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第六階層 天使・悪魔画-2
しおりを挟むその日の戦いは、トップ二人の計らいによってすぐに終結を迎えたようだった。理由としては二人共口を揃えて「「こんな事してる場合じゃない」」と。……やっぱり仲良いよね…??
まあ何はともあれ、戦闘が行われていない絵画であれば掃除が出来る。「毎回そうやってくれたら良いのに……」と切実な願望を漏らすオークルに毎回恒例の絵の説明を受けた後、グレイは早速絵画内での清掃に取りかかった。
第六階層では、天使と悪魔は明確に分けて描かれている。天使は、所謂天国と呼ばれるような白く輝く雲の上の世界。そして反対に悪魔は、暗くおどろおどろしい地の底の世界でそれぞれ個性的に表現されていた。
人間との世界観を共有していないことに関係するのか、彼らが地表で人間と共に描かれている作品はありそうで無い。つまりグレイにとってはまるっきり初めての清掃場所ばかりというわけだ。
中でも最も特殊な清掃場所は、やはり天使が描かれた雲の上だろう。何とこの雲、足場になる。乗れるのだ。
普通では考えられないまるで子供の夢を叶えるようなそれに、初めて降り立った時は「ふおぉお!」と興奮の声が出てしまったのも仕方がない。グレイの新鮮な反応を見たオークルがうんうんと何やら思い出にふけるような顔で頷いていたので、これは清掃スタッフ全員共通の感動だと思う。
そこは基本的に白い世界だったから、薄黒い色をした霞は見つけやすかった。ポツンと塊で落ちていることが多く、ゴミ拾いの要領で拾えるのは随分と楽だ。
恐れていた絵画内での天使と悪魔の小競り合いは全くないわけではなかったが、戦闘を始めた彼らはこちらの存在に気付いた途端動きを悪くして何故か両者共身だしなみを整えてから解散していくので、巻き込まれて被害を受けることは皆無だった。
というか、どちらかというとむしろ天使同士、悪魔同士という同族間での諍い現場をよく見かけたような…。
武器も使用して互いに互いを激しく押し退け合いながら、意図的か否か段々とこちら側へ近付いて来るのは中々に恐ろしく、正直グレイは他族同士の戦闘よりも危険を感じていた。
てっきり天使と悪魔だけが争っているものと思っていたが、一概にそうは言えないらしい。戦闘意欲の高い住人たちである。
怪我しないでね……。あ、いや、でも彼らの傷は人間と違ってすぐに治るんだっけ?デビッドもあれだけアインセルさんに滅多刺しにされていたのにすぐピンピンしてたし…。
──そう、デビッドとアインセル。
グレイがこの階層で最も戸惑い、そして不可解に思っているのがこの二人の言動だった。
「ごっ主人様ぁ~!頭に付いてるぜ、家畜くっせぇ鳥の羽♡」
「えっ、わっ、」
「ご主人。悪魔の穢れが全身に纏わりついているようだ。今すぐ浄化してやろう。こちらへ来い」
「やっ、そのっ、」
「ちょっとちょっとぉ。碌に仲も深めてない癖に彼氏面ですかぁ~~??これだから童貞はぁ。ねぇ?ご主人様ぁ?」
「黙れ。貴様こそ出会って間もない内からベタベタベタベタ……。ご主人を軽視していると言っているようなものだ。不快極まりない。失せろ」
「やんのかコラ」「望むところだがコラ」と武器を構えながら睨み合うトップ二人の間に、死にそうな顔をしたグレイが挟まれる。
彼らは初日の対面以降、こうやって何かとグレイの傍に寄って来ては世話を焼き、そして些細な理由で衝突してはグレイの胃を痛めつけてきていた。
「……ところで貴様、この前も言っていたその『ドウテイ』とは何だ。聞いた事がない言葉だが」
「清らかな者ってことかなぁ」
「何だ褒め言葉か。貴様にしては珍しいが……、…言葉にせずにはいられない程の清純さが僕から滲み出ていたという訳だな。ならばありがたく受け取っておこう」
「うははっ!サイッコーに馬鹿!」
「『馬鹿』は侮辱だな??死ねっ!!」
ブンッッ!!と激しく風を切る音がして、アインセルの矢がグレイの顔スレスレを通り過ぎる。デビッドは間一髪でその攻撃を避け、その後もケラケラと愉快そうに笑っていたが、どうしてそんな風に陽気なまま居られるのかグレイには理解不能だった。
何といっても距離が近い。せめて少しばかり離れた場所で言い合ってくれればいいものを、二人共どんなパーソナルスペースの狭さを有しているのやら、グレイとどこか身体の一部が触れ合っているのが常だった。
いつ武器が当たって身体が弾け飛んでしまうか怯える俺の気持ちが分かって貰えないのだろうか。
時間が経って落ち着いた今も、デビッドはふわふわと宙に浮きながら背後からグレイの頭に覆いかぶさって器用に頬杖をついている。そんな彼と対面で睨み合うアインセルはグレイの両肩を掴んで己の方へ近付けようとしていて……。
生命の危機が去ったら去ったで、今度はまともに掃除も出来ない…!
