ヴァーミリオンの絵画館

椿

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過去番外編 第零階層-4

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 ブラックからのリクエストは、随分前に描いて渡したことがあるヘラジカの絵だった。リメイクして欲しいのだと。
 よし、じゃあ今度は角をとびっきりカッコ良く描いてやろう!と意気込んで、ヴァーミリオンは真新しい画材に手を付ける。

 俺は無職だ。そんなに金も持ってないし、皆と同じように働いていないことに不安が無いわけじゃない。だけど、この真新しい独特な画材の匂いを嗅ぎながら筆を滑らせていると、どうしたって胸が高鳴って、悩みなんてちっぽけにしか思えなくなる。その代わりに、自分の描く絵画とは今まで以上に真剣に向き合えているような気がしていた。

 このヘラジカは、一体どんな奴なんだろう。やっぱり身体が大きい分、普段の行動はゆったりしてるよな。それなら気性は穏やかで……、ブラックの絵になるんだから、程よく真面目で、聡明で、気配りなんかも出来る奴がいいな。……って、現実的にそんな動物……、…いや、これは俺が自由に描く絵だ。そんなヘラジカが居たっていいだろ。…そうだ!動物だけど、人間と同じようにブラックと意思疎通が出来たら、自分だけのヘラジカって感じで特別感があるかもな。

 絵如きに何を、と思われるような事を考えてしまうくらいには、ヴァーミリオンも浮かれていたのだ。

 角は勿論何よりも立派に。白く、美しく、荘厳に。見栄えだけじゃなくて、それにつり合う力強さも兼ね備えて。
 これはきっと、攻撃のための武器じゃなくて、ブラックみたいに、誰かを助けるために使われる物だろうから。

 そんなことを考えながら、月日は過ぎ──。




 絵画スタンドに立て掛けられているのは、一枚の絵画。薄手の布が被せられたそれを間にして、ヴァーミリオンとブラックの2人はどこか緊張感のある顔を見合わせていた。

「……いくぞ?」
「……ああ」

 その言葉を合図に、ヴァーミリオンの手によって勢いよく布が取り払われる。

 バサリ

 布が翻る音と同時にその下から現れたのは、抜けるような青空の下、気持ちの良さそうな草原でくつろぐ一匹の大きなヘラジカの絵だ。

 ヴァーミリオンは両手に掴んでいた布をぐしゃぐしゃと乱雑に掻き集めて、胸元に引き寄せたその塊に視線を落とす。静かな部屋の中で、自分の心臓の音だけがバクバクと響いて不快だった。

 ……どうだろう。久しぶりにしっかり描いたし、……いやそもそも、こんなちゃんとした画材で描けるのなんて初めてだったし!…じ、自分では、結構出来はいい方じゃないかと思うけど…。
 ……ブラックは、どう、思うかな。気に入ってくれるかな…。変だって思われないかな。ちゃんと、…期待に沿えてるかな。

 暫く沈黙が続いて、それを待っ緊張感に耐え切れなくなったヴァーミリオンは、薄目で恐る恐るキャンバス越しのブラックを見やる。


 彼の表情は、非常に分かりやすかった。


 肩が最大限竦められた、まるで息を吸った状態で呼吸を止めたかのような姿勢。口元は片手で覆われているのに、その目だけは大きく見開かれたまま絵画に縫い止められ、瞬きすら惜しいというように微動だにしない。 
 微かに紅潮して見える肌と、数秒後にほう…、と堪らず漏らしたかのような感嘆の溜息、そして、煌めく夜空を閉じ込めてうっとりと細められる瞳に、
 ……ヴァーミリオンは不意に泣かされそうになった。

 昔、彼の元に絵を持って行っていた時もそうだった。ブラックという男は基本的に表情のバリエーションに乏しい方なのだが、…その時だけはいつも、ベッドの上で見たことも無いくらい嬉しそうな顔をするものだから。……俺は、それが──、


 しかし、ヴァーミリオンがそうやって過去を懐かしんでいた隙に、ブラックの表情は徐々に怪訝に移り変わっていっていた。しまいには何故か怯えた風にキャンバスから後退り出す。

 ……何だ何だ、何かあったか??

