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48 寤寐思服

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 天誠は無事に回復し、皇帝としての職務に復帰した。滞りなく回るよう天佑が尽力してきたこともあり、内政、外交ともに万事うまくいっている。

 天佑が放置していた後宮に関しても、天誠は早々に手をつけた。四妃はゆっくり決めるとしながらも、貴妃から九嬪、二十七世婦まで精力的に渡っているようだ。皇太后とも相談しながら新たな妃嬪を迎える予定とのこと。中央や地方問わず、高官からの推薦も積極的に受け入れることになるだろう。

「……兄上のこういう所は正に皇帝たるやだな……。毎晩違う妃の元へ行くなど俺には無理だ」

 こうして、天誠が本調子を取り戻すのと同時に、天佑は自分の屋敷へようやく帰ることになった。

 麗容の街にある天誠の郡王府には羽林の鍛錬場もある。皇帝の代理としての生活が終わり、本業である羽林軍の統制に精を出す日々。来る日も来る日も鍛錬を行い、街の見回りをし、皇帝の警護や皇宮の警備などを請け負う。

 季節はいつしか春を過ぎて長雨が終わり、夏の盛りを迎えていた。


 昼間よりは幾分暑さを凌ぎやすくなる夕暮れ過ぎ、その日、皇帝に誘われた天佑は龍安堂へやってきた。

 内庭に面する凉台に席を設え、池に浮かぶ月や竹林を眺めながら二人で杯を交わす。

 爽やかな白い装いの天誠に対し、天佑は勿忘草わすれなぐさ色の軽やかな衣。顔立ちはよく似ているものの、天女と称される天佑に対し、兄である天誠は幾分男らしい骨ばった顔つきをしている。

「天誠。報告書も一通り読んだが、俺が眠っている間の出来事を教えてくれ」

 内政、軍事、後宮……天佑は関わってきたことをかいつまんで報告した。特に後宮に関しては報告書に残せなかったことが多く、天誠が興味深そうに頷いている。

「ほぅ、そんなことが。ずいぶん妃たちには手を焼いたようだな。特に胡桜綾に関しては悪かった。おまえが色々と証拠を揃えてくれたし、胡桜綾も右大臣もきちんと躾をし直すよ」
「……もう関わることはないから躾はいらない。胡桜綾は殺してくれれば万事解決だ」
「まあまあ、あれでも皇子の母だからな。死刑は回避するが、おまえが納得する形に落とし込むから少し待っていてくれ。
 それより天佑、お前の話も聞きたい。雪玲しゅうりんと言ったか? 小耳に挟んでいるぞ」

(雪玲か……その名を聞くのは久しぶりだな……)

「最初の出会いは、……麗容の夜店でした」

 天佑は雪玲との出会いや思い出、凛凛のことも正直に打ち明けた。話の腰を折ることなく、天誠は弟の話に耳を傾ける。

「……俺はあいつが何者であろうが構わなかった。だけど、あいつは神仙の血を引く高貴な存在で……俺ごとき人間が愛するなんて烏滸おこがましい。……兄上、この胸の痛みもいつかは薄れるのでしょうか……」

 天佑は杯に入った酒を握りしめると一気に煽った。その様子を見ながら、天誠が口を開く。

「天女のような顔をして何を言っているんだ、天佑」
「顔は関係ないだろ……」

 ふむ、と言うと天誠は腕を組みながら、興味深そうに弟の顔を見つめた。

「よくわからないんだが……俺たちにも神仙の血が流れているのに何が問題なんだ? ああ……、もしかして、お前は習う前から使いこなしていたから学んでいないのか……? 
 天佑、おまえも声に力を乗せられるだろうが、その力こそ霊力だ。つまり、この力は神仙の血筋所以ゆえんということだな」
「……え?」
「俺たちは天龍の子孫だ。すでに代を重ねて血は薄まっているが、神仙の血が流れているよ。それでもおまえはその子とは釣り合わないとまだ思うのか?」


