ヴァーミリオンの絵画館

椿

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第七階層 エピローグ-1

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 場所は第七階層。ついこの間まで長く閉ざされていた、全ての絵画と繋がる唯一の空間──第七階層トップであるドラキアの白い円卓が描かれた絵画内にて、各階層のトップが一堂に介していた。

 この場を取り仕切るようにまず口を開いたのは、神々しい後光を煌めかせる第八階層のトップ。正真正銘神様のオルデウスである。

「皆に集まってもらったのは他でもない、僕の主様の担当階層について話し合いたくてね」

 ニコリと柔らかに微笑んだ彼へ返事をするかの如く、同じ場に腰掛けていた各々がほぼ同時に言葉を発した。

「ああ、俺の旦那様のことか」
「俺様の妃のことだな」
「私の番のことですね」
「ボ、ボクの玩具もの……」
「俺ちゃんの餌……じゃなかった。ご主人様のことッスね~」
「僕のご主人の話ですね、オルデウス様!」
「オレのサンドバッグについてだねあとカガリは喋るな息止めろブッ殺すぞ」

 一瞬ゴチャリとそれぞれのセリフが混ざって、しかし断片的に聞き取れた自分以外の声で紡がれた単語に、「は????」と、全員がややピリッとした一触即発の空気を漂わせる。

 真っ先に事態の収拾をはかろうとしたのは、会話のきっかけを作ったオルデウスだった。戸惑いから僅かに頬を引き攣らせた彼は、確認するようにゆっくりと周囲を見回して問う。

「……何だか不穏な単語ばかり聞こえたような気がするけど、……特に旦那とか妃とか、…そういう親密な間柄の意味を持つ呼称を使用している者は一体どういうつもりなのかな」
「どうも何も、俺様とグレイは既に婚約済みだ。何もおかしなことはない。何だ略奪か?受けて立つ!」

 腕を組み誰よりも堂々とした態度で踏ん反り返っているのは、第三階層トップ、獣人の王であるレオだ。彼は、特にグレイの同意を得たりはしていない婚約関係を自信満々に宣言し、少しばかり周囲の動揺を煽った。勿論彼の中では(何故か)それが事実として確立している状態なので、誰かが嘘を見破れるはずも無い。

 レオの右隣に座す和服の美丈夫、第二階層トップのカガリだけは唯一、グレイの口からこの婚約関係についてきっぱりとした否定を聞き及んではいたのだが、先ほどのドラキアからの恫喝もあって沈黙を貫いていた。爆弾は刺激しないのが一番だ。経験則に倣って静観に徹する。

 逆にレオの左隣。一部だけ水路に囲まれた特殊な席に腰掛けた第四階層トップ、麗しい尾ヒレを持つ人魚のセレンは、絶望感たっぷりに頭を抱えてブツブツと何かを呟いていた。

「う、嘘だ……、グレイには私しか居ない筈で……、そんな、何かの間違いに決まっています…っ。………そうでなければ、私の階層に来る前に、この馬鹿王とも……??それだけでは飽き足らずに、ほ、他の、階層でも……??………さ、さ、…最悪です…」

 じわり、と透明感のある瞳に水の膜を張ったセレンは、そのまま崩れ落ちるようにして机に顔を伏せる。
 セレンは今の今まで、さっきのさっきまで、本気でグレイには人望が無いのだと決めつけていた。グレイの事を魅力的に思えるのは自分以外居ないと思い込んでいた。それがまさか各階層のトップが軒並み…、ということは自分と同じような行為をしたものも中には……、とそんな情報過多にショックを受けない無い筈がないのである。

 そんなあからさまに落ち込むセレンの肩を抱いたのは、レオとは逆隣に座すドラキア。第七階層のトップで、この円卓の絵画の主人でもある美しい龍(人型)だった。

「そうだよねショックだよね。どんな病気持ってるか分からない中古掴まされてたんだもんね。でも安心して。オレはセレンちゃんとしかグレイを共有するつもりないから。……ほら、お兄ちゃんの胸で存分に泣いていいよ」
「あり得ません最悪ですというか勝手に兄面して馴れ馴れしく触らないで下さい」

 慈愛を込めて触れていた手は、セレンによっていとも簡単に払いのけられる。凍てつく氷柱ような荒んだ睨み付きで。
 拒絶のショックで固まるドラキアを、ほぼ対面となる位置でニヤニヤ眺めていたのはデビッドだ。第六階層の悪魔側トップである彼は悪魔らしい享楽主義者。真面目くさった会議など面倒以外の何物でもなかったが、愉悦の材料は案外そこかしこに散らばっているようで暇つぶしには最適だった。

「俺ちゃん的にはぁ、玩具ものの方が気になるけどな~?結構親近感あるしぃ」
「ひぇっ!!」

 無情にも、デビットの揶揄いのターゲットに選ばれたのはフェアリスだった。デビッドとは一つの空席を間に挟んだ隣席のフェアリス、第五階層トップである妖精の彼は、この中の誰よりも大きく立派な体つきをしていながら、その全てを台無しにしかねない怯えた態度でビクリと肩を跳ねさせる。

