上 下
37 / 50

37 魑魅魍魎

しおりを挟む
 夢のような剣舞の共演からすっかり機嫌がいい天佑。

 雪玲しゅうりんも無事に戻り、昏睡状態の天誠の治療にも希望が見えたのだ。疲れ切っていた以前とは比べ物にならないほど生き生きとしている。銀の皇帝こと天佑を支える影狼をはじめ、事情を知る太傅や太監、一角たち隠密もその様子を喜んでいた。

「あとは霊力を持つ神医を探すのみだが……」

 今のところ、隠密や地方へ出向かせている部下からもめぼしい報告は上がってきていない。

 そして、とうとう古書の解読が終わってしまったのだ。

 雪玲と共に過ごす口実が欲しいものの、ちょうどいい名目がなかなか思い浮かばない。

「はぁ、凛凛がいれば誘わなくても毎日来てくれただろうに……」
「天佑さま、可愛らしい小動物を探してきましょうか?」

 影狼の提案も悪くないと思ったのだが。

「……いや、神医探しに集中しよう。天誠が目覚めれば万事解決なんだ。まどろっこしい状態を早く整えたい。今は伝書鳩のやり取りで耐え忍ぶことにする……」

 執務室の机には黒塗りの箱が用意されていた。蓋を開ければ指先ほどの紙が並んでいる。……雪玲からの文だ。

 毎日会うことは叶わぬものの、毎日伝書鳩を通してやり取りをしている。これなら下手に北極殿に呼んで、他の妃嬪に攻撃材料を与える心配もない。

 天佑はことあるごとに蓋を開けては文を眺めていた。

 一枚一枚丁寧に皺を伸ばした文には、惚れ惚れする達筆でたわいもない報告が書かれている。

『今日は石婕妤とちー美人と琴を弾きました』
みん美人と仲良くなって白磁の器をもらいました。皇帝にはより高価な白磁を献上するそうです』

 他の者にとってはつまらない内容でも、常に神経を尖らせている天佑の癒しになっていた。

「陛下、今日の文が届きました」
「……あぁ」

 平静を装いつつ、明らかにそわそわしている天佑を皆が温かく見守る。

 太監から受け取った文を開くなり、天佑の顔が崩れていった。

『五虹が剣舞を一緒にやりたいと言って試してみたのですが、饗宴のようにうまくできませんでした』

「くっ……五虹、いい仕事をしたな」

 文の内容を知っている太監は知らぬ顔をしながらも内心ではほくほく顔だ。

(やれやれ、純真な潘充儀の手練手管には恐れ入る)


 だが、そんな穏やかな日々は嵐が起こる前触れに過ぎず。

 後宮を揺るがす大事件が起ころうとしていた。


 ◇ ◇ ◇


 それは朝議でのことだった。いつものように上訴を聞きながら銀の皇帝が適時采配を執り、その日も問題なく終了の時刻を迎える頃――

「陛下! 申し上げたいことがございます!!」
「兵部尚書か。申すがよい」

 腹に一物を抱えた狸のような男だ。軍を統括する立場にありながら軍用品の流用や火薬の談合を行うなど悪しき噂が絶えず、私腹を肥やしては家門の力を蓄えているという。

 羽林軍は独立した組織のため天佑は影響を受けていないが、兵部尚書とは敬遠の仲。もちろん、そんな彼が銀の皇帝を天佑が務めていることを知る由もない。

「私の娘である崔昭媛さまから文をいただき、大変胸を痛めていらっしゃいましたのでお調べしたのです。昭媛さまは勘違いならよろしいのですがと何度もおっしゃっていましたが、まかりなりにもそんなことがあったとしたら一大事だと言うことで」
「兵部尚書。要点を言え」

 平身低頭ぺこぺことしていた兵部尚書はにやりと笑うと顔を上げ、絶望的な顔で陛下へ訴えた。

「潘充儀は潘家の娘ではありません! 五男一女の潘家の娘は朱亞という名前でございます! 裳州より美姫をという令旨を受け、麗容に向かっていたのは潘朱亞でございます!!」