トップの2人が両隣に居ることはもちろん悪い事ばかりじゃない。近くで彼らの同族が戦闘を始めた時なんかは「今は清掃中だぞ」と呼びかけて場を収めてくれるし、飛んできた瓦礫を跳ね返してくれたりして清掃スタッフが被害を受けないように立ち回ってくれる。
悪魔の絵画内でマグマのすぐ近くを掃除する時は「大丈夫?辛くない?」と逐一体調を聞かれながら熱気を吹き飛ばすように大きな羽で扇いでくれて、天使の絵画内では、手の届かない上空にある霞を何も言わずに集めてくれていたりするのだ。
すぐ近くには何故かいつも休憩用の柔らかそうなソファーが置かれているし、一度強引に勧められるまま腰かけると、地面に膝をついた2人から温かい布で手足を清められ、肩や腕、足を揉み解されて、そこは瞬く間に高級スパのような空間に……何だろうこれは。ビップ対応過ぎないだろうか。ここ絵画館だよね??(二回目)
っていうか、『ご主人様』って何??そういうサービス???
オークルは何かあったら困るからと一応ずっとグレイの傍に付いてくれていたのだが、清掃に協力的なトップ達の様子を見て今が働き時だとばかりにテキパキ清掃を進めていた。
オークルの動きはいつも無駄が無く、非常にスピーディーだ。そしてもちろん細かい霞ひとつ残さない完璧さ。
そんな風なので、動きを制限されてもたもたするグレイが絵画内を2割程度掃除した時には、もう既に残り8割の清掃はオークルによって終わってしまっているという異常さだった。
偶に「この場所はまだ甘いな」とグレイが担当した場所に手直しが入ることもあるので、9割はオークルが掃除していると言っていいかもしれない。
またしても役に立てないままのグレイは、がっくり肩を落とすのだった。
そんなこんなでグレイの精神に少しダメージは蓄積していったものの、特に問題は起こらぬまま数日が過ぎた頃。
普段の数倍の速度で進んだらしい清掃業務に、第六階層長のパープルは普段から柔らかな顔を更に柔和にして喜んだ。
「やあ~、君達が来てくれて助かったよ~」
「俺は、殆ど何も出来ていませんが……」
「そんなことないよ~。グレりんが居なかったら、今頃あっちこっちでドンパチ始まってる筈だから~。数日間も停戦状態が保ててるのが既に奇跡だよ~。偉い偉い~」
ふわふわとした雰囲気の階層長からまるで子供相手にするように頭を撫でられて、気恥ずかしさにグレイの頬が少しだけ赤く染まる。
彼の優しい評価を完全に納得出来はしなかったグレイだが、あまり卑屈になり過ぎるのも申し訳ないかと考え、「お役に立てたなら良かったです」とはにかんでおいた。
「それで相変わらずオーくるんは作業速いね~。優秀優秀~。流石お弟子さん~」
「まだ候補です。作業は、…この階層で鍛えてもらいましたから」
「まあうちは素早さ命だからね~。生き死にかかってるから~」
この階層に常駐する清掃スタッフが皆戦時中の軍隊のような動きをしていたのはもしかして…??
