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2 合縁奇縁
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「さあさ、今日は新皇帝の即位を祝って大変価値のあるお宝を揃えてきたよ! 麗容で買えるのは今日が最後だよ!」
「あら! なんだか楽しそう」
雪玲が次に目を留めたのは胡散臭い壺や小物を売る我楽多屋。遠目から見ると不用品を並べているようにも見えるのは、廃品を拾い集めては磨いて売っているからなのかもしれない。
商品が並ぶ莚の前にしゃがみ、雪玲はじっくりと品定めをする。
木彫りの観音立像から耳付の籠花入れ、繊細な模様が入った錫の茶壷など、統一感のない品物が並ぶ。が、贋作もしくはさほど価値がないものが多い。近くにある書物を手に取ると、中をパラパラとめくった。
(へえ、書物が売っているなんて、青龍国は字が読める人が多いのかしら。どれどれ……あら。これは誰かの日記じゃない。読むのは悪いわ)
首を小さく左右に振り、別の書物を開く。
(ふむふむふむ……。ん? これ、青龍国の地形が書かれているのね。へえ、面白そう! どれどれ……都市の名前に山の高さと距離、河川の正確な位置に深さ、兵の配置箇所とその数、各軍の指揮官の名前、指揮系統……んんん?)
書物をぺらぺらと一通り見た雪玲は小父さんに尋ねる。
「これも売り物?」
狸のような顔をした男は人の良さそうな顔で力強く頷く。
「お嬢さん、お目が高い! その書物は俺が川で顔を洗っていたら、上流からぷかぷか流れてきたんだ。蓮の葉に包まれてたから中は食べ物だと思ったのによ、なにやら有難てぇ書物じゃないか。きっとどこかの偉いお坊さんが書いたんだ。なぁに、字が読めなくても側に置いておくだけでご利益があるさ。どうだい、買わないかい?」
(これ、天龍へのお土産にしてあげよう! 青龍国がどうなっているか、私が説明するよりわかりやすそうだもの)
「買うわ!」
「待て」
「ん?」
ふと横を見ると雪玲の隣――人ふたり分空けた所に大柄な男が同じようにしゃがみ、雪玲が持つ書物をじっと見ている。
濡羽色の艶やかな髪を髻で括り、瞳は夜空のような紺青色。まるで菫青石のようだ。上等な白の衣は裙が黒で、銀の刺繍が入った白の紗を羽織っている。涼やかな美丈夫は天女と見間違う者もいるかもしれない。
ふと、雪玲は何かが引っかかった。
「あら? あなたと私、どこかで会ったことがあったかしら?」
首を傾げる雪玲に、美丈夫の後ろから殺気と怒気が飛んでくる。
「無礼者っ! お主のような下々の者とうちの若様に面識などあるはずなかろう!」
「影狼、やめろ」
若様と呼ばれた男がよく通る低い声で制すと、影狼がぐっと唇を噛み締めた。
(ん? 声に霊力が乗ってた? 気のせいかしら……そして私は下々ではなくて上々のものなんだけど。まあ、いいや)
「確かに私は今日この都に来たばかりだし、面識があるはずなかったわ。影狼のいうとおりだから許してやって?」
雪玲の言葉を聞いた男は一瞬目を見開き、堪えきれないというように肩を震わせた。
「んん? 私、何かおかしいこと言った?」
「ふっ、肝の座ったお嬢さんだ。影狼が怖くないのか?」
そう言われて影狼という男をもう一度しっかり見ると、暗い藍色の髪と黒瞳、左目の下から口にかけては大きな傷があり、左の口元が引きつっている。
なるほど、服を着ていてもわかるほど身体は鍛えられている上、三白眼にこの傷だ。若い女性には少しばかり威圧感があるかもしれない。
