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40 主客転倒
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極度の緊張と不安で雪玲は丸一日寝込むことなった。
「ん……ここは……」
「お目覚めですか? ここは睡蓮宮ですよ」
「……五虹。巫水は?」
ぴたっと止まった五虹はこちらを振り返った。
「潘充儀、目覚める前のことを覚えていらっしゃいますか?」
「……うん。巫水は? 無事なの?」
「もちろんです。ただ、少し怪我をしたので休養を取ってもらっています」
五虹は寝牀の横に跪くと雪玲の目線の高さに合わせた。
「……事の顛末をお話しいたします」
ひと通りの出来事を時系列に沿って完結に、五虹は事実のみを淡々と告げた。
「つまり……陛下は私が潘家の血統でないことをご存知で、万が一に備えて戸籍を用意してくださっていたと」
「はい。ですがこれは潘家の希望でもありました。巫水さんの実家に養子縁組されています。つまり、雪玲さまは巫水さまの戸籍上の妹ということです」
表情を失っていた雪玲が満面の笑みを浮かべる。
「え? 本当? うれしい!!」
うそみたい、巫水の妹かぁ、やったぁとにこにこする雪玲に五虹も笑みが零れる。
「お見舞いに行く前に雪玲さまも元気になりましょうね。まずは食べましょう」
「うん!」
「今日は重湯です」
「……重湯かぁ」
黙々と重湯を食べる雪玲に五虹が躊躇いがちに伝えた。
「……陛下からの文も届いています。こちらに置いておきますね」
匙を持つ手が止まる。
(陛下って……ユウからだよね)
匙を置き文に手を伸ばした雪玲が、憂いを帯びながら目を通す姿を五虹は見守っていた。
その頃、蝴蝶宮では宮女たちの手により私物が全て撤去され、廃位となった雹華が宮を出て行くところだった。
怒りで眉間にしわを寄せ、遠巻きに噂する宮女たちへ罵詈雑言をまき散らす。
「なんで私がこんな目にっ……!」
「……雹華」
そこへ現れたのは明明だった。
「……ふん、あんたも私を嘲笑いに来たの? はっ、大した容姿でもなく芸事も今一つ、あんたなんかが九嬪に入るこんな国の後宮なんて、こっちから願い下げよ! せいぜい一生来ることのない陛下のお渡りを夢見て老婆になればいいわ! あっはっはっは!!」
既に廃妃となった雹華に対し、明明は九嬪である陶充媛。決して許されるような物言いではなく、周囲は雹華の品位の低さに呆れた。
「……確かに、私にできることは少ないけど、もしも陛下の目に留まることがあれば子を産み、大切に育みながら誠実に皇帝をお支えするわ。……じゃあね。さようなら、雹華」
こうして、後宮でも一、二を競うと言われた美貌の雹華は、本物の皇帝にお目見えすることなく後宮を後にした。
そして、この日から数年後。明明は淑妃となって一男一女に恵まれ、その穏やかな気性は多くの人に慕われたそうだ。
◇ ◇ ◇
一方、後宮の外では休養中の巫水が痛む身体を押し、大理寺を訪れていた。ここには罪を犯した者たちが刑罰を待つ牢がある。
太監が手配した付き添いの護衛と共に、巫水は囚人が収監されている牢をひとつ、またひとつと過ぎていく。
「ここです」
刑吏が案内したのは『十五』と書かれた木札が掛かる牢。そこにはかつての義妹、朱亞がいた。
色鮮やかな襦裙を好み、花を模した簪や歩揺を重そうに指していた潘朱亞はもういない。生成り色の木綿の上下を纏い、その上衣には大きく『欺』と書かれている。人を欺いたという罪なのだろう。
巫水の姿を見つけると駆け寄ってきたが、薄汚れた朱亞は湯あみもしていないようだ。饐えた匂いは牢にしみこんだ匂いなのか、朱亞のものなのか、巫水にはわからなかった。
「ふ、巫水! 来てくれたのね? 早くここから出してちょうだい! まったく、いつまで待たせるつもり? 本家に嫁いだ嫁なんだから嫡子の言うことには従ってよね」
「……朱亞。聞いたでしょ? あなたはもう潘家の戸籍から抹消されたわ。あなたの駆け落ちの件を知り、当主様は一族へ謝罪行脚をしたそうよ。大奥様は寝込み、奥様は自死しようとしたとか。……あなたはそのくらいのことをしたって自覚、あるの?」
「……え? そ、そんな、だって、……恋もしてみたかったし、あんなにかっこいい人はもういないと思って、あの時は……」
巫水は背筋を伸ばし、毅然としながら淡々と朱亞に告げた。
「ここから出たら自分の力で裳州まで帰り、頭を下げることね。そうしたら当主様も許して下さるかもしれないわ。これは、かつてあなたの義姉だった私からの助言よ。……もう会うこともないと思うけど、さようなら、朱亞」
「ま、待って! 巫水、見捨てないで! 巫水!!」
巫水はそのまま、振り向くことなく大理寺を後にした。
(あの子のわがままで百数十人の親族が死ぬかもしれなかった……! それなのに、その元凶である朱亞が恩人に砂をかけるなんて! 麗容から裳州までは馬車で二カ月かかる。朱亞ひとりの力では戻ることは不可能だし、一週間で野垂れ死ぬかもしれない……でも、それでもかまわない。あの性根は死ぬまで治らないもの。……朱亞、私たちの縁もこれまでよ)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
