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小話 絵画初期化(記憶喪失)-1
しおりを挟む「絵画の初期化、ですか?」
聞きなれない言葉をひとまず復唱するが、理解には遠く及ばなかった。
目の前には館長のゴールド。グレイを慌てさせないよう、口元には柔和な笑みを浮かべながらも、その真剣な目が事態の深刻さを伝えてくる。
出勤時間前に急遽呼び出されたのは館長室だった。頼みたいことがある、と館長直々に連絡を貰い、色々なやらかしの前科があるグレイとしては、これはいよいよもしかすると、遠回しな戦力外通告…?なんて縁起でもない想像をして背筋を冷やしたものだ。
しかしながら寸でのところで気力を保ち、いつもよりルーティンを省いて飛び出したグレイ。少しでも早く館長室へ向かえば印象が良くなり、もしも悪い知らせだった場合に情状酌量の余地があるんじゃないかなどと思ったわけではない。……まあちょっとは思ったかもしれない。はい思いました。
結果的に館長からの話は、グレイの退職やグレイを罰する類のものではなかったのでホッとしたのだが……、
絵画館としては、どう考えてもそれよりまずいことが起きていたようだ。
ごくり。グレイは唾を飲んで、少しでも冷静さを取り戻そうと歴代館長達の自画像を見上げる。しかし、やや斜めに立てかけられたそれらは、グレイを見守るというよりかは圧をかけてきているようで、余計緊張感が高まるだけだった。失敗した!
直後、ゴールドが話す気配を察して、グレイは慌てて視線を戻す。
「記憶喪失とでも言えばいいのかな。一部の絵画……各階層で名のついたトップ達が、描かれた以降全ての記憶を失ってしまっているみたいなんだ」
「!?」
絵画館の絵画は、開館前にガイドたちによって状態を確認されるのが常なのだが、その際に発覚したらしい。
前代未聞の緊急事態として、当然絵画館は緊急休館。清掃も一時休止とされ、今は各スタッフ長達が予約客への対応や、先日の清掃で何か特別な作業はなかったかなどの原因の洗い出しを行ってくれている最中のようだ。
責任者たちは皆多忙。しかし最も気に掛けるべき『絵画』に対しては、発覚時を除き人員が割かれていない状況とのこと。かといってスタッフを多数投入し、思考要因を増やすのもあまり望ましいことではない。少人数精鋭が理想なのだ。
つまり、グレイがここに呼ばれたのは、
「君達には、スタッフ長に変わり関係絵画の調査をして欲しい。彼らがどんな状態か、そして、もしもトップの不調により階層全体が不安定になっているようならその対処も。これは全ての階層への清掃経験がある君達が一番適任だと見込んでのお願いだ。任せてもいいかい?」
「はい!精一杯務めさせていただきます!」
「ありがとう。心強いよ」
緊張と不安は残るものの、ゴールドからの期待がグレイの背筋を自然とまっすぐにさせる。嬉しさをしかと噛み締めて、……その後、彼に言われた言葉の違和感に気付いた。
あれ?今、君『達』って言った?
グレイのその疑問は既にお見通しだったようだ。ゴールドは普段と同じ優しい微笑みをこちらに向けて告げる。
「もう一人には、既に第一階層で待機してもらっているからね」
*
ギ、
若干の摩擦音と共に、展示室の扉が開いた。
静謐な自然の音で満ちるそこは第一階層。多くの動物画が展示されている場所だ。
軽く周辺を見渡すが人影はない。限られたスタッフ以外は出勤していないので、当然と言えば当然なのだが……。何だか、不思議な感覚だった。
絵画館の中でも群を抜いて展示数が多いこの階層は、比例して清掃員も多い。そのため、グレイが働く際はそれなりにざわついているのが常なのだ。
静かすぎると逆に落ち着かないな。
周囲を見回しながら、入口からは見えない奥へと歩みを進める。すると、動物しか生き物が存在しない筈の第一階層で、微かに意味のある人の言葉が聞こえた。
そしてそれは、グレイにとって馴染みのある、優しく、頼れる低音で──。
足が自然と前へ駆け出していた。数秒もしないうちに視界に映ったのは、グレイが思い描き、そしてそうであったら良いのに、と期待していた背中。
「オークル先輩!」
「来たか、グレイ」
抑えきれず出てしまった落ち着きのない声。それに振り返り微かな笑みを返してくれたのは、グレイの元教育係であるオークルだった。
相変わらずの凛々しい立ち姿と頼り甲斐抜群の落ち着いた雰囲気。同行するのに、彼以上に頼もしい人間をグレイは知らない。
今日は先輩と各階層の調査をするんだ…!