「怖くないわ。私は勇ましくていいと思う。影狼、もしかしてその傷のせいで怖がられてしまうの? だったら笑った方がいいわ。そうしたら優しく見えるもの」
「ぶはっ」
とうとう麗しい美丈夫が笑い出した。雪玲が首を傾げていると、たまらないとでもいうように声を上げて笑っている。
(この人、笑うと随分幼く見えるのね)
そんなことを考えていた雪玲に、濡羽色の美丈夫が言う。
「影狼、影狼って。君はまるで自分の部下のようにあいつを呼ぶんだな。普通のお嬢さんはそんな風には呼ばない。恐ろしくて固まるか、悲鳴を上げて失神するのが関の山だ」
「ああ、私が失礼だったってことなのね。影狼、馴れ馴れしく名前を読んでごめんなさい」
「ははっ! 全然悪いと思ってないじゃないか」
楽しそうに笑う美丈夫に苦虫を噛み潰したような顔の影狼、笑いのツボがよくわからない雪玲が首を傾げる。
成り行きを見守っていた店主が痺れを切らして口を挟む。
「……で、お客さんたち、それ、買うのかい? 買わないのかい?」
「買うわ」「買う」
ん?と思って雪玲が横を向くと、美丈夫が真剣な顔をしていた。
「お嬢さん、俺にはその書物が必要なんだ。金子はいくらでも払う。譲ってくれないか?」
雪玲はじっと男の瞳を見つめる。嘘は言っていないような気がするし、……そもそも天龍へのお土産にしたかっただけだ。青龍国の話は自分の見聞を語れば良いだけの話。
そう考えたら、雪玲は必要だというこの男に譲った方がよい気がした。
「いいわよ」
「助かる! 恩に着るよ」
影狼が代金を払うと美丈夫は雪玲から本を受け取り、中身をパラパラとめくった。
徐々に蟀谷の血管がくっきりと浮き上がっていくのを見るに、この男の逆鱗に触れる何かが載っているらしい。
そのうち、男は書物を懐にしまうと雪玲に顔を向けた。
「約束通り、いくらでも払おう」
「いらないわ。買う前だったし、そこまで欲しいってわけでもなかったから」
「いや、俺は一度口に出したことを曲げない主義なんだ。そうだな……」
腕を組み、男は片手で顎をさすりながら雪玲を見下ろした。
「……この書物はずっと探していた大切な物で、君は俺の恩人なのだから」
そういうと、美丈夫は革帯から下げた腰佩を取り外し、雪玲に手渡した。影狼が若様!と驚愕した顔で叫んでいる。
「まあ。岫岩玉の腰佩ね」
「ああ。岫玉とも呼ばれる。よく知っていたな? お前の頼みごとをいつかひとつだけ聞いてやると約束しよう。これはそのための札がわりだ。だが、また会えるとも限らない。売ればそれなりの値段になるだろうから、金に困った時は売ればいい」
(あら。今日はなんだか札と縁があるみたい。それにしても相手のことをよく考えたいい申し出だわ。この人、好感が持てるわね)
雪玲はにっこり笑って受け取った。
月下老人の仕業なのか、偶然なのか。こうして、ご利益がないはずの良縁祈願の効が発揮されたようで。
その後、大通りを反対方向へと分かれると、雪玲は一度振り返って大きく手を振り、楽しそうに人混みに消えていった。
「ふっ、変わったお嬢さんだったな」
「主上、まさか、あの娘を気に入られたのですか?」
美丈夫は懐の書物に手をあてながら、側近へ殺気を向ける。
「影狼、戯れはやめろ。天誠が戻るまでそんな暇はない。それに、ようやく黒蛇どもの極秘調査書を奪還できたんだ。やる事は腐るほどある」
合縁奇縁、この美丈夫が龍 天佑であることを雪玲が知るのは、もう少し先の話である。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
※合縁奇縁・・・不思議な縁の巡り合わせのこと。
