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一章 「普通じゃない」ストーカー事件
女たらし
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河童とその弟子を連れて館内を歩く。
「この辺りはお客さんは入れないんだけど……従業員は鍵の場所知ってるから、入れないことは無いと思う。でも私の部屋の鍵は私と親くらいしか持ってないから誰でも入れるって訳では無いはず」
古い旅館といえども、セキュリティは特に甘くない。従業員も皆長く勤めている人ばかりだ。こう何度も犯人が侵入するのはどうにも腑に落ちなかった。
「妖怪が関わっているなら、人間の防犯対策などしてないのと同じだ。妖怪の種類にもよるがな」
「一反木綿なんかならドアの隙間から侵入出来ますし、幽霊なら壁もすり抜けられますからね」
人間界の常識は妖怪には通用しないらしい。絵里は、こんなことならばオカルト研究会の活動にもっと真面目に参加しておけば良かったと反省した。
夕食の準備に追われる両親たちの邪魔をしないよう注意しながら一つ一つ説明していく。
「ここは住み込み部屋。今の時期はいないけど、もう少ししたら短期のアルバイトの人が寝泊まりするの。この奥は従業員用のお風呂とかキッチンとか」
「視線を感じるのは、主にどこにいる時ですか?」
「うーん。本当に色々だなあ。ここを歩いている時もそうだし、ロビーとか人の多い所でも。――あ、このドアの先を少し行ったらロビーだよ」
内鍵を開けて通り、すぐにまた鍵をする。絵里が両親に渡されている鍵は、ここと裏口と自室の鍵のみである。
受付やお迎えの仲居に会釈しながら、絵里はしまった、とこっそり呟いた。相良は部屋で待っていて貰うべきだった。化野は仲居たちに見えないが、相良は人間だ。彼女達の目には、絵里が年下の男を連れ込んでいるように見えてもおかしくない。
幼い頃から、館内を遊び場にするなと再三注意されてきた。遊んでいるのではないが、じゃあ何をしているのか、と聞かれても答えに困る。これだけの人数に見られては、すぐ母の耳にも入るだろう。
「あー、絵里ちゃんだあ」
今日はよく人に見つかる。少し離れたところから大声で絵里を呼んだのは、最近常連となった大月優だった。
白いブラウスに幾何学模様の変わった柄が入ったロングスカートという出で立ちの彼女は、細かなパーマをかけた髪を揺らしながら絵里に駆け寄る。
「二週間ぶり! かなあ? あたし、今日からからまた泊まりに来てるんだ」
「こんにちは。絵は順調ですか?」
美大生だという大月は、「ここで描くのが一番はかどる」という理由で度々絵を描きにやってくる。いつも素泊まりで、部屋に籠もっているために顔を合わせる事は少ないが、話相手が欲しいのか年の近い絵里にしばしば話しかけてくる。
大月は絵里の問いに苦い顔で笑った。
「微妙だなあ。今から息抜きにご飯食べに行くとこなんだあ」
「たまにはうちで食べればいいのに」
「ビンボー学生だもんー。食べてみたいけど」
残念そうに言って、大月は絵里の後ろを見上げた。
「あれ、絵里ちゃんの彼氏?」
絵里は目を瞬かせてから首だけで後ろを顧みた。相良が大きな目を更に大きくしている。
「ちちちっちちがいます。友達です!」
動揺する絵里の背後で相良がにっこり笑って「どうも」と挨拶した。
大月は「ふうん」とだけ言うと、じゃあまた、と大きく手を振り立ち去ってしまった。
その後ろ姿に顔を顰めたのは化野だった。
「おかしい」
「……もしかしてまた妖気がなんとかって言うんじゃ」
熱くなった顔を手で仰ぎながら絵里は声をひそめた。誰かに聞かれたら言い訳に困る。
化野はきっぱりとした口調で言った。
「あの女、相良に無反応だった」
「へ? あー、そういえば」