 百官たちがざわざわとする中、兵部尚書が声を張り上げる。

「ここに証人を呼んでおります! おいっ、お連れしろ!!」

 侍女らしき女性に手を添えながら百官の間を進んできたのは美しい娘。白地に金の刺繍を施した衫襦に色鮮やかな緋色の裙。豪奢な金の歩揺を挿す娘は随分と豪華な衣装に身を包んでいた。垂れ目がちな大きな目は長い睫毛に縁取られ、額には赤い花鈿が描かれている。

 壇上の前まで進み出ると膝をつき、皇帝へ頭を下げた。

「参見陛下、万歳、万歳、万々歳」
「……こやつは誰だ」

 顔を上げてもいいと言われていないのにも関わらず、銀の仮面を見つめながら女はしゃなりと名を口にした。

「潘、朱亞でございます」

「なんと? では後宮にいる潘充儀とは一体誰なのだ?」
「どういうことだ? この娘が本当の潘才人だったと?」

 百官たちが混乱する中、天佑は静かにその状況を眺めていた。

「静まれ」

 霊力を載せた低く冷たい声に皆が固まり、沈黙が落ちる。

 最前列にいた潘朱亞は驚き、目を見開いていた。

「……潘朱亞に尋ねる。仮におまえが妃嬪になる予定の娘だったとして、なぜ今頃になってのこのこやってきた?」
「朱亞が本当は来るはずだったんだけど……途中でとかいう女が現れて監禁されていたの」

 しくしくと鳴きまねをする朱亞に対し、百官の意見は二分されているよう。その様子を見ながら天佑は勢力を把握する。

(ほう……兵部尚書と右丞相が組んだか。娘たちの利害一致だな……雪玲を追い出したい一心か。反対勢力の筆頭は……左丞相か。さもありなん。こんな礼儀のない娘、美姫だろうが後宮に入れられるわけがない)

 まるで将棋でも行うかのように、娘たちを駒として戦略を立てていく重鎮たちに辟易する。

 潘朱亞の資質について天佑が問おうとしたその時だった。

「陛下! これは後宮を揺るがす一大事でございます! 身元がわからぬ潘雪玲を招き入れてしまったばかりでなく、才人から充儀にまで上り詰めるなど、強力な呪術の類に陛下も翻弄されたのやもしれません! 仮に黒蛇国の間者であれば由々しき事態でございます!!」

「陛下。私たちは陛下を心配してこそ、こうして進言しているのです……! それに、後宮は皇后さまが未だおらず、現在四妃には郭貴妃さましかおられません。事態を重く見た昭媛さまが何度も相談しましたが、全く動いてくださらなかったとのこと。そこで……」

 兵部尚書は右丞相に目配せすると銀の皇帝に報告した。

「九嬪の中で一番位の高い唐昭容と二番目に位が高い崔昭媛さまが協力し、女官たちに指示を出してくださいました。潘充儀とその侍女、巫水を皇族を欺いた罪で捕縛して投獄済みでございます! ご安心くださいませ」

 朝議の場に、一瞬にして殺気が満ちた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ※魑魅魍魎ちみもうりょう・・・山林の気から生じる山の化け物「魑魅」と山川の気から生じる水の化け物「魍魎」のこと。人に害を与える化け物や、悪だくみをする人を指す。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

耽溺愛ークールな准教授に拾われましたー

汐埼ゆたか
キャラ文芸
准教授の藤波怜(ふじなみ れい)が一人静かに暮らす一軒家。 そこに迷い猫のように住み着いた女の子。 名前はミネ。 どこから来たのか分からない彼女は、“女性”と呼ぶにはあどけなく、“少女”と呼ぶには美しい ゆるりと始まった二人暮らし。 クールなのに優しい怜と天然で素直なミネ。 そんな二人の間に、目には見えない特別な何かが、静かに、穏やかに降り積もっていくのだった。 ***** ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。 ※他サイト掲載

芙蓉は後宮で花開く

速見 沙弥
キャラ文芸
下級貴族の親をもつ5人姉弟の長女 蓮花《リェンファ》。 借金返済で苦しむ家計を助けるために後宮へと働きに出る。忙しくも穏やかな暮らしの中、出会ったのは翡翠の色の目をした青年。さらに思いもよらぬ思惑に巻き込まれてゆくーーー カクヨムでも連載しております。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

