妹とゆるゆる二人で同棲生活しています 〜解け落ちた氷のその行方〜

若椿 柳阿(わかつばき りゅうあ)

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弐/偶然にも最悪な邂逅

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 夜の道を歩くことについて、だいぶと慣れが出てきたような気がする。以前であれば、慣れていない暗がりの道であっても、自分の歩く道なりについてを容易く把握することができていて、特に何か転びそうな感覚もないまま、静かに靴音だけを響かせる。隣には、皐の呼吸音。

「伊万里ちゃん、やる気があってよかったね」

 皐はそう言葉を呟いた。

 皐は伊万里のことを、いつの間にか“さん”から“ちゃん”と呼ぶようになった。彼女らの会話をそれほどまでに目撃していないので、いつの間に変遷したのかはわからない。だが、仲が深まったという外野の実感が心の片隅で反芻した。

 彼女の言葉を咀嚼して、俺は相槌を打つ。

「それなりに伊万里も頑張りたいってことだろ。その気持ちがあるのは、確かに安心感があるよな」

 俺は彼女の今日の振舞を頭の中で振り返りながら、そうして考える。

 行動する力とは、行動する思考を働かせることが必要となる。つまり、やる気のない人間はいつまでも変わることはできないということである。

 伊万里にはやる気がきちんとある。だからこその“天文部”という自分なりの意見を吐いたのだろう。

 後ろ向きな人間は、いつまでたっても後ろを向き続けることでしか自分を肯定できない。

 それに比べれば、彼女はきちんと前を向こうとしている。俺が促しているという要素もあるだろうが、それだけに収まらず、彼女自身でやりたいことをきちんと明示して、取り組もうとしている。

 ただ、生きながらえて、適当に生き続けている俺よりマシな生き方だ。

「うん、そうだね」

 皐は俺の言葉に明るい素振りを返しながら、そう呟いた。





 ただ流されるままに生きている自分のことを思えば、伊万里という人間は誰よりも前向きに生きようとしていると捉えることができているだろう。

 俺は自立というものを飾り立てて、それっぽい雰囲気だけで生きている。そこに理由がないまま、適当に流されるままに生きている。

 俺が何で生きているか、何のために生きているのかを考えるのは、いつだって億劫になってしまう。

 目標もなく、目的もなく、禁忌愛だけを育み、それを理由として生きようとしている。生きる目的に皐を“使っている”。それはひどく背徳的な行為だと思えてしまう。

 俺は、独りで生きることができない。独りで過ごすことができない。

 今日だってそうだ。空いた時間を皐と一緒に過ごすことで消費をした。

 それに彼女を使っている。

 そもそもが禁忌なのに、その禁忌の中心を刺すように、背徳的な行為を続けている。

 俺は彼女のことが好きだ。愛している。きっと、それは本物だ。

 俺の中で、それは本物だ。

 でも、愛に形はない。

 本物なんて存在しない。

 偽物なんて存在しない。

 愛着に形は存在しない。

 恋愛であっても、それが禁忌と言われる近親愛でも変わらない。

 そんな本物も偽物もない存在に、俺は身をゆだねている。確かな好意と行為を言い訳にして過ごしている。それは、どうしようもないほどに愚かだろう。

 生きる目的を他者に設定するのは良くない。

 自己犠牲とは美徳ではない。

 理由を自分に見つけることのできない貧困者が出した逃避的な結論であり、それを生きる目的と設定するのは背徳的であり、倫理的ではない。 

 もしかしたら、俺が行っていることは共依存と言えるものかもしれない。

 ……そうだろうか。

 皐は別に、俺に依存しているわけではない。俺だけが皐に依存している。だから、片方に寄りかかる依存だ、共に依存しているわけではない。驕ってはいけない。彼女は彼女で生きていくことができるはずだ。

 俺は、俺なりの理由で、俺なりの目的で、俺の中でそれを完結させなければいけない。その中で生きることを肯定しなければいけない。

 そうしなければ、隣にいてくれる皐に対して、誠実に向き合っていると言えるだろうか。他人に寄りかかる生き方は、あまりにもその存在を愚弄しているということにならないだろうか。傲慢ではないだろうか。

 彼女が隣にいてくれるのは、今だけなのかもしれない。

 俺以上の他人という存在に出会ってしまえば、俺のことを忘れて、他人に靡いてしまうかもしれない。

 毎秒、そんな不安が襲ってくる。

 それは、彼女に対して信頼をしていないということにつながるかもしれない。俺の中で真に彼女を信じることができていない自己の不足からかもしれない。

 俺は愚かで、傲慢で、どうしようもない人間だ。

 それに対して、近親愛を言い訳に使うのは間違っているような気がする。近親愛だからといって、他人の存在を考えるのは違う。

 近親愛でなくても、普遍的な恋愛であっても、他人の存在に靡くことはあるはずだ。

 だからこその俺の母であったはずだ。

 ……吐き気がする。考えれば吐き気がする。

 両親の愛を本物として投影していたからこそ、俺は真なる本物を求めているのかもしれない。

 本物があるのかはわからない。それは偽物なのかもしれない。

 偽物も何も存在しないかもしれない。

 形となるものに愛というものは存在しない。

 その真偽を問うことは神でさえできない。心が見えない俺たちに、その形を求めることは難しい。

 夜の夢の中にいた小劇場を思い出す。

 夢の中にいた人形の言葉が頭の中に呼び起こされる。

『でも、愛に形はない。愛情に形はない。愛着に形はなく、恋愛にも形はない。どこまでも本当はわからない。偽物もわからない。真偽はない。理由はない。代償行為で埋めたとて、それはがらんどうのものにしかならない。それは正しいことなのだろうか』

 俺の背中をなぞる倫理観が、止め処なく俺の心を刺激する。

 俺は、この人形の問いに向き合わなければいけない。

 人形である自分自身に向き合わなければいけない。

 人形が定義する倫理に、その正しさに向き合わなければ、俺は生きることを許されない。

 皐と共に過ごすことは許されない。

 近親愛に向き合うのならば、皐に向き合うのならば、他人にそれをとがめられても、正しさを突きつけられても、止まらぬほどの誠実さを持たなければいけない。

 そうすることで、俺は彼女に向き合いたい。

 彼女と、本物を探したい。

 そのために、俺はいつまでも倫理を問い続けなければいけないのだ。

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