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第三章 灰色の対極

3-11 少しほこりくさいね

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 流石に秋という季節が近いこともあって、幼い頃に見ていた彩のある花々については、そこまで色彩を見せていない。周囲にある木々に関して言えば、彩をつけるための葉も失いつつあり、見ただけで寂しさを覚えさせてきそうな、そんな感覚がする。

 そんな彩のない世界に包まれ、そうして灰色の空に見下げられている、ひとつの保育園。この保育園は確かな宗教を根幹に置いているため、日中に関しては一般人でも立ち入ることができる教会が隣で開かれている。その教会に立ち入る人間はさまざま。それこそ、シスターのような人間がいたり、もしくはどこか憂いを顔に掲げている老婆、もしくは無感情に十字架を見つめる青年、少しばかり意外性を感じてしまうサラリーマンの姿など、本当に千差万別にこの教会を利用している。

 「ここが環の通っていた保育園なの?」

 「……うん。もう、そんなに覚えていないのが正直なところだけれど」

 覚えていない、というのは、単純な記憶の衰退なのか、それとも母が言うように父によって記憶を消されたからなのかはわからない。よくよく思い出そうとしても、保育園の頃のことは何一つとして覚えていない。大人に声をかけられたこと、もしくは母が十字架を見て涙を流していたことは覚えているけれど、保育園で過ごした時間の詳細については、特に覚えていないのだ。

 「葵はさ、昔のこととかって覚えてる?」

 「うーん、どうだろう。ぶっちゃけ思い出そうと思えば思い出せるかもしれないけれど、ちょっと難しさがあるかな」

 葵はそうつぶやきながら、保育園の門から中を眺めている。保育園の中には子供たちが遊具に身体を絡ませるように遊ぶ姿が視界に入る。

 自分の幼い頃を改めて振り返ってみても、そうした遊具で遊ぶ記憶は何もない。ただ単に寂しい過ごし方をしていたのかもしれないが、どこか記憶の欠落がいまだに蔓延っている気がしてならないのだ。

 「それで、どうするの?中に入るの?」

 「うん。とりあえず、教会の方には行ってみて、天音のことを知る人がいるか聞いてみようかなって」

 ──あの魔法教室の記憶の欠落について、個人的に考えたことがある。

 僕の母が言うには、父は神父だったという。そして、幼い頃に別れを経験させたくない、という理由で記憶を消したのは神父である父であったと母は話していた。

 これは仮の想像である。妄想に近いものかもしれない。だが、その想像の中で考えたのは、教会の関係者ならば、記憶を消す術がもしかしたらあるのかもしれない、という可能性。なんならこじつけに近い考えではあるが、どうせそれ以外に探す当てもないのだから、仕方なく僕と葵は、昔通っていた保育園に来ている。

 保育園の横には教会、そこには子どもはまばらにしかおらず、だいたいが大人しかいない。子供心に教会を見た時の感想は、特に面白そうじゃない、ということくらいしか記憶にないから、子どもが寄り付かないのも仕方がない。

 「……なつかしいな」

 ふと出てきた言葉。記憶にはないけれど、どこかその空気感が僕の心を刺激する。嗅いだことのある臭い、見たことのある景色、そのどれもがすべて心に一致するようで、涙が流れそうな錯覚を覚える。

 別に涙もろいわけでもない。錯覚は錯覚でしかなく、結局雫が落ちることはなく、また涙腺が緩むということもない。その感情は僕の中にはないのだから仕方がない。

 感情は記憶に宿るものだ。だからこそ、記憶が欠落している僕には、その感情が生まれるのは錯覚のようなものでしかない。

 「とりあえず行こうよ」

 葵にそう声をかけられて、僕は保育園に侵入する。子供たちが少しばかり不思議そうな顔をしてこちらを見るのが、少しだけ気になった。





 教会の中はくぐもった空気があって、呼吸がしづらいような感覚がする。窓を開ければいいのに、その空気を漏らさんとするように教会の中は人の呼吸し終わった空気が介在して嫌になる。

 「少しほこりくさいね」

 葵がそうつぶやいた。ほこりくさい、という言葉で表したのは、彼女なりの優しさだとは思う。それ以上にあまり出してはいけない言葉ばかりが僕は思い浮かぶけれど、それを表に出すのはやめておいた。

 教会の中は、やはり様々な人が十字架に対して祈りをささげている。祈り手をささげて目を閉じる人、もしくはぼうっと十字架を見つめる人。更にもしくは十字架なんて視界にいれることはなく、ただほかの人間を眺めるだけの僕という存在もいる。

 そのどれもが、どの行動も許されていて、特に縛られる空気間は存在しない。だからこそ、自由でいる感覚はするけれども、これからしなきゃいけないことを考えると、どこか億劫だ。

 「……緊張してる?」

 「し、し、してないよ」

 だいぶと上ずった声が出て、葵がそれを笑う。

 別に大したことをするわけでもない。単純に、ここに務めているいるシスターに話しかけて、天音のことを聞くだけなのだけれど、見知らぬ人に会話をする勇気がないので、それ以降に行動することができない。

 「……私が声かけよっか?」

 「お願いします」

 即答だった。思えば彼女を連れてきたのも、無意識的に頼ろうという気持ちがあったからかもしれない。





 「あの、すいません」

 入り口の近くで清掃をしているシスターに葵は話しかけた。

 声をかけられたシスターは床から視線を挙げて、葵と僕の顔を視界に入れる。そうして上げた表情には、どこか見覚えがあるような気がしたけれど、特に記憶はない。

 「はい、どうされましたか?」

 「ええと、聞きたいことがあって──」

 葵がその言葉からさらに続けようとしたところで、

 「あれ?環くんじゃない?」

 シスターから名前を呼ばれる。

 ……なんというか、最近こんなことばかりだな、って思う。

 「……はい、そうですけど」

 記憶はないから、少し控え気味な反応になる。彼女は僕のことについて見覚えがあるみたいで、目を少しばかり輝かせながら僕に視線を向ける。

 「いやーなつかしいね。保育園以来じゃん」

 そう声をかけられて、目の前にいるシスターのことを思い出そうとするけれども、特に記憶には残っていない。どう反応すればいいのか、自分でもよくわからなくなる。

 見た目については、同年代くらいだと思う。だからこそ、当時保母ではない人だということは想像に難くないので、関わりがないと思っていたのだが。

 「……ええと、どちらさまでしたっけ」

 申し訳ないけれど、僕はそう返すしかない。彼女はその言葉を聞いて、「えー、寂しいな」と苦笑するけれど、その後に「ま、小さい頃の話だもんね、仕方ない仕方ない」と付け足してくれた。それが尚更申し訳ないのだけれど。

 

 ◇

 その後は、僕とシスターが昔どういう関わりをしていたのか、という話になる。彼女は昔、保育園での同園生らしく、当時僕と遊んでいたことがあったらしい。積極的とまでは彼女は言わなかったが、彼女が昔のことを話せるほどに覚えているのならば、きっと僕も彼女と遊んだのだろう。

 でも、やはり記憶にはない。思い出すこともできない。

 「──それで、なんのようなん?」

 シスターの身なりではあるものの、軽い口調で彼女は僕と葵にそう声をかけてくれる。それで本来するべきことを思い出して、僕は彼女に話した。

 「天王寺天音っていう人はいますか?」

 その言葉を聞いて、彼女は──。

 「──ごめん、知らないかな」

 と、そう答えたのだった。

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