ヴァーミリオンの絵画館

椿

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小話 貴方の前では

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モブ女(客)視点のカガリ←モブ女話です。
何でも大丈夫な方だけどうぞ。



 
「よう。ンな呆けた面してどうした、嬢ちゃん」

 その人と出会ったのは、まだ私の年齢が二桁に届ききっていない頃。
 誕生日ケーキの蝋燭に灯る火みたいな、温かい髪色をした彼は、額縁の中から優しくこちらを見下ろしていた。

「1人か?今日は誰と、」
「たたみ」
「ン?おお、畳知ってンのか?」
「おばあちゃんの家で見たことあるもん」

 初めて訪れた不思議な絵画館。しかし、この世の常識に染まり切っていない子供にとってその空間は、日常に散らばる新しい理の一つでしかなく。
 私は、絵画内から話しかけられたことに驚くことも怖がることもせず、正に子供らしく自分の興味だけを優先させて告げる。

 こちらの国では全くと言っていい程目にしないその敷物を見て、私は勝手にも、彼に仲間意識を芽生えさせていたから。

「あなたもおかしいって言われてる?」
「おかしい?」
「がいこくで、みんなと違って、おか、しいって…」

 言っている途中で声が震えて、咄嗟に口を噤む。
 記憶に刻まれた言葉に口角がキュ…と下がっていくのを止められず、私はそれを隠すために俯いた。

 母親が外国人で、その血が混じっている事を同級生に揶揄われるのが常だった。やめてって言っても聞いてくれなくて、先生も仕方がないみたいな顔で放置して。
 あの場所で私だけが、みんなと同じ『尊重されるべき人間』ではなかった。
 両親には言えなかった。言ってしまえば、優しい彼らに悲しい顔をさせてしまうのが子供ながらに分かっていたからだ。

 でも本当は、「全然おかしくないよ」「辛かったね」って、私の存在を肯定して慰めて欲しかった。
 そうじゃなくても、私と同じような辛い思いをしている人を見て1人じゃないんだって安心したかった。

 でも彼は、そのどちらもを私にしてはくれなくて、

「ああ、嬢ちゃんはおかしいな」
「──、」
「そんで俺もおかしい。隣の男もだいぶおかしいし、あそこで毎日誕生日祝って踊ってる奴らはもっとおかしい」
「……?」
「──なァ嬢ちゃん。この絵画館には誰一人『同じヤツ』なんかいねェぞ」

 ゆっくりと顔を上げた先で、どこか悪戯っぽく笑うその人が手を差し出す。

「来いよ。みんなと違って、特別で、面白おかしくて、最ッ高なヤツらばっかりのこの第二階層──俺が案内してやる」

 誘われるまま恐る恐る絵画に触れた私の手は、大きく、温かく、そして力強い男の人の手に捕まえられて、いとも簡単に絵の中へと引き上げられた。
 畳に足をつけてよろける私を彼はしっかりと支えて、視線を合わせた正面から告げる。

「みんなと違う特別な嬢ちゃんのことも、もっと俺に教えてくれ」

 朗らかなその笑顔に、優しい声に、触れ合う熱に、……心臓が今までにないくらいドキドキ高鳴って。
 私の身体、このまま焼け焦げてしまうんじゃないかしら、って本気で焦ったのよ。


 因みにこの時、一般客の私が勝手に絵画内に入ってしまったことで、第二階層絵画の外は結構な騒ぎになっていたらしい。私もガイドスタッフから厳重注意を受けたが、カガリさんはそれ以上にこっぴどく怒られていた。


 *

「カガリさんって、恋人とか…いるの?」
「知るわけねーですわ」
「真面目に答えてよぉ。…あ、もしかしてバス子ちゃんもカガリさんの事好きだったりする?恋敵に塩は送らないぞってこと?」
「はいぃ!?どうしてそうなるのかしら!?あんな人を人とも思わない干上がって地割れした川の底よりもカラッカラなドライ男こっちから願い下げですけど!?貴女も早く目を覚ましなさいな!ちょーっと男前で笑顔が素敵で気がきいて優しいところも包容力もあってこっちの心を掻き乱すだけ掻き乱して釣ってくるのに決して餌はやらずでもそんな小悪魔なところも可愛いく思えてしまうだけのツマンネー畜生男ですのよっ!?」
「予想以上に大好きだった」
わたくしの事フりやがってーーー!!」
「フられてた」

 あれから私は、暇があれば絵画館に通うようになった。まっすぐカガリさんの絵画に向かうことが殆どだったが、それが数年も続けば嫌でも存在を周知されるというもの。今や私は、第二階層を担当するガイドスタッフや絵画達全員と顔見知りである。……ちょっと恥ずかしい。
 そんな中、特に親しくなれたのは、14歳ほどの見た目をした綺麗なドレスのお嬢様。毎日がお誕生日のバス子ちゃん(私が勝手に呼んでいる名前)。
 絵画内での年が近かったこともあって、仲良くなるのにあまり時間はかからなかった。カガリさんについての恋愛相談ができる、私の唯一のお友達である。

