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壱/倒錯とも言える純愛的関係性
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◇
さようなら、とホームルームを終わらせた間延びする声が教室に響き渡った。皐に関しては律儀に教師へと向かって声をあげている。俺はその声の中に耳を浸すだけして紛れることしかできない。いちいち声を出すことが面倒くさかったから。
その間にも、俺は視線を伊万里の方に映し続けた。
伊万里は後方からの俺の視線に気づくことはなく、皐と同じように挨拶に紛れている。でも、彼女の声については聞こえてこない。距離感のせいなのか、それとも単純に俺と同じように声を出していないだけなのか。
唯一、俺と違う点を挙げるのならば、丁寧に教師に向かって挨拶と同時に頭を下げている様子。俺はそれを認識しながら、自分の不真面目さを頭の片隅に置いて、この後にするべきことを頭に過らせた。
「話しかけに行くの?」
教室が真面目だった空気から解放されると、皐は俺の方を見て、そう言葉をかけてきた。
「あとで話そうって約束したしな。あの会話の後で何もしないって言うのは嘘つきになっちゃうだろ」
「……まあ、そうかも」
皐は訝りながらも納得するような声を返したので、それに合わせたように俺たちは傍らにかけていた鞄を持って、伊万里の方へと移動する。
解放された教室の空間には、穏やかな空気が循環している。二日目ということもあって、話すことのできる間柄を見つけたものたちについては適当な会話をしながら教室に残っている。そのなかに紛れることのできなかった人間はそそくさと足を早くして帰っていく。
伊万里は、まだその場にとどまっている。
特に変える様子を見せることはなく、ただ席に座ってぼうっと、まるでなにかを待っているような……。
……いや、俺がこれを考えるのは違う気がする。俺が彼女に「あとで」と声をかけたのだから、彼女はその時を待っているのだ。
「おつかれ」と俺は伊万里に声をかけた。
声をかけると、彼女は珍しく(?)背を弾ませることはなく、ゆっくりと後ろを振り向いて「お、おおおつかれさまです」と返事をした。
「……えらいな」
俺は彼女が適切に対応する姿を見て、そのまま感想を言葉に出す。
「あれだろ。俺が話しかけるってわかっていたから、きちんと心の中で準備していたんだろ? 偉いじゃないか」
「は、話しかけるとうう自惚れていたわけではないのです、が、や、約束したので」
彼女は言葉の吃りとは異なって、穏やかな表情をしている。
……後ろから、皐に背中を小突かれる。少し痛い。
「そういえば、伊万里さん……、いや、伊万里は携帯とか持ってるのか?」
「ももも、持ってますよ!」
彼女はそういうと、慌てた様子で学生鞄からまさぐる様子を見せつけた。まさぐった結果出てくるのは、当たり前ではあるものの、スマートフォンである。
「い、い、いつもアプリの方にお金を入れているので、ひ、ひちゅじゅひんなんです……」
必需品、と言いたかったのだろう。噛んだのか、吃ったのかはわからないが、その言葉をとらえることはできた。
「……というか、お金とかをチャージするときって、店員と関わらないのか?」
「え、えと、あの、銀行さんを使えば、関わらなくても入金できるんです」
「なるほど」と俺は彼女の言葉に返した。
俺は彼女が入金するための金をどこから入手しているのかが気になったけれど、おそらく働いているというわけでもないだろう。だから、特に気にしないことにして、俺も携帯を取り出した。皐の方に目配せをすると、彼女も同じように携帯を取り出す。
「それじゃあ、とりあえず連絡先でも交換しようぜ」
◇
「本当に、大丈夫かな」
昨日のように淡い街灯に照らされながら、皐は静かに声を呟いた。
歩く足音に紛れながら、少しばかり冷たく感じる夜風が辺りに吹いている。その風の音に紛れながらも、皐の声は確かに俺の耳に届いた。
皐の方に視線を向ければ、俺に対して訝るようにずっと視線をぶつけている。その視線に対して俺は真っすぐに見つめなおして「まあ、大丈夫だろ」と適当に答えた。
