【完結】えんはいなものあじなもの~後宮天衣恋奇譚~

魯恒凛

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17 青天霹靂

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 北極殿への呼び出しに巫水ふすいは慌てたが、雪玲しゅうりんは『龍にちなんだ食事』のお裾分けなのではと期待感で胸がいっぱい。

「どの料理にされたんだろう……鯉の唐揚げがいいな」
「てっきり潘才人は糕点がご希望だと思ってました」
「潘才人はまだしも、江宦官まで……」

 そんな内容の呼び出しなら気が楽なのだが。そもそもあの古語の文は何だったのか、深読みをする巫水の不安はつきない。

 江宦官は十分な身支度の時間をとっていいと言ってくれたが、雪玲は今すぐ行けると立ち上がる。

「他の妃嬪ならこれでもかとめかしこむんでしょうが、潘才人だから仕方がないですね。まあ、口を閉じていれば仙女のごとく美貌ですし、それでは行きましょう。人目に触れないように遠回りをしていきます」

 ちょっと待って、と巫水が雪玲の身だしなみをさっと整える。紅だけ少し、と唇に色を載せる間、雪玲を諭す。

「潘才人、付き添えないことは不安しかありませんが、あまりハキハキ物は言わぬよう。しんなりした野菜を思い浮かべてください。あんな感じでいれば大丈夫です。それから、食べ物を出されても夢中になってはいけません。食べ過ぎてもダメです。後で私が下げ渡してもらえるようにお願いしますから。ね?」
「うん。裳州の印象が悪くならないように気をつけて行ってくるね」

 心配そうな顔をする巫水を紫花宮に残し、雪玲は江宦官の後をついていく。紫花宮の中、普段立ち入ることのない祭礼用の備品が置いてある房に入るとおもむろに物をどけ、腰の高さほどの物置の扉を開ける。

「わぁ、階段? ここ、物置じゃなかったんだ」
「足元に気をつけてついて来て下さい」

 物置と思った扉に足を踏み入れると板で作った階段が下に続いていく。そのうち石で囲まれた小さな横穴にたどり着いたが、四方八方に迷路のような通路が広がっているようだ。

「すごい……地下通路があったなんて」
「外廷と後宮の下には無数の地下通路が広がっています。ですが潘才人、決してひとりで入ってはなりませんよ? 複雑な上、多くの仕掛けもあります。興味本位で入ったりしたら二度と出れませんからね」
「うん、わかった」

 高鳴る胸を抑えながら右へ左へ、時には階段をまた降りたり登ったりしながら江宦官についていくことしばらく。ようやく遠くの方に灯りが見えると待ち構えている者がいた。

「太監。潘才人をお連れいたしました」
「ごくろう。潘才人、ついてきなさい」

 江宦官と目が合うと頷かれる。雪玲も小さく頷き、初老と思われるふくよかな太監の後をついていく。
 地下通路からどこかの部屋のやはり物置部屋へ出て廊下へと進む。

(ここはどこだろう? くんくん……食べ物の匂いはよくわからないな。でも、どこかで嗅いだことのある香のにおいがする)

 しんと静まり返る宮殿らしき建物。衣ずれの音や足音が微かに聞こえるが、女性の者ではない様子。どうやら後宮の外、外廷に連れてこられたのだろう。おそらく、ここが北極殿だ。

 太監に続き、人っ子ひとりいない廊下を歩いていく。が、至る所から人の気配がする。

 しばらくすると、ぴたっと足を止めた太監が振り返った。

「潘才人、これから皇帝に謁見します。私の後に続いて挨拶をしたら、顔を上げていいと言われるまで上げてはいけませんよ? 皇帝はとても厳しい方です。勝手にご尊顔を拝むようなことがあれば目を繰り抜かれ、話すなという時に話せば舌を切り落とされます。触れるなという物に触れれば手を切り落とされますからね。わかりましたか?」
「はい」

 雪玲は自分の足元を見ながら張り詰めた空気の室内へと進み、太監の少し後ろに控える。謁見の間や執務の間とは異なり、この御書房は側近のみが入れる皇帝の私室のようだ。

 上座には皇帝以外にも人がいる様子。きっと護衛がついているのだろう、と雪玲は考えた。

 その場で膝をつき、太監の後に続く。

「陛下。潘才人をお連れいたしました」
「参見陛下。万歳、万歳、万々歳」

「顔を上げなさい」
「はい、陛下」

 顔を上げた雪玲は目を合わさないように床の繋ぎ目をじっと見る。顔を上げていいと言われたけど、顔を見てもいいとは言われてない。

 謎掛けみたいだなと思いながら、雪玲は龍にちなんだ料理に思いを馳せていた。


 ◇ ◇ ◇


 太監がさっそく才人を案内してくると隠密が伝えてきた。

「……早くないか? あと一刻はかかるだろうと思っていたんだが……」
「江宦官が既に太監へ手引きしましたから、あと四半刻で到着するかと」

 すっかり楽な体勢で政務の山を片付けていたが、とりあえずいつもの銀の仮面をつけ、才人に解いて欲しい古書の類を引っ張り出す。

「潘才人とやらが古書を読み解いて天誠の解毒法を見つけてくれるといいんだが……」
「古語が読めるのなら期待できますね。その古書、ちんぷんかんぷんです」

 影狼が横から古書を覗き込む。

 強面と顔の傷のせいで山賊のような風体だが、こう見えてこいつは学もある。そうでなければ第八皇子の腹心になどなれるはずもない。

つまるところ、いいとこのお坊ちゃんだ。文武両道のちょっとだけ『武』寄りなだけで、『文』の方もそれなりの知識がある。

「まだ若いだろうに潘才人はよほどの才媛なのだろう。母上も裳州なんて遠くからよく見つけてきたな。今のところ最下位の妃とはいえ、天誠も気に入りそうだ」

 兄は賢い女性を好むはず。先に顔合わせをすることになって申し訳ないが、兎に角目を覚ましてもらうことが先決だ。

 それからしばらく経ち、ぴったり四半刻後に太監と潘才人が到着した。

「陛下。潘才人をお連れいたしました」
「参見陛下。万歳、万歳、万々歳」

 太監に続く、凛とした声が心地よい。

(ほう、木槿むくげ色の落ち着いた衣に、高髻こうけいには透かし彫りの金櫛を挿しただけか。これでもかと着飾ってくるかと思いきや、好感が持てるな)

 孔雀のような妃嬪を想像していた天祐は、品がありそうな潘才人に早くも良い印象を持つ。才媛という先入観があったのは確かだが、期待を裏切らない清廉な姿に好感を持った。

「顔を上げなさい」
「はい、陛下」


「!」


(……雪玲?)

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 ※青天霹靂せいてんへきれき・・・思いがけない突然の出来事が起こること。
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