拾った彼女が叫ぶから

彼方 紗夜

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1.拾った彼女

王宮、王子、ご用心

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 王立図書館からミリエール宮(パレス)へは、馬車に乗れば十五分もかからない。正門をくぐり、鮮やかな緑の庭園に囲まれた道を進み、正面入口に辿り着くまで更に十分といったところだろうか。けれど、これが徒歩なら随分と時間がかかるだろう。広大な敷地にはただただため息をつくばかりだ。
 全く来たことがないわけではない。マリアも以前は王族主催の舞踏会には招待されたのだから。だけど、今は場違い感が半端ない。
 あれよあれよという間に応接間に通され、三人は優に掛けられるソファに並んで腰掛けさせられた。

「ねぇ、ルーファ……ス、ちょっとこの距離は違うと思うわ」
「え? そうですか? 普通ですよ」
「これじゃ……」

 まるで親しい間柄みたいだ、と言いそうになってマリアは口ごもった。
 王子殿下に対して不敬すぎる。かといってやっぱりこれは、いわゆる密着というやつのような気がして落ち着かない。
 マリアはさり気なく、端の方へと移動した。
 ところが、にっこり微笑んだルーファスも同じように寄ってくる。
 静かな攻防が何度か繰り返された。ついにマリアはソファの端まで追い詰められ、がっくりと心の中でため息をついた。
 
 何なのだ、この流れは。
 ここまでくると混乱を通り越して諦めしかない。
 ここへ来る前に、ルーファスからは敬語も止めるよう命じられてしまった。
 「でないと、また頂いてしまいますよ?」
 と口元を緩められてしまっては従うしかない。ちなみに頂かれるのはこの場合もマリア自身である。
 王族に対して砕けた口調、しかもルーファスの方が自分に対して丁寧な口調なのは非常に据わりが悪い。何でこうなったんだろう。上手く言いくるめられたような気がして釈然としないけれど、頂かれてしまうよりはましだ。
 それにどこまで本気なのか、わからないし。
 
 悶々と考えている間に、なぜか彼の手がマリアの後ろに回って肩を引き寄せられた。思わず肩がぴくりと揺れた。
 やっぱりこれは遊ばれている。
 マリアも流れでここまでついてきてしまったけれど、でももう誰かの愛人だったり遊び相手になんてなりたくない。
 ソファの端でぎゅっと唇を引き結ぶ。 

「……離れて!」

 思ったよりも声が鋭くなって、マリアも一瞬自分で目を丸くした。ぽつりと続ける。

「気安く触らないで」

 ルーファスが一瞬だけ眉を下げた。それはすぐにくしゃりと崩れた表情に取って代わられたけど、その一瞬の寂しげな顔がマリアの胸にちくりと針を刺した。王族に対して拒絶を示すなど、不敬極まりない。だけどそれ以上に、昨夜は自分から身を任せたくせに、手のひらを返したように冷たく当たる自分が薄情なのではという気にさせられる。

「さすがマリアさん、そう簡単にはいきませんね。ちょっと調子に乗りましたね。すみません」

 マリアはまだどくどくと血の量を増して流れる脈を押さえつけるようにドレスの胸元をきゅっと握る。
 この男は何かと心臓に悪い。

「そうよ、幾ら殿……ルーファスでも、やってはいけないことはあるのに」
「すみません。つい、マリアさんが可愛くて」
「要らないから」
「……ぷっ。やっぱりマリアさんですね」

 何を言っても懲りた様子がない。どころかますますルーファスが笑みを深くした。しかもかすれ声だなんて狡い。
 それでも、マリアの拒絶を気にしないと言わんばかりの笑顔に、心ならずも救われた気になる。

 昨日から何か展開がおかしい。きっと混乱のせいで心臓が変調をきたしているのに違いない。
 ところがその心臓の音が元に戻らない内に
 「ルーファス、帰ったのか」と彼よりも一段低く鋭い声が降ってきた。反射的にマリアも彼に倣って立ち上がり、斜め後ろで頭を下げた。

「兄上、遅くなりました。無事に婚約発表を終えました。イエーナはそつなくこなしていましたよ。兄上たちが来られないことを残念がっていました」
「仕方ない、これも公爵を牽制するためだ。お前にも嫌な役どころをさせたな」
「いえ、僕は構いませんよ。着飾ったイエーナを見るのも悪くなかったですし」

