そうして煙を吸い込んだ。
「勉強とか難しいらしいじゃねぇか」
彼の言葉を咀嚼して、ようやく先ほどの言葉が学校に関連したものであったことに気づく。俺のさっきの返答が正しかったのかを頭の中で振り返りながら、どちらにせよ、ぼちぼちです、としか返せないことに気づいた。
「……そこまで難しくはないですよ。なんというか、初心者向け、みたいな内容の授業が行われてますね」
「ほぇー、いいじゃねえか。楽しそうで」
そんな言葉に、はは、と乾いた笑いを返した。俺はそれが楽しいのかはわからない。でも、充実しているという感覚はどこかにある。
そうして頭の中に過るのは、昨日の部活動に対しての行動。
伊万里は前向きに吃音症に対して向き合おうとしている。そのために、俺もできることをしなければいけない。自己犠牲に近いことかもしれないけれど、彼女を見ていると放っておけない感覚がいつまでもわだかまる。
自己犠牲は美徳ではない。いつか考えた事柄が頭を反芻して仕方がない。
「……なんか考えてんのか?」
恭平は俺を見て不思議そうに呟いた。一瞬、彼が何を意図してそんな言葉を吐いたのかわからなかったけれど、煙草の先を見つめてみれば、吸いがらが自然と地面に落ちていた。いつもならそんなことはしないはずなのに。
「別に、なんでもないっすよ」
俺は足でそれを消して、勢いよく煙草の煙を吸い込んだ。
肺にわだかまる熱度のようなもの。むせかえりそうになる呼吸の感覚、どことなく苦しさを覚えるけれど、それを呑み込んで、しばらく吐き出さないまま、肺にすべてを味わわせる。
美味しくはない。だが、そうすることで心地がいいと錯覚できる眩暈が俺を支配してくれる。
「まあ、それならいいけどよ」
煙草を吸い終わったらしい恭平は、立ち上がって持ち場の方に戻ろうとしている。休憩時間はまだ十数分ほど残されているのに、それでも彼は仕事をする。
……いや、そうしているのは俺のためだ。俺が早くに帰るから、その分の仕事を彼はしているのだ。
煙草を吸っている場合ではない。俺は溜め込んだ息を吐き出して、そうして立ち上がる。
ここでの個人は、個人でしかない。集団の中の一人でもない。仕事をしなければいけない。
◇
いろいろと考えなければいけないことがある。そこまでたくさんあるわけじゃないけれど、目を逸らしてはいけないことがたくさんあるような気がする。
原チャリを走らせて、静かな風に揺られながら考えを巡らせる。
仕事のこと、部活動のこと、伊万里のこと、皐のこと。恭平にばかり負担をかけていることの申し訳なさ。せめて、早出をして彼の負担を減らさなければいけないこと。部活動を立ち上げる上で、伊万里が勧誘できる方法を考えること。最初のハードルは高いだろうから、ポスターとかを作るのも悪くはないかもしれない。伊万里の吃音症の対策にできるだけ会話の種を用意しておくこと。身内である俺と皐で会話をすることにも意味はあるだろう。そして、迷惑をかけてしまっている皐に対してできるいくつかのこと。
頭が眩む感覚がする。煙草の時とは違うような、そんな確かな頭痛に似た眩暈。
「……日曜日、皐と出かけなきゃなぁ」
慣れてしまった独り言を、適当に俺は吐き出した。
仕事に慣れることは未だにできていない。それほどまでに年月を費やしているというわけではないから、それについて仕方がないというのは自分自身でよくわかっている。実働時間を数えてみれば、まだ一年を超えたくらいでしかない。なんなら、肉体労働で毎日疲労は嵩んでいく。いつかは慣れるかもしれないという期待については、去年の夏ごろか消えてしまっていた。
それでも、どこかに慣れは生じているらしく、重たいものを持った時の身体の重心の使い方だったり、ある程度のスタミナの許容量が増えていることは自覚することができている。もしかしたら、この仕事に馴染むことはできているかもしれない。そんな淡い期待を抱きながら仕事をする。それが期待だけでなければいい。
毎日を何度も繰り返して過ごしているはずなのに、未だに日中の温度には嫌悪感を覚えてしまう。夏の時期であれば暑いという感覚、冬であればパイプの冷たさを皮膚に感じる。
今日に関して言えば、皮肉なくらいにいい天気である。夏はまだ来ないはずなのに、それでも日が高く昇るたびに夏の匂いを感じずにはいられない。春の終わりでさえ、俺はまだ感じることができていないのに。
「おーい、止まってんぞ。バテてんのかぁ?」
