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3. 叫ぶ彼女
不愉快な対面
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ちょうどその頃。ルーファスはパメラ、改めエミリア女王と正にシュヴェルツフト城で面会していた。
ひと目その姿を見て、ルーファスはこれまで実感のなかったその存在が急に現実となったことを思い知った。
「大きくなったんですね、ルーファス」
「お初にお目にかかります。……母上」
ルーファスはこれまでずっと避けてきた存在を初めて正面から受け止めた。
一度も会うことのなかった母、エミリア。王族なら普通は他国の王族についても幼い内に教わるものだが、ルーファスにはそれらの知識がほとんどない。外交の場に連れられた経験もないため、これが母の顔を見る初めての機会だった。
その麦の穂のような色の髪も、琥珀の瞳も、そのままルーファスに受け継がれていた。ずっと兄妹とは違うこの色をうとましく思っていたが、やはり自分はこの人の血を引いているのだと実感する。不思議な感慨でもって、ルーファスはその女性に見入った。
「座って? ゆっくり話をしましょう、ルーファス」
「いえ、長居をする気はありませんので」
「冷たいのね」
ルーファスを産んだとき彼女は十六だったというから、今は三十六のはずだった。それなのに目の前に座る彼女はどこか少女めいている。既に子を産んだ──ルーファス以外にもという意味で──身であるはずなのに、その琥珀の目はルーファスと違って純粋な輝きに満ちているような気がした。
「あなたは良く泣く赤ん坊だったのにね。もうこんなに」
「昔話はよしてください。あなたと僕の間には話す思い出もないのですから」
──懐かしむのはやめてくれ。白々しい。
ルーファスは彼女の言葉を遮った。涙の再会などくだらない。それに長くヴェスティリアを離れる気はないのだ。イアンが自分の仕掛けた通りに動いたとしたら、事が起きるのは自分が不在の間である。マリアは無事だろうか。
マリアに会いたい。目の前のエミリアは歳を感じさせない綺麗な女性だが、それだけだ。それよりも裏のない彼女と話す方がどれだけ良いだろう。
今ここに彼女が居ればどんなに心強かっただろう。
煉瓦色の髪も、アメジストの瞳も、いつも自分に強く訴えてきて目が離せなかった。その瞳はつぶらで、突っかかってくるときでさえ爛々として細く小柄な身体を補うようにいつも強気で生き生きとして。
彼女は自分を飾らない、相手を探らない。だからルーファスはいつも彼女の前では肩の力を抜いていられた。
目の前の人は心なしかやつれているようだ。マリアとは正反対だった。
「あの人は元気?」
「父上ですか……ええまあ、それなりに」
「そう、良かったわね」
乾いた声だ。エミリアが目を伏せ、結い上げた髪から零れ落ちる後れ毛をつといじった。
「母上は」
「あなたも見てきたでしょう、ここへ来る途中で。今はどこも殺伐としているわ。外からは虎視眈々と国を狙われ、内からはあからさまに王位を狙われている。私に男子がいないせいでね」
「トゥーリスは大国なのですから、そうやすやすと外憂に屈することはないのでは?」
「大国だからこそ、よ。些細な綻びで簡単に転がり落ちるわ。今の私みたいにね」
「だからと言って僕がそう都合良く動くとお思いですか。何度もお断りしたはずでしょう」
「仕方ないのよ。私はこの政情を招いた張本人だもの。娘たちはまだ幼いし、立て直すにはあなたしか適任がいないのよ」
「ずいぶんと僕を買いかぶっておいでですね」
エミリアは疲れた様子を隠さずに再びルーファスを見上げると、自身も移動しながら彼を応接セットに促した。仕方なしにルーファスもカウチソファに腰を下ろす。雪深いイズダールの冬を彩るためか、ソファは臙脂色に国花であるオルレアを模した深緑と金の刺繍が施され、暖かみのあるものだ。城の外観の剛健さとは対照的に、執務室の壁には歴代国王の自画像や宗教画などが飾られてもいる。
タイミング良く、腰を下ろした二人の前に香り高い茶が用意される。ルーファスは笑顔を向けつつ、わずかに眉を上げた。長居をする気はないのだが。
ルーファスは父王が若い頃に遊学した折に、当時のエミリア王女に手を出した結果できた子であった。
当時彼女は婚姻を控えていた。まして他国の王との姦通などどうあっても隠し通さなければならなかった。それでエミリアはひっそりとルーファスを産み落とし、その赤子はヴェスティリアで引き取ることになったのである。
互いに不可侵の秘密を保つために。
結婚したエミリアにはその後男子が産まれなかった。
