【完結】えんはいなものあじなもの~後宮天衣恋奇譚~

魯恒凛

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20 盈盈一水

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「ふんっ、陛下に興味ないように振る舞ってたのに、所詮あなたも女ってことね」
「まあ、潘充儀に? 紫花宮を去るのは寂しいけど、いつでもおやつを食べにいらっしゃいね」

 後宮では雪玲しゅうりんの昇格が大騒ぎになっていた。反応はさまざまである。

 一気に三品もの昇格。遠方にいる力のない潘家の手腕とは到底思えない。だとすれば、どこかで見初められたのだろうと噂する者も多く、皇后の座を狙う者たちは不穏な視線を向ける。

 雪玲は二十七世婦が住んでいた紫花宮から単独の宮である睡蓮宮を賜るにあたり、引っ越しの手配や挨拶などやることが山のようにあった。巫水の手配で妃嬪たちへの贈り物や返礼もつつがなく行ったが、直接会っていない妃も多い。そして、ようやく雪玲は雹花と明明がどこにいるのかを突き止めたのだ。

 雹花は九嬪の中でも上から三番目の昭媛、明明は九嬪で一番下の充媛。訪問したい旨の手紙は送っているが、ふたりからは忙しい、体調不良とそれぞれ断られている。

(私があの天衣の娘だってことは知らないだろうけど。とりあえず雹花がいる胡蝶宮の構造を調べて忍び込めばいいかな。充儀になったこと、銀の皇帝に感謝しなくちゃ)

 それに、新しく侍女もひとり付けてくれたのだ。

 巫水とともに侍女として雪玲の世話をすることになった五虹ごこうは二十代前半のすらっとした女性で、とにかくよく働く。口数は少なくとも気が利く人で、巫水ともすぐに打ち解けたようだった。

 一方で五虹は睡蓮宮に来てから困惑の連続だった。隠密としてあらゆることを学んであるものの、雪玲は想定外のことが多すぎる。

「……潘充儀はいつもこのような?」
「五虹。そのうち慣れるわ」

 雪玲のおやつ時は巫水に五虹、いれば江宦官も卓を囲む、賑やかな時間だ。

「他の妃嬪は使用人と席を共にされませんが……」
「え? そうなの? でもみんなで食べたほうが楽しいしおいしいじゃない」

 でしょう?という雪玲の言葉に江宦官は力強く頷き、巫水は諦めたかのように頷く。

 かと思えば書を嗜み、そうを弾き、舞を舞う。それなのに、刺繍や裁縫の類は一切できない。食べることと風流なことがお好きなようだ。

 主である天佑が気にかける仙女のごとく美しい少女。抜けているようで聡明、令嬢としては今一つ。

 そんな温厚で風変わりな雪玲に、五虹もすっかりハマっていった。


 ◇ ◇ ◇


 そして、雪玲は今日も北極殿で古語の解読を行っている。休憩をと声を掛けられ、銀の皇帝と共に茶で寛ぐ。雪玲の今日のおやつには緑豆糕も用意されていた。

「睡蓮宮はどうだ。不便はないか」
「はい、陛下。紫花宮のように周囲に隠れて地下に降りる必要がなくなり、こちらに来やすくなりました。驚いたことに、睡蓮宮は物置ではなく貯蔵庫に出入り口があるのですよ!」

 まずは粉の袋を五虹が退けてからですね、と緑豆糕を手に楽しそうな雪玲の顔を見て、銀の皇帝の顔も綻ぶ。仮面で見えないが。

「紫花宮にいた頃より北極殿への移動距離も短くなっただろう。先々代の頃、睡蓮宮にいた充儀は寵愛を受けていたそうだ。ふたりは仲睦まじく外出もよくしていたらしく……」

 ちらっと雪玲の表情を窺う。実のところ、雪玲とまた街に出かけたいと思ったのだ。

 天佑が一角に尋ねたのは「最も北極殿に近い空いている宮」。偶然にも、睡蓮宮は地下通路を使って最も外に出やすい場所でもある。

(仮面をつけたまま皇帝として外出するわけにはいかないし、ユウとして会うのがいいだろうか。それとも大将軍である龍天佑であることを打ち明けた方がよいだろうか……いや、やはり打ち明けよう。というか、打ち明けたい)

「潘充儀。古語の解読をよく頑張ってくれている。褒美として気晴らしに外へ連れて行ってやろう。朕は行けないが、代わりに弟を付き添わせる。護衛もつけるから安心して行ってきなさい」
「わあ、本当ですか? うれしいです! ありがとうございます!」

 皇帝の許可のある外出ならなんの杞憂もない。思う存分楽しめると雪玲の顔から笑顔が絶えない。

「ふっ。昼間に出かけなさい。面紗は必ずつけること。見たいものや買いたいものはあるか? ああ、そなたなら食べたいものを聞いたほうが良いか。弟に店の場所を調べさせておこう」

 麗容の都はそれなりの規模だ。雪玲が行きたい店が休日なら開ける手配をしないといけない。それから、あの店は確か、休みがなかったはずだし問題ないだろう。

『おいしい串焼きを食べたいです』

 雪玲はその一言を言うだろうと思っていた天佑だったのだが。

「うーん。特別ありませんが、街歩きをしながらおいしそうなものを探してみたいと思います」
「へ? そなたなら麗容で一番おいしいナニかを食べたいと言うと思ったのだが」

 雪玲の中で串焼き流行ブームはもう去ってしまったのだろうか。

「うーん、麗容で一番おいしい串焼きを食べたいのですが、それは一緒に食べる指切りをした人がいるので他の物にしようと思っています」

「……!」


『うふふ。麗容で一番おいしい串焼き、連れて行ってね』


 雪玲がユウとの約束を守ろうとしていることに気づき、天佑の顔がみるみる火照っていく。

 いや、実際は後宮に上がった妃嬪として露店で食べる約束をしている云々は問題があるのだが、天佑にとってはどうでもいい。自分との約束なのだ。深く追求できるはずもない。

 天佑は仮面をつけていて良かったと思いながら、じわじわとせり上がってくる感情に耐えられそうもなかった。

「……そうか、わかった。日にちや時間はまた連絡させよう。あー、うん。今日はそろそろ戻りなさい」
「はい、陛下」

 太監が雪玲を連れて行くのを見送り、天佑は仮面を外すと口元を押さえて俯いた。

「くっ……」

 女性の気配が全くなかった主の変化に、影狼も隠密もこそばゆい思いで見守る。

「天佑さま、あの串焼き屋の店主に指定した日は休むことがないよう念を押しておきます」
「……あぁ、影狼。それから、五虹を呼んでくれ」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ※盈盈一水えいえいいっすい・・・七夕伝説に由来し、水の満ちた川を挟み、男女が会えない苦しさを例えた言葉。つらく苦しい恋の例えや、大切な人に会えないもどかしさにも使われる。

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