 ◇ ◇ ◇


 その頃天界では、雪玲が鬱々と泣き暮らしていた。

 大理石の桌子には色とりどりの果物や酒、花を模った美しい点心が並ぶが、雪玲は手をつけようとしない。

 円桌の周りにいる美人画から飛び出してきたような九尾狐の美女たちは、落ち込む雪玲を慰めていた。

「雪玲~、それこそが恋ってものよ。あ~あ、気が付かないうちに初恋が破れちゃったのね。でも大丈夫。女は恋を重ねて成長していくのよ。ひとつ大人になったってことね」
「あらあら、泣くほどその相手のことを愛していたのね。可哀想な小狐ちゃん」
「莫迦ね、そんなに好きだったのに想いを伝えなかったの? けじめをつけなかったから、いつまでも泣く羽目になるのよ」

 雪玲が姐さんと慕う九尾狐たち。九尾狐はその美貌で様々な武勇伝を持ち、人間と九尾狐の恋物語が伝承として各地に残っていることも珍しくない。

 ひときわ妖艶な栗色の髪の美女、貂月ちょうげつが人差し指の先で雪玲の顎を持ち上げる。

「そうよ、可愛い雪玲。九尾狐の名にかけて、その男を落としてきなさい。これは命令よ……うふふっ」
「ぐすっ……母上……」

 目元を真っ赤にして真珠のような涙をぽろぽろ落とす雪玲に、九尾狐たちは作戦を立てようと話し合う。

「純真さが響かないなら大人の女の魅力でいくしかないわ」
「まずは胸に詰め物からかしら」
「額には花鈿かでんを描いて、べにの色も濃くしてみましょう」
「そうね、それから実技ね。天龍を呼んで来て。あれを練習台に私たちが実演すればいいわ」

 美女たちが盛り上がる中、呆れた声が響く。

「おまえたち、やめなさい。全く、少し目を離すとこれだ」
扁鵲へんじゃく! 寂しかったわ~! 帰って来たのね」

 貂月が扁鵲の首に両腕を絡め、熱い口づけをせがむ。

「……ああ。こら、貂月抱きつくな。後で構ってやるから離れなさい。雪玲、青龍国の皇帝は治してきた。……話があるからついて来なさい」
「ぐすっ、はい」
「扁鵲……! わかったわ。湯あみをしておくから寝室で待っているわね。うふふふふ」
「……雪玲、行くぞ」

 雪玲は眉間にしわを寄せた扁鵲についていく。

 医術にまつわるあらゆる物が納められた扁鵲のいおり。扁鵲は雪玲を座らせると温かい茶を入れ、優しく諭した。

「雪玲、母上や九尾狐たちの言うことは聞かなくていいから、自分の本心に向き合いなさい。天界でいつまでも泣き暮らしていたって何も変わらないよ?
 大将軍との未来を考えてもいい、想いを断ち切る方法を探してもいい。後悔しない道を自分で探すんだ」
「……ぐすっ、……はい、父上」

 当初は慰めてくれた神仙たちだったが、意外としつこく鬱々としている雪玲へ次第にイライラし出す。初恋を遠い昔に忘れてしまった神仙たちに、傷ついた雪玲の乙女心はなかなか共感できなかったのだ。

 それでも、雪玲はまだ幼いからと多くの神仙が気長に見守る中、短気で知られる女禍じょかがとうとうキレた。

「ったく、じれったいわね。人間界へ行って、その男に振られるなり新しい恋を見つけなるなりして来なさいよ!」
「え? あ、ちょっと待って!! 行くなら天衣を」

 女禍は有無を言わせず、雪玲を雲の間から突き落とした。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ※寤寐思服ごびしふく・・・寝ても覚めても忘れられず、切実に人を想う気持ちのこと。

 ※女禍・・・三皇(伏羲、女禍、神農)のひとり。人面蛇身で人間の創造者とする逸話もある。兄弟である伏羲と結婚し、苗族を生んだとされる。
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