※菫青石・・・アイオライト。濃い紺色~すみれ色の石。見る角度や光の当て方で青や紫などにも見える多色性の性質を持つ。
※岫岩玉・・・中国の五大玉のひとつ。翡翠に似た軟石で装飾品などに使われる。学名「貴蛇紋石」。
「あら! なんだか楽しそう」
雪玲が次に目を留めたのは胡散臭い壺や小物を売る我楽多屋。遠目から見ると不用品を並べているようにも見えるのは、廃品を拾い集めては磨いて売っているからなのかもしれない。
商品が並ぶ莚の前にしゃがみ、雪玲はじっくりと品定めをする。
木彫りの観音立像から耳付の籠花入れ、繊細な模様が入った錫の茶壷など、統一感のない品物が並ぶ。が、贋作もしくはさほど価値がないものが多い。近くにある書物を手に取ると、中をパラパラとめくった。
(へえ、書物が売っているなんて、青龍国は字が読める人が多いのかしら。どれどれ……あら。これは誰かの日記じゃない。読むのは悪いわ)
首を小さく左右に振り、別の書物を開く。
(ふむふむふむ……。ん? これ、青龍国の地形が書かれているのね。へえ、面白そう! どれどれ……都市の名前に山の高さと距離、河川の正確な位置に深さ、兵の配置箇所とその数、各軍の指揮官の名前、指揮系統……んんん?)
書物をぺらぺらと一通り見た雪玲は小父さんに尋ねる。
「これも売り物?」
狸のような顔をした男は人の良さそうな顔で力強く頷く。
「お嬢さん、お目が高い! その書物は俺が川で顔を洗っていたら、上流からぷかぷか流れてきたんだ。蓮の葉に包まれてたから中は食べ物だと思ったのによ、なにやら有難てぇ書物じゃないか。きっとどこかの偉いお坊さんが書いたんだ。なぁに、字が読めなくても側に置いておくだけでご利益があるさ。どうだい、買わないかい?」
(これ、天龍へのお土産にしてあげよう! 青龍国がどうなっているか、私が説明するよりわかりやすそうだもの)
「買うわ!」
「待て」
「ん?」
ふと横を見ると雪玲の隣――人ふたり分空けた所に大柄な男が同じようにしゃがみ、雪玲が持つ書物をじっと見ている。
濡羽色の艶やかな髪を髻で括り、瞳は夜空のような紺青色。まるで菫青石のようだ。上等な白の衣は裙が黒で、銀の刺繍が入った白の紗を羽織っている。涼やかな美丈夫は天女と見間違う者もいるかもしれない。
ふと、雪玲は何かが引っかかった。
「あら? あなたと私、どこかで会ったことがあったかしら?」
首を傾げる雪玲に、美丈夫の後ろから殺気と怒気が飛んでくる。
「無礼者っ! お主のような下々の者とうちの若様に面識などあるはずなかろう!」
「影狼、やめろ」
若様と呼ばれた男がよく通る低い声で制すと、影狼がぐっと唇を噛み締めた。
(ん? 声に霊力が乗ってた? 気のせいかしら……そして私は下々ではなくて上々のものなんだけど。まあ、いいや)
「確かに私は今日この都に来たばかりだし、面識があるはずなかったわ。影狼のいうとおりだから許してやって?」
雪玲の言葉を聞いた男は一瞬目を見開き、堪えきれないというように肩を震わせた。
「んん? 私、何かおかしいこと言った?」
「ふっ、肝の座ったお嬢さんだ。影狼が怖くないのか?」
そう言われて影狼という男をもう一度しっかり見ると、暗い藍色の髪と黒瞳、左目の下から口にかけては大きな傷があり、左の口元が引きつっている。
なるほど、服を着ていてもわかるほど身体は鍛えられている上、三白眼にこの傷だ。若い女性には少しばかり威圧感があるかもしれない。
「怖くないわ。私は勇ましくていいと思う。影狼、もしかしてその傷のせいで怖がられてしまうの? だったら笑った方がいいわ。そうしたら優しく見えるもの」
「ぶはっ」
とうとう麗しい美丈夫が笑い出した。雪玲が首を傾げていると、たまらないとでもいうように声を上げて笑っている。