※主客転倒・・・立場や順序が逆転すること。本末を取り違えることの意味。
「ん……ここは……」
「お目覚めですか? ここは睡蓮宮ですよ」
「……五虹。巫水は?」
ぴたっと止まった五虹はこちらを振り返った。
「潘充儀、目覚める前のことを覚えていらっしゃいますか?」
「……うん。巫水は? 無事なの?」
「もちろんです。ただ、少し怪我をしたので休養を取ってもらっています」
五虹は寝牀の横に跪くと雪玲の目線の高さに合わせた。
「……事の顛末をお話しいたします」
ひと通りの出来事を時系列に沿って完結に、五虹は事実のみを淡々と告げた。
「つまり……陛下は私が潘家の血統でないことをご存知で、万が一に備えて戸籍を用意してくださっていたと」
「はい。ですがこれは潘家の希望でもありました。巫水さんの実家に養子縁組されています。つまり、雪玲さまは巫水さまの戸籍上の妹ということです」
表情を失っていた雪玲が満面の笑みを浮かべる。
「え? 本当? うれしい!!」
うそみたい、巫水の妹かぁ、やったぁとにこにこする雪玲に五虹も笑みが零れる。
「お見舞いに行く前に雪玲さまも元気になりましょうね。まずは食べましょう」
「うん!」
「今日は重湯です」
「……重湯かぁ」
黙々と重湯を食べる雪玲に五虹が躊躇いがちに伝えた。
「……陛下からの文も届いています。こちらに置いておきますね」
匙を持つ手が止まる。
(陛下って……ユウからだよね)
匙を置き文に手を伸ばした雪玲が、憂いを帯びながら目を通す姿を五虹は見守っていた。
その頃、蝴蝶宮では宮女たちの手により私物が全て撤去され、廃位となった雹華が宮を出て行くところだった。
怒りで眉間にしわを寄せ、遠巻きに噂する宮女たちへ罵詈雑言をまき散らす。
「なんで私がこんな目にっ……!」
「……雹華」
そこへ現れたのは明明だった。
「……ふん、あんたも私を嘲笑いに来たの? はっ、大した容姿でもなく芸事も今一つ、あんたなんかが九嬪に入るこんな国の後宮なんて、こっちから願い下げよ! せいぜい一生来ることのない陛下のお渡りを夢見て老婆になればいいわ! あっはっはっは!!」
既に廃妃となった雹華に対し、明明は九嬪である陶充媛。決して許されるような物言いではなく、周囲は雹華の品位の低さに呆れた。
「……確かに、私にできることは少ないけど、もしも陛下の目に留まることがあれば子を産み、大切に育みながら誠実に皇帝をお支えするわ。……じゃあね。さようなら、雹華」
こうして、後宮でも一、二を競うと言われた美貌の雹華は、本物の皇帝にお目見えすることなく後宮を後にした。
そして、この日から数年後。明明は淑妃となって一男一女に恵まれ、その穏やかな気性は多くの人に慕われたそうだ。
◇ ◇ ◇
一方、後宮の外では休養中の巫水が痛む身体を押し、大理寺を訪れていた。ここには罪を犯した者たちが刑罰を待つ牢がある。
太監が手配した付き添いの護衛と共に、巫水は囚人が収監されている牢をひとつ、またひとつと過ぎていく。
「ここです」
刑吏が案内したのは『十五』と書かれた木札が掛かる牢。そこにはかつての義妹、朱亞がいた。
色鮮やかな襦裙を好み、花を模した簪や歩揺を重そうに指していた潘朱亞はもういない。生成り色の木綿の上下を纏い、その上衣には大きく『欺』と書かれている。人を欺いたという罪なのだろう。
巫水の姿を見つけると駆け寄ってきたが、薄汚れた朱亞は湯あみもしていないようだ。饐えた匂いは牢にしみこんだ匂いなのか、朱亞のものなのか、巫水にはわからなかった。
「ふ、巫水! 来てくれたのね? 早くここから出してちょうだい! まったく、いつまで待たせるつもり? 本家に嫁いだ嫁なんだから嫡子の言うことには従ってよね」
「……朱亞。聞いたでしょ? あなたはもう潘家の戸籍から抹消されたわ。あなたの駆け落ちの件を知り、当主様は一族へ謝罪行脚をしたそうよ。大奥様は寝込み、奥様は自死しようとしたとか。……あなたはそのくらいのことをしたって自覚、あるの?」
「……え? そ、そんな、だって、……恋もしてみたかったし、あんなにかっこいい人はもういないと思って、あの時は……」
巫水は背筋を伸ばし、毅然としながら淡々と朱亞に告げた。
「ここから出たら自分の力で裳州まで帰り、頭を下げることね。そうしたら当主様も許して下さるかもしれないわ。これは、かつてあなたの義姉だった私からの助言よ。……もう会うこともないと思うけど、さようなら、朱亞」
「ま、待って! 巫水、見捨てないで! 巫水!!」
巫水はそのまま、振り向くことなく大理寺を後にした。
(あの子のわがままで百数十人の親族が死ぬかもしれなかった……! それなのに、その元凶である朱亞が恩人に砂をかけるなんて! 麗容から裳州までは馬車で二カ月かかる。朱亞ひとりの力では戻ることは不可能だし、一週間で野垂れ死ぬかもしれない……でも、それでもかまわない。あの性根は死ぬまで治らないもの。……朱亞、私たちの縁もこれまでよ)
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※主客転倒・・・立場や順序が逆転すること。本末を取り違えることの意味。
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