キャンプに行ったら異世界転移しましたが、最速で保護されました。

新条 カイ
恋愛
週末の休みを利用してキャンプ場に来た。一歩振り返ったら、周りの環境がガラッと変わって山の中に。車もキャンプ場の施設もないってなに!?クマ出現するし!?と、どうなることかと思いきや、最速でイケメンに保護されました、

旦那様は大変忙しいお方なのです

あねもね
恋愛
レオナルド・サルヴェール侯爵と政略結婚することになった私、リゼット・クレージュ。 しかし、その当人が結婚式に現れません。 侍従長が言うことには「旦那様は大変忙しいお方なのです」 呆気にとられたものの、こらえつつ、いざ侯爵家で生活することになっても、お目にかかれない。 相変わらず侍従長のお言葉は「旦那様は大変忙しいお方なのです」のみ。 我慢の限界が――来ました。 そちらがその気ならこちらにも考えがあります。 さあ。腕が鳴りますよ! ※視点がころころ変わります。 ※※2021年10月1日、HOTランキング1位となりました。お読みいただいている皆様方、誠にありがとうございます。

ハズレ嫁は最強の天才公爵様と再婚しました。

光子
恋愛
ーーー両親の愛情は、全て、可愛い妹の物だった。 昔から、私のモノは、妹が欲しがれば、全て妹のモノになった。お菓子も、玩具も、友人も、恋人も、何もかも。 逆らえば、頬を叩かれ、食事を取り上げられ、何日も部屋に閉じ込められる。 でも、私は不幸じゃなかった。 私には、幼馴染である、カインがいたから。同じ伯爵爵位を持つ、私の大好きな幼馴染、《カイン=マルクス》。彼だけは、いつも私の傍にいてくれた。 彼からのプロポーズを受けた時は、本当に嬉しかった。私を、あの家から救い出してくれたと思った。 私は貴方と結婚出来て、本当に幸せだったーーー 例え、私に子供が出来ず、義母からハズレ嫁と罵られようとも、義父から、マルクス伯爵家の事業全般を丸投げされようとも、私は、貴方さえいてくれれば、それで幸せだったのにーーー。 「《ルエル》お姉様、ごめんなさぁい。私、カイン様との子供を授かったんです」 「すまない、ルエル。君の事は愛しているんだ……でも、僕はマルクス伯爵家の跡取りとして、どうしても世継ぎが必要なんだ!だから、君と離婚し、僕の子供を宿してくれた《エレノア》と、再婚する!」 夫と妹から告げられたのは、地獄に叩き落とされるような、残酷な言葉だった。 カインも結局、私を裏切るのね。 エレノアは、結局、私から全てを奪うのね。 それなら、もういいわ。全部、要らない。 絶対に許さないわ。 私が味わった苦しみを、悲しみを、怒りを、全部返さないと気がすまないーー! 覚悟していてね? 私は、絶対に貴方達を許さないから。 「私、貴方と離婚出来て、幸せよ。 私、あんな男の子供を産まなくて、幸せよ。 ざまぁみろ」 不定期更新。 この世界は私の考えた世界の話です。設定ゆるゆるです。よろしくお願いします。

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

身代わりの公爵家の花嫁は翌日から溺愛される。~初日を挽回し、溺愛させてくれ!~

湯川仁美
恋愛
姉の身代わりに公爵夫人になった。 「貴様と寝食を共にする気はない!俺に呼ばれるまでは、俺の前に姿を見せるな。声を聞かせるな」 夫と初対面の日、家族から男癖の悪い醜悪女と流され。 公爵である夫とから啖呵を切られたが。 翌日には誤解だと気づいた公爵は花嫁に好意を持ち、挽回活動を開始。 地獄の番人こと閻魔大王(善悪を判断する審判)と異名をもつ公爵は、影でプレゼントを贈り。話しかけるが、謝れない。 「愛しの妻。大切な妻。可愛い妻」とは言えない。 一度、言った言葉を撤回するのは難しい。 そして妻は普通の令嬢とは違い、媚びず、ビクビク怯えもせず普通に接してくれる。 徐々に距離を詰めていきましょう。 全力で真摯に接し、謝罪を行い、ラブラブに到着するコメディ。 第二章から口説きまくり。 第四章で完結です。 第五章に番外編を追加しました。

処理中です...