 ぴくり、とマリアの肩が揺れた拍子に結い上げた髪の後れ毛も揺れた。ちなみに昨夜乱れた髪は、今朝ルーファスが起きる前に結い直した。この四年で簡単な髪型なら自分でもできるようになったのだ。最初は一つにまとめることしかできなかったが、不器用なマリアでも一応は形になる程度には上達したのだ。
 それはともかく、二人の話で思い出したのは昨夜のおっとりとした雰囲気の少女のことだ。そう、ガードナー公に降嫁される王女殿下である。
 そういえば昨日の少女のおっとりさをそっくり抜き取って、目元と顎の線に鋭さを足せば目の前の男性に似てなくもない。そしてこの男性は、マリアも過去に王族主催の舞踏会で拝謁した記憶がある。
 と、そこでマリアはやっと全てがつながった。

「あっ……! だからあの場に……」

 二人が同時にマリアを振り返る。マリアはバツが悪くなった。
 そうか、ルーファスは妹の婚約発表だからあの場にいたのだ。この国、ヴェスティリア王国には三人の王子と王女がいる。ルーファスは彼らの代わりに王女の婚約に立ち会ったということらしい。そういうことだったのか。
 ──ただ第三王子の顔は初めて見たけれど。そういえばルーファスという名前も初めて知った。

「ルーファス、このご令嬢は?」
「昨日夜会でお会いしたんですよ。気分が優れないようでしたので、一晩介抱をしていました」

 ──いけしゃあしゃあとこの男は。
 そう思いつつもマリアもさすがに正直に白状することなどとんでもないことだという意識はある。夜会の後になぜマリアを追ってきたのかはわからないが。
 マリアは、ちらとこちらを安心させるように目尻を下げたルーファスに促され、真紅のドレスをつまんで淑女の礼を取る。小さく名乗ったが、この男性はさして関心もなさそうに一瞥しただけだった。

「お前が? 珍しいな、お前が積極的に人と関わろうとするなんて。それともまさかご令嬢に無体を働いたのではないだろうな」
「兄上がそんな発想をなさるとは驚きました。僕には無体を働くほどの度胸もないですよ」

 マリアのこめかみがぴくりと引きつった。
 確かにあれは無体ではない……が、その指摘は全くの見当違いでもないと思う。ルーファスがさらりと受け流すのが、まるで昨日のことは何でもないことだとでも言っているようで苛立たしい。
 自分だってあれを大したことじゃなかったと思いたいのは同じのくせに。

「……っ、何を」

 兄上と呼ばれた王子、いや確かこの方はエドモンド王太子だ。その王太子が、眉をつり上げた。一方、ルーファスの方はへらりと笑っている。マリアは二人を交互に見たが、この二人もあまり似ていない。王太子は国王と同じ銀の髪に沖合いの海のような色をした瞳で、睨まれると凄みがある。対するルーファスは金の髪に琥珀色の暖かな陽だまりみたいな色合いで、対照的だ。
 近寄りがたそうな王太子と硬さなど全く感じられないルーファス。顔付きと同様、一見しただけでは兄弟の割りに似ているところが見つからない。

「とにかく僕は役目を果たしましたよ。指輪もお返しいたします。もう調印も済んだことですし、要らぬ誤解を招いてしまいましたからね」

 ルーファスがさっさとシグネットリングを外すと、王太子付きの侍従にぞんざいな仕草で渡した。

「ところで兄上、もうそろそろよろしいですか? これから彼女を診てもらいますので」

 ルーファスがにこやかに、だが会話を打ち切ろうとする意志をあらわにする。
 あれ? とマリアは首を傾げた。二人の会話がどことなく冷ややかに見えたのだ。不仲なんだろうか。それともマリアがこの場にいるからだろうか。
 エドモンドが忌々しそうな顔を浮かべてくるりと扉へ向きを変えた。

「ああ、そういえばパメラ殿からまた書簡が来ていた。お前の部屋に使者を待たせている。そろそろまともな返事をしたらどうだ」
「全くしつこいですねえ。返事は何度もしていますよ」
「なぜ受けない? その方がお前にとっても良いと思うが」
「いえいえ、僕には似合いませんよ。僕はここの片隅で生きているのが丁度良いんです。僕を追い出さないでくださいよ」
「お前はいつもいつも……」

 へらりと笑うルーファスに、エドモンドがため息をつく。
 だが結局エドモンドはそれ以上女性の前で言い争うべきではないと考えたのか、呆れたように彼をちらと見て足早に部屋を出て行った。顔を上げてその後ろ姿をぼんやりと目で追いながら、マリアはちらりと彼の様子をうかがう。
 ルーファスは相変わらずつかみ所のない笑顔だった。それにしても。

 ──誰だろう、パメラ様って。
 そんな名前の貴族令嬢がいただろうか。
 と、ほんの一瞬でも気にしてしまった自分がおかしくて、マリアは頭を振ってその名前を追い払った。
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