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番外編
拾い上げる存在
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第二章 近付く彼女 で距離を縮め始めた頃の、ルーファスのお話です。
ーーーーー
ルーファスは「スペア」として育てられてきた。
いずれ立太子するエドモンド第一王子、そしてエドモンドを補佐し、国内をまとめ上げるイアン第二王子の、更に予備。ほとんどお呼びのかかることのない三人目の王子だ。
国王が使用人に手をつけた落とし種だからこそ、公の場に立つこともない、影のような存在。兄たちに何かが起こらない限りは、使い道も特にない。
──というのが、まだ幼い頃に周囲の囁く声から知った、自身の生い立ちである。
『貴方に、トゥーリスを建て直して欲しいの』
ルーファスは謁見室で、もう何度目になるかわからない文面に眉を寄せた。目の前でこうべを垂れたトゥーリスからの使者が、びくりと肩を強張らせる。これも毎度のことである。
これ見よがしにため息をついて、ルーファスは使者に目をやった。
「相変わらず無駄なことばかりなさる。僕に使者を送るくらいなら、周辺諸国に遣わした方がよほど有益ですよ、とお伝えください」
「ではやはり、呑んでくださる気は……パメラ様はそちらに有利な条件も提示しておられますが」
「これのどこが有利ですか? 無駄な労力はお互い割かない方が良いと思いますよ」
笑みを深め、これで終わりだとパンと手を叩く。侍従が謁見室のドアを開け、トゥーリスからの使者に退出を促した。
これまで何度となく繰り返されてきた光景だ。そろそろ諦めという言葉を知れと言いたい。
ルーファスは謁見のあいだ一度も立ち上がることのなかった肘掛椅子に、肘をつき顎を乗せる。
「こちらの都合などお構いなしだな……」
耳ざとい侍従が目で問い掛けるのを、何でもない、と返す。ルーファスは苛立ちを隠すようにゆったりと微笑んだ。
全く、母と名の付く者はどれもこれも自分にとっては厄介なものでしかない。
義母──正妃であるオフェーリアの実家はヴェスティリアでも古くから名のある家で、重臣にも王妃の家の出の者が多い。そのためルーファスが産まれる前から何かと国政に介入していた。
父王のグスタフは豪放磊落な人だが、彼でもオフェーリアには頭が上がらない。かつて彼女の家に助力を請い、国が傾くのを防いだこともある身だ。政略結婚で妻となった彼女に対し、立場は弱い。
そのオフェーリアは、夫が使用人に手を付けたことを汚らわしいとして公然と厭(いと)った。
子供は国王の血を引くという理由で第三王子として引き取られたが、国王が使用人を王宮から追い出したと言っても、それで良しとはしなかった。
彼女の嫌悪は当然ながら幼子にも向けられた。
王子とは名ばかりの少年は、外交や国政については大した教育を施されることもなく、まるでそこにいない者のように扱われた。
王宮の片隅でひっそりと過ごす日々。母親代わりの乳母と最低限の護衛騎士の他にはろくに仕える者もいないままに、育てられたのだ。
「ルーファス殿下、差し出がましいとは存じますが……」
「何だ、フレイル」
使者を追い返した侍従の弱り切った声に、ルーファスもほんのわずかに眉を寄せた。だがあくまでも笑みは崩さない。
「このままでは埒があきません。一度トゥーリスに行かれては?」
「寒いのは苦手なんだ」
「そうは仰いましても、ここ一年ほどは使者の訪問も頻繁になってきましたし……」
侍従は使者が携えた書状の中身までは知らないが、主にとって歓迎すべきものでないことは察せられるのだろう。
ルーファス自身は進展させるつもりがないので、放っておきたい。侍従は躍起になって取りなそうとするが、小言はするりと反対の耳へ抜けるだけである。
「考えておくよ」
少しも考える気などないが、形だけはそう答える。安心したような侍従に人払いを命じた。侍従が出て行った謁見室は静かだ。ルーファスは再び肘掛け椅子に深く腰掛け、頬杖を突く。
庶子ではないと知ったのはいつだったか。
