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ただひたすら剣を振る、師匠との修行の日々が始まる。

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 胃が痛くなるような入学式も終わり、俺はトボトボ屋敷に帰ってきた。
 本格的な授業は明日から始まるらしい。


「ふんッ、ふんッッ!」


 悲しい気持ち――雑念を払うため、いつもより気合を入れて木刀を振る。
 ひたすら回数を素振りしたい時は、剣よりも木刀を選ぶことが多い。重い長剣を振り続けると肉体への負荷がかかりすぎ、正しい型が崩れてしまうからだ。
 それに、今日の夜はハウゼン師匠との修行もある。素振りで疲れ果てるわけにはいかない。


「ふッ、はぁッ……ん?」


 一意専心で木刀を振り続けること数時間。いつの間にか辺りは薄暗くなっていた。
 中庭にある噴水時計を見る。時刻は夜の六時を回っていた。いや六時は夕方か? まあどっちでもいいか。


「ハウゼン師匠との約束は七時だったよな。まだ時間あるし、今のうちにジェシカさんの晩飯をつくっておこう。帰りが遅くなるかもしれないもんな」


 汗を吸って重くなった道着を脱ぎ、ひとけのない屋敷の中に入っていく。
 ジェシカさんはまだ帰ってきていない。俺が引っ越してきてから一週間、ジェシカさんは八時より早く帰ってきたことがない。本当に忙しい人だ。


「……よし、準備完了」


 新しい道着に着替え、ジェシカさんの晩飯も手早く用意した俺は、屋敷の玄関前でハウゼン師匠を待つ。


「もうすぐジェシカさんも帰ってくるだろうし、玄関の灯りは点けたままにしておこう」


 俺は魔鉱石でつくられた玄関灯を見上げた。
 明るいだけではなく、わずかに放熱しているのでじんわり暖かい。 


「おっ、準備万端のようじゃな。ギル坊」


 待つこと五分。角灯ランタンを手に、ハウゼン師匠が迎えにきた。


「師匠、こんばんは」
「うむ。こんばんは」


 俺が挨拶すると、ハウゼン師匠は優しく笑った。



 ◆◆◆



「――あの、師匠。俺の修行って学院の中でやるんですか?」


 ハウゼン師匠の後ろを歩きながら、俺はその背中に問いかける。
 屋敷を出た俺たちは学院の校門をくぐり、木々の間を伸びる遊歩道を進んでいた。
 夜の学院は昼間とは打って変わって静かだ。なんだろうな。怖くはないが、変な感じだった。


「学院の広大な敷地の端っこに儂の道場があるんじゃ。もっとも、ほとんどの生徒は存在すら知らぬがな」


 前を向いたまま、ハウゼン師匠が答えてくれる。
 へえ、そうなのか。剣聖の道場ってどんなところなんだろうな。興味が湧いてきた。
 そうこうしているうちに、前を歩いていたハウゼン師匠の足が止まる。


「着いたぞ。ここじゃ」


 言い方は悪いが、思っていたよりもこじんまりした道場だった。昔ながらの木造建築である。
 実家のおんぼろ道場ほどではないけど、年季も入っていて冬は寒そうだった。


「……なんじゃその顔は。大したことなくて拍子抜けしたか?」
「ああいえ、そんなことは――ちょっとしました」


 少し考えた末に素直な気持ちを答えると、ハウゼン師匠はくつくつ笑って。


「馬鹿正直なやつじゃな。エドガーそっくりじゃわい」


 俺の頭を豪快に撫でてきた。鍛えていなかったら首の筋を痛めていただろう。


「師匠、痛いです」
「ははははっ。照れるな照れるな」
「いえ照れてないです」


 いまいち嚙み合っていない、そんなやり取りをしつつ、


「夜はまだ冷えるが、少し動けば体もあったまるじゃろうて」


 俺たちは道場の中へ入っていく。
 つくりは実家の道場と同じような感じだった。


「あれ? 師匠ってアーサー流剣術の使い手だったんですか?」


 俺の視線の先には、『円卓館えんたくかん』と書かれた扁額へんがくが飾ってある。
 ハウゼン師匠がアーサー流の剣士だということは知らなかった。でも、おかしい。今まで何度も手合わせしてきたが、そんな感じは全然しなかった。

