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 テオンが帰った後、クロエはベッドに突っ伏し、枕に顔をうずめて泣いていた。

(よく頑張った、私……、ちゃんと言えたじゃない)

 涙で濡れた枕が、クロエの火照った頬をひんやりと冷やす。少し前までこのベッドの上で意識が飛ぶほどの快楽を与えられたのは夢だったのではないかと思うが、股の間の違和感が半端ない。

(馬鹿なクロエ。芸術品のような、あんなに美しい人が私のことを好きだなんてあるわけないじゃない。
 これは浮かれていた自分への罰なのよ。不細工のくせに、身の程知らずにも『青き夜想曲の貴公子』の恋人になったつもりでいたなんて……)

 一生しないかもしれないと思っていたけど、好きな相手に純潔を捧げることができたのだ。これはこれで良かったのかもしれない。

 それでも、これが男友達との賭けだとでも言われる方がまだマシだった。まさか、母ジョスティーヌと約束をしていただなんて誰が思うだろうか。

 仲良しの母娘だった。

 この国で一番美しいといわれる『永遠の薔薇』。

 抜けるように白い肌にはしみひとつなく、長いまつ毛に縁取られたアンバーの瞳はまるで宝のよう。冒険者が探しているのはきっとこんな宝石なのだろう、と子供心に思ったのを覚えている。

 すっと通った鼻梁にぽってりとした唇。スタイルだって世の男性の理想を詰め込んだような砂時計型だ。

 その驚異のモテっぷりをずっと近くで見てきたけど、羨ましいと思うことはなかった。

(どこもかしこも似ていないことを知ってたし、私は早くから自分を諦めていたのかもしれない。それに、お母さんに大切にされていたもの……あの日までは)

 彼氏や好きな人がいないのかはちょくちょく聞かれていた。

 地味で垢抜けない、不細工な女の子。それがクロエなのに、母の瞳にはかわいくて仕方がない娘なのだろう。

 過大評価する母と恋バナができることはあるんだろうかと自虐的に考えていたクロエに、ある日突然衝撃的な発言をしてきたのだ。


 いつもと変わらない夜だった。

 ジョスティーヌが呼んでいると護衛のひとりが呼びに来た。

 クロエが向かうとジョスティーヌは深紅のドレスに身を包み、長ソファに脚を投げ出していた。ソファの下にはハイヒールが転がっている。

 目元を赤くした顔が気になったが、グラスを片手に随分と飲んでいる様子。常に両脇に控えているマッチョの護衛たちも距離をとって扉の前にいるし、なんだか雰囲気がおかしい。

 ジョスティーヌはクロエがやってきたことに気づくと、アンバーの瞳をじっと見つめた。

『お母さん、どうしたの?』
『クロエ、今いくつだっけ』
『十六歳だよ?』

 クロエは首を傾げた。

 ジョスティーヌは目を細めると、真剣な顔でクロエに伝えた。

『クロエ。今すぐ処女を捨ててちょうだい。相手がいないなら私が紹介してあげる』
『な、何を言って……。お母さん。この国は性に奔放だけど、私は大切にしたいの。本当に好きだと思う相手に捧げたいと思っているし、相手が誰でもいいなんて思っていない」
『……閨のレッスンってことで』
『え? 何言ってるの? そんなのいらないよ……それに不細工な私としたいと思う人なんていないもの……』

 ジョスティーヌが眉根を寄せ、乱暴にグラスをテーブルへ置いた。

『クロエっ! あなたはかわいいわ! 何度でも言ってあげる。クロエは私の宝物で、世界で一番かわいいわ』
『……世界で一番かわいい娘に、今すぐ処女を喪失しろって? お母さんが何考えているのかよくわからないよ……』

 ポロポロと涙を零したクロエは、眉を下げるとジョスティーヌの元を後にした。


 翌日の早朝、大きなカバンを一つ持ったクロエはマルティンたちに伝えた。

『私、この家を出て行く。学園にはちゃんと通うから勝手に退学手続きをとらないように母に言っておいて』

 大切にしまっていた宝石をいくつか袋に詰め、少ない荷物を持ってクロエは家を飛び出した。

 母親にもらった宝石はたくさんある。その一部だけ袋に詰めてきたが、クロエはそもそもつけたことがなかった。地味で目立たないクロエは宝石をつけるような機会もなく、おしゃれにも興味がなかったのだ。

 宝石を換金したお金で家を探すことにした。自分で稼いだお金ではないことが後ろめたかったが、この際仕方がない。

 大きな宝石を売るのは怖いから、小さな小粒の宝石から売却した。それでもかなりの資産になった。

 家を借り、ひとり暮らしを始め、学園に通った。存在感がなく教室ではいつも片隅。好きな場所は図書館。だから自然と勉強をする時間があって、成績はいつも良かった。

 そうして、十八歳の時、狭き門といわれる王城での女官に採用された。

 語学が堪能なため、いくつかの部署から誘われたが、目立たない部署への配属を希望した。見学をした際、一番目立たないと思った西エリアの備品管理課が理想的だった。

 華やかな部署は社交関係も華やかだ。何かの拍子に母へ自分の様子が報告されるのがたまらなく嫌だった。大臣クラスになるとクロエがマダムジョスティーヌの娘であることを知っている可能性が高い。

 望んで選んだ閑職で粛々と仕事をし、自分らしい幸せを見つけようと思っていた。

 あれから四年。干渉されることもなかったけど、母がなぜあんなことを言ったのか事あるごとに考えていた。

(不細工な娘が恋をするように願っていたとか? 縁がなさそうだから、体から始まる恋を狙った……? それとも、バーニー卿がいうように、セックスすれば女は綺麗になるから不細工な娘が綺麗になるようにとか?)

 考えても考えてもわからない。

(私が処女じゃなくなったら、またお母さんと普通に会えるのかな……)

 へとへとだったクロエはぷつんと意識が途切れた。
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