「相良には人間の女をたらし込む方法を教え込んでいる。挨拶だけでも多少は反応を見せる筈だ」
「まあ男の子に興味ない人とかもいるから。――ってか、なにを教えてるのよ」
絵里は相良の不自然なまでに女慣れした言動を思い出し声を荒げた。はっとして口を押さえる。
「完璧な筈なんだがなあ。女のタイプ別の対処法も考えた方が良いか」
ぶつぶつ言う化野に、相良は「不甲斐ないです」と肩を落としている。
「何が不甲斐ないのかさっぱりわかんない」
「だって僕、化野さんの弟子なんですよ」
至極真剣な表情の相良に、絵里は頭が痛くなりそうだった。相談する相手を間違えたかと、今さらになって己の行く末を案じてしまう。ついでに相良の将来も。
「かっ……化野さんの弟子と女たらしになるのとはどういう関係が?」
「えっ。そっか、絵里さんはまだ知らないんですね。師匠の妖気に触れた女性は、それだけで師匠を好きになっちゃうんです。あ、師匠自身の魅力ももちろんですが」
絵里は顔をぐにゃぐにゃに歪めた。事実なら衝撃的すぎる。しかし、そう言われてみると化野が現れた時、女の妖怪が二人も寄り添っていた。
「でも私全然化野さんに惚れてないよ」
「……人間は手間が掛かる上にかなり面倒なことになるからな」
化野がふて腐れたように言った。
言葉の少ない師の代わりに相良が説明する。
「人間の女性には取り憑かないといけないんです。でも取り憑かれると人間には耐えられなくて、色恋に狂ってしまうらしくて」
絵里は化野に取り憑かれた自分を想像してぞっとした。
「お前には取り憑きたくないから安心しろ」
顔に出ていたのか、化野は絵里を見上げると肩を竦めた。
*
私が守ってあげるのだ。
彼女のためならなんだってしよう。
味方の一人もいないあの家で、私のことをただの「私」として見てくれた。
こんな家どうだっていい。こんな私もどうだっていい。彼女がいるから私は存在した。
彼女は私の全身を作っている。彼女の言葉も思想も、彼女が私に与えた全てが、私を作る一部なのだ。
*
「この辺りはお客さんは入れないんだけど……従業員は鍵の場所知ってるから、入れないことは無いと思う。でも私の部屋の鍵は私と親くらいしか持ってないから誰でも入れるって訳では無いはず」
古い旅館といえども、セキュリティは特に甘くない。従業員も皆長く勤めている人ばかりだ。こう何度も犯人が侵入するのはどうにも腑に落ちなかった。
「妖怪が関わっているなら、人間の防犯対策などしてないのと同じだ。妖怪の種類にもよるがな」
「一反木綿なんかならドアの隙間から侵入出来ますし、幽霊なら壁もすり抜けられますからね」
人間界の常識は妖怪には通用しないらしい。絵里は、こんなことならばオカルト研究会の活動にもっと真面目に参加しておけば良かったと反省した。
夕食の準備に追われる両親たちの邪魔をしないよう注意しながら一つ一つ説明していく。
「ここは住み込み部屋。今の時期はいないけど、もう少ししたら短期のアルバイトの人が寝泊まりするの。この奥は従業員用のお風呂とかキッチンとか」
「視線を感じるのは、主にどこにいる時ですか?」
「うーん。本当に色々だなあ。ここを歩いている時もそうだし、ロビーとか人の多い所でも。――あ、このドアの先を少し行ったらロビーだよ」
内鍵を開けて通り、すぐにまた鍵をする。絵里が両親に渡されている鍵は、ここと裏口と自室の鍵のみである。
受付やお迎えの仲居に会釈しながら、絵里はしまった、とこっそり呟いた。相良は部屋で待っていて貰うべきだった。化野は仲居たちに見えないが、相良は人間だ。彼女達の目には、絵里が年下の男を連れ込んでいるように見えてもおかしくない。
幼い頃から、館内を遊び場にするなと再三注意されてきた。遊んでいるのではないが、じゃあ何をしているのか、と聞かれても答えに困る。これだけの人数に見られては、すぐ母の耳にも入るだろう。
