ヴァーミリオンの絵画館

椿

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第二階層 人物画-1

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「カーペットの霞を取るのには専用の掃除機を使う。一度縦方向にかけたら次は横方向から合わせて二回かけろ。細かい霞も逃すな」
「はい!」
「これとは別に畳の床もあるが、……お前畳は見たことあるか」
「いえ!ありません!」
「それならまずは実物を見てから清掃方法を、」

「ねえねえ新人君!」

 オークルからの業務説明に、せっせとメモを取りながら返事をしていたグレイ。そこに割って入ってきたのは昔の町娘然とした若い女性だった。勿論彼女の声の発生源は、今グレイらの目の前にある絵画内からである。

「えっ、俺??はい!」
「今から私、あの絵の広場で踊るんだけど見に来ない?貴方の感想が聞きたいの!」
「そうなんですね、凄い!……えっと、でも、」

「おいおい待ちたまえ君!抜け駆けをするんじゃない!新人君、是非我々の絵の舞踏会にサプライズゲストとして参加してくれないか!今日は娘の誕生日なんだ!」
「アンタの娘は毎日誕生日じゃないか!それよりこっちの絵に来いよ!パンの新作が完成したんだ!アンタにも見て欲しい!」
「えっ、あ、その、」

 女性の次は裕福そうな見た目をした壮年の男性、そしてその次はエプロンを付けた少し小太りの青年。前に居た人を押しのけて代わる代わる枠内を顔で埋め尽さんばかりの彼らの勢いに、グレイは若干気圧されて一歩後退った。
 助けを求めるように先輩であるオークルをチラリと見やるが、返ってくるのは冷えた視線だけである。絵の解説をしてもらったあの日からこの先輩は、「たまたまヴァーミリオンと感性が同じで絵画内の人物に気に入られてるからって調子に乗るなよ」ってな感じの嫉妬の目を隠そうとしない。……ああ胃が痛い。

 この階層の人間たちはあれから何だかグレイの事を面白がってくれているようで、こうやって頻繁に声をかけてくれる。それ自体はきっと良いことなのだろうが、今まで動物ばかりを相手にしてきたグレイにとって、まだ彼らとの会話でのコミュニケーション方法については分からない事だらけだった。

 えっと、これは断っていいことなのか?気分を損ねられたら絵の質に影響が……、かといって今は先輩に仕事を教わっている最中だし、……ど、どうすれば??

 冷汗をかきながらそんな風に混乱しているグレイを尻目に、オークルが絵画に向かって口を開く。

「すみません。今グレイは基本的な清掃業務を覚えている段階なので、あまり時間の空きがありません。実際に一人で清掃を行えるようになった際には、是非また話しかけてやって下さい。きっと彼も喜びます。な」
「あ、はい!よろしくお願いします!……今はすみません!」

 オークルに目を向けられて反射で頭を下げると、頭上の絵画からは「まあ、オークルさんが言うなら」「そういうことなら仕方ない」などと案外あっさりめな快い了承が返って来た。
 よ、良かった。密かに安堵の息を吐くと同時、グレイは絵画内の人物と会話を続けるオークルを横目で見て思う。
 やっぱりこの人、絵画達に信頼されてるんだな……。

 改めて抱いた尊敬の念は、グレイから見たオークルの姿を一層大きなものに見せた。




「カガリさん、失礼します」
「失礼します!」
「おう、今日も今日とてご苦労さん」

 草が編まれたような、グレイが見慣れない敷物の上で胡坐をかいてくつろいでいたのはトップのカガリだ。オークルが自身の靴を脱いだのを真似、グレイもそれを脱いでから敷物の上に乗る。木や石とは異なる何とも不思議な質感に「おぉ…」と変な息が漏れた。

「新人のグレイに畳の清掃方法を教えたいので、少しの間お部屋をお借りしても良いでしょうか?」
「構わねェよ。よろしくな」

 気前よく受け入れてくれたカガリさんに頭を下げて、オークルは早速グレイにこの畳と呼ばれる敷物の清掃方法を教えてくれ始めた。

 畳はカガリの絵画の舞台となっている文化圏では一般的に使用されているものらしい。この第二階層では此処でしか描かれていないもののようなので、畳の清掃が必要となるのは今のところカガリの絵画内だけである。
 「隙間に霞が入り込んでいる場合もあるから、その時はこうやって箒で掻き出して、」などと実践してくれるオークルの説明を逐一メモを取りながら聞いているグレイ。するとその途中で、不意に視界の端に入り込んだカガリと目が合う。鬱陶しかったのだろうか、見られていたらしい。
 予期せぬ視線に思わずギョッと身構えるグレイだったが、カガリはそんなグレイの動揺など意にも介さないという風に、自身の懐からゴソゴソと何やら白い包みを取り出した。

「精が出るねェ。これ食うか?大福」
「あ、ありがとうございます。でもすみません。絵の中の物は持ち帰れないので…、」
「っとそうだったな。うっかりしちまった」

 包みの中から出て来た柔らかそうな丸い物体は食品だったらしい。受け取らなかったグレイの代わりにそれにかぶりついたカガリは、「美味いのに食べらんねェのは残念だな」とあっけらかんとした雰囲気で笑う。

 それからもカガリは、オークルの説明の合間を縫って色々とグレイに話しかけてくれた。オークルもカガリとは随分親しい仲であるようで、二人の経験談を聞くのも純粋に楽しめて、最初こそカガリの気分を害さないように…とやや気を張っていたグレイだったが、会話の端々から感じられる彼の頼れる兄貴肌な気質と、全てを受け入れてくれそうな程に大らかな人柄、そして憂鬱を吹き飛ばす力を持った少し豪快な気の良い笑みに、段々と緊張が解れていくのが分かった。

 どうやらカガリの絵画は、ヴァーミリオンの作品の中でも最初期に描かれた相当に古いものらしい。カガリ自身は「見た目はこんなだが、もう結構な爺なんだぜ」とため息を吐いていたが、グレイからすると最初に感じた彼の少しアンバランスな魅力や、こちらを気遣ってくれる年長者然とした自然な態度はそこから来ているのかもしれない、と妙に納得してしまえるものだった。

 そうして、グレイの研修を含んだ畳の清掃が終わる頃。カガリは「そう言えば、」と今思いついた風にグレイへ問う。

「お前様、絵は描くのかい?」
「絵、ですか?」
「坊主が描くから、ちょいと気になってな」

 オークル先輩は絵も描けるのか!とその多才さに驚いた後、グレイはやや気まずげに頬を掻いて質問に答える。

「俺は小さい頃からそういうのは下手クソで……、あ、だからこそ見るのは大好きなんですけどね!」


「……ふぅん、そりゃあいい。
 前世でもう描きたくねェほど描いたのさ」


 前世?不思議なことを言う人だな?

 そう思いはしたが、これをそのままカガリに言うのはあまりに不躾かと思い、グレイは口を噤んだ。隣で聞いていたオークルも少しだけ首を傾げていたようだが何も言わなかったので、恐らくこれが最適解だったようである。

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