トゥーリスはエミリアの代には女王であったが、基本的には代々男子が王位を継承する。そしてトゥーリスが他国からの侵攻の危機にある今、女王では心もとないという民の声があがるのも早かった。王配である彼女の夫が三年前に急逝したことも、その声を後押しした。
周囲が王族の遠縁を後継候補だとして擁立するも、それぞれに野心を抱えた彼らは互いに対立し熾烈な争いが繰り広げられているという。
したがって、女王の直系の血を引くルーファスを王太子として迎え入れることで人心の安定を図りたい、そしてヴェスティリアとの間の関係を強化することで他国の侵攻に備えたいという思惑の元、何度もルーファスの元に使者が送り込まれてきたのであった。
「ですが、僕の返事は変わりません。トゥーリスを継ぐことなど考えられません」
「この国が丸ごとあなたの手に入るのよ? 好きにしてくれていいわ。私はもう疲れたの。あの人がいなくなってから……」
エミリアが遠くを見つめる。視線の先には今はもういない彼女の夫がいるのだろう。それでも自分の返事は変わらない。
ヴェスティリアで第三王子として育てられたものの、ルーファスは常に気配を殺すようにして生きてきた。事情を知らない王妃に庶子として忌み嫌われたからである。
だからその怒りに触れないようになるべく周囲との関わりを失くし、関わる際には常に笑みを張り付けて相手の心に触れないようにし、また相手の心に留まらないようにしてもきたのだ。そのようにして生きざるを得なかった元凶が目の前にいるのである。そう簡単には全てを赦すことなどできそうにない。
「勝手なことを。女王なら責務を全うしてください」
言いながら、自分がそれを言っていいのだろうか──とちらと頭をかすめた。
逃げ回っているのは自分もではないか。この母と同じように。ルーファスは知らず首の後ろを揉んだ。
「あなたには国中を探して最高の女性との婚姻を約束するわ。だからお願い、母のところに──」
──何と言った?
エミリアの無神経な発言に、それまで冷笑ではあったものの笑顔を保っていた顔にぴきりとヒビが入ったのがわかった。沸々と怒りが湧き上がる。
母とは結局こんな人だったのか。当時の事情はどうあれ、こちらの様子を尋ねることもなくただ要求のみを口にして二十年の間何もしなかった人が──。
思いあまって拳をテーブルに叩き付ける。茶のカップが震え、金属音を奏でた。
「何も知らないくせに……! 頼むから放っておいてくれ!」
「ルーファス!!」
ルーファスが息も荒く立ち上がると同時に、バン、とドアを叩き付ける音が耳を打った。
皆が一斉にそちらを凝視する。
駆けこんできたのは誰あろう、今すぐ抱き締めたくてやまなかった、赤茶色の髪を振り乱し目を爛々と輝かせたマリアだった。
ひと目その姿を見て、ルーファスはこれまで実感のなかったその存在が急に現実となったことを思い知った。
「大きくなったんですね、ルーファス」
「お初にお目にかかります。……母上」
ルーファスはこれまでずっと避けてきた存在を初めて正面から受け止めた。
一度も会うことのなかった母、エミリア。王族なら普通は他国の王族についても幼い内に教わるものだが、ルーファスにはそれらの知識がほとんどない。外交の場に連れられた経験もないため、これが母の顔を見る初めての機会だった。
その麦の穂のような色の髪も、琥珀の瞳も、そのままルーファスに受け継がれていた。ずっと兄妹とは違うこの色をうとましく思っていたが、やはり自分はこの人の血を引いているのだと実感する。不思議な感慨でもって、ルーファスはその女性に見入った。
「座って? ゆっくり話をしましょう、ルーファス」
「いえ、長居をする気はありませんので」
「冷たいのね」
ルーファスを産んだとき彼女は十六だったというから、今は三十六のはずだった。それなのに目の前に座る彼女はどこか少女めいている。既に子を産んだ──ルーファス以外にもという意味で──身であるはずなのに、その琥珀の目はルーファスと違って純粋な輝きに満ちているような気がした。
「あなたは良く泣く赤ん坊だったのにね。もうこんなに」
「昔話はよしてください。あなたと僕の間には話す思い出もないのですから」
──懐かしむのはやめてくれ。白々しい。
ルーファスは彼女の言葉を遮った。涙の再会などくだらない。それに長くヴェスティリアを離れる気はないのだ。イアンが自分の仕掛けた通りに動いたとしたら、事が起きるのは自分が不在の間である。マリアは無事だろうか。
マリアに会いたい。目の前のエミリアは歳を感じさせない綺麗な女性だが、それだけだ。それよりも裏のない彼女と話す方がどれだけ良いだろう。
今ここに彼女が居ればどんなに心強かっただろう。
煉瓦色の髪も、アメジストの瞳も、いつも自分に強く訴えてきて目が離せなかった。その瞳はつぶらで、突っかかってくるときでさえ爛々として細く小柄な身体を補うようにいつも強気で生き生きとして。