(この人、笑うと随分幼く見えるのね)
そんなことを考えていた雪玲に、濡羽色の美丈夫が言う。
「影狼、影狼って。君はまるで自分の部下のようにあいつを呼ぶんだな。普通のお嬢さんはそんな風には呼ばない。恐ろしくて固まるか、悲鳴を上げて失神するのが関の山だ」
「ああ、私が失礼だったってことなのね。影狼、馴れ馴れしく名前を読んでごめんなさい」
「ははっ! 全然悪いと思ってないじゃないか」
楽しそうに笑う美丈夫に苦虫を噛み潰したような顔の影狼、笑いのツボがよくわからない雪玲が首を傾げる。
成り行きを見守っていた店主が痺れを切らして口を挟む。
「……で、お客さんたち、それ、買うのかい? 買わないのかい?」
「買うわ」「買う」
ん?と思って雪玲が横を向くと、美丈夫が真剣な顔をしていた。
「お嬢さん、俺にはその書物が必要なんだ。金子はいくらでも払う。譲ってくれないか?」
雪玲はじっと男の瞳を見つめる。嘘は言っていないような気がするし、……そもそも天龍へのお土産にしたかっただけだ。青龍国の話は自分の見聞を語れば良いだけの話。
そう考えたら、雪玲は必要だというこの男に譲った方がよい気がした。
「いいわよ」
「助かる! 恩に着るよ」
影狼が代金を払うと美丈夫は雪玲から本を受け取り、中身をパラパラとめくった。
徐々に蟀谷の血管がくっきりと浮き上がっていくのを見るに、この男の逆鱗に触れる何かが載っているらしい。
そのうち、男は書物を懐にしまうと雪玲に顔を向けた。
「約束通り、いくらでも払おう」
「いらないわ。買う前だったし、そこまで欲しいってわけでもなかったから」
「いや、俺は一度口に出したことを曲げない主義なんだ。そうだな……」
腕を組み、男は片手で顎をさすりながら雪玲を見下ろした。
「……この書物はずっと探していた大切な物で、君は俺の恩人なのだから」
そういうと、美丈夫は革帯から下げた腰佩を取り外し、雪玲に手渡した。影狼が若様!と驚愕した顔で叫んでいる。
「まあ。岫岩玉の腰佩ね」
「ああ。岫玉とも呼ばれる。よく知っていたな? お前の頼みごとをいつかひとつだけ聞いてやると約束しよう。これはそのための札がわりだ。だが、また会えるとも限らない。売ればそれなりの値段になるだろうから、金に困った時は売ればいい」
(あら。今日はなんだか札と縁があるみたい。それにしても相手のことをよく考えたいい申し出だわ。この人、好感が持てるわね)
雪玲はにっこり笑って受け取った。
月下老人の仕業なのか、偶然なのか。こうして、ご利益がないはずの良縁祈願の効が発揮されたようで。
その後、大通りを反対方向へと分かれると、雪玲は一度振り返って大きく手を振り、楽しそうに人混みに消えていった。
「ふっ、変わったお嬢さんだったな」
「主上、まさか、あの娘を気に入られたのですか?」
美丈夫は懐の書物に手をあてながら、側近へ殺気を向ける。
「影狼、戯れはやめろ。天誠が戻るまでそんな暇はない。それに、ようやく黒蛇どもの極秘調査書を奪還できたんだ。やる事は腐るほどある」
合縁奇縁、この美丈夫が龍 天佑であることを雪玲が知るのは、もう少し先の話である。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
※合縁奇縁・・・不思議な縁の巡り合わせのこと。
※菫青石・・・アイオライト。濃い紺色~すみれ色の石。見る角度や光の当て方で青や紫などにも見える多色性の性質を持つ。
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