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過去番外編 第零階層-9
しおりを挟む「漸くお帰りか!随分長ェ謝罪だったなァ、そんなに坊主は頑なだっ………、ヴァーミリオン…?」
家に帰って来るなり無言で新しいキャンバスを用意しだしたヴァーミリオンを、カガリが戸惑った顔で眺める。しかし直後、ヴァーミリオンが持ち帰った荷物の中に項垂れるヘラクレスの姿を認めて、聡い彼は状況を悟った。
葬儀は、一夜明けた午前に執り行われた。
子供達とシスターの啜り泣きに包まれた暗い空間で、ヴァーミリオンは棺の中で眠り続けるブラックを呆然と眺めていた。いつの間にか時間が過ぎていたらしい。気付けばブラックは土の下に埋められていた。
埋葬を終えた後、ヴァーミリオンに手渡されたのは、ヘラクレスが描かれた絵画とブラックが使っていた画材一式。
「きっとヴァーミリオンに使ってもらった方がブラックも嬉しいだろうから」と、赤い目尻を拭うシスターに言われて引き取ったが、身体がふわふわ浮いたみたいに力が入らなくてまともに反応出来たか分からない。まるで夢を見ているみたいだった。
家に帰るなり、預かった荷物は窓辺のテーブルに放って一心不乱に絵を描いた。
真面目で、清く正しく信仰深い聖職者。普段はクールぶってるけど、絵に夢中になる姿は子供みたいに無邪気で。自分が一度これと決めたら曲げない結構頑固なところがあって、……同時に、こっちが理解できないくらい我慢強くもあって。
ヴァーミリオンに絵を描くことを諦めないでいさせてくれた。
そんな、記憶の中のブラックの絵を。
どのくらい時間が経過したのか定かではなかったが、その絵は漸く完成した。
ふわり、と一呼吸の後に命が宿ったように見えたその肖像画に向かって、ヴァーミリオンは久々に声を出す。掠れきった酷い音だったが、かろうじて意味のある言葉にはなった。
「ブラック…っ!!おれっ──、」
しかし、その絵画はヴァーミリオンが言い切るのを待たずにフッ、と目を閉じ、そのまま動かなくなる。呼吸による身体の揺れは感じとれるのでただの絵に戻ったというわけではない。胸から上だけが描かれた絵の中のブラックは、ただそこで静かに眠っていた。
「……ブラック?…なあ、……は、は、怒ってんのか?……だから寝たふりしてんだろ!バレバレなんだよ!…………、おい!!聞いてんだろ!?シカトしてねえで返事しろ!!……なあって…、」
いくら呼びかけても、ブラックは目を覚まさなかった。それは記憶に新しい、棺の中の彼にそっくりで。
……ああ、多分それが強く印象に残ってたから絵に反映されたんだな。じゃあ次はそうならないように描こう。
ヴァーミリオンはすぐに新しいキャンバスを用意し、もう一枚同じ絵を描いた。
しかし完成と同時、それは再び目を閉じて寝息を立て始める。
……あれ、少し顔の造形が甘かったか。そうだな、ブラックはどちらかといえばもう少しエラが張ってる感じで……、あ、表情をつけてみたらもしかすると……、
その繰り返しだった。
何枚も何枚も正して、描いて、しかしその全てで、新しく形作られたブラックは一言も言葉を発す間も無く眠りにつく。ヴァーミリオンはその度に自身の絵の落ち度を探り、改善のため筆を取った。
いつからか鼻血が止まらなくなっていたが、拭うのも億劫でそのままポタポタと顎を伝わせる。途中息が詰まって完成間近の絵の上に飛び散ってしまった時は、即見切りをつけて新しいキャンバスにまた一から描き直した。
集中するあまり昼夜の認識は無く、寝食も忘れていた。しかし特に必要とも思わなかった。それより優先すべき事がはっきりしていたからだ。