 ちなみに円卓館というのは、俺のご先祖様が創始したアーサー流剣術を世に広めるために開かれた道場だ。
 もっとも、現在はリィード村の円卓館本部道場しかなく、アーサー流剣術は幻の流派だと言われている。
 幻の流派と言えば聞こえはいいが、実際は知る人ぞ知る……忘れ去られた流派だった。


「いいや、そういうわけではないぞ。儂は我流じゃ。節操なく様々な流派の良いところを取り入れ、儂のためだけの剣術を編み出した」


 それを聞いて俺は納得した。ハウゼン師匠の剣には決まった型がないんだ。


「ああ、そうか。毎回違う剣士を相手にしているような感覚になるのはそのせいだったんですね」
「ほう。それは言い得て妙じゃな」


 ハウゼン師匠は笑いながら、年齢を感じさせぬ動きで屈伸し始めた。
 俺も慌てて準備運動をする。


「お主の祖父――ウォルトとは若い頃からの友人でな。あれは道場を建てる時にもらったものじゃ。飾るものがないならこれでも飾っておけと、儂のためにわざわざ書いてくれてのう」


 扁額を嬉しそうに眺めながら、ハウゼン師匠は昔を懐かしむように言う。


「そうだったんですか? でも、確かに爺ちゃんの字だ」
「それにウォルトはな、儂がこの世で唯一……負けた相手でもある」
「えっ」


 爺ちゃんは俺が小さい頃に亡くなってしまったので、覚えていることは少ない。
 俺の記憶の中にいる爺ちゃんはいつも辛そうだったし、剣を振っている姿は一度も見ていない。

 でも、すごく誇らしい気持ちになった。
 が――


「まぁ、やられっぱなしは性に合わんから、そのあとすぐに再戦を申し込んで負かしてやったがな」


 大口を開けて笑うハウゼン師匠を見て、何とも言えない複雑な気持ちになった。
 きっと爺ちゃんに勝った時も、ハウゼン師匠はこんな感じだったんだろうな。爺ちゃんもさぞ悔しかったろう。
 俺はそっと目を閉じ、今は亡き家族に手を合わせる。


「さてギル坊、そろそろ始めるか」


 道場の壁に飾られている剣の中から一本手に取り、ハウゼン師匠は鞘から引き抜いた。
 途端、道場内は張り詰めた空気に包まれる。明らかに師匠の雰囲気が変質した。先ほどまでのおちゃらけた感じはない。


「……どんな修行をするのか聞いてもいいですか?」


 俺も抜刀し、腰だめに構える。


「なに、修行と言うても難しいことはせん。お主はその歳で、アーサー流剣術の師範代を任されるほどの腕前なのだろう? 儂の我流剣術を学んで変な癖がついても困るからのう」


 俺は話を聞きつつ右足を引き、両手で握っている剣の柄を右耳の横に持ってきて、切っ先をハウゼン師匠に向ける。
 急に斬りかかってこられても対応できるように準備しておく。


「では、何をするのです?」
「やることは簡単じゃ。ギル坊にはこの三年間、ひたすら儂と手合わせしてもらう」


 ハウゼン師匠はニヤリと笑い、右肩に刃引きした剣を弾ませてこう言った。


「儂を倒したその時は――お主が次の剣聖を名乗れ」


 魂が震えた。俺はこの人を超えられるだろうか。
 いや超えてみせる。俺の目標はまだまだ先にあるんだからな。


「……一日でも早く師匠を超えられるよう精進します」
「ふふっ。じゃが、儂もそう簡単には負けてやらぬから覚悟せいよ」


 視線を交わし、互いに剣を構え、呼吸を合わせる。
 溢れ出した魔力が俺たちの剣に集束し、バチッ、バチチと爆ぜ光る。


「差し当たってはまず――儂に本気を出させてみよ」
「望むところです。師匠」
「では、ゆくぞ我が弟子よ……!」


 道場の床を蹴り上げ、ハウゼン師匠が迫りくる。
 数メートルの距離が一瞬で消し飛ぶ。
 だが俺は焦らない。神経を研ぎ澄ませ、磨き抜いてきた剣技で迎え撃つ。


「「ッ――!」」


 甲高い金属音が道場に鳴りはためく。一合の打ち合いで熱気がこの身を奮い立たせる。
 ギリギリと軋み合う剣越しに、俺とハウゼン師匠は愉しげに笑っていた。
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