おそらく、オフェーリアが療養のために実家に下がったときだったと思う。それまで接触のなかった第一王子であるエドモンドに「フェアではないからな」と前置きされた上で告げられたのだ。だが何もフェアではない。ルーファスが知りたがっているかどうかなどお構いなしであった。
お堅いエドモンドらしい言い方ではあったが、知らされたからといってどうなるものでもない。真実を告げて楽になったのはエドモンドだけだ。
ともかく実際には、彼は庶子であるよりもよほど厄介な境遇であった。ルーファスは、父王が外遊中に隣国の王女に手を出した結果の子供であった。王女には婚約者がいた。父王も既に妃を迎えていたため、事は極秘の内に処理された。
知られれば、どんな危険が生じるかわからない。害意のある者に秘密を暴かれれば、ルーファスを利用してトゥーリスにヴェスティリアが飲み込まれる可能性もあるから、と。
そのことを知ってからは、更に息を潜めて日々をやり過ごすようになった。両国に争いの種しか生まないであろう自分。王妃に疎まれる自分。周りも絶大な権限を持つ王妃を恐れ、誰も近付いては来ない。
それを嘆く者も、庇う者もいない。
ルーファスは王宮の中で、迂闊な言動を取らぬよう常に微笑みの下に感情を隠した。
なるべく目立たないように、揚げ足をとられないように。蔑みの目で見られても、へらりと笑っていれば相手も話の通じない相手だと思って離れていく。そうやって処世術を身につけた。
思うところがなかったわけではない。だが、薄い笑顔を張り付けるのに慣れるまでさほど時間はかからなかった。今ではすっかり板についている。
「ルーファス、いるか? ここだと聞いたんだが」
「イアン兄上? どうぞ」
カチャリとドアの開く音がしてイアンが謁見室に入るのと、ルーファスが頬杖を止めるのは同時だった。
「マリアちゃんに会ったぞー」
開口一番、やに下がった顔でそう告げるイアンに、内心で深くため息をつく。マリアの姿を見られてからというもの、ことあるごとにからかわれるのだ。始末に負えない。無視するに限る。
ルーファスは椅子から立ち上がり、すたすたとイアンの横を通り過ぎようとした。
「おいおい、これから練習なんだろ? せっかく教えてやったのに礼の一つもないのか?」
「……兄上に言われなくてももう少ししたら移動するつもりでしたよ」
「そう言う割には、気が急いてるじゃねーか。マリアちゃん絡みのときだけだよなーお前のフットワークが軽いの。顔がにやけているぞ」
「部屋に入って来たときからにやけ顔の兄上に言われると、誰でもにやけているように見えているとしか思えませんが」
笑みを深めてみるが、さすがイアンだ。簡単には騙されないようだ。そう言えば、イアンと交わす言葉が増えたのもマリアと出会ってからではないだろうか。ルーファスはふと足を止めた。
すかさずぽん、とすれ違いざま肩に手を置かれる。目をやれば、案の定イアンは目を爛々と輝かせている。肩に置かれた手がどっと重さを増した気がした。
「隠すなって。お前を見つけてくれた天使だもんな。うんうん。俺はいつでもお前の味方になるぞ!」
「なら、マリアに近付かないでくださいよ。兄上がそのノリでは彼女が怯えるでしょう」
「だーいじょうぶだって! 彼女がそんな子に見えるか?」
「……見えません」
「だろ? それにまだ声は掛けてないからな」
「それは『会った』と言わないでしょう」
「いいじゃねーの。ほら、早く行けよ。また後で教えろよなー! 今日のマリアちゃん語録」
「謹んで遠慮いたします」
ため息混じりに軽く目でイアンを威圧し、ルーファスは足を速めた。
イアンは相変わらず、いいネタを見つけたとでも思っているのだろう。面白がる素振りを隠そうともしない。
だが、マリアが来たという知らせにルーファスの心が軽くなったのは紛れもない事実だ。さきほどまでの鬱とした気分が消え、今はただ彼女に早く会いたいという想いに取って代わる。
──僕を見つけてくれた天使、か。案外、イアンの言う通りかもしれない。
あの出会いの夜、ルーファスは自分が彼女を拾ったつもりでいた。
だが実のところ、王宮に居場所もなく存在を隠されてきた自分を拾い上げたのは、マリアの方だ。ルーファスから、薄い笑顔を引き剥がしたのも。
張り付けたものではない自然な笑みが零れる。背後での呆れたような笑い声を無視して、ルーファスは更に足を速めた。
