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「まったく、我が国の騎士道は落ちたものだな。またおまえか」
「っ! テオン・フォンセカ……」
テオンは王宮で見かける文官の制服とは異なり、白シャツにジャケットを羽織ったラフな服装だ。
「バーニー卿。クロエ嬢にこれ以上つきまとうのなら、然るべき関係先へ連絡を入れ、手続きを取らせてもらうよ。この辺りで引いた方がいいんじゃないのかな?」
ユリシーズは悔しそうな顔を浮かべたが、テオンの言葉に分が悪いと感じた様子。引きつった顔でバケットを紙袋に差し込むと、クロエのことを一瞬ちらっと見て立ち去った。
(た、助かった……)
安堵で崩れ落ちそうなクロエにテオンが駆け寄り、体を支える。
「おっと……クロエ嬢、怪我はない?」
「はっ、はい……ですが、ち、力が抜けてしまって……」
テオンはクロエが休める場所がないか辺りを見渡す。
「少しその辺に座って休む?」
「い、いえ、大丈夫です……! あと少しで自宅なので帰ります」
「クロエ嬢、送っていくよ。まだバーニー卿が近くに潜んでいるかもしれない。それに、人通りもすっかり少なくなってしまって心配だ」
「で、でも……」
(確かに送ってもらえたら安心だけど、そもそも男性に送ってもらうなんて……。あれ? でも確か『テオンルール』に『自分から女性を誘わない』っていうのがあるのよね。女性からの誘いは受けるだけってことだから)
つまり、テオンが送り狼になることはない。
クロエが誘わない限り、そういうことにはならない、ということだ。
そう思えば、これ以上安心できる相手はいないのかもしれない。
(自分から女性を誘わない方なんだから、ご迷惑をお掛けてしまうけど……送って来ていただいた方が安心よね)
テオンが荷物持つよ、とクロエの両腕から紙袋を取り上げた。
「家、どっち?」
頼りない街灯がぽつぽつと点き始める中、クロエとテオンは並んで歩きながらクロエの家を目指していた。クロエより頭一つ分ほど高いテオン。騎士系統の家系というだけあり、体格に恵まれているようだ。
「テオン様は東側にお住まいなんですね」
「ああ。フォンセカ家のタウンハウスがね。だけど王城内の宿舎にも部屋があるよ。残業が多いシーズンは王城で寝泊まりする方が効率的だし。クロエ嬢は宿舎にしなかったんだね」
「私は十六歳の時から一人暮らしをしているので、学生の時から今の家に住んでいるんです。もう住み慣れているし、通える距離だったのでなんとなくそのまま……」
「そう……、長くひとり暮らしをしているんだね」
クロエの家は王宮から歩いて三十分ほどの場所、王都の南側にある商店街を抜け、そのまた先にあるアパートメントの一室だ。
赤いレンガ造りのアパートメントは四階建てでクロエは三階の角部屋に住んでいた。建物自体が古いため家賃が安く、広さと日当たりが気に入ったクロエは少しずつ手入れをしながら暮らしていた。
小さな寝室とリビングに、広いベランダがついた間取りは新婚夫婦にも良いと思うのに、あまりの古さに人気がない。高齢者が大半のアパートメントで、会えば立ち話をしてくれるここの住人をクロエは大好きだった。
所々ひびが入る古びた階段を上がり、三階の端の部屋を目指す。
「ここです……」
テオンの目の前でカチャリと鍵を開けると、クロエは中へと促した。
「……ど、どうぞ」
「おじゃまします」
テオンは躊躇なく、室内にすっと足を踏み入れる。
部屋は鍵を開けるとすぐにリビングがあり、広々とした空間は昔ながらの建物だけあって天井が高い。
パステルグリーンに塗られた壁に白木の腰板がよく映え、部屋にはオーク材の古家具が配置されている。丸テーブルに二脚の椅子、離れたところには二人掛けのソファがあった。
手編みのブランケットが無造作に置かれていて、昼寝をすると心地よい眠りにいざなうことは間違いない。窓際にはたくさんの植物が吊られ、全体的に漂う優しい雰囲気がクロエらしい部屋だ。
テオンはさりげなく部屋の中を見渡すとキッチンを見つけ、丸テーブルへ紙袋を置いた。
「テオン様、ありがとうございました。あの、……良かったらお茶を飲まれていきますか?」
一瞬、目を伏せて考えたテオンだったが、クロエを見つめると首を振った。
「この後予定が入っているから帰らないといけないんだ。残念だよ。……クロエ嬢、しっかり戸締りをするようにね。玄関の鍵、一つだけじゃ危ないよ。もう一つ付けておいた方がいい」
「は、はい。そうします、……あ、ありがとうございます」
尻すぼみの声になってしまったが、善意でクロエを心配してくれたテオンの気持ちが心地よくくすぐったい。
テオンは「それじゃあ」と言うと、実にあっさりと帰って行った。
パタンと締められたドアの前、忘れないようにカチャリと鍵をかける。ドア越しに遠ざかっていく足音を聞きながら、クロエは呆然としていた。
(あの、……あのテオン様が我が家に足を踏み入れる日が来るとは……! それにしても、なんて紳士なの! バーニー卿から守ってくれただけじゃなく荷物を持って家まで送ってくれた上、お茶も飲まず颯爽と帰っていくなんて……この後は愛人さんのところなのかな)
この三十分ほどの間に起こった出来事が、クロエには信じられなかった。
(テオン様、優しかったな……。しがないいち文官である私のような者にまで心配してくださるなんて……! テオン様がおっしゃってくださったんだし、明日にでも新しい鍵をもう一つ付けよう)