「コホン。…オホホ、失礼。少し取り乱しましたわ。……ガガリ様のそういう浮いた話は本当に存じませんの。あの方、案外秘密主義ですから」
「じゃあフリーかもしれないのね」
「ポジティブシンキングに余念がありませんわね貴女!」

 叫んだ後、再びハッ!っと居住まいを正したバス子ちゃんは、その愛らしい顔を渋く崩しながらも珍しく言葉を選んでいるようだった。

「……悪い事は言わないからカガリ様はやめておきなさい。多感な成長期にあの男を浴びると今後色々なところで弊害が出ますわよ…」
「経験者は語る…ってやつ?」
「古傷に粗塩を塗り込むところ、嫌いじゃないわ…っ!」

 私のカガリさんへの想いは年々大きくなっていくばかりだ。それもこれもカガリさんが魅力的過ぎるのがいけない。同年代の男の子よりも断然紳士的だし、話は全部面白くて、滲み出る大人の余裕だって最高に素敵だし…。でもそうやってカガリさんの好きなところを並べ立てると、バス子ちゃんは決まって何とも言えない居心地が悪そうな顔をする。さっきバス子ちゃんだって同じようなことを言っていたのに。

「あのね、個人的な嫉妬でこんな事を言っているわけではないのよ。純粋に、貴女が私の大切なお友達だから…。…ああでももう止めようがないのかしら。その髪型だって、カガリ様に一回気まぐれで褒められた時からずっとポニーテールで……ぐすっ、健気…っ」
「声に出して言わないでよ恥ずかしいっ」
「でもその髪型はマジのガチのバチでやめといた方が身のためですわよ」
「え、似合ってない…?」
「ばか!すっごく似合ってる!!可愛い!!ばかっ!」
「んふふっ。……カガリさんの前では、少しでも可愛い私で居たいの」

 照れを誤魔化すように、後ろに一つで結った髪を指で弄っていると、目の前のバス子ちゃんは「んぐ~~~っ…!!」と淑女にあるまじき葛藤の唸り声をあげて、

「~~は、禿げますわよ!」
「若ェのになんつー会話してんだお前ら…」

 バス子ちゃんの言葉と同時、彼女の絵の中にひょっこり現れたのは話題の中心人物、カガリさんだった。会えて嬉しい気持ちと、一連の会話が聞かれたかもしれないという緊張感。二重の意味で鼓動はバクバク速度を増す。
 そんな中、「乙女同士の会話に気安く入ってこないでくださいまし!!」とプリプリ怒ってくれたバス子ちゃんを、カガリさんは「はいはい」と控えめに笑って流しながら、

 次いで、その視線をこちらに移した。

「よう、嬢ちゃん。迎えにきたぜ」

 当然俺の絵画を見に来るだろ、と言わんばかりのそれに、心臓はもう破裂寸前だった。
 ブンブンと火照った顔を縦に振ることしか出来なくなった私は、バス子ちゃんからどう見えていたのだろう。また何かが歯に挟まった時のような何とも言えない顔をしているのが、カガリさんの笑み越しに見えた気がした。


 *

 バス子ちゃんはカガリさんの事を「秘密主義」なんて言っていたけど、……自惚れでないのなら、彼は同郷の私に対してよく自分の話をしてくれる。

「この前大福の事気にしてたろ?こっちのは嬢ちゃんが腹壊すから食わせらんねェが、うちの作者様の調理法なら教えられると思って、……あーっと、書き付けた紙はどこにやったっけか…」
「あ、ありがとう…っ」

 カガリさんがよく食べている大福は、私の母親が生まれた国のお菓子ということもあって確かに気になっていた。……しかしその大半は建前だ。本音は、カガリさんの好きなものを共有したいと思う、紛うことなき下心である…。

 件のお菓子は、輸送技術が発展してない時代に描かれたものだ。勿論そんな時代に外国から現物を取り寄せることなど出来るわけもなく。作者のヴァーミリオンは味を再現するために自分で材料を揃えて大福を手作りしたのだと。……食に対する執念がすごいなと思ったが、ギリギリ口には出さなかった。

 カガリさんは今回それを思い出して、私のために調理法を伝えようとしてくれている。

 きゅん、と胸の奥が甘く疼いた。
 だって、それって、私が居ない時に、私の事を考えてくれていたってことだ。カガリさんの心の中に、少しでも私が居た時間があったってことだ。
 ……どうしよう、顔が緩むわ…!