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ルーファスは「スペア」として育てられてきた。
いずれ立太子するエドモンド第一王子、そしてエドモンドを補佐し、国内をまとめ上げるイアン第二王子の、更に予備。ほとんどお呼びのかかることのない三人目の王子だ。
国王が使用人に手をつけた落とし種だからこそ、公の場に立つこともない、影のような存在。兄たちに何かが起こらない限りは、使い道も特にない。
──というのが、まだ幼い頃に周囲の囁く声から知った、自身の生い立ちである。
『貴方に、トゥーリスを建て直して欲しいの』
ルーファスは謁見室で、もう何度目になるかわからない文面に眉を寄せた。目の前でこうべを垂れたトゥーリスからの使者が、びくりと肩を強張らせる。これも毎度のことである。
これ見よがしにため息をついて、ルーファスは使者に目をやった。
「相変わらず無駄なことばかりなさる。僕に使者を送るくらいなら、周辺諸国に遣わした方がよほど有益ですよ、とお伝えください」
「ではやはり、呑んでくださる気は……パメラ様はそちらに有利な条件も提示しておられますが」
「これのどこが有利ですか? 無駄な労力はお互い割かない方が良いと思いますよ」
笑みを深め、これで終わりだとパンと手を叩く。侍従が謁見室のドアを開け、トゥーリスからの使者に退出を促した。
これまで何度となく繰り返されてきた光景だ。そろそろ諦めという言葉を知れと言いたい。
ルーファスは謁見のあいだ一度も立ち上がることのなかった肘掛椅子に、肘をつき顎を乗せる。
「こちらの都合などお構いなしだな……」
耳ざとい侍従が目で問い掛けるのを、何でもない、と返す。ルーファスは苛立ちを隠すようにゆったりと微笑んだ。
全く、母と名の付く者はどれもこれも自分にとっては厄介なものでしかない。
義母──正妃であるオフェーリアの実家はヴェスティリアでも古くから名のある家で、重臣にも王妃の家の出の者が多い。そのためルーファスが産まれる前から何かと国政に介入していた。
父王のグスタフは豪放磊落な人だが、彼でもオフェーリアには頭が上がらない。かつて彼女の家に助力を請い、国が傾くのを防いだこともある身だ。政略結婚で妻となった彼女に対し、立場は弱い。
そのオフェーリアは、夫が使用人に手を付けたことを汚らわしいとして公然と厭(いと)った。
子供は国王の血を引くという理由で第三王子として引き取られたが、国王が使用人を王宮から追い出したと言っても、それで良しとはしなかった。
彼女の嫌悪は当然ながら幼子にも向けられた。
王子とは名ばかりの少年は、外交や国政については大した教育を施されることもなく、まるでそこにいない者のように扱われた。
王宮の片隅でひっそりと過ごす日々。母親代わりの乳母と最低限の護衛騎士の他にはろくに仕える者もいないままに、育てられたのだ。
「ルーファス殿下、差し出がましいとは存じますが……」
「何だ、フレイル」
使者を追い返した侍従の弱り切った声に、ルーファスもほんのわずかに眉を寄せた。だがあくまでも笑みは崩さない。
「このままでは埒があきません。一度トゥーリスに行かれては?」
「寒いのは苦手なんだ」
「そうは仰いましても、ここ一年ほどは使者の訪問も頻繁になってきましたし……」
侍従は使者が携えた書状の中身までは知らないが、主にとって歓迎すべきものでないことは察せられるのだろう。
ルーファス自身は進展させるつもりがないので、放っておきたい。侍従は躍起になって取りなそうとするが、小言はするりと反対の耳へ抜けるだけである。
「考えておくよ」
少しも考える気などないが、形だけはそう答える。安心したような侍従に人払いを命じた。侍従が出て行った謁見室は静かだ。ルーファスは再び肘掛け椅子に深く腰掛け、頬杖を突く。
庶子ではないと知ったのはいつだったか。
おそらく、オフェーリアが療養のために実家に下がったときだったと思う。それまで接触のなかった第一王子であるエドモンドに「フェアではないからな」と前置きされた上で告げられたのだ。だが何もフェアではない。ルーファスが知りたがっているかどうかなどお構いなしであった。