「っ! テオン・フォンセカ……」
テオンは王宮で見かける文官の制服とは異なり、白シャツにジャケットを羽織ったラフな服装だ。
「バーニー卿。クロエ嬢にこれ以上つきまとうのなら、然るべき関係先へ連絡を入れ、手続きを取らせてもらうよ。この辺りで引いた方がいいんじゃないのかな?」
ユリシーズは悔しそうな顔を浮かべたが、テオンの言葉に分が悪いと感じた様子。引きつった顔でバケットを紙袋に差し込むと、クロエのことを一瞬ちらっと見て立ち去った。
(た、助かった……)
安堵で崩れ落ちそうなクロエにテオンが駆け寄り、体を支える。
「おっと……クロエ嬢、怪我はない?」
「はっ、はい……ですが、ち、力が抜けてしまって……」
テオンはクロエが休める場所がないか辺りを見渡す。
「少しその辺に座って休む?」
「い、いえ、大丈夫です……! あと少しで自宅なので帰ります」
「クロエ嬢、送っていくよ。まだバーニー卿が近くに潜んでいるかもしれない。それに、人通りもすっかり少なくなってしまって心配だ」
「で、でも……」
(確かに送ってもらえたら安心だけど、そもそも男性に送ってもらうなんて……。あれ? でも確か『テオンルール』に『自分から女性を誘わない』っていうのがあるのよね。女性からの誘いは受けるだけってことだから)
つまり、テオンが送り狼になることはない。
クロエが誘わない限り、そういうことにはならない、ということだ。
そう思えば、これ以上安心できる相手はいないのかもしれない。
(自分から女性を誘わない方なんだから、ご迷惑をお掛けてしまうけど……送って来ていただいた方が安心よね)
テオンが荷物持つよ、とクロエの両腕から紙袋を取り上げた。
「家、どっち?」
頼りない街灯がぽつぽつと点き始める中、クロエとテオンは並んで歩きながらクロエの家を目指していた。クロエより頭一つ分ほど高いテオン。騎士系統の家系というだけあり、体格に恵まれているようだ。
「テオン様は東側にお住まいなんですね」
「ああ。フォンセカ家のタウンハウスがね。だけど王城内の宿舎にも部屋があるよ。残業が多いシーズンは王城で寝泊まりする方が効率的だし。クロエ嬢は宿舎にしなかったんだね」
「私は十六歳の時から一人暮らしをしているので、学生の時から今の家に住んでいるんです。もう住み慣れているし、通える距離だったのでなんとなくそのまま……」
「そう……、長くひとり暮らしをしているんだね」
クロエの家は王宮から歩いて三十分ほどの場所、王都の南側にある商店街を抜け、そのまた先にあるアパートメントの一室だ。
赤いレンガ造りのアパートメントは四階建てでクロエは三階の角部屋に住んでいた。建物自体が古いため家賃が安く、広さと日当たりが気に入ったクロエは少しずつ手入れをしながら暮らしていた。
小さな寝室とリビングに、広いベランダがついた間取りは新婚夫婦にも良いと思うのに、あまりの古さに人気がない。高齢者が大半のアパートメントで、会えば立ち話をしてくれるここの住人をクロエは大好きだった。
所々ひびが入る古びた階段を上がり、三階の端の部屋を目指す。
「ここです……」
テオンの目の前でカチャリと鍵を開けると、クロエは中へと促した。
「……ど、どうぞ」
「おじゃまします」
テオンは躊躇なく、室内にすっと足を踏み入れる。
部屋は鍵を開けるとすぐにリビングがあり、広々とした空間は昔ながらの建物だけあって天井が高い。
パステルグリーンに塗られた壁に白木の腰板がよく映え、部屋にはオーク材の古家具が配置されている。丸テーブルに二脚の椅子、離れたところには二人掛けのソファがあった。
手編みのブランケットが無造作に置かれていて、昼寝をすると心地よい眠りにいざなうことは間違いない。窓際にはたくさんの植物が吊られ、全体的に漂う優しい雰囲気がクロエらしい部屋だ。
テオンはさりげなく部屋の中を見渡すとキッチンを見つけ、丸テーブルへ紙袋を置いた。
「テオン様、ありがとうございました。あの、……良かったらお茶を飲まれていきますか?」
一瞬、目を伏せて考えたテオンだったが、クロエを見つめると首を振った。
「この後予定が入っているから帰らないといけないんだ。残念だよ。……クロエ嬢、しっかり戸締りをするようにね。玄関の鍵、一つだけじゃ危ないよ。もう一つ付けておいた方がいい」
「は、はい。そうします、……あ、ありがとうございます」
尻すぼみの声になってしまったが、善意でクロエを心配してくれたテオンの気持ちが心地よくくすぐったい。
テオンは「それじゃあ」と言うと、実にあっさりと帰って行った。
パタンと締められたドアの前、忘れないようにカチャリと鍵をかける。ドア越しに遠ざかっていく足音を聞きながら、クロエは呆然としていた。
(あの、……あのテオン様が我が家に足を踏み入れる日が来るとは……! それにしても、なんて紳士なの! バーニー卿から守ってくれただけじゃなく荷物を持って家まで送ってくれた上、お茶も飲まず颯爽と帰っていくなんて……この後は愛人さんのところなのかな)
この三十分ほどの間に起こった出来事が、クロエには信じられなかった。
(テオン様、優しかったな……。しがないいち文官である私のような者にまで心配してくださるなんて……! テオン様がおっしゃってくださったんだし、明日にでも新しい鍵をもう一つ付けよう)
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