ヴァーミリオンの絵画館

椿

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第七階層 幻想生物画(陸)-2

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 その日の夢は、いつも見るそれとは少々異なっていた。

 此処は絵画館だ。基本的にどの階層も同じような造りをしているので、通路の幅や色、扉の外観などですぐに判断することが出来る。
 一体どの階層の、どの通路だろう。見慣れているような、しかし初めて見る気もするそこを、グレイの意思とは関係なくひたすらに進んで行く身体。

 行きついた先は、やや重厚な鉄の扉の前だった。

 少しだけ開かれている隙間から室内に入ると、中心に置かれていたのは絵画スタンドに立て掛けられた灰色一色の絵画。

 それに向かって伸ばされた手は、きっとグレイのものだった。人間の、その中でも一等見慣れた指先が、灰色の絵に触れる。


 現実への覚醒と同時に、その夢は終わった。



 *

「……知らない通路と鉄の扉、灰色一色の絵、か」
「昨日オルデウスさんに聞いたことがそのまま夢に出て来ただけだとは思うんですけど…」

 再びほうっとしていたところをオークルに問い詰められて、グレイは先日オルデウスに聞いた話も交えながら自身の夢について語っていた。
 荒唐無稽な話に違いないグレイのそれを馬鹿にせず真剣に聞いてくれるオークルに、ギュッと胸を締め付けられる心地で居ると、同じく控室の隅で聞いてくれていたらしいホワイトが「凄いねその夢」とボソッとした声で反応した。

 グレイが第八階層に初めて来た時から変わらない部屋の角での三角座り姿は、もう見慣れてしまって今や驚きさえも無い。
 部屋の中心に居ると、壁が迫ってきて最終的には押しつぶされてしまうらしい。それを防ぐために、背中で一生懸命壁の進行を止めているのだと彼は言っていた。

 ……やっぱ限界じゃない??

 階層長の精神的な負荷模様に勝手に不安を煽られていると、彼はいつも通りと言えばいつも通りの生気のなさで続ける。

「あるよ、灰色の絵。……第七階層の…鉄の扉の倉庫に仕舞われてある」
「!!」
「そうか、ホワイトさんは第七階層の管理も兼任してるから知っているんですね」
「……第七階層は、慣れ合いを好まない孤高かつ好戦的な幻想生物の階層…ッ……はあっ、軽率に人間に危害を加えてくれるって言うから管理も引き受けたのに…っ、はあっ!はあっ!………はあ~~。…実際やるのは掃除ロボットの作動確認を毎日毎日……そう、毎日、毎日毎日毎日まいにちまいにちまいに、」
「お、落ち着いて下さいホワイト階層長!!」
「その役職名で僕を呼ぶなぁあ゛!!責任感で押しつぶされそうになるからあ゛っっ!!」
「わああそうでしたっっ!!落ちゅちゅいてくだしゃひホアイトしゃん!!」
「いやまずお前が落ち着け、噛みすぎだぞ。ホワイトさんもちゃんと息してください。はい、吸ってー、吐いてー、」

 くっ、やっぱりこの階層長の扱い難しいっ!!階層が上がるほど絵画内の生物は扱い難いものになるとは聞いてたけど、もしかしてこの情報階層長にも当てはまってる!?確かに第六階層のパープルさんも中々特殊な方だったけど!
 そしてここでも光るオークル先輩のそつのなさ!完璧な対応っ!頼りになり過ぎる!館長候補ってみんなこんななの!?

 ヒーッ、フーッ、とオークルの合図と共に呼吸を整えて落ち着いたホワイトは、何事も無かったかのように再び話し始めた。

「……ちょっと気になるね。…館長に打診してみようか。君たちが第七階層に入れるかどうか」
「いいんですか!?お願いします!」
「うん」

 酷く緩慢な動きで作業着のポケットからスマホを取り出して、……そこから時が止まったように動かなくなったホワイト。ジッと無言で待つこと2分。…え?「うん」って快く返事してくれたよな??聞き間違いじゃないよな??などと焦りつつ、しかし爆弾のようなホワイトに急かすような事を言ってまたパニックになられても困るし可哀想だし……。でもこれ何の待ち時間だ???

「ぁ、あの、ホワイトさん。……バッテリー切れ、とか、ですか?」
「……僕、電話とかするの、ね、……はあっ、はあっ、」
「俺がやります」
「うんありがとうオークル君」

 けろっとして自身のスマホをオークルに預けたホワイトを前に、グレイはスンッ、と静かに口を噤んだ。



 *

 夢と同じだ。
 今実際に歩いている第七階層の通路を見回しながら、グレイは漠然とそう感じた。違うのはこの場にオークルとホワイトが居ることぐらいか。
 ……もし、これが夢の通りなのだとしたら、もう少し進んだ所に…、

「──あの扉ですね」
「うん、正解」

 眼前には、見覚えのある重厚な鉄の扉。
 ホワイトが返事をして、何やら壁にはめ込まれている機械を操作すると、ガチャンと鍵の開く音がして同時に重々しくそこが開かれる。
 勝手に倉庫のような場所だと思っていたその広い一室は大分閑散としていた。いや、閑散どころか、この場にあるのは中心でスタンドに立て掛けられた一枚の絵画だけだ。厳重に閉ざされたこの部屋は、紛れもなくこのたった一枚の絵画のためにある場所だった。

「見てもいいよ。館長からの許可は貰ってる」
「はい…」

 グレイは恐々とした手付きで、上に被せられていた白い布を取り払う。

「──何だこれは、」

 オークルが思わずと言った風に声を漏らした。
 布の下から現れたのは、まるでキャンバスごとペンキのバケツに浸したかのような、濃い灰色だけが塗られた絵画だ。
 既にそれを夢の中で見ていたグレイは絵画の状態についてそこまで驚きはしなかったものの、それが夢と全く同じであったことには少なからず衝撃を受けていた。