このような時に不謹慎なのは承知の上だが、久々にオークルと一緒に仕事ができる嬉しさに、グレイの顔は思わずにへっと緩んだ。
おっと、緊張感を持て俺。今は絵画館にとっての緊急事態。冷静に…気を引き締めて…。
少しばかり心の中で精神統一をはかりながら、グレイは平静を装ってオークルの元へ近づく。
「大変なことになってますね」
「ああ。早期解決できればいいんだが……。そのためにも俺達は、任されたことをしっかりやり切るぞ」
「はい!」
嬉しさが力に代わり、いつも以上の熱意に溢れた返事が出た。
不安は即座にかき消して、逆にやる気は何倍にも上げてくれるだなんて、やはりオークル先輩効果は絶大だ。俺のパワースポットか何かかもしれない。
そんな風にふんすふんすと気力で漲るグレイを、オークルがじっと見つめてきているのに気付いた。
あ、まずい、だらしない顔でもしてたかな!と慌てて真面目な顔を作ると、彼は急になんだ、と、珍しく可笑しそうに笑って、
「行動を共にするのは久しぶりだな。……こんな時に言う事でもないが、今日はお前が一緒だと聞いて、……いや、本当にこんな時に言う事じゃないな」
オークルは途中で言葉を止め、少し気まずそうに視線を逸らしたが、グレイは彼の言わんとしていることが分かった。いや、もしかすると勘違いの可能性もあるが、そんな思考は都合よく興奮に覆い隠されて見えなくなる。
気付いた時には、彼の発言に被せるように声が出ていた。
「俺も…っ、俺もです!先輩と一緒で嬉しいなって思いました!」
勢いの良いそれにオークルは一瞬目を丸くする。それから、少し血色の良くなったそこを指で隠すように視線を逸らして、「不謹慎だぞ…」と、指摘にもなり切れていないような覇気のない声で諫められた。
グレイもひとまず形だけ謝罪するが、あふれ出る笑みはどうしても隠せない。オークルがグレイと一緒の気持ちだったことを知れて、素直に嬉しかった。
彼は気を取り直すように軽く咳払いすると、黒く、意志の強いその瞳でグレイを見る。
まっすぐで眩しい、グレイが尊敬する人の眼だ。
「今日はよろしく頼む」
「はい!こちらこそよろしくお願いします、先輩!」
【調査開始】
*
【Vol.1 第一階層 ヘラクレス】
「それで、ヘラクレスさんのことだ、が……っ、ちょ、」
「こんにちは、ヘラさん!早い時間に会うのは変な感じですね」
そこまで言った後、グレイは、あ、今は記憶がないから珍しいも何もないのか、と思い至る。
しかし、ヘラクレスはオークルの胴体に鼻先を擦り付けるのに夢中で、特にこちらを気にした様子はなかった。
それにしても、凄い懐かれてるな先輩。
ヘラクレスは体長が大きいため、鼻先で押す程度の動作でも結構な力が加わるようだ。彼にじゃれつかれるオークルが段々と押され、ズレていくのを、グレイは感心しながら眺めていた。
「俺が来る前、既にヘラさんとお話されてましたよね?普段との違いはどうですか?」
「そうだな……、元気がよくて、あとは、甘えてくるのに遠慮が…っ、ない気がするな。何というか、可愛い、感じっ、わぶっ」
ベロベロと遂に顔を舐められだしたオークルを横目に、グレイはバインダーに回答のメモをとる。
確かに、いつもは落ち着いて穏やかな感じが強いヘラクレスだが、今は何となく活動的な様子で若々しさがあった。
元々オークルと一緒の時は大体機嫌が良いヘラクレスだが、そのオークルが違いを感じているのだ。普段よりもっとテンションが高いってことか。絵画も生きているからには、やはり成長するものなのだ。何だか微笑ましくなってしまう。
「というか、オークル先輩って何かを可愛がる気持ちあったんですね」
「俺のことを何だと思ってるんだ。さっきのお前だって──、」
不自然に言葉を切った後、口を噤むオークル。グレイは話の流れを勝手に予想して、ヘラクレスを撫でながら答える。
「俺ですか?俺は結構可愛いもの好きな方ですよ!」
「……、……ああ、うん、…そうだな」
思った回答ではなかったのか、何だか消化不良のような返事をされてしまった。
すぐ後、短く鳴いたヘラクレスに、オークルは「やめてください…」と片手で顔を覆うような仕草をする。
……何か、人語じゃない意思疎通の方が通じてそうだな。
オークルとヘラクレス、どちらに対しても羨ましさが湧いたグレイだった。
その後、ヘラクレスと共に他の絵画の様子を確認し、特に問題なさそうなことを確認したグレイ達は第一階層の調査を終えた。
続けて第二階層へ移動しようとしたのだが、去り際にヘラクレスに悲しそうな声で鳴かれるとどうにも可哀想で…。何度か戻っては二人がかりで存分に撫で、丁寧なブラッシングを行った。それも、流石にもうこれ以上は…という時間になって、きゅんきゅん切ない声に後ろ髪を引かれながら、断腸の思いで離れたのが今。
グレイとオークルは、上階へ繋がるエレベーターへと駆け足で向かっていた。
「結構時間かかったな。急ぐぞ」
「調査ってよりも可愛がる時間の方が多かったですからね…。まあ次はカガリさんだし、可愛くないから大丈夫ですよ!」
「お前結構カガリさんに容赦ないよな」
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