「ぁ、……えっと、…ぅ、あ、ご、…なさぃ…」
「え?何何?聞こえな~い。ご主人様を物扱いすることは出来るのに相変わらずオドオドしちゃってぇ。そんなんじゃご主人様に愛想尽かされちゃうよフェアリスく~ん」
「………っ、」

 身を縮こまらせたフェアリスは、傍から見れば厄介な相手に絡まれて完全に委縮してしまっているようにしか見えなかった。しかしその心中が意外にも図太く、生意気なものだと知る者は少ない。

「(……グレイさんはボクの事を恩人だって言ってたし、誰よりも一番に信頼してくれてて愛想を尽かされるとかは有り得ないんだけど……、デビッドさんや、他の人はそれを知らないんだ……。何か、可哀想だな、無駄に張り合って……。一番好かれてるのはボクだって教えてあげた方がいいのかな……?)」
「デビッド貴様フェアリスから可哀想に思われているみたいだぞ。いいザマだな」
「ええっ!?何でっ!?」

 ズラしていた眼鏡をかけ直しながらデビッドを嘲笑ったのは、もう一人の第六階層トップ、天使のアインセルだ。
 彼の特別な瞳は、他人の魂の機微を正確に読み取ることが出来る。身体情報や感情をも見透かすそれは、一見したものの全てを一瞬で暴ける非常に有用な能力なのだが……。なんせこの天使、まっすぐ過ぎるが故に驚くほど察しが悪かった。感情は複雑なものであるという感覚がそもそも無く、基本的に大きく主張してくる感情だけをその者の心理として断定しがちなのだ。見えている筈の小さな真意も、アインセルの前では全て目障りなゴミ同然だった。
「宝の持ち腐れ!!俺ちゃんならもっと上手く活用出来るのに~~っ!」とは、そのアインセルの雑さ加減に毎回歯噛みしているデビッドからの言である。

 やや騒然とし始める空間を引き締めるように、もうすっかり会議の主導権を握っているオルデウスが、パン!と1つ手拍子を打ってから口を開いた。

「……大体分かった。まあそれぞれ言い分はあるようだけど、先に謝っておくよ、ごめんね。僕は主様の夫であり妻であり臣下であり所有物でもあって、……何が言いたいかというと僕は主様の全てで主様にとっての全ても僕なんだ。直々に『愛している』のお言葉もいただいてしまっているし……♡」
「それは君お得意の脳を狂わせた末の言葉だよね?教えてあげようか、そういうの『思い違い』って言うんだよ」
「口を慎めドラキア!不敬だぞ!オルデウス様が仰ることは全て正しいに決まっているだろう!」

 アインセルは机に手を付いて勢いよく立ち上がると、オルデウスと一つの空席を挟んだ向こうに座すドラキアを糾弾する。
 一瞬の静寂があって、ドラキアは頬杖をついた姿勢のまま下から睨みつけるようにアインセルを見た。

「……今オレに意見したの?ふーん……。グレイの事抜け目なく抱いておいて、それはオルデウスに対する不敬じゃないんだ?ねえどうなわけ?」
「なっ、……っ、そ、れは不可抗力でっ、」
「オレは知ってるよ、君が何回もグレイの中に注ぎ込んだこと。遠慮も何も無い独占欲に塗れた濃い匂いだったなあ……。これってオルデウスに対する裏切り行為なんじゃない?自分の上司に喜々として自分の精液塗り込んだダッチワイフプレゼントするとか、いやあ中々高度な嫌がらせだよね。理解に苦しむな。……ああそれとも、天上の世界ではそんな狂った性癖してるのが一般的なのかな? ハハッ!救えなさ過ぎて笑っちまうぜ!!」
「……っ!!…っ、……~~っ!!」
「あんま虐めないでやってよぉ。コイツ俺ちゃん以外の強気レスバに耐性無いんだからさぁ」
「知らないよそんなの」

 そのままフンッ、と顔を背け、これ以上話す気が無いことを示すドラキア。アインセルも肩に乗るデビッドの手を「触るな!」と弾き、不満の残る顔をしながらも大人しく席に着いた。口で勝てないことを体感したからである。すかさず隣のオルデウスに「申し訳ありません…!しかし決してオルデウス様を軽視したというわけではなく…っ!」と頭を下げているが、当のオルデウスはといえば今まで自分の事で両隣が言い合いをしていたとは思えないくらいの無関心具合だった。先日グレイに褒められた自身の長く美しい髪の毛を触りながら、視線すら向けない徹底したガン無視。別にアインセルに対して怒っているわけではない。これが彼らの日常である。

 そして、そんな一部始終のやり取りを対面の特等席で見ていたレオは、アインセルとデビッドに対して酷く真剣に告げた。

「おい貴様ら。オルデウスの部下ということは、王である俺様の部下も同然だろう?俺様にもへりくだれ。グレイとの仲を全力で応援しろ」
「はあ!?意味が分からない!」
「ぶははっ!流石にそれは謎理論だわ!」


