【完結】えんはいなものあじなもの~後宮天衣恋奇譚~

魯恒凛

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38 形勢逆転

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 壇上の上、さっと払った天佑の右手を合図に壁の向こう側の気配がいくつも消える。

 天佑は娘たちの活躍を誉めそやす兵部尚書と右丞相を前に、はらわたが煮えくり返っていた。

「後宮を統括するためには行動力が必要でございます! 郭貴妃さまは思慮深いお方ではありますが、いささか足りぬかと。その点、今回のことをご覧いただきますように崔昭媛はその類稀なる統率力を活かして女官を見事に動かしました」
「な、兵部尚書、抜けがけは……! 陛下! 唐昭容の働きもお忘れなく!」

(おまえらのくだらない諍いから守るために雪玲しゅうりんを避けていたのにこれだ。会わずに我慢していた俺の苦労は何だったんだ……腹黒狸と狡猾な猪め。おまえたちは一線を越えたんだ……俺のもの雪玲に手を出したことを後悔させてやる)

 銀の仮面越しの冷たい視線に、朝議の場の気温が下がる。

「ほう……ひとつ尋ねようではないか。兵部尚書。裳州への令旨には何と書いてあったのか知っているのか?」
「裳州より美姫をひとり後宮へ、とあったそうでございます」
「ふむ……高官は先の饗宴で天佑と潘充儀の見事な剣舞を見たかと思うのだが……彼女は美姫で間違いないのではなかろうか」

 百官たちの中、饗宴に参加していた高官たちがあの日の光景を思い浮かべて悦に入る。

「ああ、確かに……正に天女と仙女の舞だった。大枚をはたいてでもまた見たいほどだ」
「あの美しさは筆舌しがたい高尚な舞だ……」

 聞こえてくるのは雪玲に対する賞賛ばかり。優れた容姿に関しては兵部尚書も右丞相も認めざるを得ないようだ。

「ですが、陛下。妃嬪には容姿だけでなく血統も大事でございます。二十七世婦、まあ現在は九嬪まで出世なされましたが、後宮にいる女人は皇太后さまがお選びになった優れた血統の方ばかり! どこの馬の骨ともわからぬ潘充儀をこのまま止めおくわけにはいきません!!」

 同調する声があちこちから上がる。

「……そろそろこの茶番も飽きてきたのだが。影狼、名書きは終わったか」
「はい。潘充儀を憶測で貶めた官僚の名を全て書き終わりました」

 はっとした官僚たちが見た影狼の手には筆が握られ、何やらを書き付けている様子。
 雲行きが、怪しくなってきた。

「はあ、……兵部尚書よ。朕がそんなに無能に見えるのか?」
「め、滅相もございません……な、何をおっしゃいますか。私は陛下の憂いを取り除き、この国の未来を害する者を排除しようとしただけで……」

「太監、あれを持って来い」

 太監が恭しく運んできた一枚の紙。兵部尚書や右丞相たちも潮目が変わってきたことを感じ、顔色が悪い。

「潘充儀に限らず、全ての妃嬪は血統は元より、その素行も調査済みだ」

 太監が読み上げる。

「潘家当主によると、本家嫡流の朱亞は駆け落ちをし出奔したため潘家とは絶縁しているとのこと。皇宮からの令旨に従うため、本家の朱亞との関係にあたり、容姿教養ともに優れる雪玲を才人へと推した経緯を確認済みである。
 潘充儀は潘家傍流の潘邕はんようの三女雪玲である。侍女には本人の姉である次女巫水を送ったと確認が取れている」

「え……」

 朱亞の顔色が悪い。甘やかされて育ってきた末娘だ。若気の至りで駆け落ちしてしまったが過ちはなかったことに、裕福な潘家のお嬢様に戻れると思っていたのだろう。

「潘朱亞よ。駆け落ちした身でありながら後宮入りを望むとはれ者め! こいつを今すぐ捕らえよ!」

 羽林軍たちが朱亞を取り囲む。

「陛下、陛下! お許しください!! 崔家がお金をくれるって言ったんです! 書生との貧乏な暮らしから抜け出せるって言われたから私はっ!」

 いとも簡単に経緯を暴露する朱亞に兵部尚書が狼狽える。

「そんな……、そんなはずは……! わ、私が調べた時は……! い、いえ、そんなことより、あの娘が言うことは全くの出鱈目です! 私は潘朱亞がてっきり騙された気の毒な娘なのだと思って手を差し伸べただけです! 私の方が被害者なのです!」
「黙れ!!」

 ひときわ大きく霊力の乗った声に、兵部尚書と右丞相は身体が動かない。

「お前たちの魂胆がわからないとでも?」

 静まり返る場、銀の皇帝の声が重く響く。

「不確かな情報で皇宮を混乱に陥れる兵部尚書に兵権を任せるわけにはいかぬとは思わぬか? 耄碌もうろくされているではないか」

 霊力の乗った冷たい声が裁きを下す。

「兵部尚書は病にて正常な判断がつかぬ故、その任を解き、正三品から従五品の二十四四朗中へ降格、一カ月の自宅謹慎とす。……ああ、娘に看病をしてもらうがよい。
 後宮を混乱に陥れたその責は重く、そなたの娘に昭媛の地位は荷が重いと見受けられる。よって、崔昭媛は廃妃とし、一両日中に蝴蝶宮からの追放と課す。それから……」

 冷や汗をびっしょりかいている右丞相へと顔を向ける。

「唐昭容は随分偉くなったものだな。たかが九嬪で威張り散らされては今後が心配だ。皇后が立后し四妃が加わった時、そなたの娘が身の程に見合った振る舞いができるとは思わぬ。……越権行為も甚だしい!
 憶測だけで勝手に妃嬪を処罰した罪の重さを鑑みて、昭容から二十七世婦の婕妤へと降格させる。慎ましさを学び直すがよい。右丞相、異論あるまいな?」

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 ※形勢逆転・・・優劣の状態が逆転すること。
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