「あー、絵里ちゃんだあ」
今日はよく人に見つかる。少し離れたところから大声で絵里を呼んだのは、最近常連となった大月優だった。
白いブラウスに幾何学模様の変わった柄が入ったロングスカートという出で立ちの彼女は、細かなパーマをかけた髪を揺らしながら絵里に駆け寄る。
「二週間ぶり! かなあ? あたし、今日からからまた泊まりに来てるんだ」
「こんにちは。絵は順調ですか?」
美大生だという大月は、「ここで描くのが一番はかどる」という理由で度々絵を描きにやってくる。いつも素泊まりで、部屋に籠もっているために顔を合わせる事は少ないが、話相手が欲しいのか年の近い絵里にしばしば話しかけてくる。
大月は絵里の問いに苦い顔で笑った。
「微妙だなあ。今から息抜きにご飯食べに行くとこなんだあ」
「たまにはうちで食べればいいのに」
「ビンボー学生だもんー。食べてみたいけど」
残念そうに言って、大月は絵里の後ろを見上げた。
「あれ、絵里ちゃんの彼氏?」
絵里は目を瞬かせてから首だけで後ろを顧みた。相良が大きな目を更に大きくしている。
「ちちちっちちがいます。友達です!」
動揺する絵里の背後で相良がにっこり笑って「どうも」と挨拶した。
大月は「ふうん」とだけ言うと、じゃあまた、と大きく手を振り立ち去ってしまった。
その後ろ姿に顔を顰めたのは化野だった。
「おかしい」
「……もしかしてまた妖気がなんとかって言うんじゃ」
熱くなった顔を手で仰ぎながら絵里は声をひそめた。誰かに聞かれたら言い訳に困る。
化野はきっぱりとした口調で言った。
「あの女、相良に無反応だった」
「へ? あー、そういえば」
「相良には人間の女をたらし込む方法を教え込んでいる。挨拶だけでも多少は反応を見せる筈だ」
「まあ男の子に興味ない人とかもいるから。――ってか、なにを教えてるのよ」
絵里は相良の不自然なまでに女慣れした言動を思い出し声を荒げた。はっとして口を押さえる。
「完璧な筈なんだがなあ。女のタイプ別の対処法も考えた方が良いか」
ぶつぶつ言う化野に、相良は「不甲斐ないです」と肩を落としている。
「何が不甲斐ないのかさっぱりわかんない」
「だって僕、化野さんの弟子なんですよ」
至極真剣な表情の相良に、絵里は頭が痛くなりそうだった。相談する相手を間違えたかと、今さらになって己の行く末を案じてしまう。ついでに相良の将来も。
「かっ……化野さんの弟子と女たらしになるのとはどういう関係が?」
「えっ。そっか、絵里さんはまだ知らないんですね。師匠の妖気に触れた女性は、それだけで師匠を好きになっちゃうんです。あ、師匠自身の魅力ももちろんですが」
絵里は顔をぐにゃぐにゃに歪めた。事実なら衝撃的すぎる。しかし、そう言われてみると化野が現れた時、女の妖怪が二人も寄り添っていた。
「でも私全然化野さんに惚れてないよ」
「……人間は手間が掛かる上にかなり面倒なことになるからな」
化野がふて腐れたように言った。
言葉の少ない師の代わりに相良が説明する。
「人間の女性には取り憑かないといけないんです。でも取り憑かれると人間には耐えられなくて、色恋に狂ってしまうらしくて」
絵里は化野に取り憑かれた自分を想像してぞっとした。
「お前には取り憑きたくないから安心しろ」
顔に出ていたのか、化野は絵里を見上げると肩を竦めた。
*
私が守ってあげるのだ。
彼女のためならなんだってしよう。
味方の一人もいないあの家で、私のことをただの「私」として見てくれた。
こんな家どうだっていい。こんな私もどうだっていい。彼女がいるから私は存在した。
彼女は私の全身を作っている。彼女の言葉も思想も、彼女が私に与えた全てが、私を作る一部なのだ。
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