「……おいおい、本題は担当階層じゃねェのか?」

 デビッドの堪えきれない笑い声が響いたところで、今まで静観に努めてきたカガリから話の軌道修正が入る。それぞれの自由奔放さは見ていて微笑ましいものがあるが、元に戻りそうもない逸れ切った話題に口を出さずにはいられなかった。

「喋んなっつったろ肉塊にされてえのかカガリィ!!」
「悪りィ耳が遠くて」

 瞬時に身を乗り出してヒステリックに反応したのはドラキア。攻撃対象の筈のカガリは動じず、それよりも隣のフェアリスの方が目に見えて怯えるのは見慣れた光景である。

「……てか、お前にだけ集まること言ってねえのに何でここに居んだよ。キッショ…」
「子供みたいな虐め、心底軽蔑します」
「勿論サプライズのつもりだったんだよセレンちゃん♡」

 横からのセレンの言葉1つで鮮やかに手を返したドラキアは、そのまま気分を落ち着けるようにフーーッ、と大きく息を吐いた。次いで、未だ青筋の浮かぶ顔に無理矢理笑みを貼りつける。ゆっくりとカガリの足元をさした指は一部鱗が浮き出ていたが、怒りを堪えて震えるそれからは穏便に事を済ませようという気持ちがひしひしと伝わってきていた。

「……そ、こ、の席なんだけど。……座る場所、間違えてる、よ?」
「居ねェヤツの席開けても仕方ねェだろ。椅子は椅子なんだし誰がどこに座っても一緒だろ。お前だって前は『カガリはオレのお気に入りだから隣に座ってー!』ってな風に毎回しつこいくらい強請って、」
「知ってたぁ?絵画の解釈は自由なんだってだから今から此処は処刑場だ死ねカガリィイイイ!!!血を出せえッッ!!そのおぞましい記憶を跡形も無く洗い流すくらいの大量の血をなあッッ!!!」
「さっきからうるさいんですよ!!しんみり落ち込むことも出来ないじゃないですか!!口閉じてくれます!?」

 鶴の一声ならぬ人魚の一声の効果は覿面だった。机の上に身を乗り上げて今にもカガリに飛びかかろうとしていたドラキアは、「命拾いしたな!」とばかりにカガリに向かって腹立たしい顔で鼻を鳴らし勢いよく自身の席へと戻る。

 そしてその後、彼は自身の隣にもある空席の、そこに置かれた飾り気もない簡素な木造の椅子を見て、はあっと何とも言えない溜息をついた。そのままカガリを強く睨んで、……いや、睨むだけに留めて、オルデウスに出させたフリップボードにペンを滑らせる。

 数秒後にダン!!と激しく机に出されたそれには、やや乱暴な字で『ヘラクレスが来るから席を空けろあと速やかに死ね』と書かれていた。セレンからの口閉じ要望を実行中らしい。
 相変わらずセレンにだけは激甘だな…なんて思いつつも、提示されたその文章に疑問が残るカガリは小さく眉を寄せた。

「久しぶりで記憶混ざってンのか?ヘラクレスはまだこの絵画館には──、」

 言いかけた途中でのしっ、と重い振動があって、その場にいる全員の視線が誘導される。
 カガリの背後、塞がっていたはずの壁には今まで無かった光の通路が出現しており、門のようになったそこから見上げる程に大きなヘラジカが室内へと足を踏み入れていた。

「ブオオ……」

「……ヘ、……ヘラクレス??」

 驚愕に引き攣った顔で振り向き、震える指を差し向けるのはカガリだ。一番動揺が激しいのは彼だが、他の面々も少なからず驚いているようで一様に目を丸くしていた。状況に理解が及んでいないのは長期間絵画館を不在にしていたドラキアだけだ。そんな彼も、それぞれの反応を見て何となく状況を悟る。

「お前…っ、絵画館に連れてこられてたのか!!誰も何も……っ、あ゛ーーチックショ…ッ、何だよ…!すぐ言えよ!久しぶりだなオイ!」 
「ブオオ…、ブオ!」

 堪らず立ち上がったカガリは、珍しく冷静に慣れない様子で感情のままに大きなヘラジカ──ヘラクレスの首に手を回して抱き締める。ヘラクレスも同じ気持ちを示すように、彼の頭に自分のそれを擦り付けていた。
 すぐそばに座っていたレオも立ち上がり、感動の再会を果たす二人へと近寄る。

「ブオオ、」
「ああ、久しいな相談役。元気そうで何より……む?ああそうかグレイに見つけられたか。流石俺様の妃!」

 世界観こそ共有してはいないものの、レオは獣人であるが故に、この部屋に居るものの中で唯一ヘラクレスの言葉を理解することが出来た。


 絵画館に収集されてはいたものの、数十年の間絵画の中に閉じこもっていたドラキアと、
 長い間行方がわかっていなかった、ヴァーミリオンが描いた正真正銘最古の作品生物であり、この絵画館における第一階層のトップでもあるヘラクレス。

 2人の存在により、気が遠くなるくらいの期間を経てこの場にトップが揃った。

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