彼女は自分を飾らない、相手を探らない。だからルーファスはいつも彼女の前では肩の力を抜いていられた。
目の前の人は心なしかやつれているようだ。マリアとは正反対だった。
「あの人は元気?」
「父上ですか……ええまあ、それなりに」
「そう、良かったわね」
乾いた声だ。エミリアが目を伏せ、結い上げた髪から零れ落ちる後れ毛をつといじった。
「母上は」
「あなたも見てきたでしょう、ここへ来る途中で。今はどこも殺伐としているわ。外からは虎視眈々と国を狙われ、内からはあからさまに王位を狙われている。私に男子がいないせいでね」
「トゥーリスは大国なのですから、そうやすやすと外憂に屈することはないのでは?」
「大国だからこそ、よ。些細な綻びで簡単に転がり落ちるわ。今の私みたいにね」
「だからと言って僕がそう都合良く動くとお思いですか。何度もお断りしたはずでしょう」
「仕方ないのよ。私はこの政情を招いた張本人だもの。娘たちはまだ幼いし、立て直すにはあなたしか適任がいないのよ」
「ずいぶんと僕を買いかぶっておいでですね」
エミリアは疲れた様子を隠さずに再びルーファスを見上げると、自身も移動しながら彼を応接セットに促した。仕方なしにルーファスもカウチソファに腰を下ろす。雪深いイズダールの冬を彩るためか、ソファは臙脂色に国花であるオルレアを模した深緑と金の刺繍が施され、暖かみのあるものだ。城の外観の剛健さとは対照的に、執務室の壁には歴代国王の自画像や宗教画などが飾られてもいる。
タイミング良く、腰を下ろした二人の前に香り高い茶が用意される。ルーファスは笑顔を向けつつ、わずかに眉を上げた。長居をする気はないのだが。
ルーファスは父王が若い頃に遊学した折に、当時のエミリア王女に手を出した結果できた子であった。
当時彼女は婚姻を控えていた。まして他国の王との姦通などどうあっても隠し通さなければならなかった。それでエミリアはひっそりとルーファスを産み落とし、その赤子はヴェスティリアで引き取ることになったのである。
互いに不可侵の秘密を保つために。
結婚したエミリアにはその後男子が産まれなかった。
トゥーリスはエミリアの代には女王であったが、基本的には代々男子が王位を継承する。そしてトゥーリスが他国からの侵攻の危機にある今、女王では心もとないという民の声があがるのも早かった。王配である彼女の夫が三年前に急逝したことも、その声を後押しした。
周囲が王族の遠縁を後継候補だとして擁立するも、それぞれに野心を抱えた彼らは互いに対立し熾烈な争いが繰り広げられているという。
したがって、女王の直系の血を引くルーファスを王太子として迎え入れることで人心の安定を図りたい、そしてヴェスティリアとの間の関係を強化することで他国の侵攻に備えたいという思惑の元、何度もルーファスの元に使者が送り込まれてきたのであった。
「ですが、僕の返事は変わりません。トゥーリスを継ぐことなど考えられません」
「この国が丸ごとあなたの手に入るのよ? 好きにしてくれていいわ。私はもう疲れたの。あの人がいなくなってから……」
エミリアが遠くを見つめる。視線の先には今はもういない彼女の夫がいるのだろう。それでも自分の返事は変わらない。
ヴェスティリアで第三王子として育てられたものの、ルーファスは常に気配を殺すようにして生きてきた。事情を知らない王妃に庶子として忌み嫌われたからである。
だからその怒りに触れないようになるべく周囲との関わりを失くし、関わる際には常に笑みを張り付けて相手の心に触れないようにし、また相手の心に留まらないようにしてもきたのだ。そのようにして生きざるを得なかった元凶が目の前にいるのである。そう簡単には全てを赦すことなどできそうにない。
「勝手なことを。女王なら責務を全うしてください」
言いながら、自分がそれを言っていいのだろうか──とちらと頭をかすめた。
逃げ回っているのは自分もではないか。この母と同じように。ルーファスは知らず首の後ろを揉んだ。
「あなたには国中を探して最高の女性との婚姻を約束するわ。だからお願い、母のところに──」
──何と言った?
エミリアの無神経な発言に、それまで冷笑ではあったものの笑顔を保っていた顔にぴきりとヒビが入ったのがわかった。沸々と怒りが湧き上がる。
母とは結局こんな人だったのか。当時の事情はどうあれ、こちらの様子を尋ねることもなくただ要求のみを口にして二十年の間何もしなかった人が──。
思いあまって拳をテーブルに叩き付ける。茶のカップが震え、金属音を奏でた。
「何も知らないくせに……! 頼むから放っておいてくれ!」
「ルーファス!!」
ルーファスが息も荒く立ち上がると同時に、バン、とドアを叩き付ける音が耳を打った。
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