二人のやり取りを聞きつつグレイが記憶を探っていると、パープルは再びグレイに視線を向けて、
「オーくるんはガイドスタッフに戻るだろうけど~、グレりんさえ良ければ研修の後は第六階層で働きなよ~。僕からも推薦状を出しておくから~」
「すっ推薦!?……あの、凄く嬉しいんですが、お、俺ここでやっていける気がしな、」
「うんうん。全てはコスモのお導きだね~」
「はい???」
*
グレイの階層適性審査におけるそれぞれの階層での滞在期間は、およそ一週間程度だ。
しかしあれだけ自衛自衛…と気を張っていたにも関わらず、いやむしろそうやって気を付けていたからか、階層を退去する日が残り2日と迫った今日まで、『襲われない』という意味で何の支障も無く業務を終えられたことにグレイは正直拍子抜けしていた。
初日にむしゃぶりつきたいと豪語していたデビッドも、毎回アインセルが近くに居るからか、その抑止を跳ね除けてまで強引にグレイへ手を出す気は無いようで。それぞれ距離が近いのはちょっと面倒だったが、案外グレイはこの第六階層で健やかな清掃ライフを過ごせていた。
それに、今回はオークルがずっとグレイと同じ絵画内に居てくれたというのも一つの大きな要因だろう。今まではオークルが居ない時に限って事が起こっていたので……。
就業後、グレイの隣を歩くオークルを横目でぼんやりと見つめつつ過去の記憶を思い返していると、視線に気づいたらしいオークルが口を開く。
「結局何なんだろうな。お前のその『好かれ体質』」
「『好かれ体質』…」
「原因が分かれば、俺もその『好かれ体質』を真似ることが出来るかもしれない。……俺の第八階層の適性も、それで…、」
「……?先輩って全階層で適性があるんじゃ?」
「いや違う。…厳密には、第七、第八階層はまだゴールド館長からの許可が下りていなくて、足を踏み入れたことすら無い」
思い返してみれば、第二階層のイエロー階層長も、オークル先輩は『ほぼ全て』の階層で清掃経験がある、って言い方をしていたような…?
行ったことのある階層全てで適性があるってことか。それでも十分凄いけど!
……俺は、どうなんだろう。いくら好かれているのだとしても、最終的に襲われてしまっているのは、イコール適性無し、ってことになるんだろうか。
そんなことが頻繁に起これば、俺を原因とした外界物質で絵画の質を下げざるを得ないもんな…。実際にそういう事をした翌日、現場での霞量は普段の倍はあったとか先輩言ってたし。……まあ、霞になって取り除けるだけまだマシな方なんだろうけど。
オークルとの差にうな垂れていたグレイを彼は不思議そうに見下ろして、「お前の階層適性審査も第六階層で終わりだからな」と告げてくる。
そうか、先輩が引率できない場所は必然的に俺も行けないんだもんな。研修はここで終わりか。……終わりかぁ…。
俺、本当にダメダメだったなぁ……。
「ヴァーミリオンの弟子になるためには全階層のトップの承認が必要なんだ。俺は、いずれ第八階層のトップにも認めて貰わないといけない」
「?…第七階層はいいんですか?」
「第七階層のトップは訳あって長く不在だそうだからな。残すは一つだけだ。
だから、第八階層に上がれる時までに出来る努力はしておきたい。そういうわけで『好かれ体質』も修得したい」
そう言って、相変わらずグレイに眩しさを見せつけて来るオークルに堪らず目をすぼめていると、そんなグレイを残念さと呆れを孕んだ半眼で見やったオークルは、
「……それに、何らかの対処法が分かればもうお前に面倒をかけられることも無いだろうしな」
「…あ、はは。……はい、その節は本当に毎度毎度申し訳ございません」
ほらもう~~!!迷惑かけてんのよ俺~~!!泣きてぇ~~!!
手でゴマを擦るポーズを取ってヘラリと笑って見せるが、内心では自身への不甲斐なさで今にも身投げしたいくらいだった。
そんなグレイの、主に擦り合わせられる手の付近をジッと見て、その後少しばかりきょろきょろと周囲を見回したオークルは、怪訝そうに言う。
「グレイ、お前持ち帰りの清掃道具は?」
「??それなら此処に………あれ?」
上げかけたグレイの両手は、まるで何も持っていないかのように軽く……、
──まるでではなく、本当に何も持っていなかった。
空虚な両手を凝視して固まっていると、はあ~~…、ともう聞き慣れたため息が横から聞こえる。
「すっ、すぐに回収してきます!!」
「……俺は先に戻っとくぞ」
「はいーっ!!」
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