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28 旱天慈雨

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「徳妃。髪飾りを見せろ」
「まあ、陛下。来てそうそう慌ただしいこと。うふふ。陛下、今日はお越しになると聞いてご馳走を用意させましたのよ? さあ、まずは食事をしましょう」
「……徳妃っ!」

 仮面越しでもわかる強い怒り、今にも飛び掛かりそうな皇帝の姿に、徳妃の侍女たちはオロオロとする。徳妃はにっこり笑いながら天佑に近づき、耳元に顔を寄せ囁いた。

「天佑。私にそんな態度を取っていいの?」
「きさま……!」

「うふふ。陛下、お疲れが溜まって顔色が悪いですわ。今日は精のつくものばかり作らせましたから、しっかりお召し上がりくださいね。さあ、お掛けになって」

 徳妃を睨みながら座る天佑の下へ、侍女たちが酒を片手に寄ってくる。

「蓬莱春酒も用意させましたの。陛下に献上をと実家から送られてきましたのよ」

 スン……香りを嗅ぎ、異臭がしないことを確認してから口をつける。

「ふふふ。そんなに警戒しなくても。食べ物にも飲み物にも何も仕込んでいませんわ」
「おまえの言葉は信じられん」
「まあ、ひどい。うふふふふ」

 心底憎い徳妃と向き合いながら、酒を煽っていく。天佑は食べ物には箸をつけない。そのうち、酌をしていた侍女たちも下がらせ、徳妃が自ら酌をし出した。

 天佑が言葉を発することはなく、徳妃の楽しそうな声だけが響く。

「……おい、一刻もの間この茶番に付き合ったんだ。そろそろ髪飾りを見せろ」
「あなたったら本当に邪険なんだから。ふふ、その美しい顔に冷たい態度が女を虜にさせているってまだ気づかないの? ……銀の仮面で麗しい顔を眺められないのが残念だわ」
「胡徳妃」

 うふふと笑いながら徳妃が天佑の手を取る。

「ついて来て。こちらにあるわ」

 天佑がその手を払い立ち上がると、一瞬眉を顰めたものの、徳妃は何事もなかったように微笑んだ。その背について部屋の奥へと進んでいくと、やがて寝室らしき部屋へたどり着いた。

 多くの花が飾られた部屋はむせ返るような香りがし、天佑は仮面の上から鼻と口を袂で塞ぐ。百合の花の香りが強い。

「……天佑。この髪飾りなの。見たことはないかしら」

 手渡された髪飾りは紅玉と真珠が控えめに配された金の髪飾り。派手過ぎない意匠は雪玲しゅうりんらしい気もするが、この髪飾りをつけていた記憶はない。だが、あの子の持ち物を全て把握しているわけでもなく、雪玲のものと言われればそうなのかもしれないような気がしてくる。

「……とりあえず、これは預かって……」

 目の前が二重に見え、頭がぼんやりしてくる。

(うっ、身体が……。くそっ、一体どこで? 食べ物は口にしていないし、酒にも媚薬は入っていなかった……)

「ふふふ。天佑、疲れているみたいだから少し眠るといいわ。お酒を飲んで気持ちが和んだのかもしれないわね。それとも、この部屋に焚いた迷魂香が聞いたのかしら。うふふ」
「きさま……」

 徳妃が天佑を寝牀へ座らせる。銀の仮面を外し、寝牀の横に置いた。

「諦めて、天佑。もう少し香を嗅いでもらった後に媚薬を飲ませるわ。あなた、身体が大きいから暴れたりしたら怖いもの。……それじゃあ、私も支度をしてくるわね。もう少ししたらまた来るから、今夜は楽しみましょう」

 ……パタン

 朦朧とする意識の中、天佑は身体から力が抜け、寝牀に靠れた。握りしめた髪飾りがぽとりと落ち、目を閉じる。

(くそっ……。だが、雪玲……お前が助かると言うなら……)


 トッ トッ トッ サワ  


 ドテッ


「キュウン……」

(……! この声は、凛凛か……?)

 寝牀の足元を見ると凛凛が見上げている。なんとか身体を屈め、手を伸ばすと腕にしがみついてよじ登ってきた。

「凛凛……影狼はどうした? 来てはダメだと……」

 これから起こることをこの小狐に見せたくない。そう思った天佑は残った力を振り絞り、凛凛を外へ逃がすために立ち上がろうとした。

「キュ!」

 凛凛はジタバタすると天佑の顔へ飛び乗った。


 ガブッ


「痛っ!」

 凛凛に思い切り噛みつかれ、天佑の下唇から血が流れる。

「り、凛凛、おまえ……!」

 手の甲で口元の血を拭った天佑は、はっとした顔で凛凛を見た。頭に掛かった靄が晴れている。迷魂香の効果が解けたのだ。急いで窓を開け、換気をする。香炉を見つけると、燻る香を酒で消した。

「凛凛、お手柄だ! さて、どうするか……刀剣は後宮に持ち込めなかったのでな」

 天佑は部屋の中を見渡したが、隠密の気配がない。寝室はいつ何時も来るなと言ってあったが、徳妃の宮は例外とするべきだったと後悔する。凛凛のおかげで助かった。

 懐に凛凛を入れると「ちょっと暴れるぞ」と言い、手当たり次第に部屋中の物を破壊し始めた。官僚の一年分の給料でも買えない高価な壺が割れ、書画が破られる。天蓋の布は裂かれ、家具は折られ、玻璃をはめ込んだ家一軒の値がある窓枠は粉々に砕け散った。

 これで気が済むわけではないが、皇帝の逆鱗に触れたという噂は瞬く間に広がるだろう。

 大きな物音に気づき徳妃や侍女たちが駆け付けると、部屋の中はめちゃめちゃ、銀の仮面をつけた皇帝が殺気を纏っている。

「皇帝に薬を使うとは……徳妃よ。しとねを共にすれば責められぬとでも思ったか! ……なんと浅はかな。胡桜綾は四妃でありながら、その品位を損なう行為をした! よって、その称号を剥奪し修儀に降格させ、冷宮送りとする! 太監! 今すぐ手配せよ!!」

 宮の外で待機していた太監が指示を出し、宦官たちが入室してくる。徳妃をはじめ、侍女たちを拘束し、跪かせた。

「陛下! 陛下! お許しくださいませ! 私は陛下のことを愛しているからこそ……! 皇子のこともお考えくださいませ! ち、父も許しませんわよ!?」
「はっ、自業自得だ。母が修儀だろうが皇子は皇子だ。何も変わらん」

 呆然とする胡徳妃だったが、うすら笑いを浮かべる。

「ふっ、ふふっ。……潘充儀の居場所を知りたくはないの?」

 天佑は跪く胡徳妃を上から見下ろす。

「胡徳妃……いや、胡修儀よ。おまえは歴史を学ばなかったのか? 女人ひとりのために国を傾けた君主が何人もいたことを知らぬとは。……最初からおまえと取引をする必要はなかった。俺がおまえの立場や皇子、礼部尚書に気を遣ったのが間違いだったんだ。
 その爪を一枚ずつ剥がし、顔の皮膚を破き、肉を削るうちに潘充儀のことも何か思いだすだろう。……太監、連れて行け」

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 ※旱天慈雨かんてんじう・・・日照りの後に降る雨の意味から、待ち望んでいたことが叶うこと、困った時の助けに恵まれることを指す。
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