「……き、気に入らなかったか?」
「……いや…。……おい、ちょっと俺の頬をつねってくれ」
「は?」

 一拍置いて気付く。
 ……あ、これ、感動が限界突破して一周回っちゃったやつ??
 な~~んだ焦った!!大丈夫大丈夫!!夢じゃないって!!これは俺が正真正銘ブラックのために描いた絵だって~~!!

 なんてふわふわとした感情で浮かれながら近づいて、ヴァーミリオンは言われた通りにブラックの頬をギュ!!と強めに抓った。

「痛い!!」
「ぎゃん!!!」

 グーパンで仕返しされた。

「……グーって…!グーはない…、グーは最低…」
「わ、悪い。思ったより痛かったからつい」
「やれって言ったのはそっちだろ!?」

 頬を押さえて泣き叫ぶヴァーミリオンにブラックはやや動揺を見せながら重ねて謝る。そしてその後「……ってことは夢じゃないんだな、これ」と、ごくごく小さな声で呟いた。


「──……なあ、お前の絵っていつから動くようになったんだ」
「……はあ??……ああ!今にも動き出しそうな程リアルってこと?…っブラックゥ~~!!嬉しいこと言ってくれんじゃ~ん!!」
「いや、純粋な事実確認だ」

 スンとした真顔で返されて、浮かれ調子だったヴァーミリオンの顔も同じようにスンッと無になる。

 ヴァーミリオンはその後静かに答えた。

「……絵が動くわけねーだろ。何言ってんのお前」
「……見ろ」
「?」

 良いから見ろ、とブラックに腕を引かれてキャンバスの前まで連れてこられる。ヴァーミリオンはやや強引なそれを不思議に思いながらも、言われるがまま自身が描き上げた絵を正面から見て、


 ──キャンバスいっぱいに顔が迫った、ドアップのヘラジカと目が合った。


「……っどわぁあああ!?!?なっ、何!?なんっ…!?ち、違うっ!!俺が描いたのはこんな…っ、」
「最初は奥に居たんだが…、こっちを見たかと思えばどんどん近寄ってきて……、」
「何だこれ!?!?」
「聞きたいのは俺の方なんだが!?」

「ブオォ」


 混乱する二人の間に差しこまれた野性味あふれる声に、一瞬の沈黙が走る。


「鳴いたっ!?!?」
「──あ、いや、こっちこそ、碌に挨拶もせずすまなかった。俺はブラックだ」
「……は??」
「……そうだよな、まだ名前が、」
「ちょ、急に一人でどうしたお前」
「いや、流石にそれはヴァーミリオンが……、え、お、俺でいいのか?そうか…、そうか」
「……ねえ、聞いてる??本気で大丈夫??」

 どうしよう、ブラックが壊れた……!!……いや、もしかすると俺もどこかおかしいのかもしれない。だって絵が動いてそこから音も出るとか絶対にありえないし!!
 しかしそんな風にショックを受けているヴァーミリオンとは対照的に、ブラックは少し得意げな顔でこちらを見た。

「この通り決定権は俺にあるわけだが……、まあ一応作者であるお前の意見も聞いてやる。案はあるか?」
「何の案!?」
「今までの話を聞いてなかったのか?全く、相変わらず落ち着きが無いなお前は」

 今までの話って……、

「………お前、さっきから誰と話してんの…?」
「誰って、このヘラジカに決まっ……、て……、え?何で俺動物と話せてるんだ!?」
「本当にな!?…いやその前に…っ!何で絵の中の動物が動けて喋れてるんだよ!!」

「ブオオ♪」

 混沌と化す室内で、その元凶でもあるヘラジカだけが機嫌良さそうに鳴いていた。

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