妹とゆるゆる二人で同棲生活しています 〜解け落ちた氷のその行方〜

若椿 柳阿(わかつばき りゅうあ)

文字の大きさ
上 下
10 / 88
壱/倒錯とも言える純愛的関係性

1-3

しおりを挟む


 四月から本格的な仕事も始まった。

 本格的な仕事と言っても、大概が運搬の仕事で、それを本格的と言っていいのかはわからない。でも、三月のときより関わる大人の声は、一人間に対しての声かけへと変化していて、俺は尚更仕事に向き合うことの大切さを知った。

 自炊をした。最初はコンビニ弁当ばかりに手を出していたけれど、そのうちに食費だけで大半を失いそうであることに気づいて転換した。それで作る飯が美味いわけではなかったもの、それでも腹を満たすことができれば一日動くことができる。だから、特に心配はいらなかった。

 関わるべき人間と、関わってはいけない人間がいることを職場で知った。とりあえず、相槌を打つことが多くなった。相槌を打っていれば、俺から話すことは少なくなる。それでも中学を卒業した俺に対して関心を持つものは多い。それを冷たくあしらっていたら話しかけてくるものは少なくなった。唯一、坂口 恭平という先輩がしつこく俺に声をかけてきて、そうして関わることになったけれど。

 それでも四月からの生活は苦しいことが拭えなかった。湯船に入ることができない辛さを改めて知った。銭湯にでも行けばいいのだろうが、三月の体験期間で得た給料はそこまで大きな金ではなかった。なにせフルタイムでは働いていなかったし、そもそもが仕事内容の見学だった。それを無駄にすることは控えなければならなかった。

 持っていた携帯については、母の庇護を意識してしまうから、仕事が唯一休みの日曜日に、母が住んでいるアパートのポストに入れた。だから、暇つぶしについても存在しなかったし、人と関わる機会も存在しない。

 独りでいる空間は静かで、どうしようもなく寂しかった。

 いつもなら寝る時間帯、皐が隣にいるはずだった。布団の温もりに包まりながら、互いに耳を塞いでいたことを当時はよく思い出していた。彼女の温もりが欲しい、と考えることもあったし、一度犯した禁忌を反芻して、それが本当に許されるべきことなのか、を何度も自問する。でも、その問いに答えが返ってくることはなく、ただ自己嫌悪だけがかさまししていく。

 あの時、本当に俺は皐を受容してよかったのだろうか、行為に及んでしまってよかったのだろうか、最終的な選択をしたのは自分自身だった、だからその罪を償うべきは俺自身だった。

 夜になれば、何度もそんなことを頭の中で考える。暇つぶしの道具がない、ということも原因としてあっただろうが、それだけでは理由はつかないだろう。

 ひどく孤独だった。だが、人と関わる気も存在しなかった。

 あらゆるものが無気力になっていく感覚。何をしても徒労に感じて、動くことに対しての億劫さが働く。

 それでも朝になれば起きなければいけなくて、仕事を休むことを頭にちらつかせるけれども、そうしても意味がないことに気づいてしまうから、結局、会社に向かって、乗り合いで現場に向かう。

 そんな、虚無のような毎日を送っていた折に、俺は皐と邂逅した。





 確か、六月末くらいの時期だったと思う。

 仕事が終わり、そうしてくたびれてしまった身体を引きずって、いつも通りに家に帰った。

 帰ろうとした。

 帰ろうと、社宅アパートの階段を昇っている最中に、すんすんと泣く声が遠く近くで聞こえてきた。

 聞き覚えのあるすすり泣く声。

 幼い頃に聞いた気もするし、それで区切らずとも身近で聞いたような声。

 俺が、ぬくもりの中にいたときの声。

「──皐?」

 俺は玄関の前に体操座りでいる皐を視界に入れた。





 彼女は涙の理由を話さなかった。俺は彼女に何を話せばいいのか迷い続けた。

 久しぶりだな、とか、元気にしていたか、とか、いろんな言葉は思いつくけれど、そのどれもを吐き出すことはできなかった。彼女の誕生日に何も言伝をしていなかったことを思い出して、俺にはそんな権利はないということを勝手に認識した。だから、ひたすらに俺は彼女の言葉を待つことしかできなかった。

 部屋には何も存在しない。彼女が、ひっくひっく、としゃっくりのような声音をあげる音だけが響いていた。それを緩和してくれるテレビも、ラジオも、電話もなかった。だから、彼女が泣いていることだけしか俺には認識できなかった。

 俺は、それから彼女の耳を塞いだ。

 なぜそうしたのかは、自分でもわからない。でも、なんとなくそうするべきだと思ったからそうしてしまった。

 懐かしい感触だった。でも、彼女の耳を抑えるこの手が仕事で汚れていることが気になった。彼女を汚してしまっていないのか、それだけが気がかりだった。ごわごわしている手の感触を皐に被せるのが申し訳なく感じた。

 彼女は、俺の手をさらに包んだ。

 ぬくもりがあった。別に、俺はそうしてほしいわけじゃないのに、どこかそれが温かくて泣きそうになってしまった。彼女の泣き声に同調してしまった。

 彼女は俺の目を見ていた。久しぶりに見る彼女の表情は、俺の孤独を和らげてくれた。

 だから、静かに俺は彼女の目を見つめた。

 言葉はなかった。どこまでも、いつまでも言葉はなく、ただ静かな時間だけを彼女と味わった。





 父との間に何があったのかはわからない。彼女はそのことを話そうとしないし、そして俺もそれについて聞くつもりはない。彼女も母については聞こうとはしない。

 それでイーブンだから、それでいい。

 それからなんとなくかけおちのような生活が始まった。それだけの話なのだから、それでいい。





「なに黄昏れてんのさ」

 ベランダで煙草を吸っていると、皐がじとっとした目をしながらやってくる。

 やってきた拍子に、俺がベランダの傍らに置いていた煙草とライターをとると、彼女も慣れたように吸い始める。

「別に、昔のことを思い出しただけ」

「そっか」

 皐は、特に何もない、というように呟いた。

 皐の煙草を吸う姿は、絵になっているような感覚がする。

 風に靡く髪、煙が揺れる、瞳は火種を見つめている、吐き出される薄くなった白色。

 俺も彼女と同じように、深く肺に吸い込んだ。

「俺たち、不良だな」

「そうだね、不良カップルだね」

 皐は俺のそんな言葉に笑った。

 俺も、そんな言葉に笑ってしまった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

疎遠になった幼馴染の距離感が最近になってとても近い気がする 〜彩る季節を選べたら〜

若椿 柳阿(わかつばき りゅうあ)
ライト文芸
「一緒の高校に行こうね」 恋人である幼馴染と交わした約束。 だが、それを裏切って適当な高校に入学した主人公、高原翔也は科学部に所属し、なんとも言えない高校生活を送る。 孤独を誇示するような科学部部長女の子、屋上で隠し事をする生徒会長、兄に対して頑なに敬語で接する妹、主人公をあきらめない幼馴染。そんな人たちに囲まれた生活の中で、いろいろな後ろめたさに向き合い、行動することに理由を見出すお話。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

体育座りでスカートを汚してしまったあの日々

yoshieeesan
現代文学
学生時代にやたらとさせられた体育座りですが、女性からすると服が汚れた嫌な思い出が多いです。そういった短編小説を書いていきます。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

処理中です...