「あったあった。いやァこれが中々本物の味に負けてねェんだ!一回今の館長に無理言ってな、取り寄せたのを食わせて貰ったんだが驚いたぜ。ってなわけで、味は保証する」

 その眩しい笑顔に、いつだって目が眩みそうになる。

 揶揄われて、嫌いになってしまっていた自分の容姿や血は、カガリさんと同じ国のものだと思うと逆に誇らしく思えるようになった。みんなにはないカガリさんとの共通点に、優越感すら覚えた。
 カガリさんは、よく他の大人のお客さんから人生相談?のようなものを受けているらしかったが、私と話している時にその人たちが来ても、「わりぃ、今嬢ちゃんと話してっから後でな」と私を優先してくれたし、いつでも楽しそうに私の話を聞いて笑ってくれた。

 時々、本当に自分はカガリさんの特別な存在なんじゃないかって勘違いしそうになる。
 ……でもそれを勘違いだと理解できてしまっているのは、カガリさんの明確な線引きがあるからだ。

 最初以来、決して入れてもらえたことのない絵画内。触れ合えない距離。
 勇気を出して「その大福を食べてみたい」だなんて大胆なことを言ってみたけれど、お腹を壊すのを理由に断られてしまった。……でも本当は、カガリさんの思い出がつまった大切なそのお菓子を私にあげたくないだけなんじゃ、って、邪推しなかったかと言われれば嘘になる。無用な勘繰りかな。
 勿論絵画内の物を取り出してはいけない決まりなのは私も知っているし、万が一「いいぜ」と言われても食べるつもりはなかった。ただ、ちょっとだけ期待してしまっていたから、その分勝手に落ち込みもしたというだけの事だ。

 カガリさんは、…いや、この第二階層の人達は、絵画の中の『人間』として、外界の…本当の人間を長く見ているから、きっと他のどの生き物よりも『絵画』だという自覚が強いのだと思う。

 溢れて口に出してしまいそうになる想いを、何度も砕いて胸に仕舞いこむ作業には、もう慣れてしまった。



 *


「私、明日結婚するの」

 陽色の目が一瞬大きく見開かれ、次の瞬間、表情全体が喜色に彩られる。

「……おい、おいおいおい!ンなめでたい事サラッと言うな!?でもそうかァ、あの嬢ちゃんがもう結婚か!おめでとう!旦那は世界一の幸せモンだな」

 純粋な祝福の言葉に、咄嗟にお礼が言えなかった。
 カガリさんは興奮した様子で「全員集めて祝ってもらおう!」と他の絵画へ声をかけ始めて、……その背中が、少しずつぼやけていくのが悔しくて仕方がない。
 何だ。ちょっとは嫌な顔してくれてもいいのに。

 結婚相手は、幼い頃から決まっていた許嫁。口下手で冗談も言えないような堅物だけど、とても誠実で、心根がまっすぐな人だ。
 ……カガリさんとは真逆もいいとこ…、なんて思ってしまうあたり、これが『多感な成長期にカガリさんを浴びた弊害』なのかもしれない。
 随分昔にその言葉をくれた張本人が、目の前の額縁からひょっこり姿を現す。あの時と変わらない、毎日が誕生日で、綺麗なドレスを身に纏った幼い姿のお友達。

「…泣くくらいなら言わなければよかったのに」とぼやいたバス子ちゃんは、その後仕方なさげに笑って私を慰めてくれた。途中、「大きくなっても中身は変わりませんわね」と、何だか弾んだ声で言われたのが印象に残っている。



 どんなに生活が忙しくても、時間を作ってはこの絵画館を訪れた。
 カガリさんと話をするだけで、楽しかったことや嬉しかったことは何倍にも素敵な思い出になって、辛いことや悲しいことは全部吹き飛んだ。
 気分が弾んで思わず笑みが漏れた時、「お、笑ったな」って嬉しそうにしてくれる貴方に、心を揺らされた。
 姿の変わらないカガリさんに少しでも近づけるために、毎回お化粧は欠かさなかった。髪を染めて、セットして、シミも皺もできる限り隠して、可愛い……は難しくても、いつまでも綺麗な大人の女性だと思ってもらえるように。

 雨の日も、晴れの日も。
 特別な日も、何でもない日だって、
 貴方に会いに絵画館へ通った。





 車椅子の音が途切れる。
 入れ替わるように鼓膜を揺らしたのは、背後からの弾んだ声。

「おばあちゃんわかる?ほらっ、カガリさんだよ」


 重い瞼を開けば、そこには変わらない笑顔があった。


「よう。ンな呆けた面してどうした、──嬢ちゃん」


 焔色の温かい髪が揺れる。
 その度に、隠していたその想いは、何度も、何度も、熱く灯される。
 暗闇の中でも、必ず照らし出されて、いつだって胸いっぱいに溢れさせてくる。

 とくん、とくん、と早くなる心臓に任せて、零れるように息を吐いた。
 自然と頬が緩み、意識しなくても顔が綻ぶ。


「──やだ、もうそんな歳じゃないわよ…」


 ねえ、私ってやっぱりおかしいみたい。
 どんなに歳を取って姿が変わっても、この想いだけは全く色褪せないの。


 私、貴方の前では、初恋に身を焦がす少女のままだわ。

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