「やあやあー……、なんて言ってる場合じゃないね、これは……」
ヴァーミリオン宅を訪れたシルバーは、まずむわりとむせ返る程の薬品の匂いに顔を歪めた。次いで狭苦しい一室が多数の、それも同一の人物を描いた肖像画で埋め尽くされている異様な光景に、思わず面食らう。
通常であれば『売る絵が増えた!!』と諸手を挙げて喜ぶところだったが、流石にシルバーも、先日亡くなった顔見知りどころではない幼馴染だけが描かれたそれらに興奮出来る程人の道を外れてはいないつもりだった。
それなりにショックだってある。ただ、経験によって染みついた切り替えの早さがそれを表に出さないだけだ。
「ヴァーミリオン」
呼びかけても反応せず、黙々と筆を動かし続けるヴァーミリオン。シルバーはそんな彼の肩を無理矢理引いて、強制的に自身の方へと振り向かせた。
それによって正面から見えた血塗れの顔と、まるで空洞のような暗い瞳にぎょっとする。
「………君にはこれからも描き続けてもらわなきゃいけないんだから、流石に飲まず食わずってのは止めて欲しいかな」
「………」
遠回しな制止は聞こえなかったようだ。返事も無くまたキャンバスに向き直ったヴァーミリオンに、シルバーははあっ、と煩わしさを含んだような息を吐いた。
「せめて水くらいは飲みなよ」
わざわざコップに汲んできてやった飲み水を差し出すが、それも無視。早々に時間の無駄と断じたシルバーは、手に持ったそれを自身の口内へと呷り、ヴァーミリオンの顎を掴んで強引に口移ししてやった。
混じる鉄の味に、反射的にシルバーの眉が寄る。
ヴァーミリオンの喉が動くのを確認して口を離すと、人命救助兼効率化のためとはいえ男の幼馴染とキスをしたというのに、彼の表情は虚ろなまま懲りずに描きかけのキャンバスへと向けられていた。
「……ちょっとは意識しろ。絵画馬鹿」
子供の頃からそうだ。初めて会った時に思わず見惚れ、その後も度々シルバーの目を奪ったこの地域では珍しい鮮やかな朱色。その一部を担う美しく煌めくヴァーミリオンの瞳は、いつだって同じ人を追いかけていた。
棚を漁り、乾燥した硬いパンと匂いの強いチーズを見つけたシルバーは、心なしか八つ当たり気味にそれらをヴァーミリオンの口にねじ込んだ。
それからシルバーは、ヴァーミリオンに出来る限り食事を摂らせ(口に無理矢理突っ込んで飲み込ませ)、また出来上がった作品が傷ついてはいけないからと、床一面を覆い尽くさんばかりに放られていたブラックの肖像画を集めて整理してやっていた。
漸くひと段落がついたという頃、変わらず筆を止めないヴァーミリオンに告げる。
「はあーー働いた働いた。これはしっかり報酬を貰わなきゃ帰れないなぁ。……いっぱいあるし、この絵一枚貰っていい?」
問いに対する返事はない。ハイハイ無視ね。それじゃあ拒否もされてないってことで。
都合の良いように解釈したシルバーは「コレ、貰っていきますね。世話代で」と、ヴァーミリオンの代わりに彼の家に置かれてある絵画達に向かって宣言した。手に取っていたのは偶然にもヴァーミリオンが一番初めに描いたブラックの絵画である。
絵画達がヴァーミリオンの事で狼狽えている隙を狙って了承を押し切った形のシルバーに、腕の中で眠っている筈の絵画が不快そうに眉を寄せていた。そんなことには気付いていないシルバーは、おつりがくる程の報酬に浮足立ちながらその場を後にしようとして、
直前で何かを思い出したように引き返す。
「薬品臭いんだよここ。よく平気で閉じこもって居られるよね」
換気のために開け放たれた窓から、停滞した空気を動かす風が吹き込まれた。
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