「実際、なんだかんだ放っておけない感じがするんだ。具体的な理由は思い浮かばないけれど、なんとなくな」
「……気持ちはわからなくもないけどさ」
皐は訝る雰囲気を崩さないままに言葉を続ける。
「私は不安なんだ。翔也が伊万里さんに流されていかないかどうか」
「……流される?」
言葉の意味を咀嚼できない俺は、そのまま言葉を返す。
皐はその言葉を受けて、話を続ける。
「だって、伊万里さん、なんか可愛いっぽいし、翔也が好きになるかもしれないって考えると、不安でたまらないです」
「……それは──」
違和感のある彼女の敬語を咀嚼しながら、彼女の抱いている感情を想像する。
──それは、俺が皐に対して抱いている感情と同一だ。
近親愛だからこそ、愛している人間が他人に対して好意を持つことに対して恐怖を覚えてしまう感覚。
血がつながっている、血がつながっていない、それだけで感情がとがるように神経質になる感覚。
どこまでも不安なのだ。他人という存在が現れるたびに、もしかしたらその他人を選ぶ可能性が生まれてしまうことが。
でも、それを覆い隠しているのは、互いにその可能性は少ないと考えているからだ。
それだけに愛情は、恋慕は確かなベクトルで相互に向き合っていて、それを信頼だと俺たちは捉えている。
だが、それは可能性は少ない、というだけ。
ゼロではない。
ゼロではないというだけで、俺は不安になるし、皐だってこうして不安を示している。
互いに拘束しあわなければ、そうして安心感を飾ることもできやしない。
これが他人だったのなら、どうなんだろう。
わからない、俺はその答えを捨てたのだから。この人生を選んでいるのだから。
「俺は、皐が好きだよ」
だから、きちんと好意を言葉で示すことしか、彼女の思いに答えることはできない。
その言葉の真意をとらえることは難しい。どこまでも本物か偽物か、言葉だけでとらえることができたのなら、人間は関係の営みに苦労はしない。
だから、できるのは精一杯に言葉を吐くだけ。
彼女は、ふーん、と返しながら、そのあとゆっくりと歩みを進める。
興味のないような返事をしていながらも、彼女の頬は少しだけ緩んでいて、それだけで俺の心は穏やかになる。
どうか、皐には俺の言葉が本当として届いていてほしい。そんな願いが心の中で祈るようにこだました。
さようなら、とホームルームを終わらせた間延びする声が教室に響き渡った。皐に関しては律儀に教師へと向かって声をあげている。俺はその声の中に耳を浸すだけして紛れることしかできない。いちいち声を出すことが面倒くさかったから。
その間にも、俺は視線を伊万里の方に映し続けた。
伊万里は後方からの俺の視線に気づくことはなく、皐と同じように挨拶に紛れている。でも、彼女の声については聞こえてこない。距離感のせいなのか、それとも単純に俺と同じように声を出していないだけなのか。
唯一、俺と違う点を挙げるのならば、丁寧に教師に向かって挨拶と同時に頭を下げている様子。俺はそれを認識しながら、自分の不真面目さを頭の片隅に置いて、この後にするべきことを頭に過らせた。
「話しかけに行くの?」
教室が真面目だった空気から解放されると、皐は俺の方を見て、そう言葉をかけてきた。
「あとで話そうって約束したしな。あの会話の後で何もしないって言うのは嘘つきになっちゃうだろ」
「……まあ、そうかも」
皐は訝りながらも納得するような声を返したので、それに合わせたように俺たちは傍らにかけていた鞄を持って、伊万里の方へと移動する。
解放された教室の空間には、穏やかな空気が循環している。二日目ということもあって、話すことのできる間柄を見つけたものたちについては適当な会話をしながら教室に残っている。そのなかに紛れることのできなかった人間はそそくさと足を早くして帰っていく。
伊万里は、まだその場にとどまっている。
特に変える様子を見せることはなく、ただ席に座ってぼうっと、まるでなにかを待っているような……。
……いや、俺がこれを考えるのは違う気がする。俺が彼女に「あとで」と声をかけたのだから、彼女はその時を待っているのだ。
「おつかれ」と俺は伊万里に声をかけた。
声をかけると、彼女は珍しく(?)背を弾ませることはなく、ゆっくりと後ろを振り向いて「お、おおおつかれさまです」と返事をした。