「……僕も詳しくは知らないけど、ある清掃員がこの絵画の生物の不興をかったらしくてね。余程耐えかねることだったのか、一瞬で灰色に染まったんだって。こんな事態は絵画館創立以来初で、どうすることも出来ずに放置。…それがもう何十年も続いてるらしいよ」
「……この灰色は、霞なんですよね?掃除でこれを取り除いたりすれば、」
「その絵画の中に人は入れない。拒絶されてるんだ。もう完全に『ただの絵』だよ」
「そう、ですか……」

 世界観に縛られず、全ての絵画と繋がっている唯一の絵画。
 種族や場所の垣根も無くす円卓に皆が集い、楽し気に笑い合うあの夢の中の景色を、俺も実際に見てみたかった。
 残念だな……。ややしんみりした気分で動かない絵画を見つめていると、不意に隣でオークルが動いた気配を感じて、グレイは視線を向ける。

「………力が及ばす、…申し訳ありませんでした」

 震えの混じった静かな声で、オークルは告げた。

 きつく握られた両拳を足の横に留まらせながら、彼はその物言わぬ絵画に向かって真摯に頭を下げる。横から見えたまるで故人を悼むような、自身の力の無さを悔やむような、そんなオークルの沈痛な面持ちに、グレイは思わず息を呑んだ。

 前々から思っていたことだが、オークルは絵画内の生物の事をまるで人間と同じように扱う。
 勿論グレイだって生き物としての敬意を持って接してはいるけれど、やはりどこかで『絵画である』という線引きがある。……そうでなければ、あんなに好き勝手身体を暴かれて平気で業務を続けられているわけもない。
 何というか、猛獣にじゃれつかれている感覚なのだ。全くもって可愛くないし疲れるし恥ずかしいし普通に嫌だし出来ることなら避けたい事態なのはそうだが……、やはりそれだけで精神までもが犯されることは無い。
 その証拠に、現実世界で先輩とあんなことになってしまった今、グレイの心はそれはもう大層乱されまくって……、あ、ヤバいヤバい。考えるのやめよう。
 先日の情事を思い出して赤く火照り出した顔を、邪念を振り払うことで無理矢理引き締めた。

 グレイが絵画内の生物に襲われることに関しても、各階層長達はグレイと近いような考え方の元で特に強く問題視はしていなかったそうだが、オークルだけがグレイと絵画両方の身を案じて絶えず対応策なんかを進言してくれていたらしい。
 恐らくオークルのその感覚は現実世界側では珍しくて、……しかし絵画内の生物にとってはこれ以上無い程魅力的に映ることだろう。

 また一つオークルの良い所を知って、グレイの胸が温かくなる。
 本当に絵画に対して誠実で、優しい人だ。
 霞に覆われたこの絵画にも、今の先輩の姿が見えていればいいのに…。

 そういえば、俺は確か夢でこんな風に手を伸ばして……、途中で目が覚めたんだったよな。夢の中の俺は、この後一体何をしようと……??

 睡眠時の記憶を思い出そうとして、グレイが目を伏せながら頭を捻っていると、

「──おい、……手、入ってないか!?」
「……え?」

 オークルの指摘で見開いた視界。夢の再現を擦るように伸ばしていたグレイの指先は、何故か灰色のキャンバスの中にとぷり、と溶け込んでいるところだった。
 ──え、俺触ってない、

 そしてそれを意識した途端、まるで絵画に吸い込まれるように、グイッ!!とあり得ない強さで中へと腕が引かれる。
 一瞬の出来事に、身体が宙を舞った。

「グレイ!!」
「先ぱっ…──、」

 最後に見えたのは、目を見開いて駆け寄るホワイトと、焦った表情でこちらに手を伸ばすオークルの姿。

 その手が届く前に、グレイの視界は灰色に飲み込まれた。




 *

 話し声が絶えない賑やかな円卓。グレイのすぐ隣に座っているのは、朱色の長髪を無造作に括った男性だった。髪の端にはところどころ髪色とは異なる絵具が付いていて、彼が自身の身なりに無頓着なことを感じ取れる。
 グレイの口は勝手に開いて何らかの音を紡ぎ出した。

『────、』
『───!』

 途中で逆隣に座すセレンが、グレイの肩に手を乗せて身を乗り出してくる。
 生意気そうな態度をとられるが、心を許してくれていると分かるその無邪気な笑顔を見たら全部どうでも良くなった。世界一可愛い。好きだ。……あれ?今何か勝手に思考が…?

『────!』
『───』
『────、』

 自身が何を問うたのか。告げたのか。そして彼らに何を返されたのか。周囲の喧騒はこんなにも鮮明なのに、目の前で交わされたそれは1つだって聞き取れない。
 それなのに何の問題もないように続けられる会話に、漸くグレイは悟った。


 そうか。ここに居るのはグレイじゃない。


 自覚した途端、テレビのチャンネルが切り替わるようにして景色が一変する。周囲に人の姿は見えなかった。急に訪れた痛い程の静寂に、激しい耳鳴りがする。

 は絵画の中から、枠の外の画家……いやもうあえて濁す必要もないだろう。──ヴァーミリオンと向かい合っていた。

 心なしか先ほどの場面よりやつれて感じる姿。普段の快活さが成りを潜めた、落ち着き払って酷く穏やかに見える表情で彼は告げる。


『──の絵画と人を、が繋いでくれ。……そのために描いた絵なんだ』


 それは正しく、オレドラキアを縛り付ける呪いの言葉だった。

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