上 下
8 / 88
壱/倒錯とも言える純愛的関係性

1-1

しおりを挟む


 禁忌を犯したのは、いつのことだっただろうか。
 
 そもそも禁忌という意識を持っていたのかすら危ういものだ。俺はそれを受容してしまったから、よくわからない。

 幼い頃の距離感というものを言い訳にすることはできるだろうが、それだけで許されるものではない。少なくとも、それが罪であることは禁忌を犯したときにはわかっていたはずだから。





 俺の両親は不仲だった。別に、最初から不仲だったわけではない。端的に、父の仕事が忙しくて、そこから喧嘩が増え、居間の空気が冷えるような感覚があるだけだった。

 幼い頃に経験する家庭の不和は、幼い子供の精神に影響を及ぼす。それがどんな倫理観を子供に育むのか、大人たちは何も知らなかった。

 床下から聞こえてくる怒声は子供の心を殺すものでしかない。その内容が、俺たちに関わるものでなかったとしても、自分の見知っている人間が、両親と言える関係性が口論を繰り返す様子は、精神衛生上よくなかった。

 夜中、何度も眠るふりを繰り返した。その成果はなかったけど。

 時折聞こえる物音で目を覚ましてしまうからどうしようもなかった。

 耳を塞ぐことも億劫になって、そうしてぼうっと布団の中に潜っていた。

 そんな時に皐が俺の部屋に入ってきたことを覚えている。

 確かノックはなかったはずだ、静かにドアが開いたことを俺は認識した。ドアの外から聞こえてくる喧噪が、扉の開閉によって大きくなったり、小さくなったりした。

 皐は静かに俺のベッドに座り込んだ。眠るふりを続けることはしなかった。兄として彼女に何かをしなければいけないと思った。

 ゆっくりと起き上がり、そうして彼女の耳を塞いだ。そうすることで、彼女の心が父や母に壊されないことを祈りながら、俺だけが喧噪に浸った。

 そんな日常の中に絆されて、互いに距離感を狂わせていく。

 いつの日か、皐が部屋に来ることは普遍的な習慣になり、そうして一緒のベッドの上で、布団の中で互いの温度を確かめ合った。

 互いに顔を向き合わせて、喧噪が聞こえるたびに彼女の耳を塞いだ。彼女もそれに応えるように、俺の耳を塞いだ。互いに互いを守るようにした、距離感は狂い続けた。

 包まった布団の中で、彼女の熱が俺の体に反芻した。きっと、彼女自身も俺の熱を留めていたように思う。

 溶け合う感覚に似ている気がした。溶け合う感覚というものがあるのなら、これこそが溶けあうと表現されるべきものだと思った。

 そんな日々が続いた末路として、両親は離婚することになった。当たり前の結末ともいえるものであり、帰結ともいえるものだった。

 原因は母の不貞であった。忙しく働く父に対して、仇を返すようにして不貞を働いた。

 言い訳のような罵詈雑言を母は父に浴びせていた。最終的には、悪びれる様子を一切見せることなく、すべての事柄をいなすようにだけ振舞っていたのが、未だに記憶の中にこびりついている。

 離婚する上で、皐の親権は父に、俺の親権は母に渡った。金銭的負担を考えたうえでの結論らしい。父が申し訳なさそうな顔で俺の顔を見ていたことを今でも思い出す。

 そんな頃だ、決定的な禁忌を犯してしまったのは。

 禁忌の初めは皐からだった。二人を分かつことが決定的になった日の夜、彼女は俺の部屋にやってきた。やってきていた。

 俺は眠っていた。瞳を閉じていた。意識を夢の中に浸していた。

 いつの間にか、俺は温もりの中にいた。乾いた布団とは違う、湿度のある温もりの中にいた。

 呼吸をすることができなかった。代わりに無理に呼吸をさせてくる息遣いが口腔を支配していた。

 俺は目を覚ました。

 目の前には彼女がいた。皐がいた。切ない表情をしていた。感情が入り混じった顔をしていた。涙がこぼれていた。寂しそうな顔をしていると思った。祈るような視線を感じた。泣きそうな顔をしていた。泣いていた。これから先に行う行為の悪行を身に映すような瞳だった。

 現状を把握するのに時間はかからなかった。俺は彼女の中にいた。彼女の温もりの中にいた。心地よさがあった。溶け合うことがそれだと認識せずにはいられなかった。今までのことは偽物でしかない感覚があった。

 でも、その心地よさを疑問に思わなければいけない本能があった。倫理観があった。

 でも、彼女を拒むことはしたくなかった。無理に離すことはなかった。

 どうせ、その日を境に彼女と会うことは少なくなる。だから、彼女を俺は受容した。

 長い時間だった。外の世界が明るくなるまで、互いに声を殺しながら身を浸しあった。彼女が声を出しそうになると、皐は誤魔化すように俺の口をふさいだ。

 俺の口の中で彼女の声は響いた。俺はそれを受け容れた。絡む舌の感触を確かめた。

 それはひとつの愛だった。

 俺と彼女は受容しあった。

 愛を物理的に表現した。

 精神的では見つからないから、それを一つの契りとして、愛と定義することにした。

 そうすれば、何もかもが許されるような気がしたから。

 それが、一つの終わりと始まりだったのだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

黄昏は悲しき堕天使達のシュプール

Mr.M
青春
『ほろ苦い青春と淡い初恋の思い出は・・  黄昏色に染まる校庭で沈みゆく太陽と共に  儚くも露と消えていく』 ある朝、 目を覚ますとそこは二十年前の世界だった。 小学校六年生に戻った俺を取り巻く 懐かしい顔ぶれ。 優しい先生。 いじめっ子のグループ。 クラスで一番美しい少女。 そして。 密かに想い続けていた初恋の少女。 この世界は嘘と欺瞞に満ちている。 愛を語るには幼過ぎる少女達と 愛を語るには汚れ過ぎた大人。 少女は天使の様な微笑みで嘘を吐き、 大人は平然と他人を騙す。 ある時、 俺は隣のクラスの一人の少女の名前を思い出した。 そしてそれは大きな謎と後悔を俺に残した。 夕日に少女の涙が落ちる時、 俺は彼女達の笑顔と 失われた真実を 取り戻すことができるのだろうか。

疎遠になった幼馴染の距離感が最近になってとても近い気がする 〜彩る季節を選べたら〜

若椿 柳阿(わかつばき りゅうあ)
ライト文芸
「一緒の高校に行こうね」 恋人である幼馴染と交わした約束。 だが、それを裏切って適当な高校に入学した主人公、高原翔也は科学部に所属し、なんとも言えない高校生活を送る。 孤独を誇示するような科学部部長女の子、屋上で隠し事をする生徒会長、兄に対して頑なに敬語で接する妹、主人公をあきらめない幼馴染。そんな人たちに囲まれた生活の中で、いろいろな後ろめたさに向き合い、行動することに理由を見出すお話。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

学園ミステリ~桐木純架

よなぷー
ミステリー
・絶世の美貌で探偵を自称する高校生、桐木純架。しかし彼は重度の奇行癖の持ち主だった! 相棒・朱雀楼路は彼に振り回されつつ毎日を過ごす。 そんな二人の前に立ち塞がる数々の謎。 血の涙を流す肖像画、何者かに折られるチョーク、喫茶店で奇怪な行動を示す老人……。 新感覚学園ミステリ風コメディ、ここに開幕。 『小説家になろう』でも公開されています――が、検索除外設定です。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

処理中です...