考え事をしていたせいか、いつの間にか足を止めてしまっていた。そんな様を恭平は嘲るように笑った。
俺はその言葉に首を振って、まだやれます、という言葉だけを返した。その言葉を彼は咀嚼すると、満足そうな顔をしてまた作業に取り組む。俺も、彼と同じように作業へ取り組まなければいけない。
ここでは、弱音を吐くことは許されない。上下関係というものもあるが、そもそもこの仕事を選んだのは自分自身である。各々がそうなのだから、弱音を吐くことは絶対に許されない。吐くつもりもないけれど。
辞めたくなる時はいつだってある。毎日、目覚めるたびに仕事を諦めてしまいたくなる事が大半だ。でも、それに従えるほどに俺の環境は充実していない。
俺には皐がいる。皐がいるから、頑張れる。
ひどく背徳的であることが頭に過るけれど、そんなことを考えている場合ではない。
弱音は吐けない。せめて吐くのならば、皐の前だけで十分だ。
◇
「調子はどうだ?」と恭平はいつも通りに煙草を差し出しながら聞いてきた。俺はそれを受け取ると、ぼちぼちです、と答えることしかできない。その質問が仕事についてなのか、学校のことについてなのか、いまいち考えがつかないまま適当に返事をした。適当なままに、俺は煙草に火をつけて、そうして煙を吸い込んだ。
「勉強とか難しいらしいじゃねぇか」
彼の言葉を咀嚼して、ようやく先ほどの言葉が学校に関連したものであったことに気づく。俺のさっきの返答が正しかったのかを頭の中で振り返りながら、どちらにせよ、ぼちぼちです、としか返せないことに気づいた。
「……そこまで難しくはないですよ。なんというか、初心者向け、みたいな内容の授業が行われてますね」
「ほぇー、いいじゃねえか。楽しそうで」
そんな言葉に、はは、と乾いた笑いを返した。俺はそれが楽しいのかはわからない。でも、充実しているという感覚はどこかにある。
そうして頭の中に過るのは、昨日の部活動に対しての行動。
伊万里は前向きに吃音症に対して向き合おうとしている。そのために、俺もできることをしなければいけない。自己犠牲に近いことかもしれないけれど、彼女を見ていると放っておけない感覚がいつまでもわだかまる。
自己犠牲は美徳ではない。いつか考えた事柄が頭を反芻して仕方がない。
「……なんか考えてんのか?」
恭平は俺を見て不思議そうに呟いた。一瞬、彼が何を意図してそんな言葉を吐いたのかわからなかったけれど、煙草の先を見つめてみれば、吸いがらが自然と地面に落ちていた。いつもならそんなことはしないはずなのに。
「別に、なんでもないっすよ」
俺は足でそれを消して、勢いよく煙草の煙を吸い込んだ。
肺にわだかまる熱度のようなもの。むせかえりそうになる呼吸の感覚、どことなく苦しさを覚えるけれど、それを呑み込んで、しばらく吐き出さないまま、肺にすべてを味わわせる。
美味しくはない。だが、そうすることで心地がいいと錯覚できる眩暈が俺を支配してくれる。
「まあ、それならいいけどよ」
煙草を吸い終わったらしい恭平は、立ち上がって持ち場の方に戻ろうとしている。休憩時間はまだ十数分ほど残されているのに、それでも彼は仕事をする。
……いや、そうしているのは俺のためだ。俺が早くに帰るから、その分の仕事を彼はしているのだ。
煙草を吸っている場合ではない。俺は溜め込んだ息を吐き出して、そうして立ち上がる。
ここでの個人は、個人でしかない。集団の中の一人でもない。仕事をしなければいけない。
◇
いろいろと考えなければいけないことがある。そこまでたくさんあるわけじゃないけれど、目を逸らしてはいけないことがたくさんあるような気がする。
原チャリを走らせて、静かな風に揺られながら考えを巡らせる。
仕事のこと、部活動のこと、伊万里のこと、皐のこと。恭平にばかり負担をかけていることの申し訳なさ。せめて、早出をして彼の負担を減らさなければいけないこと。部活動を立ち上げる上で、伊万里が勧誘できる方法を考えること。最初のハードルは高いだろうから、ポスターとかを作るのも悪くはないかもしれない。伊万里の吃音症の対策にできるだけ会話の種を用意しておくこと。身内である俺と皐で会話をすることにも意味はあるだろう。そして、迷惑をかけてしまっている皐に対してできるいくつかのこと。
頭が眩む感覚がする。煙草の時とは違うような、そんな確かな頭痛に似た眩暈。
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