お堅いエドモンドらしい言い方ではあったが、知らされたからといってどうなるものでもない。真実を告げて楽になったのはエドモンドだけだ。
ともかく実際には、彼は庶子であるよりもよほど厄介な境遇であった。ルーファスは、父王が外遊中に隣国の王女に手を出した結果の子供であった。王女には婚約者がいた。父王も既に妃を迎えていたため、事は極秘の内に処理された。
知られれば、どんな危険が生じるかわからない。害意のある者に秘密を暴かれれば、ルーファスを利用してトゥーリスにヴェスティリアが飲み込まれる可能性もあるから、と。
そのことを知ってからは、更に息を潜めて日々をやり過ごすようになった。両国に争いの種しか生まないであろう自分。王妃に疎まれる自分。周りも絶大な権限を持つ王妃を恐れ、誰も近付いては来ない。
それを嘆く者も、庇う者もいない。
ルーファスは王宮の中で、迂闊な言動を取らぬよう常に微笑みの下に感情を隠した。
なるべく目立たないように、揚げ足をとられないように。蔑みの目で見られても、へらりと笑っていれば相手も話の通じない相手だと思って離れていく。そうやって処世術を身につけた。
思うところがなかったわけではない。だが、薄い笑顔を張り付けるのに慣れるまでさほど時間はかからなかった。今ではすっかり板についている。
「ルーファス、いるか? ここだと聞いたんだが」
「イアン兄上? どうぞ」
カチャリとドアの開く音がしてイアンが謁見室に入るのと、ルーファスが頬杖を止めるのは同時だった。
「マリアちゃんに会ったぞー」
開口一番、やに下がった顔でそう告げるイアンに、内心で深くため息をつく。マリアの姿を見られてからというもの、ことあるごとにからかわれるのだ。始末に負えない。無視するに限る。
ルーファスは椅子から立ち上がり、すたすたとイアンの横を通り過ぎようとした。
「おいおい、これから練習なんだろ? せっかく教えてやったのに礼の一つもないのか?」
「……兄上に言われなくてももう少ししたら移動するつもりでしたよ」
「そう言う割には、気が急いてるじゃねーか。マリアちゃん絡みのときだけだよなーお前のフットワークが軽いの。顔がにやけているぞ」
「部屋に入って来たときからにやけ顔の兄上に言われると、誰でもにやけているように見えているとしか思えませんが」
笑みを深めてみるが、さすがイアンだ。簡単には騙されないようだ。そう言えば、イアンと交わす言葉が増えたのもマリアと出会ってからではないだろうか。ルーファスはふと足を止めた。
すかさずぽん、とすれ違いざま肩に手を置かれる。目をやれば、案の定イアンは目を爛々と輝かせている。肩に置かれた手がどっと重さを増した気がした。
「隠すなって。お前を見つけてくれた天使だもんな。うんうん。俺はいつでもお前の味方になるぞ!」
「なら、マリアに近付かないでくださいよ。兄上がそのノリでは彼女が怯えるでしょう」
「だーいじょうぶだって! 彼女がそんな子に見えるか?」
「……見えません」
「だろ? それにまだ声は掛けてないからな」
「それは『会った』と言わないでしょう」
「いいじゃねーの。ほら、早く行けよ。また後で教えろよなー! 今日のマリアちゃん語録」
「謹んで遠慮いたします」
ため息混じりに軽く目でイアンを威圧し、ルーファスは足を速めた。
イアンは相変わらず、いいネタを見つけたとでも思っているのだろう。面白がる素振りを隠そうともしない。
だが、マリアが来たという知らせにルーファスの心が軽くなったのは紛れもない事実だ。さきほどまでの鬱とした気分が消え、今はただ彼女に早く会いたいという想いに取って代わる。
──僕を見つけてくれた天使、か。案外、イアンの言う通りかもしれない。
あの出会いの夜、ルーファスは自分が彼女を拾ったつもりでいた。
だが実のところ、王宮に居場所もなく存在を隠されてきた自分を拾い上げたのは、マリアの方だ。ルーファスから、薄い笑顔を引き剥がしたのも。
張り付けたものではない自然な笑みが零れる。背後での呆れたような笑い声を無視して、ルーファスは更に足を速めた。
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