「……えらいな」
俺は彼女が適切に対応する姿を見て、そのまま感想を言葉に出す。
「あれだろ。俺が話しかけるってわかっていたから、きちんと心の中で準備していたんだろ? 偉いじゃないか」
「は、話しかけるとうう自惚れていたわけではないのです、が、や、約束したので」
彼女は言葉の吃りとは異なって、穏やかな表情をしている。
……後ろから、皐に背中を小突かれる。少し痛い。
「そういえば、伊万里さん……、いや、伊万里は携帯とか持ってるのか?」
「ももも、持ってますよ!」
彼女はそういうと、慌てた様子で学生鞄からまさぐる様子を見せつけた。まさぐった結果出てくるのは、当たり前ではあるものの、スマートフォンである。
「い、い、いつもアプリの方にお金を入れているので、ひ、ひちゅじゅひんなんです……」
必需品、と言いたかったのだろう。噛んだのか、吃ったのかはわからないが、その言葉をとらえることはできた。
「……というか、お金とかをチャージするときって、店員と関わらないのか?」
「え、えと、あの、銀行さんを使えば、関わらなくても入金できるんです」
「なるほど」と俺は彼女の言葉に返した。
俺は彼女が入金するための金をどこから入手しているのかが気になったけれど、おそらく働いているというわけでもないだろう。だから、特に気にしないことにして、俺も携帯を取り出した。皐の方に目配せをすると、彼女も同じように携帯を取り出す。
「それじゃあ、とりあえず連絡先でも交換しようぜ」
◇
「本当に、大丈夫かな」
昨日のように淡い街灯に照らされながら、皐は静かに声を呟いた。
歩く足音に紛れながら、少しばかり冷たく感じる夜風が辺りに吹いている。その風の音に紛れながらも、皐の声は確かに俺の耳に届いた。
皐の方に視線を向ければ、俺に対して訝るようにずっと視線をぶつけている。その視線に対して俺は真っすぐに見つめなおして「まあ、大丈夫だろ」と適当に答えた。
「実際、なんだかんだ放っておけない感じがするんだ。具体的な理由は思い浮かばないけれど、なんとなくな」
「……気持ちはわからなくもないけどさ」
皐は訝る雰囲気を崩さないままに言葉を続ける。
「私は不安なんだ。翔也が伊万里さんに流されていかないかどうか」
「……流される?」
言葉の意味を咀嚼できない俺は、そのまま言葉を返す。
皐はその言葉を受けて、話を続ける。
「だって、伊万里さん、なんか可愛いっぽいし、翔也が好きになるかもしれないって考えると、不安でたまらないです」
「……それは──」
違和感のある彼女の敬語を咀嚼しながら、彼女の抱いている感情を想像する。
──それは、俺が皐に対して抱いている感情と同一だ。
近親愛だからこそ、愛している人間が他人に対して好意を持つことに対して恐怖を覚えてしまう感覚。
血がつながっている、血がつながっていない、それだけで感情がとがるように神経質になる感覚。
どこまでも不安なのだ。他人という存在が現れるたびに、もしかしたらその他人を選ぶ可能性が生まれてしまうことが。
でも、それを覆い隠しているのは、互いにその可能性は少ないと考えているからだ。
それだけに愛情は、恋慕は確かなベクトルで相互に向き合っていて、それを信頼だと俺たちは捉えている。
だが、それは可能性は少ない、というだけ。
ゼロではない。
ゼロではないというだけで、俺は不安になるし、皐だってこうして不安を示している。
互いに拘束しあわなければ、そうして安心感を飾ることもできやしない。
これが他人だったのなら、どうなんだろう。
わからない、俺はその答えを捨てたのだから。この人生を選んでいるのだから。
「俺は、皐が好きだよ」
だから、きちんと好意を言葉で示すことしか、彼女の思いに答えることはできない。
その言葉の真意をとらえることは難しい。どこまでも本物か偽物か、言葉だけでとらえることができたのなら、人間は関係の営みに苦労はしない。
だから、できるのは精一杯に言葉を吐くだけ。
彼女は、ふーん、と返しながら、そのあとゆっくりと歩みを進める。
興味のないような返事をしていながらも、彼女の頬は少しだけ緩んでいて、それだけで俺の心は穏やかになる。
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